29. 迎え
空を覆う薄く紫がかった光が完全に消え去った頃、イオナから礼服を受け取り、テミスリートは部屋へ戻る路を辿っていた。
「(遅くなっちゃった)」
試着の後イオナと軽くお茶をするだけのはずが、周囲がドレスの話で盛り上がり、途中で抜け出すことも難しくなってしまい、こんな時間まで居座る羽目になってしまった。
「(イーノ、怒ってるだろうな)」
なるべく早く戻ると言って行ったのに、完全に日が暮れている。帰ったら目を吊り上げて怒るに違いない。その様子を思い浮かべ、テミスリートはげんなりした。
「(帰りたくないな・・・)」
イーノに怒られるのは結構辛い。エルディックのような無言の静かな怒りも結構迫力があるのだが、イーノの弾丸のような怒りの言葉はサクサクと胸に突き刺さるのだ。ついでに大きな声も苦手だ。
「(でも、なあ・・・)」
女性化の影響で体が辛いし、今夜には寝込むこと確定なのだから、早く帰ったほうが良いのは分かっている。
しかし、怒られると分かっていて帰るのは嫌である。子どもっぽい思考だと自分でも分かっているが、嫌なものは嫌だ。
「(・・・せめて、ゆっくり帰ろう)」
いつもよりスローペースな歩調で廊下を歩く。
イオナの部屋は、ナディアの部屋ほどではないがテミスリートの部屋から遠いため、帰るのは結構辛い。最近は慣れてきたが、魔女の力を使った後で戻るのは結構身体の負担になる。
少しのことで息が上がりそうになるのを深呼吸して抑え、ゆっくり歩いていると、その視界に影が入った。
ダルさにぼんやりとした目を向ける。
「(あれ・・・?)」
目の前に、見たことのない少女がいる。
膝まで伸びた長い黒髪を掻き上げ、猫の目を思い浮かべる紅い大きな目でこちらを睨みつけてくる少女をぼんやりと眺め、テミスリートは目をこすった。
もう一度見ると、やっぱりいる。
「(見間違いじゃないか。・・・でも、こんな時間に女の子が出歩くなんて・・・)」
後宮の側室にしては小さすぎるし、エルディックにそちらの趣味はない。使用人であっても、まだ10にも満たないように見えるこの少女が後宮にいるのは不自然だ。
不思議そうに首を傾げていると、少女はズンズンと近づいてくる。そして、目の前まで来ると両手を腰に当て、こちらを睨みつけてきた。
「どんだけ遅くなってんだ、あんた」
「え゛・・・・・」
愛らしい外見を裏切らぬ子どもの声で告げられた聞覚えありまくりな言い回しを聞き、テミスリートの顔が引きつった。
「い、イーノ!?」
「ほら、帰んぞ」
「え? う、わ!」
突如少女に抱き上げられ、テミスリートは目を白黒させた。少女はそんなことは知らないとばかりにテケテケと廊下を進む。
「さっさと帰らないと、寝込む期間が増えるだろーが」
「ちょ、ちょっと」
「待たねーって。このほうが早い」
「そうじゃなくて! イーノ、なんだよね? その外見っ・・・それに、抱っこって・・・!」
「ここは女以外いちゃ駄目なんだろ? 迎えに行くなら女になるっきゃねーじゃねーか」
平然と言う少女―-イーノ―- の返答に、テミスリートは顔を手で覆った。
「(どこに自分の2倍位年齢差がある男を抱き上げる女の子がいるんだ・・・!)」
自分が男性であることを考慮せずとも、この構図は明らかにおかしい。しかも、お姫様抱っこである。
「大体何で、女の子、なのっ。普通女の子は、大人を抱っこ、できないよ!」
「そうなのか? 人間って不便だな」
「(ああ、もう・・・!)」
テミスリートは片手で米神を押さえた。
さすがにこんなところを見られたら不審がられる。目深にフードを被った怪しい大人を軽々と抱き上げて運んでいる少女など目立ちすぎだ。
しかし、何か言う間もなく、イーノは部屋までたどり着いた。部屋を開け、さっさと寝室へ向かい、テミスリートを寝台の上に文字通り放り投げる。
「っ・・・!」
「ほれ、さっさと寝ろ。水とかは持ってきてやるから」
枕と頭突きすることになったテミスリートに一言言い残し、イーノは寝室を出て行った。
頭を押さえつつヨロヨロと身体を起こし、テミスリートは寝台に座った。
「(迎えに来てくれたのはありがたいけど・・・)」
この扱いはどうかと思う。
着替えもまだだし、食事もまだである。まあ、食事に関しては果物くらいしか喉を通らないだろうからいいのだが、外出着で寝るわけにはいかない。
それに、幸い途中誰に会うこともなかったが、さっきの様子は見られるととても困る。きちんと言い聞かせないといけない。
が、現在、その体力はない。
「(治ってからにしよう・・・)」
テミスリートは深く息を吐いた。
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