第二節 彼女が家に来た日
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// 第二節 彼女が家に来た日
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翌日は休みだったので、年甲斐もなくウキウキしながら荷物の到着を待った。
昼前、配送のトラックがやって来て、馬鹿でかい箱を玄関先に置いていった。
人ひとりが丸ごと収まる棺桶サイズで、重量も相当なものだ。
配達ドライバーは大きさと重さに一瞬怪訝そうな顔をしたが、伝票には「家具」と記されている。
大袈裟に疑われることはないだろう。
ワンルームの部屋なので運ぶ距離は知れているが、
それでも玄関からベッド前まで必死に引きずり込むと、額に汗が滲んでいた。
工具で封を切り、箱の蓋を持ち上げる。
中には――昨日、ライセアで見た“おばさんドール”が毛布に包まれて横たわっていた。
胸はかすかに上下し、温かな体温が伝わってくる。
しかし、瞳には焦点がなく、表情もない。
生きているのに――そこに“誰もいない”。
ただ、そこに“存在している”だけの女。
俺の部屋に、“彼女”がやって来たのだ。
最初の問題は、彼女を箱から出すことだった。
当たり前だが、成人女性の体重をまるごと持ち上げなければならない。
しかも配送用の固い箱からとなれば、余計に手間がかかる。
ドール化された人間は、最低限の関節保持機能だけが残されている。
動かせばある程度の位置で固定はされるから、決して「ぐにゃぐにゃ」とした人形ではない。
ただ、その保持力にも限界があり、無理に力をかければ関節は動いてしまう。
俺は一度、彼女の足の関節を折り曲げ、座らせるような姿勢にした。
まるで小学生が体育館で体育座りをしているような格好だ。
そこから膝裏と背中の後ろに腕を回し、
息を殺して持ち上げる。
重い。
それでもなんとか箱から引きずり出し、ベッドの上に横たえた。
自分の部屋に、中年の女が寝かされている――
現実感のない光景に、しばらく俺は立ち尽くしていた。
今まで俺の部屋にあったのは、ボディパーツの一部だけだった。
それが、ついに“全身”を購入してしまったのだ。
胸の奥には嬉しさと同時に、どうしようもない「やってしまった感」が渦巻いていた。
だが、ベッドに横たわる彼女を見つめているうちに、
その感情は次第に別のものへと変わっていった。
意識はなく、目は開いているものの焦点は合っていない。
それでも――俺にとっては十分に“好みの顔”だった。
不思議と、愛らしいと思えてしまう。
その日は、何をするでもなく彼女のそばにいた。
唇を重ね、添い寝をしながら時間を過ごす。
生体機能は維持されているため、水分補給と栄養補給だけは必要だ。
だが、それ以外にしてやれることはないだろう。
俺と彼女の最初の一日は、そうして静かに終わった。
翌日は仕事だった。
いつもなら、ただ出勤して帰るだけの、空っぽの日々。
だが今日からは違う。
家に帰れば、そこに“待っている人”がいる。
そう思うだけで、胸の奥が妙に温かくなった。
朝の支度を済ませると、ベッドに横たわる女にそっと口づけをしてから家を出た。
彼女は相変わらず何の反応もなく、ただ寝ているだけだ。
それでも――俺には、俺の帰りを静かに待っているように思えた。
つまらない仕事を終えて、俺は“俺を待つ人”のいる家へ帰った。
こんなにも帰宅が楽しみになるのは、生まれて初めてのことだった。
晩飯はコンビニ弁当。
女の購入で金が尽きかけていたので、酒は我慢した。
だが、玄関を開けた瞬間――
鼻をつく臭気に思わず足を止めた。
「……なんだ?」
部屋の中は、強烈な排泄物の匂いで充満していた。
胸の奥がざわつき、息をするのも苦しい。
においの元を辿るのは容易だった。
ベッドに横たわる“女”。
昨日、ライセアから届いたばかりの“おばさんドール”が――
シーツの上で排泄していたのだ。
そうだ。
この女は人形状態とはいえ、人間なのだ。
栄養補給が必要なように、排泄もまた避けられない。
そんな単純なことを、俺はすっかり忘れていた。
処置をしなければならない。
けれど、まずは下着を脱がさなければならなかった。
昨日配送されたとき、彼女は薄いワンピースと簡素な下着を身につけていた。
サービスで適当に着せただけの、それこそ値段のつかない布切れだ。
――それでも、俺にとっては“越えてはいけない一線”のように思えた。
女の服に触れるなんて、人生で一度もない。
その初めてが、身じろぎひとつしない女の身体から
“服を脱がせる”という行為になるなんて、どうにも受け入れがたかった。
ワンピースの裾に指をかけた途端、胸の奥がざわつく。
布越しに伝わる温もりが、自分のものではない現実を突きつけてくる。
これは作業だ。
処置のために必要な行為だ。
そう言い聞かせても、指先は思うように動かなかった。
それでも、このまま放置するわけにはいかない。
息を整え、俺はゆっくりと布地をたくし上げた。
次に、下着の縁へと指を滑らせる。
女の下着に手をかける――そんな経験は今まで一度もない。
ましてや、反応ひとつ返さない身体に対してとなれば、なおさらだった。
俺の指先は、ゴムの縁に触れたところで止まった。
妙な背徳感と、言いようのないためらいが胸を締めつける。
だが、このまま放置するわけにはいかない。
深く息を吐き、俺は意を決して下着をゆっくりと引き下ろした。
昨日、買った理由を思い返せば、もっと踏み込んだことを期待していたのは確かだ。
だが実際には、そんなことはできなかった。
キスをして、添い寝をしただけ――
まるで初めて好きな人に触れた少年みたいに、ぎこちなく距離を測ることしかできなかった。
その落差に思わず苦笑が漏れる。
欲望なんて簡単に割り切れるものだと思っていたが、実際は全然違った。
とはいえ、黙って処置するにはあまりにも気まずい。
無反応だと分かっていても、何か言葉を向けずにはいられなかった。
ゆっくりと下着を外しながら、俺はつぶやく。
「……悪かったな。
気づくのが遅くて、すまない。嫌だっただろう?」
返事はもちろん返ってこない。
ただ、焦点の合わない瞳が天井を映しているだけだった。
意外なことに、服を脱がすだけでも体力を消耗するのだと知った。
彼女が着ていたワンピースを脱がし、下着を外す。
そこからさらに、風呂場へ運ぶのがまた一苦労だった。
全く動かず、言葉も発しない中年女を必死に抱え、ようやく浴室へと連れていく。
シャワーを使って汚れを洗い流してやる。
洋画の中盤に出てくるような洒落たシャワーシーンとはまるで違う。
床に座らせたおばさんを前に、俺が黙々とシャワーを当てているだけ。
そこにはセクシーさの欠片もなかった。
だが――
ふとした時、真っ直ぐに伸ばしておいた彼女の手が、不意に俺の腕に触れた。
ただそれだけのことなのに、俺は“人との触れ合い”を感じてしまった。
まるで、ここにもう一人誰かがいて、俺は独りではないのだと錯覚するように。
風呂を終えて、また必死の思いで彼女をベッドへ戻した。
だがそこで、さらに困った問題に気づいた。
――女の服が一枚もない。
当たり前だ。男ひとり暮らしの部屋に、女物の服などあるはずがない。
さっきまで着ていたワンピースや下着は、今は洗濯機の中で回っている。
下着、服、寝間着。最低限、それくらいは用意してやらなければならない。
だが、おっさんが女物の服を買いに行くのは、あまりにも目立つ。
このご時世、店頭で女性下着を買う客がSNSに晒されるケースなんて珍しくない。
まして俺のような地味な中年が女物の下着を抱えてレジに並べば、
「誰用だ」と詮索されるか、最悪は勝手に撮られて拡散される可能性すらあった。
そんな光景を想像するだけで背筋が寒くなる。
……到底、勇気が出るはずがなかった。
結局、通販で揃えるしかない。
とはいえ、何を買えば良いのかも分からない。
特に下着のカップなんて、さっぱり見当もつかない。
「……まぁ、適当に何種類か買っておけば、どれかは合うだろう」
そう呟いて、俺は端末を手に取った。
本当にばかばかしい話だが、俺は女の服を選んだことなど一度もなかった。
だから通販の画面を開いたところで、何を基準に選べばいいのか分からない。
返事をすることはないと分かっていながら、俺は女に画面を見せた。
「これでいいか?」と声をかけ、手を持たせて画面を指させてみたりもした。
傍から見れば、完全に頭がおかしくなったように見えるだろう。
だが俺にとっては、立派な“ショッピング”だった。
女の目は相変わらず焦点が合っていない。
けれど――それで良かった。少なくとも俺は楽しめたのだから。
端末を閉じ、ふとベッドに目をやる。
毛布にくるまれて横たわるその体は、ただの“人形”であるはずなのに――目が離せなかった。
完璧に整えられた若いクローン女と比べれば、決して理想的な体つきではない。
だが、その分だけ「人間らしい」温もりと重みがあった。
生きてきた時間が刻まれた輪郭こそが、不思議と俺の心を揺さぶった。
俺は普段、女の体にそれほど強い興味を持つことはない。
だが、この女だけは違った。
理由は分からない。ただ惹かれる。
無意識のうちに、手が胸に触れていた。
柔らかさが指先に伝わり、自分との違いをいやでも意識させられる。
視線を下へと移す。
足をわずかに開かせると、そこには自分には持ち得ない形が静かに存在していた。
呼吸をしているのに、何も応えない空虚な器。
それでも――その体が俺を引き寄せてやまなかった。
ただの人形なのに、なぜこれほどまでに心を揺さぶるのか。
自分でも分からないまま、俺はしばらくその姿を見つめ続けていた。
――だが、現実の問題は別にあった。
排泄のことだ。
どう対応すればいいのか分からず、仕方なく近所の二十四時間営業の量販店へ行き、
大人用のオムツを買ってきた。
洗濯中で下着がないこともあっての応急処置だった。
それでも、彼女にオムツを履かせる自分の姿に、胸の奥がずしりと重くなった。
「……悪いな」
そう呟きながら、俺はそっとベッドに寝かせ直した。
翌日、仕事から帰ると、昨日注文していた衣類が置き配で届いていた。
まずはいつものように風呂に入れてから、届いた服を着せてみる。
AIに相談しながら選んだ下着類は、思いのほかサイズが合っていた。
シンプルなものを選んだのだが、そのせいもあってか妙に“おばさん臭さ”が強調されてしまった。
それにしても、女の下着というのは驚くほど高い。
予想外の出費に頭を抱えつつも、サイズが分かったので次はもっと良いものを選んでやろうと思った。
夜も遅かったので、その日はパジャマを着せて寝かせた。
何日かそんな生活を続けるうちに、服の着せ替えもずいぶん慣れてきた。
さらに人形の所有者が書いているブログを読み漁り、
浣腸やシリコンチューブを使った排泄コントロールの方法も学んだ。
人間というのは欲が出てくるもので、
下着も可愛いデザインのものや、服も色々と買い揃えてしまった。




