61話 息苦しくちゃいられない
「これより、大罪人リカルドの処刑を執り行う!」
執行人の高らかな宣言と共に、リカルドの首を落とすため、剣を高く掲げる。
その時、地面が大きく揺れた。
何が起きたのかとざわつく王都中の人間は、収まることなく大地から伝わる振動に、地面に膝をついた。
地面に膝を付ける程より感じる、大地の奥底から感じる震えに、正体のわからない恐怖は募り、わけもわからず空を見上げた。
まるで、地に伏せ、救いを求めるように。
そして、黒い、その影を見つけた。
「血を血で拭うことしか知らぬ愚か者共」
ただ一人、建物の屋根に立ち、広場にいる人間を見下ろす全ての光を飲み込むような影の姿。
「最初から間違っていたのだ。貴様らの祈りなど同情などしなければ、この地はこれほどまで穢れることは無かった」
影から放たれる静かだが、確かな怒りが王都中の空気を震わせる。
一番最初に気が付いたのは、王都の端にいた者たちだった。
地面が割れ、周りの建物が低くなる様子に、王都が大地から浮き上がっていることを理解してしまった。
「肥大化した脳は、血に飢えるばかりで、我らが主の慈悲など理解しようともしない」
大地が浮き上がるなどという、あまりに現実離れした光景に、人々は混乱し、その混乱は瞬く間に広がり、広場にいる人々へ状況が伝わるまでに時間はかからなかった。
「もはや、貴様らに贖罪など求めぬ」
影は、ただただ、自分たちを嫌悪する言葉を吐き続ける。
「贖罪だと!? 何を言ってやがる!!」
「俺たちは巻き込まれただけだ!! 悪いのは全部そいつらのせいだろ!!」
幾人が青い顔をしたまま、影に怒りを露わにする。
転がった石を放り投げるが、その石は届くことなく地面に転がる。影は、幾度も投げ続けられる石に、ただの一度も目もくれることはなかった。
「これは我らの罪。故に、この地の浄化こそ我が贖罪」
最初からただのひとつも話を聞く気などないと、影は処刑台の上にいるリカルドと魔王、シャルルをただ見つめ続けた。
*****
それは数日前の事だ。
「よし壊そう」
突然目を覚ましたと思えば、枕と共にとんでもない言葉が飛んできた。
「人に枕投げつけながら言うセリフじゃねーっす」
カイニスから、割と強めに投げ返された枕が顔面に投げ返される。
しかし、視界に映ったカイニスは、呆れたようにため息をついて、こちらを見てくれる。
「それで、今度は何しようって言うんです?」
「この国を壊そうと思うんだ」
お利口さん?
社会人としての妥協?
こっちは異世界に勝手に召喚されてんだ。好き勝手させてもらう。
友人が泣くような結果なら、そんな妥協、くそくらえだ。
「それは、また大それたこと考えましたね……」
「そりゃもう、一世一代の大ぼら吹きよ」
凡人の自分が、命を、人生を掛けたって何もできない。
神様がくれたという大量の神器を、他の人間の積み上げてきた人生を利用して、どうにか世界とかいうおかしな相手に一矢報いることができる。
それだって、うまくいく保障はない。というか、失敗前提だ。
「うまくいったら褒めて」
人間一人が虚勢ひとつで世界を騙せたのなら、それはもうすごいって褒めてほしい。
「じゃあ、俺にも一枚嚙ませてくれます? 領地焼きの黒竜より、国落としの黒竜の方がカッコイイでしょ?」
おちゃらけるように決め顔をするカイニスに、少しだけ、本当に少しだけ呼吸を忘れそうになった。
「やばいね。ちょっと英雄チックなのが最高」
カイニスの気持ちに応えるように笑い、ピーキャットとカイニスにだけ聞こえるように、おおよその作戦を口にする。
全てを聞き終えたカイニスは、しばらく言葉を失っていたが、おずおずと日下部を見つめながら、確認する。
「それ、エリサさんは無事なんですか?」
「キャット次第? まぁ、無事じゃなくても――」
「無事じゃなくても、なんだって?」
勢いよく開けられた扉の向こうには、全く笑ってない満面の笑みのクレアが立っていた。
「落ち着きなさい。アタシが、ご主人に傷ひとつもつけさせないわよ」
「らしいけど……あと、女の子の部屋にノックなしで入ってくるのは、マナー違反」
「僕が言いたいこと、そういう意味じゃないんだわ」
クレアは大股で日下部に近づくと、表面的につけていた笑顔すらも外し、日下部を見降ろした。
「もう無理も、無茶もするなって――」
言葉の途中で、日下部はクレアの胸元を掴むと、自分の顔の目の前まで引き寄せる。
「裏切るな」
昨日のように見定めるような視線ではない。
絶対的な命令。
「――――ぁ、ぁ……」
心臓を掴まれたかのように、早鐘を打つ。
今すぐにでも体を逸らしたいのに、それすら出来ず、クレアは視線を泳がせた後、小さく呻き声を上げて頷いた。
「昨日、なんかあったんすね」
「まぁ、色々ね」
クレアがベッドの縁で不貞腐れながら話を聞く中、カイニスとピーキャットは乾いた笑いを漏らしていた。
「……うん。やりたいことはわかった。でも、まず第一に、できるの?」
ベッドからもぞもぞと顔を上げながら、日下部を見上げる。
随分と雑な作戦ではあるが、不可能とは言い切れないのが、神器の力だ。
「それは明日の実験次第かな? できないならまた別の方法を考える。大量のチートアイテムと試験場があるんだし、ぶっ放し放題でしょ」
足りないのは時間くらいだ。
だが、シンプルな作戦であれば、実行する時には大した手間は必要ない。下準備の段階で既に終わっているからだ。
その上で、本来必要な過程を無視する神器には、相変わらず半ば呆れそうになる。ほとんどを手に入れたからこそ、気が楽だが、これが敵の手にあるなど嫌にも程がある。
「じゃあ、もうひとつ」
クレアは少しだけ躊躇うように視線を逸らすが、日下部に視線を戻すと、じっと見つめた。
「何百人の命を背負う覚悟はある?」
リカルドの処刑の阻止、つまりルーチェを助けるためだけに行われる行為は、結果的に何百人という大量の命を犠牲にする。
その自覚があるかと、かつての自分に問いかけるように、目の前の彼女へ問いかける。
『誰かがやらなきゃいけないでしょ』
『大丈夫ですって。僕が一番適任ですから』
自分が生きるために、そう即答して笑った自分は、いつか全てを諦めてしまっていた。
もし、彼女も同じだというなら、止めなければいけない。
「ごめん。わかんない」
だが、彼女は困ったように視線を逸らして、笑った。
「理解できてないのは、大人じゃないからかもしれないし、こんなの子供の癇癪だってわかってる」
けど、やめる気はない。
「だから、まぁ自分のくだらない命くらい掛けるよ」
心にすとんと落ちてしまったから。
今は、息苦しくないんだ。
「それにほら、何も知らない人間が死ぬなんて、トラップに引っかかったゴキブリを回収するみたいなものでしょ」
虫は殺していいのに、犬や猫といった動物になればいけなくて、人間なんてもっての他。
全部が全部同じに見えるのに、理解できないと罵られる。
きっと、このふたりも変わらない。理解も同意も得られない。
案の定、クレアもカイニスも少しだけ眉を下げていた。
「…………ゴキブリってなんすか?」
だが、おずおずと口を開いたカイニスが口にした言葉は、予想を超えていた。
「えっ!? 黒光りした、カブトムシみたいな……カブトムシいる!? メス!」
「かぶ、とむし……?」
「じゃあ、えっと…………キャット!」
「フリギノーサのことよ」
例えるにも共通の認識が難しければ、例えようがない。
異世界の知識にも精通しているピーキャットに頼れば、おそらくそのものの名前を応えてくれた。
異世界にも奴はいるらしい。
「とにかく、細かいことは明日の実験してから!」
明日の実験のために、今日はもう寝ようと、ベッドに横になるが、すぐに起き上がると、カイニスとクレアに向き直る。
「そういえば、手伝ってくれる?」
今更な質問にカイニスもクレアも驚いて言葉を失っていれば、先程までの妙な自信のある様子はどこに行ったのか、急に心配そうにふたりのことを見ていた。
「これ、今更無理って言ったらどうなるの?」
「キャットの腹の中です」
「うん。手伝う手伝う。ちょーがんばっちゃう」
胡散臭すぎる手伝い宣言に、ピーキャットが足元までゆっくりと飲み込み始め、クレアは慌てて距離を取った。




