第二節 密室の決断
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// 第二節 密室の決断
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会議室のブラインドは固く閉ざされ、外の光を一切拒んでいた。
長机の上には、返却ブースから急送された事故報告のファイルと、停止したままの美咲の映像が投影されている。
重苦しい沈黙を破り、白髪交じりの部長が低い声を落とす。
「……もう、戻すことは出来ないのか?」
技術主任が唇を噛みしめ、しかし即答した。
「はい。意識データは広範囲に破損。人格の連続性は完全に崩壊しました。……復元は、百分の一の可能性もありません」
室内の空気がさらに冷え込む。別の役員が机を叩いた。
「原因不明のまま体を返却すればどうなる? 夫が訴えれば――」
「……精査されれば、機器の不具合が明るみに出ます」
主任の言葉は鋭い刃のように会議を切り裂いた。
「それは絶対に避けねばならん」
部長の目が光を失い、ただ打算だけを宿す。
「至急、クローンボディを生成しろ。本人の問題で“覚醒しなかった”ことにすればよい」
短い沈黙のあと、別の声が問う。
「……では、元の体は?」
部長は椅子に背を預け、吐き捨てるように答えた。
「掃除屋に渡せ。処分は任せる」
その瞬間、会議室の空気は氷よりも冷たくなった。
命も、人格も、ただの数字に過ぎない。
赤いランプの残像がまだ脳裏にちらつくまま、密やかな隠蔽工作は始まっていた。
―― センター/面談室 ――
無機質な会議室に通された男は、落ち着き払った様子で椅子に腰掛けた。
センターのオペレーターが、淡々と口を開く。
「……奥様の返却処理の件で、トラブルが発生しました。
記憶の書き戻し工程において――奥様が、意識を取り戻されなかったのです」
「……なんで俺が呼ばれるんだ?」
男は眉をひそめただけで、大きな動揺を見せない。
「現在のところ原因は不明ですが、機器故障や操作ミスではないと確認済みです。
したがってセンター側に責任は発生しない――そう判断されております」
重苦しい沈黙。
普通なら取り乱す場面。だが男は、眉ひとつ動かさなかった。
「……で、保証は?」
オペレーターは一瞬、耳を疑った。
「……え?」
「いや、金だよ。こういう時は補償が出るんだろ? 金額はいくらだ?」
まるで妻の喪失など、数値に換算できる些事にすぎないかのように、彼は淡々と続けた。
オペレーターが返答を探す間に、さらに追い打ちをかける。
「それと遺体の引き渡しはいつだ? 腐られちゃ困るんでな」
平然と、事務的に。
そこには悲嘆も怒りもなく――ただ金と引き渡しの確認だけ。
オペレーターはようやく悟った。
この男にとって、彼女は最初から「対象」でしかなかったのだと。
「……正確には“遺体”ではございません」
言葉を選びながら、オペレーターは説明を続ける。
「お体そのものは生存状態にあります。生命維持機能も正常です。ただ、意識データが完全に失われており……」
「……つまり、空っぽってわけか」
男は口元に薄笑いを浮かべた。
「でも金は出るんだろ?」
オペレーターは一度言葉を選び、平静を装って答えた。
「……生存が確認されておりますので、死亡補償は適用外となります。
ただし国からの特例措置として、見舞金が一律〇〇〇万円支給されます」
男は鼻を鳴らした。
「へぇ……ケチなもんだな」
「……お体は引き続き生き続けますので、妊娠などは可能です。
お子様のご計画等があれば、国が全面的にサポートいたします。
もし、生存を望まれない場合は、裁判所を通じて“特例死認定”を取得していただく事になります。その場合――」
そこで、男が鼻で笑った。
「はっ、妊娠? いらねぇよ。
不妊処理して……ラブドールにでもしておくさ。
飽きたら死亡届でも出しゃいい」
空気が凍りつく。
誰も笑えない。誰も言葉を返せない。
やがて男は身を乗り出し、鋭い目を向けた。
「待てよ……体が生きてるなら、人格データを別に書き込めばいいじゃねぇか?
妻じゃなくても構わん。従順な家政婦にでもしてくれりゃそれでいい」
オペレーターは絶句したが、深く息をつき、淡々と答えた。
「――標準的な“家政婦プログラム”を適用することは可能です。
奥様の記憶は含まれませんので、あくまで他人としての返却となりますが……」
男はしばし考える素振りを見せたが、やがて口の端を吊り上げた。
「……それでいい。従順に動くなら、なお結構だ」
オペレーターの胸に、鉛のような重苦しさがのしかかる。
人の死より、利用価値の方が優先される――そんな現実を突きつけられながら。
男は椅子を引き、面倒そうに立ち上がった。
「チッ……あとは勝手にやっとけ。腐らせんなよ」
ドアが閉まる。
残された会議室には、無機質な空調の音だけが響いていた。
男が去ったあと、会議室に残ったのはオペレーターと上席の責任者だけだった。
重たい空気の中、ドアが静かに開き、センター長が姿を現す。
「……どうだ、クローン体で誤魔化せそうか?」
オペレーターは一瞬ためらいながら答える。
「……はい。外見の複製はすぐに可能です。ただ――ご本人の記憶は戻せません」
センター長は冷ややかに頷いた。
「構わん。あの夫なら気にも留めまい。調査を持ち出す気配はなかったのだろう?」
「はい。保証金と引き渡しのことしか口にしませんでした。……奥様のことは、ただの“荷物”のように」
「なら問題はない」
センター長は机を軽く叩き、決断を下した。
「お好みに仕立て直した“ラブドール”を作って返せばいい。
あの男なら従順な体が戻ってきさえすれば、それで満足するだろう」
オペレーターの喉がごくりと鳴った。
そこにはもはや“妻”も“人”も存在しない。
ただ、偽りの器を作り上げ、冷酷な夫に引き渡すだけ――。




