大橋止め
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
う~ん、今日は天気がいいこともあって、川釣りしている人がちらほら見えますねえ。
私は水が苦手なので、今に至るまで釣りをしたことがありませんで。こうして遠くに、人がやっているのを眺めるばかりなんです。
ああ、かなづちというわけではないですよ。学校の授業など、必要があるときであれば泳ぐのを厭いませんが、純粋に水が嫌いなタチなのです。もしかして、珍しいですかね?
――思い当たる理由、ですか?
そうですねえ。小さいころ、親に頭を洗ってもらったとき、顔全体を水で覆われて息ができなくなった瞬間が強く残っているためじゃないか、と分析します。
記憶がはっきりする程度には自我に目覚め、はじめて感じたままならない苦しみといいますか。相手から押し付けられる怖さを、私はあのときはじめて知ったんです。
そのような押し付け、実は私たちの身近でも起こっているのかもしれませんね。本人が承諾しているとしても、外から見たら異質に感じられてしまうような。
私のおじさんが話していたことなんですけれど、ちょっと聞いてみませんか?
おじさんが小学校を卒業する年のこと、と話していました。
当時、おじさんの住んでいた地域は毎年のように台風がやってくるところでして。雨と雷は慣れっこだと話していました。
家の中とかに退避していればいい話ですが、問題はそれらが通り過ぎたあと。どれほどの被害が出ているかのほうが気になったそうです。
まだまだ子供ですから、補修とかの手間がかかる大仕事は大人がやってくれています。おじさんの関心は、この台風のあとの川を眺めることにありました。
もちろん、増水していて危険きわまりないですね。親にあたる祖父母からも、川にはくれぐれも近づくなと釘を刺されていますが、おじさんはどこ吹く風。
さすがにちゃんとした装備なしに、川に飛び込むような無謀まではしませんが、増水した川べりで座り込むことくらいはしたそうです。
普段の穏やかな姿からは、想像もつかない濁った色と勢いをたたえて、流れていく川の姿。その期間限定ぶりに、言い知れぬ魅力を感じていたおじさんは、その日も家から持ってきたお菓子の袋を片手に、濁流を眺めていたのですが。
ふと、お菓子を食べる手を止めるおじさん。その目の先の流れの中に、覚えのある姿を見かけたからです。
学校の友達。いや、本当に本人なのかは、すぐに確証が持てませんでした。
何メートルと離れていない間近を横切っていく彼の身体は、灰色ひとすじだったからです。目を閉じ、手を合わせたまま微動だにせず、流れの中を浮き沈みしながらどんどん下流へと駆けていってしまいます。
一瞬、固まってしまったおじさんですが、ほどなく立ち上がって友達の姿を追いかけました。さすがに自分の楽しみよりも他人の心配です。
いつもは眺めるばかりだった濁流の思わぬ速さのために、なかなか追いつけません。川をひたすら下っていけばいい向こうと違って、こちらは岸にある障害物たちをかいくぐらざるを得ず、そのたびに減速を強いられてしまうのですから。
もう1キロほど下ってしまうと、そこは取水堰になってしまいます。もし人が落ちたとなれば大惨事となりかねません。それまでに、なんとか助けなくてはと。
興奮ゆえか、いつもよりも動ける自分の体力に驚いていたおじさん。それを見て、運命も少しはあわれに思ってくれたのかもしれません。
すでに流されて岸に打ち上げられ、半ば川を通せんぼするように横たわる一本の大木。そこに友達の身体が引っ掛かったのです。それでもなお、友達は固まったまま動こうとしませんでした。
意図は分からずとも、おじさんにとっては好機。さんざん空けられていた距離をたちまち詰め、友達のもとへ向かいました。
これもまたツイていることに、友達の身体は岸から手を伸ばせば届く近場にまで寄っていたそうです。けれども、手で触れてみて驚いたのが、友達の身体の異様な冷たさだったとか。
どうにか岸に引き上げることができたものの、その重さも相当なもの。以前、組体操の練習をしたときに彼の重さよりもずっと上で、引きずるのがやっと。
その間も灰色に染まった彼は、変わらず動く様子を見せず。はた目には石になってしまったかのように思えたとか。
彼そっくりの石像、だとしたらますます作成の意図が図りかねる……。
そう、おじさんが考えを巡らせる時間も長くはありません。
岸へ完全に引き上げた友達の像から、みるみる灰色が溶けて、こぼれ落ちていくのです。
おじさんは何も手をつけてはおらず、おのずからだったといいます。灰色そのものも川辺の石たちの間へどんどん潜り込み、石の表面にいささかもその痕跡を残しません。
水で洗われたように灰色がすっかりなくなったときには、普段着をまとった、いつもの友達の姿がありました。おじさんが揺すったり、声をかけたりするよりも先に、友達はぱちりと目を開けます。
先ほどまで固まっていたのがウソのように、合わせていた手をぱっと離して、周囲を確かめるや、そばにいるおじさんの胸倉をつかみます。
「なにしてくれたんだ! せっかく我慢したのに……大橋が傾くぞ!」
大橋というのは、取水堰を越えた先にある最初の橋のことです。
すでに年季の入った橋であるのにくわえ、更に交通の便のよい新橋が奥にできたことで、利用者は以前より減っていたとのこと。それでも通行人が皆無というわけではありません。
目の色を変えた友達に詰められている間に、おじさんの耳にもはっきりと音が聞こえてきました。
遠目にも、かろうじて見えました。
大橋のほぼ中央部分にある橋脚に、真一文字の大きなヒビが入っているのです。
こうしてはいられないとばかりに、友達は川から離れて電話ボックスへ走ると、どこやらへ電話を始めました。
それが終わると、おじさんへ話します。詳細は話せないが、あのまま流されていても、自分は無事であったこと。それどころか、橋があのように損傷することなく済んだであろうこと。自分がこれを好きでやっているのではないこと……。
なかば、責めるようにまくしたてられて、おじさんはたじたじになり、謝るのがやっとだったとか。
大橋はほどなく通行止めになり、長い期間をかけて修復をされていったそうです。
おじさんとその友達の仲も、これをきっかけにギクシャクしだしてしまったみたいで。
何を止め、何を流すべきか分からない厄介さが、おじさんにはしみたとのことです。




