12. 望み
「―――― で、さっきの話の続きだが」
午後のお茶を楽しみつつ、イオナはテミスリートに尋ねた。
テミスリートの部屋からしこたま小物を頂いたことと、イオナがあの部屋では落ち着いて話ができないということで、現在二人はイオナの部屋にいる。
「あの男、そなたのことを知っていたようだが、知り合いか?」
「いえ、全く。・・・あと、相手は魔物ですから、性別はありませんよ」
イオナの苛々した物言いに、テミスリートの笑顔が引きつる。
「そんなに・・・男の方はお嫌いですか?」
「いや・・・だが、得体の知れない奴とむさ苦しい奴は駄目だな。お近づきになりたくない」
考えるだけでも嫌だというように首を振るイオナに、テミスリートは少しホッとした。
「(少なくとも、成敗だけは免れるかな)」
男であることはばれないようにするつもりだが、もしばれても情状酌量の余地はありそうだ。
「まあ、女性のように愛らしい者なら、付き合ってみても良いかもしれぬがな」
「!」
「ん? どうかしたか?」
「いえ、何も!」
不思議そうな顔を向けてくるイオナに、テミスリートは思い切り首を振った。
「(流石に、それはないね)」
一瞬脳裏にちらついた光景は口に出すのもはばかられる。
こほんと咳払いをし、テミスリートは話題を変えた。
「・・・そういえば、イオナ様は魔物を見るのは初めてですか?」
「そう・・・だな。騎士をしていたとは言っても、討伐隊に加わって遠出をした経験はないからな。テミスリート殿はそうではないようだが」
「テミスで結構です。私も、実は本物を見たのは初めてで。知識では母から聞いていたのですが」
森の魔女として、森を守っていたシェーラは魔物を見たことが何度もあるらしかった。テミスリートも、魔物の特徴や性質、いざという時の対処法についてはしっかりと教えられている。
しかし、王宮の内部まで魔物が入り込む事態はそうそう起こり得ないため、実際に見る機会は皆無だった。
「ふむ、母君も魔女でいらしたのか?」
「はい」
「魔女というのは、血で受け継がれるものなのか?」
「そう・・・ですね。女児には必ず受け継がれるものです」
その仕組みについては明らかでないが、魔女が子どもを身籠る際、その力の多くが子どもに移り、生まれてくるのだとシェーラからは聞いている。また、相性が悪いのか、男児にはその力が移らないとされているとも。
「なら、そなたの子も魔女なのだな」
「・・・・・・女児が生まれたら、ですが」
自分のように男で生まれることもあるかもしれない。それはさておき、そのつもりがない自分に子どもができることはないだろう。
苦笑いを浮かべ、紅茶を嗜むテミスリートをイオナは思案気に眺めた。
どうやら、テミスリートは子を成す気はないようだ。折角麗しい見目であるのにと、少し残念に思う。彼女の子はきっと可愛らしいだろうに。
「(まあ、後宮にいる限り、王のお渡りがないと子は望めないからな)」
エルディックの心はナディア一直線だ。他にも美しい側室は多いのに、誰も見向きもされていない。この状態では、たとえ子が欲しいと望んでも、ほぼ無理だろう。
それに、イオナとしては、目の前の"少女"を王も含め男に持っていかれるのは何となく不満であるため、このままの方がありがたい。
と、そこまで考えて、イオナはふとあることに思い至った。
「(テミス殿は、何故後宮にいるのだ?)」
後宮に来る側室は大まかに分けて2通りだ。1つはイオナのように家の繁栄のために強制的に送られてくる者。同盟目的で送られてくる他国の姫もこちらに入るのだが、この場合はあまり正妃の位に関心がなく、権力争いに巻き込まれない平穏な生活を営んでいる。もう1つは王を個人的に好いており、自ら望んで後宮入りしてくる者。こちらは、王の心を射止めるためにあらゆる手を尽くす者から、影ながら王を見守る者まで様々で、権力争いも激化している。現在の後宮では、前者はイオナを含めて数名くらいのもので、後者の方が多い。テミスリートの様子では、家のためという訳でもなさそうだから、後者なのだろうか。
「テミス殿は、王を愛しているのか?」
「(ぶっっっ!)」
イオナのストレートな問いに、テミスリートは紅茶を噴出しかけた。無理矢理飲み込んだが、気管に入ってしまい、咳き込んでしまう。イオナは慌てた。
「だ、大丈夫か?」
「・・・・・・だ・・・いじょう・・・ぶ、です」
何とか気持ちと身体を落ち着かせると、テミスリートはイオナを安心させるように微笑を浮かべた。
しかし、その心中は複雑である。
「(兄上のことは好きだけど、そういう趣味はないなあ・・・)」
テミスリートにとって、エルディックは頼りになる、少し過保護な兄でしかない。第一、異母兄弟とはいえ、父親が同じ相手と付き合うというインモラルな嗜好は全く持ち合わせていないのだから、イオナの問いは予想外としか言いようがなかった。
「王のことは・・・お慕いしてはおりますが、恋愛感情はありませんね」
「(よし)」
差しさわりのない返事を返すテミスリートを見、イオナは心の中で拳をグッと握った。
テミスリートがエルディックを好きならば仕方がないが、そうでないなら、誰かに取られることはないだろう。エルディックが余所見をすることはないだろうし、後宮にいる限り、他の男性と知り合う機会はないのだから。イオナとしては、テミスリートにはもうしばらく"少女"でいてもらいたいのである。
「では、何故後宮に? オルビス家は王との繋がりを望んでいるのか?」
正妃に選ばれればもちろんその生家の権力も強くなるが、側室であっても王との間に子を成せば王族との縁ができる。それを目当てに後宮に娘を送る家は少なくない。また、後宮を辞した者を娶るのは誉れとされ、後宮を出た後に良縁をもたらされることも多いため、それを目当てに送る家も多い。ちなみに、良縁を望んで後宮入りした者は、ナディアの正妃入りと共に後宮を辞したため、現在はいない。
「いいえ。・・・もう、家には私しかおりませんし」
シェーラはテミスリートが10歳の時に、父王ランバートは12歳の時に亡くなった。
成人していない、親の後ろ盾のない貴族は、他の貴族に守ってもらうか、爵位を返上し平民になる以外に生活していく術はない。それは王族も同じだ。特に、テミスリートは正妃の子とはいえ魔女の子であるし、皇太子位はエルディックに移っていたため、ほとんどの貴族にとって厄介者でしかなかったから、暗殺されていた可能性が高い。当時エルディックが守ってくれていなければ、後ろ盾のないテミスリートは今ここにいなかっただろう。
「それは・・・無粋なことを聞いたな。失礼した」
「大丈夫です。昔のことですから」
「そうか・・・・・・なら、何故後宮に?」
イオナの問いかけに、テミスリートはどう答えて良いか少し悩んだ。事実をそのまま告げることはできないし、かといってあまり嘘を連ねると後でぼろが出る。
黙り込むテミスリートに、イオナは少し慌てた。
「あ、言い難いなら無理に言わなくていい。すまないな、根掘り葉掘り聞いてしまって」
「いえ、大丈夫です。ただ、どうお伝えして良いものかと・・・」
困ったように笑うテミスリートに、イオナはホッと息をついた。
「・・・・・・そうですね・・・・・・王の厚意、でしょうか」
「?」
「後ろ盾の無い貴族は、他の貴族の格好の獲物ですから。家を存続させることを条件とした縁談は成人前からありましたし」
「な!?」
イオナは思わず席を立った。ぐいとテミスリートの方へ詰め寄る。
「成人前の婚姻は許されていないだろう?」
「ええ。ですが、許婚という形で実質的に婚姻を結ぶことは可能なのですよ」
許婚と称し、破棄できない婚姻を成人前に結ばせる貴族は結構存在する。家名を維持するために資金を提供する代わりに、将来婚姻を結ぶことで家名と爵位を与える契約を交わすのである。あまり知られていないが、このようにして家を乗っ取られる貴族は意外と多い。テミスリートの場合は少し異なり、エルディックとの縁戚を求めての縁談は複数の貴族から寄せられていた。伯爵以上の爵位の家ではほとんど起こりえないことであるため、イオナが知らないのも不思議ではない。
「そんなことがまかり通るのか・・・」
ショックだったのか、少し凹んだ様子で席に座りなおすイオナに視線を向けつつ、テミスリートは話を続けた。
「後ろ盾を失くし、窮地に陥っていた私に手を差し伸べてくださったのが、王だったのです。後宮に招き入れて頂いたおかげで、意に染まぬ婚姻からは逃れることができました。それ以前も、王からは様々な方面で支援を頂き、平穏に過ごすことができましたし、私は恵まれているのでしょう」
事実を交えつつも、核心に触れないように説明するのは難しい。テミスリートは誤魔化すように軽く笑みを浮かべた。
「王とは、以前から交流があったのか」
「交流というほどではないのですが・・・前王の正妃様のご実家の近くに領地を賜っていたので、前王と面識がありまして。そのご縁でお声をかけていただきました」
これは嘘ではない。エルディックはオルビスの家名と共にシェーラの森の近くの領地をテミスリートに与えている。オルビスは元々その一帯を治めていた貴族の家名で、一度血族が失われたため、土地と共に王族が管理していた。今も、形としてはテミスリートのものであるが、彼自身が管理できないため、エルディックが管理している。
「そうだったのか。・・・苦労、したのだな」
「そうでもないです。家族からも王からも大切にして頂きましたし、こうして魔女である自分が平穏な日々を送れるのですから」
「・・・・・・!」
本心からの笑みを浮かべるテミスリートに、イオナはしばし見惚れた。
「どうか、されましたか?」
「いや、何でもない」
きょとんとした目を向けてくるテミスリートから、イオナは反射的に視線を逸らした。焦りを隠すかのように、口を開く。
「な、なら、もうしばらくは後宮にいるのだな?」
「生涯おりますよ」
別に、正妃がいるからといって側室が後宮を出る謂れは無い。いたければ、いつまででも留まることが可能である。後宮で生涯を送る側室も存在している。だから、自分がいても問題はないとテミスリートは思っている。
しかし、イオナはそうではなかったようである。
「生涯!?」
「ええ。お慕いする方もおりませんし、家も私独りではあまり意味を成しませんから。王にご迷惑でなければ、こちらで生を終えるつもりです」
「(勿体ない!)」
男性と付き合う姿は見たくないが、だからと言って一生独り身で終える姿も見たくない。イオナは葛藤した。
「そなたなら、魔女の技もあるし、後宮を辞してもやっていけるだろうに」
「・・・あまり、身体が丈夫ではありませんし、私は王のお役に立ちたくてここにいるのです」
そう言って、テミスリートは淡い微笑を浮かべた。
「王と正妃様をこの力でお守りすること。それが、私の勤めであり、望みなのです」
「・・・・・・そうか」
イオナは、無言で紅茶を啜った。テミスリートもそれに倣う。
そのまま、しばらくの間部屋に静寂が満ちた。
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