息をひそめて、微笑んで
どどどどどどどどどどどっ!
擬音語で表すならそんな音が周りの迷惑も省みず響き渡ったのは、昼休みまであと残り十分となった冬賀学園高等部の二階。
ちょうど二年生の教室が並ぶ、そこだった。
あまりといえばあまりの音に、たった今まで授業を続けていた教師も、ノートを取ったり、居眠りをしたり、内職をしたりしていた生徒も、全員が思わず動きを止める。
――そしてそれはもちろん、真面目に授業を受けていた葛西匠も同じ事で。
なんだろ、っていうか授業中だってのにこんな騒音たてるなんて何考えてるんだか。
あ、でも昼休みまで後ちょっとかー。どっかのクラスが早く終わったのかな。
いや、でもそれでも走ったりしないよなー普通。
そんなことをぼーっと思ったその時。
「全く誰が――」
「匠!!!」
教師の溜息と、がらっ!とドアが壊れるかの勢いで開け放たれたその向こうから、見慣れに見慣れた姿と声が飛び込んできたのはほぼ同時。
「せ……誠二!?」
突然の闖入者に誰しもが呆気にとられた。
ただでさえエスカレーター制の校内、どこを向いてもお友達、なんていうのは珍しくもなく、それどころか今じゃ全国区でも一般的に有名になりつつある藤澤誠二を知らない者はない。
けれどだからといって授業中に、突然違う選択授業に出席してるはずのアイドルが飛び込んでくるなんていうのは、常識の範疇外で。
しかし如何せん、葛西は慣れていた。大変嬉しくないことに。
呆気にとられたのはほんの一瞬、すぐさまキッと顔をしかめて葛西は立ち上がった。
「何やってんの!今は授業中でっていうかお前、授業は!?」
「匠、俺、やった!!!」
けれどそんなお説教モードに切り替わった葛西に、いつもならすぐ項垂れる藤澤は珍しく話も聞かず、ずかずかと机やら人やらをすり抜けると、それこそ興奮を隠せぬまま満面の笑顔で叫んだ。
――やった……って何が?
それが居合わせた全員の疑問に他ならない、が。
いつもなら常識の固まり、藤澤の調教師などと呼ばれる真面目な秀才、葛西に言葉はいらない。
そして珍しいことに更に大きく目を見開くと、藤澤に負けないくらい大きな声で叫んだ。
「よっしゃぁっ!!!」
――目が点、とはまさにこのことだろう。
というか、今の雄叫びは、誰。何。
「やったじゃん、誠二!!結果、今きたのか!?」
「うんっ!!直接携帯にくれるっていってくれてて、ホントついさっき!」
ぱあんっとハイトスで叩き合う手に迷いはない。
「あ、だからお前今朝、妙にソワソワしてて――」
「やっぱ匠にはバレてたか。ん。でもほら今日確実にってわけじゃなかったし、やっぱ駄目でしたっていうのかもしれないじゃん?」
「そういうのは欠片でも自分が落とされると思ってるヤツがいう台詞だって」
「いやいや俺だってさすがに確信なんかなかったしさ、それにほら格好悪いじゃん」
うっわ誠二らしくて泣けるね、と葛西が肩を抱き込んで頭をぐりぐりと撫でくり回す。
げ、痛いって匠ギブギブ!と藤澤が笑う。
「――よかったな」
「あ、間宮!」
呆気にとられたままのクラスメイトや教師を余所にそんな声をかけたのは、同じサッカー部に所属する間宮だった。
葛西とはクラスメートという肩書きもつく彼は冬賀サッカー部を語るに外せない人物である。
ちなみに違う意味で色々有名人な彼だが、その真の恐ろしさを知っても普通につきあえる数少ない友人の幾人かは間違いなく藤澤であり、葛西である。
「ところでいいのか?キャプテンやコーチ、監督に連絡は?」
「あ、そうだった!」
「え。何、お前してきたんじゃないの?」
「だって最初は絶対匠に教えなきゃって」
「――」
「よかったな、葛西。赤面している場合じゃないとは思うが」
「うるさいって!」
「あ、ホントだ。匠、顔赤いー。あ、じゃあ一緒に行こう!報告報告!」
「え、でも」
「――気にするな。どうせ大して変わらん、というかこれ以上授業にもならないだろう」
げ、とそこで初めて葛西は我に返った。
「おい」と何回も声をかけつつ無視されていた教師と目があったときは、もうどうしようもなかった。
悪かったと思いつつ、そういや俺、今ここでなにしたんだっけ、とつい考えてしまう。
――というか考えるまでもないのだが。
「――じゃ行こ、匠。あ、お騒がせしました~。気にせず授業の続きどーぞ」
「ちょ、誠二!」
問答無用で引きずり出されて、弁解する暇もない。
でもまあでも仕方ないか、と事が事だけに葛西はとりあえずそっちは後回しにすることにした。
何せ一大事だ。これくらいはいいでないか。
「――……間宮」
「はい?」
「……お前らサッカー部は全員がテレパシーでも使えんのか……」
「ああ、そういえば先生、キャプテン達の担任でしたね」
「……で?」
「想像にお任せします」
「……否定はせんのか」
そんな会話が残された教室内で交わされたと知っていれば、何が何でも教室に残ったかもしれないが、残念ながらこの世の天国を満喫している二人が知るよしもなく。
そしていそいそと向かった三年の教室で、またしても同じような光景が見られたことは言うまでもない。
ようやく鳴り響いた終礼のチャイムの後、初めて校内放送が流された。
曰く、藤澤誠二がヴェルディに正式入団したことが。
――それから数日後、テレビや新聞を騒がせた高校生Jリーガー誕生は、こうして幕を開けたのである。