4 身内話
クリスタと婚約者がいるフィリップが恋仲だと貴族の世間話で広まった頃、王城の執務室。
部屋の扉が軽く叩かれ、入室の許可を求める声が聞こえた。誰が来ているのかは事前に聞いている。目を通していた資料を一旦まとめて脇に寄せる。身だしなみが乱れていないか確認して入室を許可する。
「失礼します、国王陛下」
入ってきたのはフィリップと王妃の二人。本来なら部屋の外で待機している護衛がついて来るが、今から話すのは身内問題だ。あまり外に漏らしたくない話。そう考えると憂鬱になり、国王<リグ・バルト・カルディーラ>は溜息をついて息子に目を向けた。
「フィリップよ、話とは何だ?」
本当はどんな話か想像がついていたが、息子の口から改めて直接聞きたかった。
「父上、多忙な最中時間をさいていただきありがとうございます。話というのはメアリ令嬢との婚約についてです」
リグはやはりかと更に深い溜め息をつく。
「何が不満なのだ? 私から見たら、彼女以上に相応しい者はいないぞ」
「父上は知らないのです! あの女の本性を! 何より今、民衆が彼女を認めていないのです! これ以上の理由がありますか?」
「それは、メアリ令嬢の噂か? あんな根も葉もないことをお前は信じているのか? 私はお前に己の目と耳で物事を受け止め、判断し、行動を起こせと教えてきたはずだ」
国王リグはフィリップを幼い頃から厳しく育ててきた。それは次期国王と言うのもあったが、愛しい我が子が至福を肥やす腐った貴族達に惑わされて欲しくなかったからだ。
その甲斐あって、次期国王としては及第点まで育ってくれた。本人からも良き息子、良き国王となるべく努力は伝わっている。しかし、王子であれど一人の人間。欠点がないわけはない。フィリップにとってそれは思い込みの激しさだ。
確固たる精神は大切だ。政治において決断力は必須、優柔不断は付け入る隙を生んでしまう。
けれど、それが今回は仇となった。
こうと決めてしまえば中々意見を覆せない。
「確かに冷静で状況把握に長けているのは認めます。……しかし! 民を見下し、使用人に権力を振りかざすのは貴族の恥です。何より、援助金として父上が彼女のために用意したお金で豪遊など、王家への侮辱です!」
「そんな証拠もない噂を並べても説得力はないぞ。オルカよ、もう調べているのだろう?」
と、リグはフィリップの隣に立つ気品に溢れる淑女に目を向ける。
扇子を口元から離してパンッと綺麗に畳む。派手ではないがその繊細な細工は誰が見ても一級品。けれど、それはあくまでオルカを際立たせる物だ。
王妃として求められるのは国王とは違う。王が国の脳であれば、その妃は心臓。国を動かすのは国王だが、国の意見を一つにまとめるのは王妃の役割だ。
「えぇ、勿論。まず、メアリに関するほとんどの噂が嘘よ。フィリップ、貴方の思い込みはただの勘違いよ」
オルカは少し不機嫌そうに言う。
「なっ! そんなまさかっ!」
赤子だった頃から度々様子を見に行き、時間があればメアリをつれて過ごした時間はフィリップよりも長いのだから。
最早、娘同然の子だ。
「私の可愛いメアリの何が嫌なのかはっきり言いなさい。まさか好みじゃないなんて子供みたいなこと言わないわよね? 私達は王家よ。見た目よりも中身が重要よ。それでも、あの子はとても可愛いわ」
「うぅぅっ」
どこまで調べがついているのだろう、そんな不安にフィリップは口を紡ぐしかなかった。
「そうか、やはりただの噂か。次期国王が噂に流せるなど、頭を抱えたくなるな」
「そんなことより私は確認したいことがあるのですが、……フィリップ!」
数歩、オルカは彼に近づく。手に持っている扇子をトントントンと手に叩く音がフィリップの心拍を早めている。
フィリップもリグもこの仕草を繰り返すオルカは苦手だ。なんせ目に見えて苛立っていることを主張してきている上に何もかも調べ上げてから本人に尋ねるのだから、逃げ道がない。
「な、何でしょうか? 母上」
「あなた、少し前に突然城を抜けて二日程帰ってこなかったそうね? 何処で! 誰と! ……いったい何をしていたのかしら?」
その日のことはよく覚えている。体調を崩したクリスタのもとに医者を連れて駆けつけた。王城勤務の医者ではすぐにばれると思い、フラメル家御用達の医者を診療所から連れ出したのだ。
クリスタの容態はその日のうちに回復したが心配で二日間彼女と過ごした。その間は後継者としての責務や欲にまみれた貴族のことも忘れ、ありのままでいることができた。
が、それはフラメル家とフィリップの秘密。次期国王としても息子としても両親には言えない。
「あの日は、ウィルと狩りに出かけていました。急な事で準備する間もなく強引だったため、報告をしていませんでしたね。すみません」
オルカは毅然とした我が子を見てそう、とだけ言い今度は数歩離れる。扇子を叩く手も止めた。
「確かに私が聞いた話と同じね」
そう聞いてフィリップはほっとする。胸のつっかえが取れたようだった。
「てっきり、他の令嬢のもとへ逢い引きしていると思っていたわ。そうね、例えば……クリスタ・フラメルとか?」
「!?」
クリスタの名前がでて、背中に緊張の汗が流れる。顔にはでていなかっただろうか、動揺を押し隠すように手に力を込めて握る。
「なんだ、突然? フラメル令嬢? 聞いたことがあるな、確か歳不相応な魅力があるとか。その娘とフィリップに何の繋がりがある?」
何とも不思議そうにリグは尋ねる。オルカは閉じていた扇子を華麗に広げて口元を隠すように持ち上げる。
「これも噂に過ぎませんが、我が子とフラメル令嬢は恋仲だとか」
聞いた瞬間、フィリップは心臓を鷲掴みされたように息が詰まった。
最初は何故、と胸の内で焦ったがよくよく考えればただの噂、幾らでも誤魔化しようはある。
「フィリップよ……それは事実か?」
「い、いいえ! そんなことはありません!」
何と言おうか考える間もなく真偽を問われ、反射的に否定してしまった。
「だそうだ、オルカよ。結局は全て噂だ。婚約についてはそのままとする」
「そんなっ! 父上、私はあの女を生涯の伴侶とは考えられない」
オルカはその一言を見逃さなかった。
「あら、まるで心に決めた人がいるみたいな事を言うわね」
フィリップはしまったと思った。ここまでやって婚約が振り出しに戻ったことで焦って口を滑らせてしまった。
「フィリップよ、お前も大人だ。私達に介入されたくないこともあるだろう。だか、お前には婚約者がいるのだ。この国を背負う者が私情を挟むな」
落ち着いた物言いだが、そこには厳格な父、そして国王としての威厳を感じた。フィリップとて、リグを尊敬し誇られるように日々努めている。
だか、尊敬と愛情ではわずかにクリスタへの思いが天秤を傾けた。
「父上、私にはあい……」
こんこんと、扉を叩く音でフィリップは衝動的に並べた言葉を止めることができた。
「……何だ?」
「急ぎ、王妃様にお伝えしたい事が」
少し掠れた、しかし活力を感じる女性の声が聞こえる。
扉の向こうからの声にオルカはリグを見て頷き、リグは入室を許可した。
フィリップは取り乱した心を服装を乱すことで落ち着かせる。
「失礼します。王妃様、急ぎメアリ伯爵令嬢について報告があります」
そう言って、入ってきたのはオルカの専属メイド長だ。
「何かしら、シルキー?」
オルカの問い掛けにシルキーは王妃の耳元でヒソヒソと答える。
聞いた内容に、オルカは信じられないと目を見開く。
「どうした、メアリ嬢に何かあったのか?」
リグの問い掛けにシルキーは少し困る。彼女の主人は王妃だ。主を目の前にして口外していいものか悩む。
「大丈夫よ、私から話すわ」
そこでオルカが助け船を出す。胸を撫で下ろすと同時にシルキーはオルカの後ろに一歩下がった。
少し間を置いて、ふぅと意を決してオルカは口を開く。
「メアリがクリスタ嬢に手を上げたそうよ」
それを聞いて、リグは訝しげにシルキーを睨む。だか、シルキーは間違いはないと首を振るう。
「父上、私はこれで失礼します!」
間を置かずにフィリップは急いで執務室を出ていった。その行動が如実にクリスタとの関係を表していることにも気付かずに。