何でもない日
夕方の街を歩いていると、空がゆっくりとオレンジ色に溶けていく。
風は少し冷たくて、でもそれが心地いい。
信号待ちのあいだ、ふと立ち止まって空を見上げながら思う。
──今みたいな時が、案外いちばん幸せなのかもしれないな、って。
特別なことは何もない。
誰かに褒められたわけでもないし、夢が叶ったわけでもない。
でも、何かがひどく悪いわけでもない。
仕事はほどほどに落ち着いてるし、
家に帰ればそこそこ整った部屋があって、
冷蔵庫の中には食べたいものがちゃんとある。
時々友達と連絡を取って、
たまに愚痴をこぼして笑い合って。
そういう「何となく上手くいってる」日々が続いている。
昔は、幸福ってもっと劇的なものだと思ってた。
胸が高鳴って、世界がきらきら輝いて、
「今、人生の頂点だ」って感じる瞬間がそれなんだと思ってた。
だけど、そういう時間って長くは続かない。
どんな幸福も、時間が経てば慣れてしまう。
嬉しさも、最初の衝撃を失えばただの「日常」になっていく。
そして、頂点に立ったあとには必ず下り坂がある。
あの落差の寂しさを何度も味わって、
気づいたら「平坦」こそが一番穏やかでいられる場所になっていた。
夜、部屋でご飯を食べながらニュースを見て、
皿を洗って、湯船に浸かって、
スマホで適当に動画を眺めていると、
ふいに「何も問題ない今」が少し愛おしく思える。
大きな喜びもない代わりに、大きな悲しみもない。
心の中が波立たないまま一日が終わっていく。
それは退屈にも見えるけど、
よく考えると、退屈ってつまり「平和」なんだと思う。
幸福って、きっと刺激じゃなくて安定なんだ。
浮かれた笑顔や劇的な展開よりも、
朝のコーヒーがちゃんと美味しいとか、
洗濯物が乾いているとか、
小さな安心の積み重ねにある。
それに気づいたとき、自分は少し大人になった気がした。
昔の恋人と過ごした日々を思い出すとき、
思い出すのは告白した夜でも、旅行の写真でもなく、
たとえばコンビニでどのおにぎりを買うか迷ってたような、
本当にどうでもいい時間ばかりだ。
けど、今になって思えば、
ああいう「どうでもよさ」の中に、いちばん素直な幸福があったんだろう。
あの時の俺たちは、何も成し遂げてなかったけど、
確かに穏やかに笑ってた。
あの笑顔に戻りたいというより、
あのときの“何も求めていない心”に戻りたいのかもしれない。
人は、幸福のピークを追いかけるほど不幸になる。
「もっと幸せに」「もっと上へ」と思うたびに、
今あるものを見落としていく。
幸福を“感じよう”と意識した瞬間、
それはもうどこか遠くへ行ってしまう。
だからたぶん、幸福って「感じる」ものじゃなくて、
「気づく」ものなんだと思う。
駅までの帰り道、歩道の脇に小さなパン屋の香りが流れてきた。
明日の朝、ここのクロワッサンを買ってみようかなと思う。
それだけのことで、少し楽しみが生まれる。
特別な何かはいらない。
ただ、今日も悪くなかったと思えることが、
案外いちばん贅沢なことなんだ。
空はもうすっかり暮れて、街灯がひとつずつ灯り始める。
信号が青に変わる。
歩き出しながら、胸の奥で静かに思う。
──もしかしたら、こういう何でもない時間こそ、
人生でいちばん幸せな瞬間なのかもしれない。




