第一節 灰色の街
血肉なき存在に、確かな命を見いだした人たちへ。
「肉は何の益ももたらさない。霊こそが命を与える。」
― ヨハネによる福音書 6章63節
「原初の海ヌンより、光は生まれ、世界は始まった。」
― エジプト創世神話
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// 第一節 灰色の街
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対象者記録
登録ID:A4F-2391
氏名:軍事機密保護法適用により非公開
年齢:**歳
性別:男
職業:バイオプログラマー
属性:独身
登録区分:フリーエージェント
契約状態:利用資格有効
――これは俺、が美咲を買う数年前。
深い霧の中にいた。
重たい靄が頭の奥に絡みつき、意識は水底のように沈んでいく。
夢を見ていた気がする。だが内容は掴めない。
残るのは、胸の奥にざらつく違和感だけだった。
――ガガガガガッ!
遠くから鉄骨を削るような轟音が響いてきた。
神戸港の復旧工事の音だろう。
重機の唸りが霧の中を伝って、ぼんやりと耳に届く。
意識はその響きに揺さぶられ、無理やり現実へと引き戻される。
「……復旧工事、もう夜明け前からやってんのかよ。」
先の戦争時、神戸港は軍港として利用されていた。
そのため敵軍の激しい爆撃で広範囲に壊滅的な打撃を受けた。
瓦礫の山と化した埠頭は暫く放置されていたが、いまは商業港としての復活を目指し、復興工事が急ピッチで進められている。
港湾クレーンが新たに建ち並び、鉄骨のフレームが無数に組み上げられていく光景は、再生の証であると同時に、戦争の爪痕を隠そうとする必死さの象徴でもあった。
かつて震災のとき、わずか二年で街を立ち直らせた神戸の執念を思わせる速さ――それをなぞるかのように、港もまた無理やり未来へ押し出されていくのだった。
また街全体の復旧が進んでいるわけではない。
港から離れた市街地には崩れたままの建物が点在し、骨組みだけのビルが灰色の影を落としている。
人々はその隙間を縫うように暮らし、戦後十数年を経てもなお「仮の生活」から抜け出せずにいた。
その「仮の生活」は、俺の部屋にも染みついている。
冷蔵庫を開けると、昨晩の残り物と安っぽい合成食品のパックが目に入った。
皿に移して電子レンジに放り込み、チンと鳴った器を食卓に置く。
温め直されたのは味の抜けた煮物と、人工タンパク質でできた固い塊。
箸で割って口へ運ぶと、旨味はなく、ただ胃の底へ沈んでいくだけ。
それでも、重さが腹に落ちていく感覚がかろうじて「まだ生きている」と実感させてくれる。
「……行くか」
食器を片付け、立ち上がる前に、ベッドへと視線をやる。
布団の端から、色鮮やかなネイルがちらりと覗いていた。
俺はその手を軽く握りしめる。
「行ってくるよ」
もちろん返事はない。まだ眠っているのだろう。
静かな寝息を確かめるように、指先にひととき触れてから、俺は部屋を出た。
重い腰を上げ、靴を履き、外へ出る。




