63話 持て余したコインの賭け先
クレアから聞いた日下部の作戦は、とても単純な作戦だった。
ひとつ、王都の下にある地下迷宮を浮かび上がらせ、王都を空から落とす。
ふたつ、その現実ではない光景を”終焉の天使”の仕業にする。
たったそれだけ。
今や、終焉の天使は、戦いを終わらせるために来た天使と噂されているため、その天使の行動に周囲は納得するだろう。
”アポステル大国は、やはり戦いを好んだ。故に、天使に粛清された”と。
今まで積み上げてきたアポステルの歴史や思想を逆に利用した形だ。
「君の作戦は単純故に、今の君をもってすれば、目的は達成されるでしょう」
後先など何も考えていない作戦の唯一救われる対象は、ルーチェなどの日下部の知り合いだけ。
「ですが、それでは同じことが繰り返される。いや、下手をすれば、被害は今以上に大きなものになるでしょう」
恐怖と畏怖での支配。だが、肝心な畏怖の対象は、お伽話の中にしか存在しない。
目に見える王とは異なり、たった一度の恐怖に人々は従わない。
結果、彼女の行為は、ストッパーを壊す行為に他ならない。
「思い出したんだ。前の世界で、戦争を抑えていた方法」
「ぜひ、お聞きしたいですね」
ほとんどの人間が、血を見ないで一生を終えることのできる世界の争いを収める方法。
興味は大いにある。
しかし、目の間の彼女がこれから口にする言葉は、おおよそ想像がついた。
「核だよ。ものすごい強い武器。一瞬で何百と人間が蒸発して、そこでは毒に犯されるみたいに、数十年、そこに人も動物も住むことができなくなる。
そんな武器を複数の国が持ってるんだ。昔から、子供に悪いことを教える時に怖い話にするのと同じ。印象的な恐怖っていうのは、人を押さえつける」
どんな世界であっても、根源というものは単純で、”死”に直結する恐怖は、人を踏みとどまらせる。
「天使が、その核であると?」
「名前が変わっただけでしょ。そっちが最初から使った方法と同じだもん」
アポステル大国を守るために現れた天使と神器。
その強さを持って、武器を下させようとしたアポステルと何ら変わらない。
「…………わかりました」
違うとすれば、それを行うのが大きな力を持つ国か、ただ武力だけを持つ個人か。
「協力する気か」
「協力も何も、そうしなければ、闇雲に死者が増えるだけです」
ハミルトンも選択肢がないことなど理解している。
それだけ、今の彼女は脅威であった。神器も思想も、何もかもが。
「あの時、短慮に私を殺してくれたのなら、これほど悩まなくてよかったのにね……」
ため息交じりの言葉は、本音だった。
「ひとりで満足に動くことさえできないというのに、この国の人間を守りたいという気持ちに偽りはない。
君は、まだ知らないのだろう。命を選ぶ、重みと辛さも。だから、君はコインを放るように、命を賭ける」
日下部の目が驚いたように見開かれ、口端が大きく歪む。
「……ははっマジかよ。マジで言ってる? 先生」
「マジです。えぇ。とても。言ったでしょう。大切な人を守るためなら、悪魔と契約すると」
それが終焉の天使であっても変わらない。
「そもそも、君の目的と私たちの目的は共存可能です。あくまで、協力する気なら、ですが」
ハミルトンは、大きくため息をつき、腕を組んだ。
日下部の目的は、アポステル大国最後の王であるリカルド処刑を止めること。
そして、オルドルたちの目的は、国民たちの安全。
本来、直接的に交わることのないはずのふたつが、日下部の無茶苦茶な神器により繋がっているだけ。
「ですから、君の持て余しているコインを私へ賭けなさい」
日下部の口にした、例え後手に回ったとして、生き残る可能性があるという言葉。
つまり、彼女には、空から落ちている状況で、複数人が生き残る方法を想像できているということ。
神器の引き起こした状況に、咄嗟に対応できる力。それもまた、神器だろう。
思いつくのは、大聖女だけだ。結界や治癒能力は、この世界の人間の群を抜いていた。
だが、すでに大聖女は目の前に立つ彼女の手に掛かり、命を落としている。
「嫌だ。って言ったら?」
半ば予想通りの答えに、サナが明らかに彼女の睨み、ハミルトンは長いため息をついた。
「……『嫌』ですか」
無言の肯定と共に、見定めるような視線がこちらを捕らえる。
サナは、話にならないとまた剣に手をかけるが、制する。
「いえ、そういうことではありませんよ。サナ君。彼女は、相当捻くれ――いえ、素直なんです」
「はい……? 先生には申し訳ないですが、もうこの人の話に付き合う意味はないと思います」
「いや、今の答えで確信した」
オルドルの言葉に、ただ一人、ハミルトンだけが眉を潜め、日下部を見た。
「わざわざ、不可能ではなく、『嫌』ということは、手段そのものはある。ただ、君がその行為をしたくない」
誰もがオルドルの言葉の真意を探ろうと、オルドルに注目する中、ハミルトンだけは、ただ煌々と目を輝かせ始める日下部を見ていた。
「うん。私が説得しよう」
確信を持つオルドルに、堪えきれないとばかりに日下部が笑いだした。
「マジか! 先生、マジで頭わっるいなっ! どこをどう見れば、わかるわけ? なるほどなぁ……勝てないわ。これ」
驚いていたのは、話を先に聞いていたはずのカイニスとクレアもだった。
オルドルと日下部の間に交わされている会話の内容の半分も理解できていない。
「どういうことっすか? 計画をやめるわけじゃ、ないっすよね?」
カイニスの言葉に、日下部はすぐに頷いた。
「大聖女様が生きているのです。場所は、その黒い生き物の中かな?」
一度、ピーキャットの中に入り運ばれたハミルトンは、その可能性を考えてはいた。
だが、ピーキャットや日下部の意図しない方法での脱出は不可能。つまり、敵側の人間が取り込まれた時点で、死と変わりない。
そして、不意打ちで勝った正攻法で勝ち目の見えない相手を外に出すなどということを、日下部がするはずがない。
「彼女をこの作戦へ引き入れることができれば、犠牲者は大幅に減る」
マリアの能力であれば、即死でなければどれだけひどい怪我であろうと、元通り回復させることができる。
その上、結界で上空から降り注ぐ家などの瓦礫を防ぐこともできる。
この平行線と思える話し合いの解決策を、最初から日下部は隠し持っていた。
しかし、意識を持つ人間故に、説得が面倒だという理由で、その選択肢を捨て去っていた。
「賭けは、好きだろう?」
本来、乗る必要のない賭け。
マリアを外に出すことで現れる不都合の方が、不安要素を増やしかねない。
玉砕覚悟のオルドルの提案は、きっとここで打ち止めだ。
すでに完結している作戦に茶々を入れるということはそういうこと。向こうが提案できる交渉材料なんて存在しないのだから。
だからこそ、本来理解もできない日下部の好奇心に引っ掛けるしかない。
「ねぇ、先生。ひとつ質問してもいい?」
「私で答えられる範囲であれば」
「先生のそれに乗ったら、魔王は嫌がるかな?」
だが、好奇心は何よりも、日下部にとって大きな引っかかりだった。
「…………魔王は十数年前から時間をかけて、この作戦を進めてきました。今回のことは、その月日を一瞬で無意味なものへと変換するものです。確実に。むしろ、怒りに任せて殺されても仕方ないかと」
普通ならば怖気づくようなオルドルの言葉。
「ならやる」
だが、日下部は即答した。
「エリサさん……前に殺されかけましたよね? 忘れました?」
呆れたようにカイニスが以前のことを思い出しては、日下部を止めようとするが、日下部はだからこそだと目を細めた。
「正直、ずっと負けっぱなしなんだよ。サイコーに嫌がらせしてやりたい」
「エリちゃん!?」
「大丈夫。魔法だったら、キャットが防げるのは確認済みだし。それに、あの魔王は頭に血が上ったその瞬間を防げば、たぶん怒りに任せて……ってのはないよ」
少なくとも表面的には冷徹な王だった。
その上で、平和な世界を望む王だ。
その場で怒り狂うことがあっても、結果的に平和な世界になるなら、その功労者へ怒りをぶつけることはしない。
「だいたい、クーちゃん、そんなこと言える立場? ほぼ裏切りみたいなもんよ?」
「う゛っ、そ、れは……」
目を逸らすクレアを、目を細め見つめる日下部の背中を少し強めにカイニスが小突く。
「えっなに!?」
「さすがに素直じゃなさ過ぎますって……子供じゃないんだから」
不貞腐れたように頬を膨らませる日下部に、オルドルは苦笑を零すと、立ち上がる。
「では、私は隣の部屋で話をしてこよう。ハミルトン、その間に進められることは進めておいてもらえるか?」
「あぁ。モーリス。ミトベを連れてこい」
「ミトベ? 了解」
ハミルトンの言葉に首を傾げながらも、モーリスは部屋の外に出ていき、ピーキャットもオルドルの後を追って隣の部屋に向かった。




