10. 激怒
この回は、ほんの少し残酷(!?)描写が含まれます(流血表現は含まれません)。
苦手な方、ご注意ください。
シュッ・・・!
空気を切る微かな音に、魔物は瞬時にその場に屈みこんだ。その途端、背後で何かが刺さる音がする。テミスリートの眼が、大きく見開かれた。
「・・・・・・!?」
「・・・危ないねぇ」
魔物の背後の柱には、一つの短剣が突き刺さっていた。動くのが少しでも遅かったならば、その短剣は魔物の頭に突き刺さっていただろう。決まった姿を持たない魔物でも、流石にダメージは大きかったはずだ。
魔物は立ち上がると、短剣が飛んできた方を見た。その眼が細められるのを見、テミスリートもそっと振り返る。そして、目を丸くした。
「サリヴァント伯爵嬢!?」
「女子に手を出すな、この下衆め!」
そこにいたのは、動きやすそうに簡略化された鎧を身に纏ったイオナだった。抜刀し、こちら――― はっきりと言えば魔物――― を睨みつけている。
「随分と勇ましいお姉さんだねぇ」
魔物は苦笑した。先程投げられた短剣は中程まで柱に埋まっている。渾身の力で投げられたに違いなかった。
イオナは走って魔物の方に近づいてくると、テミスリートを後ろに庇って前に出た。そのまま魔物に食って掛かる。思いがけない行動に、テミスリートは慌てた。
「貴様、何者だ!? なぜ後宮にいる!?」
「は、伯爵嬢! 下がってください!」
「何故止める!? 相手は男だぞ! ここにいること自体、成敗の対象だろう!」
「男じゃなくて、魔物なんです! 無闇に手を出さないでください!」
「どちらにせよ、不審者には違いないだろう!」
完全に切れている。何とか止めようとするが、テミスリートの腕力では止められない。テミスリートを振り切り、イオナは手にしていた剣で魔物を突いた。魔物の身体に剣がめり込む。しかし、手ごたえは感じられなかった。
「・・・・・・!?」
「人にしては、強いな」
楽しそうに笑う魔物に、イオナは目を見開いた。魔物は刺さった剣を掴むと、力を籠め、引き抜いた。剣は何の抵抗もなく、その身体から抜ける。身体には傷一つ見当たらなかった。
「――― でも、そこの魔女よりはずっと弱い」
「く・・・!」
魔物の言葉に、イオナの表情が悔しげに歪んだ。
魔物には、あまり物理的な攻撃は効かない。急所を突けば多少のダメージは与えられるが、元々実体のない瘴気から生まれているため、効果が薄い。詮無いことであった。
「(邪魔も入ったし、退散するかな)」
一口ぐらい味見していきたかったが、目の前の女性の隙を盗んでは難しそうだ。いくら剣が効かないとはいえ、痛みはある。出来ることなら、遠慮したい。
「まあ、面白いものも見れたし、もういいや」
魔物の呟きに、イオナは魔物をギッと睨んだ。テミスリートも、少し離れたところで瞳に少し警戒の色を含ませている。二人の様子に魔物は瞳を細めた。
瞬間、テミスリートの方へ間合いを詰める。
「!?」
「じゃあね、魔女さん」
魔物はテミスリートの右手を取ると、その甲に掠めるように口付けた。
「――― また、今度」
耳元で囁くように呟くと、魔物は宙へ舞い上がった。
「待て!」
慌ててイオナが叫ぶが、魔物は後ろを振り返ることなく、空の彼方へ消えた。
「――― くそ!」
憎憎しげに吐き捨てると、イオナは剣を収めた。そして、足早にテミスリートに近づく。
「大丈夫か?」
そう言って、懐からハンカチを取り出し、テミスリートの右手の甲を拭った。強く擦られ、チリチリとした痛みがはしる。
「・・・っ」
「ああ、済まない」
イオナはそっと手を離した。
「後で、きちんと洗浄し、消毒しておいたほうがいい」
「は、はい。・・・ありがとう、ございます」
あまりに過剰な対応に、テミスリートの顔が引きつった。
貴族の女性の手に男性が接吻するのは、社交界では良くあることだ。ここまで過剰に反応する女性はほとんどいない。
「(本当に、男の人嫌いなんだ・・・)」
先日言われた言葉を思い出し、テミスリートは身震いした。
「またあの輩に遭遇すると厄介だからな。部屋まで送ろう」
イオナの善意に、さらにテミスリートの表情が引きつった。姿を変えているため、気付いていないだろうが、送られると拙い。
「いえ、一人で帰れますから! これでも強いほうですし!」
「いや、いくらそなたが強いとはいえ・・・ん?」
イオナはしばし考え込んだ。
「(あの男、『魔女』と呼んだな。しかし、魔女といえば・・・)」
脳裏に、少し儚げな愛らしい少女が浮かぶ。目の前の"少女"に視線を向けると、きょとんと瑠璃色の瞳が見返してくる。
髪の色も、瞳の色も、自分の知る少女とは異なる。
しかし、何故かそれが正解だと、勘が告げていた。
「・・・テミスリート殿、か?」
「!」
目の前の"少女"は驚きに目を丸くした。
「お先に、失礼します!」
頭を下げ、慌てて去ろうとする"少女"の左腕を掴み、イオナは自分の方に向かせた。
「久々に会えたというのに、その反応はないだろう?」
掴んだ"少女"の腕には、見覚えのある腕輪がはめられていた。
「さて、説明してもらえるかな? 魔・女・ど・の?」
晴れ晴れとした笑顔で問い詰めてくるイオナに、テミスリートは蒼い顔をしてコクコクと頷いた。
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