13. 月光
夜の帳が降り薄暗い廊下に、歩く人の姿があった。
「――― 本当に大丈夫ですよ?」
「いや、遅くまでつき合わせてしまったし、さっきの魔物のこともあるからな。送っていく」
隣を歩く、きっちりと武装したイオナに、テミスリートは心の中で空笑いを浮かべた。
「(そこまでしなくても・・・)」
もう部屋は知られているため、送られることに問題はないが、女性に送ってもらうことについては、少し思うところがある。
「(本当に、変わった方だ)」
本職が騎士だったとはいえ、ここまで世話を焼いてくれる側室は彼女くらいしかいないだろう。実際、先程使用人の一人に止められていたのを思い出し、テミスリートはくすりと笑った。
「どうした?」
「いえ」
不思議そうに見下ろしてくるイオナに、さらに笑いが込み上げる。それを押し込めて返事をすると、あからさまに訝しそうな瞳が向けられた。
「そなたはすぐにそう誤魔化すな。もっとはっきりと言ったらどうだ?」
「・・・そう言われましても。そこまで申し上げるほどのことでもありませんし」
テミスリートが苦笑いを浮かべると、イオナは目を吊り上げる。しかし、すぐに視線を逸らした。
「・・・・・なら、いい」
そのまま前を行くイオナの後に続きながら、テミスリートは首をかしげた。
「(どうされたのかな?)」
昼にお茶をしてからというもの、イオナの様子が少しおかしい気がする。突然怒り出したり、そうかと思えば黙り込んだりと、あまりに感情がつかめなくて、テミスリートはどう対応してよいかわからなかった。
頭に"?"を3つほど浮かべて後をついてくるテミスリートをちらりと振り返り、イオナはこっそりとため息をついた。
「(もっと感情を表に出せばよかろうに・・・)」
昼間に聞いた言葉と表情が、イオナの頭から離れない。
まだ若いのに、自分の状態や立場から生涯後宮に留まることを決めた"少女"が内にどれほどの思いを押し殺しているのかを考えると、どうにもしてやれない自分に苛立ちを覚える。せめて、少しでも吐き出させてやりたくて、それとなく水を向けるのだが、全く気付いていないのか、それとも気づいていてはぐらかしているのか、差し障りのない回答しか返ってこない。そのことに苛ついて逆に文句を言ってしまったり、怒ってしまったりと、自分だけが振り回されている気がして、イオナは再度ため息を漏らした。
「(何とかしてやりたいが・・・)」
自分とて、家から要請がなければ後宮から出られないし、出られたとしても彼女を守るだけの力がない。騎士として身を立てていけるのであれば何とかなるかもしれないが、それは許されないだろう。
「(・・・無力だな)」
騎士の本分は守ることであるのに、ほとんど発揮できていない。実際、魔物に対してはテミスリートの方が対処可能であるし、権力や家の事情については外野である自分が口を挟めることではない。どうしようもないと分かってはいても、騎士である自分がどうにもできない状況に、不甲斐なさを感じる。イオナは額に手を当て、更に溜息を連ねた。
「あ・・・・・・」
不意に背後から零れた声に、イオナは振り返った。
少し離れたところで、テミスリートが立ち止まり、中庭へ続く道を眺めているのが見えた。月明かりに照らされる横顔に、イオナは瞳を奪われる。
「どうした?」
我に返り、イオナが慌てて引き返すと、テミスリートは微笑を浮かべ、手で中庭を示した。そちらを向くと、白い光を放つ月の姿があった。
「今宵は、満月だったんですね」
「満月・・・」
テミスリートの言葉を反芻し、イオナは長いこと月を見ていなかったことに気付いた。普通、後宮では夜に部屋の外を出歩くことはないし、部屋からは後宮の外壁に阻まれ見ることが出来ないためだ。
後宮に来て初めて見る月の姿に、イオナはほうと息をついた。
「見事なものだな・・・」
「本当に」
しばし廊下に立ち、月を眺めていると、不意にテミスリートが口を開いた。
「――― イオナ様は月にまつわる話を聞かれたことはありますか?」
「そうだな・・・花嫁を捜しに、月の精が満月に地上に降りてくる話は読んだことがある。御伽噺だが」
子どもの頃は恋愛にも結婚にもある程度の憧れがあった。時と共に薄れてしまったが、その頃に見聞きした話は今でも思い出すと心を温かくする。少し恥ずかしげに頬を染めたイオナに、テミスリートは微笑を返した。
「私は、月は陽の影であり、鏡であると母から教わりました」
「魔女の知識か?」
「はい。陽は世界に平等に光を与えるけれど、それは大変な仕事であるから、時には休ませる必要がある。それ故に、陽が休んでいる間は月がその役目を担っている。けれども、月は陽そのものではないから、陽の光を御しきれずに満ち欠けを繰り返す、と」
「ふむ」
「また、月は陽が持つ負を映すものである。それ故に、月の光は時に物悲しく、妖しいものであるのだ、とも」
そこまで言って、テミスリートは再び月に視線を移した。
「面白い話ですよね」
「・・・・・・なら、月の負はどこに映されるのだ?」
「・・・?」
イオナの問いに、テミスリートの目が不思議そうに揺れた。
「陽の負は月が代わりに受けるのだろう? ならば、月の負は誰が代わりに受けてくれるのだ? それでは、月は自らの負を抱えたまま更に陽の負を受けることになってしまう」
「・・・・・・」
イオナの言葉に、テミスリートはしばし考え込んだ。言われてみれば、月は受け取り損である。人ではないから問題はないのかもしれないが。
「月が不憫だな」
「・・・そうですね」
あまりにも感情のこもった返答に、テミスリートは苦笑を漏らした。
「(そこまで、考え付かないけどな・・・)」
月は世界の自然の一部でしかない。魔女の視点から物を見るテミスリートにとっては、自然はそこまで明確に感情を持つものではないのだ。確かに、人や動物は複雑な感情を持つが、それは自然の中では異色な存在である。しかし、人の視点から物を見るイオナにとっては、月も人と同じような感情を持つものであった。
「(誰にも、自分の感情を吐露できないというのは辛いであろうに)」
感情が負に近くなればなるほど、一人で抱え込むのは苦しい。それであるのに、誰にも言うことなく、他者の負の感情を受け入れるというのは、想像を絶する苦しみだろう。それがもし人であるなら尚更だ。
感情移入しすぎたのか、顔を歪めるイオナに、テミスリートは慌てた。
「で、ですが、陽は月の負にも光を与えていますから、いつかは負も消えるのでしょう。そこまで気にしなくても大丈夫だと思いますよ」
必死でフォローするテミスリートにイオナは視線を向けた。
「(月・・・ね)」
お人好しで苦労性な月の姿に、目の前の"少女"の姿が重なる。人のことには共感し、感情を露わにするのに、自分の抱えているものを外に漏らさない所もそっくりだ。
「(陽のように全てを照らすことは無理だが・・・)」
"少女"一人を照らし続ければ、いつかはその心を解き放つことが出来るのかもしれない。
「(やって、みるか)」
後宮にいる間くらいは、出来る限り力になってやりたいと思う。
イオナはテミスリートにそっと笑いかけた。不思議そうな瞳がこちらを見返す。
「イオナ様?」
「いや。・・・もう、大丈夫だ」
軽く伸びをすると、イオナは片手をテミスリートに差し出した。
「遅くなってしまうし、そろそろ行こう」
「そう・・・ですね」
名残惜しそうに月を見上げ、テミスリートは頷いた。視線を戻し、差し出された手を困惑したように眺める。その様子に苦笑し、イオナは多少強引にテミスリートの手を取り、繋いだ。
「!」
「さ、行くぞ」
手の平に感じた柔らかさと温もりに、顔に朱が走る。それほど距離が無い筈の部屋に戻るまでが、とても長く感じられたテミスリートであった。
読んでくださり、ありがとうございます。