料理おじさん~勇者召喚されたのに「醜い」と追放された45歳の俺、C級パーティの料理人として最強支援~
十二月二十五日、日付が変わる少し前。
ボロアパートの一室、四畳半のキッチンには、醤油と出汁の香りが充満していた。
「……ふぅ、いい塩梅だ」
俺、佐藤剛、四十五歳。独身。食品加工会社勤務。
世間がクリスマスチキンだケーキだと浮かれている中、俺が対峙していたのは、近所のスーパーで半額になっていた「牛すじ」と「大根」だ。
三日間、仕事帰りに少しずつ手をかけて煮込んだこいつは、もはや宝石より輝いて見える。
俺はロング缶をプシュッと開け、一口。冷えたアルコールが喉を焼く。すかさず、味が染み染みの牛すじを口に放り込んだ。
「……はぁ、これだよ。自炊は裏切らない。かけた時間だけ旨くなる」
俺の唯一の趣味。それは、安っすい食材を自分の手で「化けさせる」ことだ。
だが、二口目に箸を伸ばそうとした、その時、足元の床が、まるで古い蛍光灯が弾けたような、暴力的なまでの白光を放った。
「うわっ!? なんだ、ショートか!?」
驚いた俺が反射的に掴んだのは、スマホでも通帳でもなかった。
シンクの脇に置いてあった、十年使い続けている愛用の牛刀だ。
これだけは、明日研ごうと思って出しっぱなしにしていたんだ。
浮遊感。胃がひっくり返るような感覚。
次に目を開けた時、そこには醤油の香りも、飲みかけの缶チューハイもなかった。
冷たい石造りの床に、高く聳える天井。
目の前には、ファンタジー映画から飛び出してきたような、きらびやかな鎧の騎士たちと、杖を持った老人が並んでいた。
「……召喚成功、か?」
「いや、待て。これは……なんだ?」
老人が困惑した声を漏らす。彼らの視線は、まず俺のスウェットから溢れ出した三段腹に突き刺さり、次に、ストレスの象徴である頭頂部の「十円ハゲ」でピタリと止まった。
「……醜い。なんという醜悪な姿だ。これでは勇者どころか、オークの変種ではないか」
「おいジジイ、誰がオークだ。これでも先月の検診じゃ『血圧以外は正常』だったんだぞ」
言い返したが、周囲の反応は冷酷だった。
聖なる勇者を期待していたであろう王宮の空気は、一瞬でゴミを見るような目に変わった。
「召喚陣の不備か、あるいは邪神の嫌がらせか。ええい、不愉快だ! その出来損ないを今すぐ城の外へ放り出せ! 抵抗するなら斬り捨てても構わん!」
「ちょっと待て! 事情を説明――痛っ、押すなよ!」
屈強な騎士たちに両脇を抱えられ、俺はズルズルと引きずられていく。
豪華な城門から放り出され、ズシン、と尻餅をつく。
背後で重々しい鉄門が閉まる音が響いた。
「……ったく、最悪のクリスマスプレゼントだな」
手元に残ったのは、愛用の牛刀一丁。
それと、酒でむくんだ情けない体だけ。
城を放り出された俺は、重い体を引きずって城下町の大きな門へと向かった。まずは情報を、いや、何より飯と水を確保しなきゃならない。
「頼む、入れてくれ。俺は怪しいもんじゃない、ただの……」
「ひっ!? 出た、ハゲオークだ! 衛兵さん、こいつです! 街に魔物が紛れ込もうとしてます!」
門番の男は俺を見るなり、悲鳴を上げて槍を突き出してきた。
道ゆく人々も、俺の三段腹と、夕日に反射して不吉に輝く十円ハゲを見るなり、汚いものを見るような目を向ける。
「待て、俺は人間だ! 服だって着てるだろ!」
「うるさい! そんな醜悪な見た目の人間がいるか! 流行病の運び屋に違いない、失せろ! 次に近づいたらその首を撥ねるぞ!」
石を投げられ、罵声を浴びせられ、俺は命からがら街を離れるしかなかった。
(……ったく、日本じゃ「ちょっと不摂生な中年」で済んでたはずなんだがな。
この世界の美意識はどうなってやがる)
トボトボと歩き、気づけば陽も落ちて、俺は再び昼間の不気味な森の入り口に立っていた。
夜の森は、地獄でしかなかった。
「……はぁ、はぁ……。もう、一歩も動けねえ……」
アルコールが抜けていく不快感と、刺すような空腹感。
おまけに、ガサガサと草むらが揺れるたびに、心臓が飛び出しそうになる。
運悪く、俺の目の前に巨大な牙を持つウサギが現れた。
包丁は持っているが、使い方は「まな板の上」でしか知らない。
ウサギが低く唸り、俺の喉元へ跳ねようとした、その時だった。
「――はああああッ!」
鋭い声と共に、一筋の剣閃がウサギを両断した。
俺の目の前に立ちふさがったのは、革鎧を着た若い男だ。
「おい、大丈夫か! こんなところで……って、うわああああ!? 出た、オークの変種だ!」
助けてくれたはずの男が、俺の顔を見るなり、悲鳴を上げて剣を構え直した。
「待て待て待て! 人間だ! 腹の出た、ただのおじさんだ!」
「喋った!? 知性のある魔物か!? 逃がすなカイル、囲め!」
後ろから杖を持った少女と、斧を担いだ大男が飛び出してくる。
三方向から武器を向けられ、俺は涙目で両手を上げた。
「本当に人間なんだ……! 酒を飲んでたら、急に光って、城の連中に『醜い』って放り出されて……」
必死の弁明と、あまりに情けない俺の震えっぷりに、三人はようやく毒気を抜かれたように顔を見合わせた。
「……カイル、これ、本当にただの『太ったおじさん』じゃない? 魔力も全然感じないし」
「でもよ、リーザ。こんな見た目の人間がいるか? 頭のこの……剃り残しみたいなのも不気味だぞ」
(失礼な。これはストレスなんだよ)
「と、とにかく。助けてくれて、ありがとう」
俺は地べたに座り込んだまま、深々と頭を下げた。
そして、足元に転がっているウサギの死骸を見つめる。
「おなかが減りすぎて……そのウサギを恵んでくれないか?」
「これか? まあいいぞ。 おいしくないがな。 この『角ウサギ』は泥臭くて、飢えを凌ぐだけの代物だ」
カイルと呼ばれたリーダー格の男が、剣を収めながら無愛想に答えた。
「あと、火って存在しますかね?」
一文無しの俺にあきれたのか、それとも、同情したのか、彼らは一言も発さず、魔法使いの少女が杖を振るって焚き火を焚いてくれた。
パチパチとはぜる火を前に、俺はふう、と息を吐く。
震える手で(まだ腰が引けているからな)、だが愛用の牛刀を握り、獲物を手にした瞬間。
俺の意識から恐怖が消え、食品加工会社と趣味で培った「職人」の顔が顔を出した。
迷いのない刃筋で、一気に皮を剥ぐ。
逆さ吊りにする環境はないが、手際よく急所から血を抜き、特有の臭みの元となる腺を、ミリ単位の狂いもなく切り落とした。
「な……なんだ、あのおっさんの手つき」
背後で冒険者たちが息を呑むのがわかった。
余計な肉を傷つけず、ただ純粋な「食肉」へと変貌させていく。
ジゥゥゥ……。
焚き火の熱で熱せられた肉から、脂が滴る。
やがて、夜の森に、今まで彼らが知っていた「ウサギ肉」とは根底から異なる、野性的かつ清涼な「素材のにおい」が漂い始めた。
「……ごくり」
焚き火を囲む三人の喉が、同時に鳴ったのが聞こえた。
さっきまで俺を「魔物」だの「不気味」だの言っていた連中の目が、今は俺の手元、黄金色に焼き上がった肉の塊に釘付けになっている。
俺は熱々の肉を牛刀で切り分け、まずは一切れ、口に放り込んだ。
「……熱っ! ……ふー、ふー……。うん、悪くない」
調味料なんて何もない。
だが、適切に血を抜き、臭みを除いた肉は、噛み締めるたびに濃厚な野性味と純粋な脂の甘みが溢れ出す。
空腹の胃袋に、生命のエネルギーがダイレクトに染み渡っていくようだ。
「……おい、おじさん」
カイルが、我慢の限界といった様子で身を乗り出してきた。
「な、なあ。それ、本当にあの角ウサギか? 俺たちが知ってるのは、もっとこう……雑巾を噛んでるような、泥臭くて硬い肉なんだが」
「ああ。下処理さえしっかりすれば、どんな肉だって化けるんだよ」
俺が平然と答えると、斧を担いでいた大男が、我慢できんと言わんばかりに膝をついた。
「頼む! おじさん。俺たちにも一口、食わせてくれ! 礼ならこれだ、干し肉と銀貨を出す!」
「えっ、あ、ちょっ……カイル、自分だけずるい! おじさん、私にも! 私にも食べさせて!」
魔法使いの少女リーザまでもが、さっきまでの警戒心はどこへやら、潤んだ瞳で俺を見つめてくる。
俺は苦笑いしながら、残りの肉を手際よく三人の人数分に切り分けた。
「そんなにがっつくなって。まだあるから。ほら、火傷すんなよ」
差し出された肉を、三人はひったくるように受け取った次の瞬間――
「ッ!? う、旨い……なんだこれ、柔らかっ……!」
「泥の臭いが全然しない……! それに、この噛んだ時に溢れる汁……あま、あま~い!」
「おい、リーザ、そっちの方が大きくないか!? よこせ!」
「嫌よ! 自分で捕まえなさいよ!」
夜の森に、狂喜乱舞する声が響き渡る。
さっきまで「ハゲオーク」だの「出来損ない」だのと罵られ、石を投げられていた俺が、今は三人の若者に拝まれんばかりの勢いで囲まれている。
「おじさん、あんた……ただもんじゃねえな。こんなに旨いウサギ、王都のギルド飯でも食ったことねえぞ」
カイルが脂で光る口元を拭いながら、真剣な目で俺を見た。
「なあ、あんた。これからどうするつもりだ? 行く宛がないなら、俺たちと来ないか?」
救われたはずのおじさんが、包丁一本で、救い主たちの胃袋を掴む。
C級パーティ「アイアン・ラッツ」に出会った瞬間だった。
食い物は裏切らない。
45年で培った常識は、この世界でも同じらしい。
俺は、少しだけ前を向いた――
「ぜひ、お願いします……!」
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