7 限りなく白に近い黒
「おい」
「何でしょうか、フィリップ王子」
今、私の目の前にはまだ婚約者のフィリップがいる。
「俺に言うことがあるだろ……」
どうして私がこの男と対面しているのか。それは勿論、クリスタの件だ。この男は国王との謁見中にも関わらず、クリスタが私に暴行を受けたという報告を聞くと一目散に彼女の元へ向かったらしい。それを聞いた私はこう思った。
こいつ、馬鹿だろ。と、
それでもお姫様の元に駆けつけたのだから、男としては満点だ。
そして、今回私の定期訪問を受けたのは間違いなく、クリスタへの謝罪を求めるためだ。
「さぁ? 何の事でしょうか?」
「……!! ふざけるなっ!」
「……別にふざけてません」
淡々と言う私に腹を立てたフィリップが声を荒げて言う。
この男の悪いところだ。想い人の為とはいえ、感情的過ぎる。これでは国王も頭が痛いだろう。
「落ち着いてください、フィリップ王子。仮にも婚約者の前ですよ?」
「お前は……どうしていつも」
そんなに冷徹で入れられるんだ?と、でも言いたそうな顔だ。
「何でしょう?」
「……いいや、何でもない」
私が無機質を装っているとフィリップは呆れたように諦めた。
別にこの男が嫌いだから、こんな態度をとっている訳ではない。
「クリスタ令嬢に手を上げたそうだな」
「はい」
「……否定しないんだな」
私が嫌われるように振る舞うのは私達が互いに結婚する気など皆無だからだ。政略結婚とはいえ、私達にも意思はある。フィリップはわからないが、私の意思は貴族社会から抜け出したいということだ。
その障害となるこの結婚は是非とも破棄したい。
「王子としての命令だ。彼女に謝罪してくるんだ」
「お断りします」
「……何故だ?」
声色で感情が分かりやすい。怒りを抑え込んでいるようで、拳に籠る力が溢れて震えている。
「では、婚約者として抗議します。何故、自分の婚約者を蔑ろにしてクリスタ令嬢を保護するのですか?」
「うっ! ……それは」
「…………」
この男には最初から勝算などない。私が嫌われようとしているのが根本的な問題と言われればそれまでだが、それは精神論だ。実際、私を避けていたのはフィリップの方で被害者は私なのだ。
それを良いことに他所で恋人を作ったのだ。国王だって擁護しない。王妃なんて激怒していると聞いている。
「お前が結婚相手として優秀なのは認める。しかし、一人の人間としてはどうだ? これから国を背負うものとして冷酷な決断をできるのは必要な事だ。だが、民を思う心がお前には欠落している」
言葉に詰まるとこの男は相手の欠点を見出だそうとする。よくない癖だ。
私が流した嘘の情報に躍らされている。聞いた話を鵜呑みにするとは、王子もまだまだだ。それに民を見下したことなどない。フィリップと違い民衆の前に出ることはないが、それなりに貢献はしているつもりだ。
なんなら、フィリップより実績がある。
「はぁ……私があなたの婚約者として相応しいかは兎も角、クリスタ令嬢は相応しいと?」
「あぁ、彼女は次期王妃として素晴らしい才能を持っている」
ほぉ、そこまで誉めるとは思わなかった。
確かに人から愛される、これに限っていえば私よりよっぽど優秀だ。しかし、それを踏まえても私には天然のお嬢様といった印象だった。もしかすると、フィリップの前では違うのだろうか。
「そうですか」
「そうだ。だから、お前には」
「お断りします!」
「なっ!!」
私はさもお怒りです、といったような感じでテーブルを軽く叩き、立ち上がる。
「お言葉ですが、私にはクリスタ令嬢が相応しく思えません。そもそも、婚約者がいる相手に言い寄るなど不埒です」
「そ、それは……」
「どうせ彼女は次期王妃と言う肩書きを得るためにフィリップ王子を利用しているだけです」
「そんなことはないっ!!」
私が嘲笑うように言うと、フィリップは思った通り否定した。勢い良く立ち上がったせいでお茶が倒れて溢れる。
結構良い紅茶なのに、勿体ない。
「クリスは素晴らしい女性だ! 聡明で慈愛に溢れている。お前とは違うんだ!」
「確かに……随分、私よりも”軽い”女性のようですね?」
「っ!! 言わせておけばっ!!」
フィリップが手を振り上げた。
そのことに気づいた時、私の頬は焼き付けられたように熱くなっていた。この男の腕力で叩かれていたら今頃は地面に突っ伏している。しかし、そうなっていないということはどうやら手加減をするくらいの理性は残っていたようだ。
「失礼します。何か……っ!!」
部屋から聞こえてくる怒声と反響した音に違和感を感じた使用人が扉を開けた。
使用人には私がどう見えているだろうか。婚約者に見捨てられた哀れな女か、それとも気丈に振る舞う愚かな女か。
「これは警告だ。金輪際、クリスに近づくな……」
それだけ言うと、フィリップは困惑する使用人に何かを告げて出て行った。
私はじんじんと痛む頬に手を当てて溜め息をついた。燃えるように熱い頬は自分の体温ですら冷たく感じて気持ち良かった。
「婚約者を叩くなんて……馬鹿な人」
「あの……失礼します。メアリ様、これを」
使用人が持ってきたものはよく冷たい水で冷やされたハンカチだった。使用人に言っていたのはこれのことだったのか。あの男、自分で叩いたくせに変なところで気を使ってくる。
「ありがとうございます。 ……気持ちいい」
受け取って気づいたが、これはフィリップがいつも持ってるものだ。絹のような手触りで白い生地には薄桃色の薔薇の刺繍が織られていた。
頬に当てると全身を氷が巡るよう。
「あの……メアリお嬢様」
「少し……一人にしてくださいますか?」
「……はい、紅茶を入れ直してきます」
「えぇ、お願い」
これでいい。これでフィリップの意思はより固く、そして使用人から広がる今回の件で世間は確信するだろう。フィリップ王子と公爵令嬢は破局するだろうと。
外堀が埋まれば後は簡単だ。国を束ねる国王が民衆の反応を気にしない訳はない。本人からしてみれば溜息が出る話だろうが、それが政治だ。
ただ、いま一つ問題があるとすれば。
「やっぱり、王妃かな……」
窓を見ると厚い雲が太陽を隠す。
嫌な雲だ。
「……帰ろう」
罪悪感はある。できることなら謝りたいのが本心だ。けれど、私は私の目的のために決して悪びれてはいけない。
台詞以外の行間を変えてみました
どうですか?