56話 アポステル大国、永遠たれ
『仲よくしよう』
それは、自分だけでも助けてくれないかということか、それとも裏切って結界を解けと言っているのか。
前者であれば受け入れることはできるだろう。
しかし、後者は受け入れられない。
「意外……受け入れてくれるんだ」
「私も、気持ちはわかりますし。でも、裏切れっていうならお断りします」
異世界に突然呼び出されて、どうしてここにいるかは全く理解できないが、大変だったことは理解できる。
自分もここで大聖女として祀り上げられるまで、前線で吐くほどひどい惨状を見続けていた。それこそ、リュカがいなければ自殺を考えてしまうほどに。
「その惨状を見ておいて、それでもそっちにつくのな」
「だからこそです! シャルルさんは、どうして裏切るんですか? リカルド殿下に何ができるというんです。彼は今までだって何もしてこなかった」
例え、ここでヒラルト王を殺し、リカルドを新たな王にしても、彼は今まで逃げ続けた。周りを見殺しにして、おかげで生き残った。
そんな彼が、周辺諸国の支援なしに、魔王軍と戦い続けているヒラルト王と同じことができるはずがない。
負けると分かっている方に肩入れなどしない。誰だって、勝ちたい。
「今のままじゃ、大きいツケを払わせることになるだろ」
それは、暗にアポステル大国が負けると言っているようなものだ。騎士団長ともあろう人物が、この戦いの負けを確信している。
その上で、役立たずのリカルド殿下を王に据えた方が、この戦争に勝てる可能性を見出している。
意味が分からなかった。
「貴方たちの考えていることが、全く理解できない……! どうして失敗する方向に進もうとするの?」
「すでに失敗が想像できる状況で押し進めるなら、別の方法を考えた方がマシだからじゃない?」
沈むと分かっている船に乗り込もうとする人間はいない。
海に出て、結果がどうなるかなど、そんなこと誰も知らない。
「そこまで言うなら、魔王軍に勝てる案があるってことですよね」
リカルドにできることなら、ヒラルト王にだってできるはず。
そう思い問いかけたが、ふたりから返事は返ってこない。
「まさか、何も考えてないってことは、ないですよね……? こんなこと、してるのに……?」
理解できないと動揺しているマリアに、日下部は乾いた笑いを漏らす。
日下部に明確にアポステル大国をどうしたいなどという大義はない。
ただ特典目当てに異世界へ転移させられて、その後捨てられたことへの腹いせに殴りに来ただけだ。
「公務員とか向いてそう……」
呟く日下部に、言葉の意味は分からなかったが、おそらくろくなことではないとシャルルが槍の柄で小突きたくなる衝動に駆られる。
「一応、聞きますけど、具体案があれば、今すぐ結界を解きます?」
「っ……」
明らかに動揺した。
「うん。まぁ、解かないよね。そういうタイプだ」
その反応はわかっていたとばかりに、予想通り過ぎた反応に愛想笑いを振りまきながら、
「じゃあ、死ね」
淡々と告げた。
リュカが気が付いた時には既に遅かった。
マリアの影は大きく形を歪め、飛び出してくるとふたりを飲み込んだ。
*****
王城の裏門は、使用人たちで溢れかえっていた。
魔王軍侵入から城門は閉じられ、使用人たちは誰一人外に出られていなかった。
「何で開けないんだ!? 魔王軍がそこまで迫っているんだぞ!?」
「だからこそだ! この門はすでに王都を守る城壁になっている」
王都の周りの城壁には、結界が張られている。しかし、それはあくまで外からの攻撃を防ぐためであり、もし城から魔物が溢れ出したのなら、王都はすぐにでも悲惨な戦場と化すだろう。
故に、城門を閉じる他なかった。
「今なら逃げられるだろ! 魔王軍は聖堂近くからきたんだろ! ここが一番離れてる!」
そうだそうだ! と周りが同調し、叫ぶ。
今この場所には魔物一匹いないし、周りには騎士がいる。魔王軍がやってくるまでの間に、逃げられる人間を逃がしてほしいと思うのが普通だ。
「許可できない。魔王軍が紛れ込んでいる可能性がある」
騎士たちもできることなら、彼らを逃がしたい。
しかし、できない理由があった。
魔王軍の騒ぎが昨晩から続いていることだ。
それより、まだ確認されていない魔王軍の斥候が人間に紛れて、王都へ逃げ出す可能性を排除しきれていなかった。既に、使用人の恰好をした魔族も確認されている。
「だったら、子供だけでも出しとくれ!」
住み込みで働いている身寄りのない子供のほとんどは、魔王軍との戦いに巻き込まれ両親を失っている。
彼らにまた同じを思いをさせるのかと、騎士に詰め寄る使用人に、騎士はついに手を上げた。
「黙れ!! 我々は今、アポステルのために命を掛けている!! 身勝手な理由で国を貶めるなど、国家に対する反逆だ!」
そう言って、剣を抜く騎士に悲鳴が上がる。
国家への反逆罪だと殺められてきた人々を嫌というほど見てきた。城で勤めているなら尚更だ。
容易く行われるが、反抗すれば今度は自分だと、身を固くする使用人たちの中、たった一人が動いた。
「うわぁぁぁぁあああッッ!!!」
小さな体の精いっぱいの体当たりは、鍛えている騎士の体を少し揺らす程度しかできなかった。
「ウィル!?」
しかし、それでも動かないといけなかった。
これで死ぬことになったとしても、憧れたあの人たちに少しは近づけたはずだ。
「国を貶める反逆者が!!」
突き飛ばされ、きらりと光る切っ先。
迫る死に目を閉じた時、腹の奥まで響く音と振動が響く。
「…………」
何の音かわからない使用人たちは、音がした方へ目をやり、騎士たちは青ざめた表情で門を見上げた。
もう一度、同じ音が響く。
門の向こうからだ。
何度も、何度も、門を打ち付けている。
城に入るため、無理矢理門を開こうとする、見えない向こう側の存在に立ちすくむ者、逃げ出す者、武器を構える者。
混乱が広まる中、少年は開いていく門をただ見ていた。
「進めェ!!!」
城内へ踏み込んできた人々の先頭に立つハミルトンに、少年はただ息を飲んだ。
*****
あまりにもあっさりとした幕引きに、シャルルは静かに恐怖していた。
マリアの結界が、空気などの彼女が危険だとみなしていなければ、通過することができるということは、ピーキャットなどという、そもそも想像しがたい存在を知らなければ通過することができるかもしれないという予想。
確実にするために、シャルルを使い、武器というはっきりとした危険物を見せる。
日下部が姿を現すことになってしまったのは想定外だが、彼女の手には彼女の神器と見せかけるための神器。
マリアはどうしても視界に入る神器からの攻撃に集中することになる。
実際、それで大半のことは防げていただろう。
まさか、ピーキャットが自らの意思で、天井や壁を這って、影から影に移っているなど、誰が想像するか。
室内のため、最後の最後にはリュカに気が付かれていたが、それでも間に合わなかった。
その上、もし結界が残っていたとしても、ヒラルト王には既に手はない。
マリアがいない以上、ピーキャットが素通りできることは確実だ。ピーキャットから逃げて、結界の外に出れば、シャルルが待ち構えている。
「…………天使よ。何故だ」
王は、座したまま日下部に問いかけた。
「何故、この国を知らず、この国のために戦う」
何も写していない目に、日下部は小さく息をついた。
「この国を、この世界を知る機会を奪ったのはそっちだ。
だから、これはただの八つ当たり。崇高な目的なんて、なにひとつない」
ただ今までの事に対しての腹いせだ。
それ以上のことは、この国も世界も知らない人間にとって、どうでもいいことだ。
「ヒラルト王!! 門が、門が破られ……!! 革命軍が……!!」
息も絶え絶えに、玉座へ転がり込んできた騎士に、ヒラルト王は静かに目を伏せた。
そして、胸元から小さな小瓶を取り出し、ワイングラスへ注ぐ。
「あぁ、終焉の天使。理想郷より参られた者よ」
静かに、しかし響く声で、ワイングラスを高く掲げる。
「壊せるものなら壊してみせろ。この国の人間の醜悪さを! 私はもう疲れた!」
一息にヒラルト王はワインを煽った。




