64話 たった一つ残ったもの
昔から要領は良い方だった。
勉強すれば世間で言ういい学校には入れたし、人とのコミュニケーションも苦手というほどではなかった。
おかげで、一度は聞いたことがあるくらいの企業に入社できたし、仕事だって順調だった。
だというのに、ある日突然、全てを失った。
文字通り、世界が変わってしまった。今まで積み上げてきたものは全て失われ、残ったのは自分の身ひとつ。
しかし、運はまだ残っていたらしく、私は癒す力、結界を張る力を手に入れていた。
この世界で通用する力を手に入れた。
「貴方のおかげで、皆、死なずに済む。帰りを待つ者の元へ、帰すことができる。ありがとう」
呻き声と生臭さが充満するテントの中で、何度も理不尽を恨んだ。
どうして、私がこんな目に遭わないといけない。
悪いことなどしていない。
今まで努力は惜しむことはしなかった。
なのに、どうして危険と恐怖に震えながら、戦い続けなければいけない。
「帰りたい……」
元の世界に帰りたい。
「では、あの汚らわしい亜人共を駆逐した暁には、私の生涯を賭けた転移魔法にて、貴方を元の世界に帰すと約束しましょう」
「でも、帰れないって……」
それは地下迷宮の罪人と呼ばれる洛陽の旅団の言葉だが、嘘ではないはずだ。
しかし、サンジェルマンは困ったように眉を下げる。
「お忘れですか? 私が貴方方をこの世界へ呼び出したのです。確かに、異世界の座標は大変難しいものです。
しかし、召喚した者たちの国籍や言葉は、とても似通っているとは思いませんでしたか? ニホンジンでしたかな?」
確かに、サンジェルマンの呼び出す異世界人は、全員日本人だった。
「つまり、貴方の故郷へ帰すための座標を確定することは可能、ということです」
「!」
「どうでしょう? 次の天使の召喚において、もし貴方の同郷の人間が召喚されたなら、その座標へ貴方を帰すことを約束しましょう」
サンジェルマンの言葉を完全に信用したわけではない。
だが、目の前に現れた三人の日本人の姿に、希望を抱いたのもまた事実。
「マリア。本当に、この戦いが終わったら、元の世界に帰るのか?」
前線にいた頃からずっと私を気にかけてくれていたリュカは、不安そうに問いかけてくる。
色々助けてくれたリュカに思うところがないわけではない。
「帰りたいよ。向こうには、家族も友達もいるもの」
「…………そっか、そう、だよな」
リュカは顔を伏せながら、しかし私の腕を取る。
「ならば、この命を賭けて君を守ろう。必ず、君を元の世界に帰すと誓う」
苦し気に歪められた表情は、今でも覚えている。
リュカの思いも全て踏みにじったのだから、戦いに勝たなければいけなかった。
だというのに、負けた。
目の前のオルドルの言葉を信じるならば、唯一転移魔法の使えたサンジェルマンも死んでおり、元の世界に帰る方法はない。
「それで、私に力を貸せと? 随分ですね」
「自分でもそれは理解しています。しかし、彼女の暴走を止められるのは、貴方以外にいません」
「止める? 止める気ないじゃないですか。オルドルさん」
彼女を殺してしまえば、今聞いたおかしな妄想は妄想に留まる。
しかし、オルドルは彼女を殺す気すらないようだった。
「彼女の神器は、魔法ですら飲み込む。今だって、交渉が決裂するならば、我々を殺すつもりです」
「だから、彼女に従うんですか」
「はい。貴方にとって、この国は憎悪の対象かもしれませんが、私にとっては大切な人たちが住む国です」
「――っ! 私だって、何もかもが嫌いじゃないです!!! でも!! 私にだって大切な人たちがいるんです!! いたんです……」
何もかもが無くなった。彼女のせいで。
「家族も、友人も、何もかも無くなって……」
リュカすら失った。
「なのに、自分たちだけは助けてほしいなんて、自分勝手でしょ!!」
例え、これで死んだとしても構わない。
自分には何もない。何もなくなってしまったのだから。
「えぇ。自分勝手でしょう。貴方方を異世界から呼び出した挙句、戦いに巻き込んでいるのですから。だからこそ、脅してでも力を借りれなければ、この業には見合いません」
真っ直ぐと見つめるオルドルに、少しだけ立ち上がった腰が引ける。
「死者すら救おうとした貴方だからこそ、真にこの戦いを終わらせたいと願ってはいただけませんか?」
彼女は、ただ友人を泣かせたくないからと王都の全てを壊すことにした。
この世界の友人を、だ。
前の世界を捨ててでも助けたいを思える友人を見つけたのだ。
「私は……」
私にとっての、この世界の大切な人は、もういない。
「アンタの騎士ならいるわよ」
突然聞こえた声に振り返れば、天井から降ってきたリュカ。
「……リュ、カ?」
「マリア……!? マリア! 無事か!? よかった……」
痛いほど抱きしめられる感覚に、頭が混乱していて、漏れる言葉は何の意味もない言葉ばかり。
「しかし、黒い何かに飲み込まれたと思ったが、これは一体……」
「ぁ、え、えっと……」
リュカに今までのことを説明すれば、険しい表情をした後、オルドルの方へ向き直る。
「貴方方も彼女を利用する気ですか」
「はい」
「!!」
「作戦終了後は、大聖女様の求める地位を保証しましょう。我々にできることなどその程度です」
「それだけで……それだけでは、彼女から奪ったものに到底釣り合わない!!」
自分の代わりに怒ってくれる彼は、前から変わっていなくて、私よりも私のことを大事にしてくれる。
だからこそ、今度はこちらからリュカの手を取った。
「マリア……?」
「ありがとう。リュカ」
私に残った大切なものだから、これだけは手放したくなかった。
*****
オルドルがマリアたちの説得を試みている頃、水戸部は頭を抱えていた。
「確かに手伝いますとは言いました。はい。確かに。でもですよ? こうなるとは思わないじゃないですか。なんです? 土地を持ち上げて落とすって……空飛ぶあれじゃないですか」
「実際、アレ、木が引っ掛かって飛んでるはずだから、似てますね」
「そういう問題じゃないんですよ」
向こうの世界の常識かと、カイニスが日下部たちの会話に首を傾げるが、気にしなくていいと手を振られた。
「大聖女の結界は王都の面積であっても張れるが、回復は別だ。もっと効果範囲は小さい」
おおよそ視界に入る範囲が限界だ。
結界も、大きくなればなるほど強度は弱くなる。
つまり、できるだけ王都から人や建物を落とす範囲を狭めたいということだ。
「ミトベは、水を使ってドラゴンを運んでただろ。その要領で、瓦礫を弾いて、人を聖女の結界内に運べないか?」
「そんな細かい動きは……せめて、ウォータースライダー的な……いや、でも本数が多すぎます。球体で運ぶのだって、4つが限界ですし」
範囲を広げて水の層が薄くなれば、落下してきた人を浮かせるほどの量にならない。
瓦礫を抑えるために、厚すぎても人が沈み、溺れるかもしれない。
「キャットさんの方が、得意そうですよね? そういうの」
「得意だと思うけど、人間死すべし派閥だから」
「なんですか……? それ」
要は助ける気などないということであることかと、水戸部は頭を悩ませる。
今までこの能力で行ったことと言えば、水源の発見と水を動かし、流れを作ることで川を作る。ドラゴンを含む物資の移動。それから、人力洗濯機。
大きな流れはともかく、細かい操作は自分の意識の問題なのか、できなかった。
「あ…………あ、いや、でも……」
「なんだ」
「あ、いえ、さすがに危なくて……」
「構わねェ。思いついたなら言え」
若い自分が何か意見を出したところで、まともに取り合ってもらえないし、笑われることもバカにされることは当たり前。
しかし、ハミルトンはしっかりと水戸部のことを見据えていた。
「きっかけになれば十分だ」
期待していないという意味ではない。
ドラゴンを運んだ時だって、カイニスが自分の代わりに提案して、それを全員で運べるように工夫した。
工夫するにも土台が必要というだけ。
「ぁ、えっと……落下地点に大きな水の膜を張るんです。渦潮みたいに、早く回して、沈み切る前に中央に集めて、そこから水の柱を通すんです」
重い瓦礫は水流程度では流し切れず落ちていく。
問題は、瓦礫を全て弾けるわけでもないし、人も全員助けられるわけではない上、水の柱に入ったら息ができないということ。
「ある程度の人数であれば、私の魔法でフォローできます」
「ワシもできないことはない。どちらかっていうと、瓦礫を弾く方が得意だがな」
「では、問題はパニックになった人間が突然水に落とされて、数十秒間息を止められるか、ですね」
「いや、無茶でしょ。訓練してる連中ならまだしも」
「この世界の聖女って、死んだ人間の蘇生魔法使えたりしないの?」
ゲームなら、死んだ人間を生き返らせる魔法があるものだ。回復魔法が存在するのだから、それくらいあっても良さそうだが、モーリスが呆れたように日下部を見降ろす。
「できるか。グール使いじゃあるまいし」
「エリサさんの世界って、時々すごいことしますよね」
「いや? 生き返るとかないって。神話レベルならあるけど、びっくりし過ぎて、毎年その日には全世界がお祭り騒ぎよ」
「というか、それ出来たら、今までの話、意味なくない?」
「…………確かに。クーちゃんあったまいいー」
リカルドの処刑後に死体を奪って、聖女に復活させてもらえばいいのだから。
「じゃあ、別に間に合わなかったら間に合わなかったでいいんじゃない?」
マリアが協力してくれるなら、溺れた人間の回復もしてくれるだろう。しかし、交渉が決裂したなら、助けるのが間に合わない人も出てくる。
それでも元の人数に比べれば、ずっと減る被害者の数に、日下部も会議を打ち止めにしようとしたが、意外なところからでた否定の言葉に目を向けた。
「ダメです」
水戸部だった。
「だ、だって、それ、ほとんど私のせいですし」
「水戸部さんいなければ、私のせいでもっと死ぬんだし、私のせいでいいですよ?」
「それでもダメです! 日下部さんが、知り合いが大量殺人犯になるなんて、嫌です」
理解ができない。
殺人犯の同級生や近所の人間にインタビューしたニュースでは、台本のように同じような言葉を吐き続けて、興味のなさそうな声でどうしてと宛てのない問いかけをするのだ。
「ミトベの嬢ちゃん。水柱をバネみたいに螺旋状にできないか? それなら息もできるだろ」
「バネ、ですか?」
魔法についてはサナが、形状についてはクルップが様々な方法を提案しては、水戸部が可能かを検証していく。
日下部も興味深そうに聞いていれば、突然襟を掴まれる。
「話に参加しねェなら、こっちを手伝え」
「は!? 会議は座ってることが大事なんだぞ!?」
「まぁまぁ……クサカベ殿は、こちらの方が得意かと思いますよ」
ハミルトンに威嚇をしている日下部を宥めながら、アレックスは言葉を続けた。
「人を騙す物語を考えるんです。得意でしょう?」




