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貸出の檻  作者: メタル
序章 俺と美咲
3/40

第三節 日常

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// 第三節 日常

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 キャナルパークを後にして、俺はゆっくりと美咲の車いすを押した。

暮れかけた空に夕焼けが滲み、潮風に混じって街の匂いが流れてくる。

公園を出てからは特に急ぐこともなく、俺たちは静かな道をそのまま家へ向かった。


当然だが彼女は最後まで一言も発しなかった。

それでも、きらきらと光る水面を前にしていた横顔を思い出すと――

楽しんでくれたんじゃないか、そんな気がした。


玄関にたどり着き、鍵を開ける。

「……ただいま」

自分でも滑稽な挨拶を口にしながら、彼女を両腕で抱き上げた。


ドールの最低限の機能である関節保持プログラムのおかげで姿勢は崩れない。

けれど、全体重はずしりと俺の腕にのしかかってくる。

息を整えながらリビングへ運び、ソファーに座らせる。


背もたれに預けられた瞳は、相変わらず虚ろなまま。

けれど、この部屋に彼女がいるだけで、不思議と今日の散歩が確かな思い出になったように感じられた。


俺は彼女の隣に腰を下ろした。

ソファーのクッションがわずかに沈み、二人の距離が自然に近づく。


横顔を見やり、そっと身を寄せる。

頬に唇が触れた。柔らかな感触は確かに人間そのもの。

けれど、そこに返ってくる反応は一切なかった。

その沈黙が、逆に俺に「彼女はここにいる」と思わせてくれる。


リモコンを取り、テレビを点ける。

画面には旅行番組が流れていて、透き通る海と白い砂浜が映し出されている。


「……いいなぁ、こういうところ」

俺は画面を見つめながら呟いた。


「美咲と一緒に行けたら、きっと楽しいと思うんだ」

返事はない。けれど俺は笑ってみせた。


俺は先ほどから一人で喋っている。だが気がふれているわけじゃない。

これは確かに“美咲との会話”だった。


──人形と暮らし、人形を娘だとか、恋人だとか、妻だとか。

呼び方は違えど、自分の“女”として接する人間は少なからずいる。

世間から見れば変人かもしれない。けれど俺にとっては、これが日常であり、幸福だった。


ドールのオーナー――いわゆる“ドーラー”と呼ばれる存在は、昔から形を変えながら続いてきた。

戦前はシリコンやビニールで作られた無機質な人形。

戦後はクローン技術による生体ロボットや、女性型アンドロイド。


形は変わっても、ただの器に魂を見いだし、女として扱う――それがドーラーという生き方だった。


そんなドーラーがが愛するドールの事は愛人形ラブドールと呼ばれている。


横にいる美咲は俺のラブドールだ。

……いや、正確には“元”人間のドールなのだが、そんな区別は俺にとってはどうでもよかった。


彼女は相変わらず沈黙している。

けれど、この沈黙こそが俺にとっての安らぎだった。

俺は今日も、美咲と一緒に生きている――。


「今日はちょっと暑かったな……」

ソファに並んで座る美咲の横顔を見ながら、俺は小さく呟いた。


彼女は今は“ドール”だ。

けれどその肉体は人間そのもので、外に出れば汗もかくし、潮風にさらされれば髪も肌もべたつく。


ただのフィギュアを連れ出すのとは違う。

こうして一緒に散歩に出れば、いかに美しい美咲といえど、きちんと手入れをしてやらなければならない。


「……風呂に入れてやらないとな」

立ち上がりながら、俺は彼女に声をかける。

もちろん返事はない。

けれど、これも俺たちの日常だった。


俺は美咲を車いすから抱え、いったん床に座らせた。

ぐったりと身を預けてくるその重さに、思わず息が漏れる。


「……さて、脱がすぞ」

そう声をかけ、俺は今日着せていたワンピースのファスナーを下ろした。


慎重に布を滑らせ、腕を抜かせていく。

やがて美咲は下着姿となり、俺が選んで買った、彼女に似合う淡い色合いのランジェリーが目に映る。


「……やっぱり似合ってるな」

独り言のように呟き、次に足のストッキングを脱がせる。

膝を曲げさせ、体勢を整えながら丁寧に布を下ろす。


下着も外すと、ほんのり汗と化粧の残り香が漂った。

彼女は何も応えない。けれどその気配だけで、確かに“女”としての存在を感じずにはいられなかった。


やがて下着を外し、全てを脱がせ終えた。

目の前に現れたのは――全裸の美咲だった。


年齢を重ねた肌には確かに衰えも見える。

若々しいクローン女たちが持つ、人工的に整えられた“作り物の美しさ”とは違う。

けれど、そこにあるのは確かに 女としての重み だった。


俺は思わず息を呑む。

彼女はおばさんには違いない。

だが、俺にとっては何よりも愛おしい存在だった。


静かに目を閉じ、何も語らない。

それでもこの部屋に裸のまま座る姿は、紛れもなく“女”そのものだった。


人工物のように隙のないクローン女の均整美とは違う。

美咲には、年齢や汗、化粧の残り香までもが混ざり合った“人間の女の美しさ”があった。


俺はその姿にただ見とれていた。


しばらく見とれていたが、やがて我に返った。


風呂に入れる前に、どうしても済ませなければならないことがある。

排泄の対応である。

美咲もこんな事をされるのは嫌だろうが、いたし方がない

作業中の無表情の彼女の横顔を見ると――胸が締め付けられた。


「……さて、風呂に入れてやらないとな」


俺は美咲に声をかけ、そっと腕を回す。

お姫様抱っこの体勢をとる前に、深く息を吸い込む。

腰を痛めないように膝を曲げ、足の力を使ってぐっと持ち上げる。


関節保持プログラムのおかげで姿勢は崩れない。

だが、全身の重みは容赦なく腕にのしかかり、脚にもずしりと負荷がかかった。


「……よいしょ」

息を吐きながらゆっくりと立ち上がる。

その拍子に、彼女の髪からふわりと潮風を含んだ匂いが鼻をかすめた。


廊下を進むときは一歩ごとに慎重になった。

裸足のつま先が壁や柱にぶつからないように、腕の角度を微調整しながら進む。

ただ運ぶだけなのに、まるで壊れ物を抱えたように気を張っていた。


ようやく浴室前の脱衣所にたどり着き、彼女を腰かけさせる。

「ふぅ……相変わらず重いな、美咲」

もちろん返事はない。けれど、その沈黙すら、俺にとっては確かな対話だった。


浴室に入り、まずはタイルの上で足元を確認する。

滑りやすい床に裸の美咲を立たせるわけにはいかない。

俺は慎重に彼女を抱え、腰を落として風呂椅子に座らせた。

少しでも体勢を崩せば倒れてしまうから、最後まで力を抜けなかった。


「……よし、座れたな」


今日は潮風に長く当たった。

髪も肌もべたついている。

「髪も洗ってやらないとな」

俺は呟きながらシャワーの温度を丁寧に調整した。

手の甲で確かめ、ぬるすぎず熱すぎないちょうどいい温度になるまで何度も調整する。


お湯を流すと、美咲の髪から潮の匂いと、わずかな汗の香りが立ち上った。

指をすべらせながら、シャンプーを泡立てて慎重に髪を洗っていく。

目に入らないように、額を手で覆いながらすすぐのは、もう何度もやってきた手順だ。


体を洗うときも同じだ。

腕や脚を丁寧に撫でるようにスポンジを動かす。

ただ、大事な部分に触れるときだけは、どうしても胸の奥がざわつく。

「……ああ、やっぱりちょっと恥ずかしいな」

思わず小さく呟きながら、それでも彼女を清潔に保つために洗浄を続けた。


俺は美咲の体を丁寧に洗い終えると、ふっと息を吐いた。

「……さて、湯舟に入るか」

そう口にしかけて、首を振る。


美咲を湯舟に入れることはできない。

ドール状態の彼女を湯に沈めれば、浮いてしまうか、最悪の場合は溺れる危険がある。

人間そのものの体だからこそ、そこには気を使わざるを得なかった。


だから俺は、美咲を風呂椅子に座らせたまま、そっと肩にタオルをかける。

「待っててな。すぐ上がるから」

もちろん返事はない。


俺は湯舟に足を入れ、ひとりで湯に身を沈めた。

熱がじわりと体に染み込む。だが横に美咲がいないことが、逆に湯を冷たく感じさせる。


「……本当は、一緒に入りたいんだけどな」

ぽつりと呟き、湯気の向こうに座る彼女を見やった。

椅子に静かに座る美咲は、やはり何も語らない。

けれど、その沈黙の存在が、俺には何よりも大切だった。


やがてのぼせないうちに湯舟を出て、タオルで体を拭いた。

美咲の元へ戻り、髪を乾かしてやる準備をする。


湯上がりの涼しい空気の中で、彼女の横顔を見ながら、俺は小さく笑った。

これが、俺の日常だった。


……ただ、本当は一緒に湯に浸かれたなら、もっと幸せなのに。

その叶わない寂しさを胸の奥に沈めながら、風呂から出た。


湯から上がった美咲の体を、タオルで丁寧に拭き取る。

濡れた髪を軽く押さえ、水気を切ってから床に寝かせる。

全身に保湿クリームを薄く伸ばしていくと、乾いた肌が静かに艶を取り戻していった。

「これで風邪をひかないな」

そう呟きながら、柔らかなバスローブを羽織らせる。


俺はお気に入りのランジェリーを彼女に着せ終え、しばらく見とれていた。

淡いレースが肌に映え、胸元の曲線をやわらかく際立たせる。

「……やっぱり、似合ってるな」

思わず独りごちて、心の奥で小さな満足を覚える。


お気に入りの下着姿の美咲をしばし堪能したあと、ふと苦笑する。

「……もう外に出るわけじゃないしな」

せっかく整えた肩紐をそっと外し、彼女をより負担の少ないブラトップへ着替えさせる。


次に取り出したのは、淡いパステルカラーのルームワンピース。

ミントグリーンの布地は薄くて軽く、肌に優しく寄り添う。

袖を通させ、裾を整えると、華やかな外出着とは違い、そこには“家庭の中で寄り添う妻”の姿があった。


「こういう自然な姿も……やっぱりいい」

思わず声が漏れる。


淡い色合いのワンピースは、光を柔らかく反射して彼女の表情を和らげる。

家事をするわけでも、笑って答えるわけでもない。

それでもリビングのソファに座る姿は、どこか懐かしい“生活感”をまとっていた。


着せ替え人形のように楽しみながらも、実際には重さに耐えて姿勢を支え、布を直すのは大変だ。

裾を整えるだけでも、汗が背中を伝う。

それでも――その労力すら「幸せ」と思えるのだから不思議だ。

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