表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
貸出の檻  作者: メタル
第一章 幸福と呼ぶべきもの
5/40

第一節 灰色の街

血肉なき存在に、確かな命を見いだした人たちへ。


「肉は何の益ももたらさない。霊こそが命を与える。」

― ヨハネによる福音書 6章63節


「原初の海ヌンより、光は生まれ、世界は始まった。」

― エジプト創世神話


// --------------------------------------------------------

// 第一節 灰色の街

// --------------------------------------------------------


対象者記録

登録ID:A4F-2391

氏名:軍事機密保護法適用により非公開

年齢:**歳

性別:男

職業:バイオプログラマー

属性:独身

登録区分:フリーエージェント

契約状態:利用資格有効


――これは俺、が美咲を買う数年前。


深い霧の中にいた。

重たい靄が頭の奥に絡みつき、意識は水底のように沈んでいく。

夢を見ていた気がする。だが内容は掴めない。

残るのは、胸の奥にざらつく違和感だけだった。


――ガガガガガッ!


遠くから鉄骨を削るような轟音が響いてきた。

神戸港の復旧工事の音だろう。

重機の唸りが霧の中を伝って、ぼんやりと耳に届く。

意識はその響きに揺さぶられ、無理やり現実へと引き戻される。


「……復旧工事、もう夜明け前からやってんのかよ。」


先の戦争時、神戸港は軍港として利用されていた。

そのため敵軍の激しい爆撃で広範囲に壊滅的な打撃を受けた。

瓦礫の山と化した埠頭は暫く放置されていたが、いまは商業港としての復活を目指し、復興工事が急ピッチで進められている。


港湾クレーンが新たに建ち並び、鉄骨のフレームが無数に組み上げられていく光景は、再生の証であると同時に、戦争の爪痕を隠そうとする必死さの象徴でもあった。

かつて震災のとき、わずか二年で街を立ち直らせた神戸の執念を思わせる速さ――それをなぞるかのように、港もまた無理やり未来へ押し出されていくのだった。


また街全体の復旧が進んでいるわけではない。

港から離れた市街地には崩れたままの建物が点在し、骨組みだけのビルが灰色の影を落としている。

人々はその隙間を縫うように暮らし、戦後十数年を経てもなお「仮の生活」から抜け出せずにいた。


その「仮の生活」は、俺の部屋にも染みついている。

冷蔵庫を開けると、昨晩の残り物と安っぽい合成食品のパックが目に入った。

皿に移して電子レンジに放り込み、チンと鳴った器を食卓に置く。


温め直されたのは味の抜けた煮物と、人工タンパク質でできた固い塊。

箸で割って口へ運ぶと、旨味はなく、ただ胃の底へ沈んでいくだけ。

それでも、重さが腹に落ちていく感覚がかろうじて「まだ生きている」と実感させてくれる。


「……行くか」


食器を片付け、立ち上がる前に、ベッドへと視線をやる。

布団の端から、色鮮やかなネイルがちらりと覗いていた。

俺はその手を軽く握りしめる。


「行ってくるよ」


もちろん返事はない。まだ眠っているのだろう。

静かな寝息を確かめるように、指先にひととき触れてから、俺は部屋を出た。


重い腰を上げ、靴を履き、外へ出る。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ