54話 天使と英雄
恐怖と畏怖。こちらに向けられる視線はそればかりで、戦闘の意思はもう感じられない。
「……」
残念なことに、サンジェルマンを殴ること以外全く考えていなかった日下部は、静かにこの状況をどうしたものかと頭を悩ませていた。
今、正しく何も知らない騎士たちは、日下部のことを”争い続ける人間を粛清しに来た天使”と思い込んでいる。
可能な限り勘違いしてもらっている方が戦いにならないため助かるが、下手な言葉でメッキが剥がれても困る。
ちらりとクレアに目をやれば、ノープランであったことが通じたらしく、どうにかしろと目で訴えられる。
対抗がいることのラクさを噛みしめていると、なんとなく状況を察したアレックスとモーリスも、何か打開策はないかと模索するが、ここで自分たちが日下部を天使だと持ち上げるのは、少々信憑性が怪しくなりかねない。
「――ったく」
呆れた声と共に、現れた男は一直線に日下部へ向かい、その槍が迫る。
だが、その槍は、間に入ったカイニスの盾と腕を貫き、逸れた。
「カイニス!?」
「天使様だか知らねーが、人間の生活にまで入ってこないでくれませんかね?」
万物を貫く槍を持つシャルルだった。
「呼び出しといて、そいつはネーだろ」
槍を抜こうとするシャルルに、カイニスは剣を捨て、動かせないように槍を掴む腕を掴む。
「全ては平和のためだ。黒竜。お前にはわからないかもしれないが、力無い者に無差別に振るわれる力は、排除しなきゃいけねーんだ」
「それは、そっちの勝手ダローがッ!!!」
強く腕を握れば、クレアが剣を抜き、シャルルに切りかかるが、妙な壁に遮られる。
もうひとつの守りの神器の力だ。
厄介な相手が厄介なタイミングで現れたおかげで、戦う意志がなかった騎士たちまで、士気を取り戻してきていた。
「……まずい」
今までは『天使なら勝てない。粛清に来たなら、諦めるしかない』という、天使の強さと今まで行為に微かに存在していた罪悪感によって諦めさせていたが、今は『天使だとしても、平和を脅かすなら戦わなければ』と英雄に鼓舞されている。
”だとしても”と思っている人間ほど、意思が固い人間はいない。
それこそ、仲間や自分の命、全てを捨ててでも目的達成に向かう。
「シャルル団長に加勢しなければ……」
「そうだ。あいつらだけは守らないと……!!」
最悪だと、流されやすい騎士たちを睨んだ時だ。
「やめろ!!」
凛とした声が響き渡った。
「皆、剣を収めるんだ。シャルル団長も」
現れたのは、車いすに乗ったオルドルだった。
「この戦いは無益です。無駄に血が流れるだけです」
「無駄に? そりゃ間違いですよ。学者様ってのは、人の心ってのがわかってない」
裏切り者の師団長と国を守った英雄。
騎士たちがどちらに賛同するかは火を見るより明らかで、オルドルの味方をするであろう十三師団ですら、日下部たちを味方するわけではない。
「真に我々の平和の願いを聞き入れた天使だというなら、この国で行うべきことは”平和のための行為”です。もはや、武力でしか平和を取り戻せないというなら、きっと我々は既に平和とはいえないのです。しかし、もし彼女たちと戦わずに済むなら、対話で和解できるとするなら、それこそ平和への近道と進言しましょう」
オルドルがシャルルと会話しているというのに、その槍は隙あらばカイニスの腕を切り落としかねない。
アレックスに支えられているサナは、状況を飲み込めていないのか、動揺した様子でオルドルの事を見ており、アレックスも同じようにオルドルを見ていたが、日下部にも目をやる。
現状、日下部たちの味方でまともに動けるのは、日下部ひとりだ。
満身創痍のアレックスとモーリス。腕を刺されたカイニスに、未だにダメージの残るクレア。
いくら神器があるとはいえ、まともに戦えば負ける。
「……対話? へぇ……下賤な人間と天使様が会話してくれるとでも?」
可能性など微塵にも感じない視線。
「攻撃をしてきたのはそちらでしょう」
しかし、乗る以外に方法がなかった。少しでも状況打破の可能性を上げなければ。
「……そういや、そうだったな。なら、アンタの目的を聞かせてもらえますかね?」
意外な程、あっさりと目的を聞いてくるシャルルの目は、正直友好的とは思えない。
形として聞いているだけだ。
元冒険者というだけあって、第一に武力。上辺だけの話し合い。
ごめん。カイニス。
心の中だけで、カイニスに謝る。
「王を殺す」
その言葉に、騎士たちは動揺していた。
当たり前だ。騎士たちは王に忠誠を誓っているのだから。
だから、騎士団長なら、この言葉を看過できるはずがない。完全な敵として、攻撃に移る。
「――それで、この国は平和になるわけ?」
だが、予想外の言葉に、思考が追い付かなかった。
どうして? なぜ? 攻撃をしてこない?
この戦争を終わらせたいのが、魔王だけではない?
王を殺してでも、終戦を望む騎士がいる?
そんなことは――――
ありえないと思ったが、オルドルの姿が目に入る。
「この争いは終わる。いいや、終わらせろ」
0ではない可能性に賭けるしかない。
どうせ、この賭けに勝てなければ、死ぬ。
「国王の首ひとつで、この場にいる全員の命の保証をしろ」
「シャルル団長……!?」
長い年月、戦争を続けていれば、命じる王はともかく、国民や戦う騎士はひどく疲弊する。
その長である騎士団長であるシャルルが、自らの保身のため戦いを続ける国王ではなく、命を掛ける仲間の命を優先する可能性は存在する。元より忠義に厚い貴族ではなく、平民の冒険者であるなら尚更、国王に漠然とした忠義などない。
こんな好機を逃すわけがない。頷けば、シャルルは槍を引き抜き、下した。
「カイニス……!」
明らかに大丈夫ではないが、カイニスは上がらない腕を庇うように、シャルルを睨む。
「学者先生もそれでいいですかね?」
「……えぇ。それが最も、血の流れない結末だというならば」
「そんじゃ、天使様。玉座へ案内しますよ」
これは交渉だ。
仲間たちの安全と互いに保障し、代わりに差し出すのは国王の命。
この場にいた全員が、当人たちの思いをわかっているが故に、否定することができなかった。
「……!」
だが、カイニスだけが、歩き出そうとする日下部の腕を掴んだ。
ぬるりとする腕に日下部は、できるだけ痛みを与えないように触れると、カイニスにだけ聞こえる声で囁く。
「…………かっこ悪いなぁ。本当は、誰にも言わないつもりだったのに」
「……危なくなったら、すぐに逃げろ」
ゆっくりと瞬きをした日下部は、シャルルの後ろについていく。
今までのことがシャルルの演技で、すぐに殺される可能性だってある。それが最も高い可能性だ。
攻撃と守りの神器を持つ英雄。勝てる算段はないと、出たとこ勝負だと諦めた時だ。
「嬢ちゃん、どうにか無事だったか」
「よかったです!」
クルップとルーチェの姿に、気が抜けるような息だけが漏れだした。
*****
残ったオルドルは、騎士たちに指示を出していた。
「ガスト君。使用人たちが城の外へ出ようとして、東門がひどく混乱しているようなんだ。行ってもらってもいいかい? もはや、門を開いてしまって構わない」
「魔王軍は……いや、魔王軍ではなかったのか」
「あぁ。そうだ」
「承知しました」
ガストは数人の部下を連れて、部屋を出ていく。
残った騎士たちはお互いを警戒しながらも、もう一度剣を抜くようなことはしなかった。
「オルドルさん。これはいったい……」
何が起きているのかと、サナが困惑した表情で問いかければ、オルドルは眉を下げた。
「すまない。君に負担を強いていたことは理解していたのだが……」
「そうじゃなくて……!」
「あぁ。ちゃんと話すよ。君たちも。もし、彼女を追うとするなら、さすがに止めさせてもらう」
モーリスとクレアにも視線をやれば、お互いに視線を合わせ、少しだけ眉を潜めオルドルへ目を向ける。
「協力、ってわけじゃないんでしょ」
すでに協力できないと話がついていることは聞いている。
だが、今の状況は結果的に日下部達の目的と一致しており、オルドルはヒラルト王暗殺には反対していたはずだ。シャルルという脅威はあるが、サナやガストが抑えることは不可能ではないだろう。今だって、油断した背中を刺すことだってできる。
しかし、その様子はない。
考えられるとすれば、オルドルとシャルルは繋がっており、現在の目的はヒラルト王暗殺。
「君たちが思った以上に、なんというか……無茶苦茶でしたもので」
穏やかな終戦。それがオルドルたちの目標だった。
だからこそ、日下部たちがただ失敗するだけなら、問題はない。かつての仲間を見殺しにすることへの罪悪感を除けば、今後の作戦に影響はほとんどなかった。
だが、アポステル大国の大きな武力である神器のほぼ全てを盗み、武器も盗み出す。これでは、魔王軍との戦いを継続するには、今まで以上に国民へ負担を強いなければいけない。
あげくに、魔王軍の侵攻という真実のような嘘。
「言葉を選ばずいうなら、後先考えていない輩に奪われるよりは、幾分か良い結末にできます」
ヒラルト王暗殺に成功した後のことを考えていない日下部たちが、もし本当に成功してしまったのなら、その手柄を誰に渡す。
魔王だろう。
つまり、アポステル大国の敗北となる。
「骨や灰となっても、王である限り、その価値は多大な物です。使い方ひとつで、国ひとつ変わりかねない」
「つまり、エリちゃんのことを利用しようってわけです?」
口調こそ軽いが、その手は柄を掴んでいた。
車いすで片腕のオルドルに切りかかられたなら、オルドルに防ぐ手立てはない。サナがすぐさま剣を抜き、間に入れば、オルドルにやんわりと止められる。
「あくまで、選ぶのは彼女だ」
彼女は、価値ある人間の死の価値を理解している。
だから、きっと彼女は、自分にとって意味のない長物を手に入れたのなら、誰かに譲渡するだろう。彼女に必要なのは、至る経緯だけなのだから。
「それって、もしあの人が国王を殺したら、あの人にこの国の命運がかかるってことですか?」
「そうだね。でも……おそらく大丈夫だ」
オルドルは、腕の応急処置をしていたカイニスに目をやり、微笑む。
「彼女は優しいようだからね」
話したのは昨晩だけだというのに、妙に確信めいた言葉に、カイニスは視線を逸らした。
その頃、日下部は手で顔を覆っていた。
「あ゛ーーーーーー……」
クルップたちに手短に説明された内容を要約すれば、目の前の騎士団長はオルドル、つまりリカルド殿下の仲間で、内通者かつ”革命”の旗持ち役だった。
「完っ全に、さっき殺す気だったよな? 冗談で済む勢いじゃなかったんだが!?」
「殺す気だったし。死んだら死んだで、また別の方法考えるさ」
「んなテキトーな……」
「そういうのは、学者先生が得意だしね。てか、あの状況で俺が全面的に味方する方がおかしいでしょ」
「……」
それは確かにそう。
実際、基本的に敵対を貫いて、その上で、一度はドラゴンから民を守り、騎士に興味が無かったにも関わらず、魔王軍から民を守るために騎士団へ入ったというシャルルの経歴が説得力を持たせた。でなければ、民のために国王を殺すなんて言葉に納得なんてできない。
「それじゃあ、アンタたち、味方になるってわけ?」
「え、なにそれ、喋るの……? 動物の神器は見たことがあるけど、喋るのは初めてだな……」
ピーキャットに興味を示しているが、帰ってきた言葉はNOだった。
「お前らに負けるってことは、魔王に直接負けるってことだ。それじゃあ、平和は守られない。
あくまで、王の圧政を成敗したリカルド殿下が、改めて魔王と交渉するってことが必要なんだと」
だから、自分たちよりも早くヒラルト王の首を落とす必要があった。
偽物の魔王軍侵攻だと気づいていたのなら、王の首を落とした後にでも、この騒ぎがゆっくり革命軍が起こしたものであると公表すればいいと。とにかく、彼らには王の首が必要であった。
彼らにとっても、この混乱は首取りレースのライバルを邪魔でき、その上で騎士団長であるシャルルが護衛として隠れるであろう国王を狙える絶好の機会であった。
「できることなら、王の首をとっとと落としたかったのに、できない事情ができたと」
「正解」
その理由はわかった気がする。
アレックスとモーリスがあの場におり、国王に不審に思われず近づけるはずのシャルルですら、暗殺することができなず、異世界人の協力を仰ぐ大きすぎる理由。
「大聖女が守りを固めてる」
予想通りの言葉に、思わずため息が漏れる。




