6 遅めの反抗期
メアリがクリスタに手を上げた事実はあっと言う間に広まった。
新聞には「ブラウン家公爵令嬢とフィリップ王子、ついに破局か!?」と大々的に書かれていた。これにはメアリを擁護していた人々も見放さざるをえなくなった。
記事にはメアリが流した噂を軸に様々な仮説が書かれていた。王妃の座を狙っているのは市民から税を巻き上げ至福を肥やすためだの、両親を失った恨みだの、最も突拍子も無かったのはメアリが隣国へ売国するなどと書かれていたことだ。
これには流石のメアリも呆れていた。
「世論なんて当てにならないね」
「あまり気持ちのいいものではないけどね」
イリアが周りに目を向けるとちらちらとこちらを伺う人影がいくつもある。しょうがないとはいえ知りもしない人から監視されているのは結構嫌なものだ。それに、あれは何をしているんだとこそこそ話し声まで聞こえる。幸い、こちらの声は聞こえていないようだから密談するには特に困らない。現に、イリアとこうして話を続けている。
「あ、そこはもっと丁寧にやって」
イリアの指摘にメアリは少し嫌そうに答えながらも言われた通りもう一度丁寧に洗う。
「事が全て終われば貴方は働かなくちゃいけないんだから、このくらい我慢しなさい」
イリアの指導のもとメアリは使用人の仕事を叩き込まれていた。手始めに洗濯から始めているところだった。しかし、寒くはないとはいえこの時期に水に手を浸すのはなかなかに辛い。
「お金を貯めてエリザベス様の元に行くんでしょ?」
「まさか噂を流す依頼料にあんなにお金がかかるとはね」
メアリの嘘の悪評を広めるためにはどうしても第三者の助けが必要だった。その代価としてかなりの金額を請求された。そのせいで婚約破棄した後の逃げ込み先の祖母の元へ行くためのお金が無くなってしまったのだ。
「だから、嫌だったのよ。数年がかりで実行すればいいのに。あんな奴に大金まで払って急いでやらなくても」
「うーん、まぁ、そうなんだけど。急ぐ必要ができちゃったから、しょうがない」
メアリは溜息をついて洗濯の手を止める。
実は数日前に王宮執事がメアリのもとを尋ねに来たのだ。
その執事についてはメアリはよく知っていた。国王直属の専属執事、セバス。幼い頃より英才教育を受け、常に国王の補佐として側に仕えている。
そんな執事がメアリに何の用事で来たのかは言うまでもない。メアリの暴力事件についてその真意を問いに来たのだろう。
「メアリ様、お久しぶりでございます。知らせもなく、突然の訪問……申し訳ございません」
セバスは左手を腹部に、右手を後ろに回してお辞儀をする。洗練されたその作法はまるで一つの芸術だ。白髪は短く切り揃えられている。紫波が目立つがメアリを見る目には活力を感じる。
「お久しぶりです、セバスさん。謝らないで下さい。セバスさんなら、いつでも歓迎しますよ。さぁ、どうぞ中へ」
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて失礼いたします。」
立ち話もなんなので屋敷に入ってもらった。
応接室に着くとすぐさまイリアが温かい紅茶を出してくれた。その所作はいつもより堅苦しいように見える。
イリアはセバスに使用人の何たるかを手ほどきしてもらって、それに加えて荒っぽい性格を矯正したらしい。その時にだいぶ絞られてセバスがいるときはいつも強張っている。
「最近、体が思ったように動かせなくなりました。私も歳ですな」
本題を進める前に世間話が始まった。
セバスは、今年で六十五歳になる。本人はこう言っているが、後任が決まっていないところを見るとその仕事ぶりは今もなお衰えていないのだろう。
「体には気をつけてください。セバスさんにはずっと元気でいて欲しいです」
「御心遣い、感謝いたします。このセバス、メアリ様の花嫁姿をこの目で見るまでは死んでも死にきれません」
このタイミングでそんなことを言われると私としては苦笑いを浮かべるほかない。常に穏やかな雰囲気を纏うセバスだが、いつも物事の真意をついた発言をする。親しく、尊敬する人ではあるが油断できないのが怖いところだ。
「私の噂はご存じですか?」
「えぇ、勿論。……ですか、私は本当の事を聞きに来ました」
やっぱりだ。セバスはとっくに気づいてる。これが私の仕組んだ喜劇ということに。
「何の事でしょう?」
「…………はぁ、メアリ様。私はイリアの教育には自信をもっています。その彼女が育て上げた貴女様がそんな愚かなことをするはずか無いと、このセバスは信じております」
これは何を言っても無駄の用だ。セバスに敵わないのは昔から、いつか負かしてやりたいと思う半面、いつまでも健在でいてほしいというのは我が儘だろうか。
「……メアリ様」
「?」
「私は今日、陛下からの伝言を伝えに来ました」
「伝言ですか?」
「はい」
その内容はこうだ。
”愚息がすまない”
「……へ?」
思わず間抜けな声を出してしまった。
「……お嬢様、お顔が」
「はっ!」
イリアの言葉に自分が変な顔をしていたことに気づいた。しかし、伝言とはいえ国王から身に覚えのない謝罪をされたら思考も止まってしまう。私はてっきりセバスか国王に私の策略が見破られたのかと思った。
「セバスさん、一体どういうことですか? 何故、私ではなく国王陛下が誤られるのですか?」
「…………いえ、私はただ伝言を預かっただけです」
「そ……そうですか?」
国王の意図がわからない。状況から見て、フィリップが婚約者を蔑ろにしたのは事実だとしてもそんなことでわざわざ国王が頭を下げるなんて威厳に関わる。それをこうも簡単にされては懐が大きいのか、浅はかなのか、それとも他に何か意味があるのか。
私が頭を悩ませているとセバスが立ち上がった。
「それでは、私はこれで失礼します。メアリ様、御機嫌よう」
「あ……あぁ! も、門までお送りします」
「いえ、お気持ちだけいただきましょう」
それだけ言うとセバスは本当に帰ってしまった。それも、どこか悔やんでいるような様子だった。
何が何やら、結局よくわからなかった。あの時の事が引っ掛かってイリアの指導に身が入らない。何か、大きな事を見落としているようで私は口を尖らせている。
「また、変な顔してる」
「だって……わざわざ国王陛下が、伝言という形でも謝罪して来たんだよ?」
「うーん……、もしかしたら王妃様から言われたんじゃないの?」
「王妃様が?」
王妃……オルカ様とは良好な関係だ。イリアに次いで私の幼少期を支えてくれた人。イリアが私にとって母のような存在であれば、オルカ様は幼馴染の母親といった感じだ。フィリップとの婚約を後押ししたのも王妃だと聞いている。私がここまで育つ事ができる土台を用意してくれたのが他でもない彼女だ。
が、それと同時にどうしても私を次期王妃にする動きが顕著だ。目下、一番の問題がオルカ様なのだ。そんな彼女が背景にいるなら、セバスの行動には必ず裏がある。
「もし、それが本当なら……何か手を打たないといけない」
「そんな事ができるの? 相手はあの王妃様よ?」
そう、それが問題だ。オルカ様はこの国を一つにまとめている張本人。日々、飛び交う貴族の私利私欲を隠した本音を見破り、時には他国の使者を歓迎しながらも、その腹の内を探るという難業をこなしている。
こんな世間も知らない小娘の考えなど、手に取るようにわかってしまうだろう。
「でも、どうせ最後には出てくるのだし……早いか、遅いかよね?」
「それは……そうだな。…………よしっ!」
本音を言うと、オルカ様とは敵対したくない。母親とまではいかないが、それに近い思いを寄せている人だ。嘘をつき、騙すのは心が痛む。が、仕方がない。それに、
「オルカ様……随分遅くなりましたが、私……どうやら反抗期みたいです!」
少し楽しんでいる自分がいるのも、また事実。