19. 名前
昼食と言うには遅すぎる食事を取りながら、テミスリートは溜息混じりに魔物に声をかけた。
「――― とりあえず、あなたの名前を決めないとね」
「『名前』? なんだそれ?」
目の前でサンドイッチを齧っている魔物の首をかしげた返答に、テミスリートは軽く俯き、米神を押さえた。
「(そこから・・・)」
昨夜のお茶のことといい、今の名前のことといい、魔物には人間なら当たり前に持っているはずの知識が全くない。先程昼食の準備をしていた際も、サンドイッチを作る横で「あれは何だ」だの「これはどう使うのか」だの様々なことを聞かれ、中々作業が進まなかった。
まあ、そのおかげで地を出しやすくなったのではあるが。
テミスリートは大きく息を吐くと、再び魔物に視線を向けた。
「・・・・・・名前っていうのは、個体を表すためのものだよ。例えば、私は人間だけど、人間は他にもたくさんいるよね? そうすると、『人間』って呼ばれても誰だか分からなくて困るでしょう?」
「別に、『あんた』とか『お前』でいいだろ?」
「それは目の前にいる人にしか使えないよ。それに、人がいっぱいいるところだと伝わりにくいんだ。だから、名前を使って区別するんだよ」
「・・・・・・面倒くさいな」
「そういうこと、言わないの」
めっ、と軽く叱り、テミスリートは自分の前にだけ置かれた紅茶のカップを取り、中身を口に含んだ。
「私以外の人にあなたのことを知られたとき、魔物って紹介するわけにもいかないんだから。それに、魔物だってばれたとしても名前は要るんだ」
「ふーん・・・。ま、好きにしてくれ」
特に気にした様子もなく、卵サンドをはむはむしている魔物を、テミスリートは溜息をつきつつ、見遣った。
「(魔物には名前の概念ないからなあ・・・)」
魔物は世界の負から生まれた瘴気が集まってできる存在で、目の前の『魔物』のように自我を持つものはほとんど現存しない。そのため、名が必要になることがないのだ。その点で言えば、自然から生まれた魔女も名を持たないが、人と関わることのある魔女は魔物と違って知識がないわけではない。
「(好きにしてって言われたし、私が決めればいいよね)」
目の前で幸せそうに食事をしている魔物を眺めつつ、テミスリートは頭の中で名前の候補を挙げる。
「(良くある名前でもいいけど、平凡すぎるかなぁ)」
呼びやすく、覚えてもらいやすい名前をつけてあげたい。いつか、他の人からも親しく呼んでもらえるように。
テミスリートは魔物を注視しつつ、思考をフル回転させた。
「・・・・・・イーノ」
「あ?」
突如テミスリートの口から零れた言葉に、食事に気をとられていた魔物は顔を上げた。
「よし、イーノにしよう」
食事をする魔物の姿を見て、思いついた名だ。名前の由来は魔物には秘密だ。
「『イーノ』? それが、名前か?」
「うん。あなたの・・・あなただけの名前だ」
満足そうに微笑むテミスリートを凝視した魔物は、不意に顔を横に背けた。
「イーノ?」
不思議そうにたった今付けた名を呼ぶテミスリートに、魔物 ――― イーノはサンドイッチを口にくわえたまま、もごもごと呟いた。
「あんたがいいなら、それでいい」
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