49話 開戦の狼煙
金属の軋む音に意識を浮上させれば、直後体に掛けられる水。
「僕ってば、寝起きはいい方なんだけどねぇ」
顔を上げれば、立っていたのは騎士のコンシート。
今日の尋問相手は、こいつかと思っていたが、その表情は魔王軍の話を聞きに来たわけでも、食事を運びに来たわけでもなさそうだ。
その証拠に、クレアが軽口を叩く前に、コンシートは握りしめていた棍棒でクレアを打ち付けた。
「どうしてあんな嘘を吐いた。貴様らドブネズミは、どうして彼女を苦しめる!!」
何度も何度も打ち付けては叫ぶ。
答えなど聞いていない。
「はぁ……はぁ……」
肩で息をしながら、ようやくその手を止める。
「相変わらずだねぇ……サナちゃん大好きっぷりは」
「!!」
また一つ棍棒が振り降ろされる。
「彼女が人族の至宝の存在と何故理解できない……!! 貴様らの存在が彼女の輝きを燻ぶらせる!! 私こそが彼女のことを真に輝かせることができる。あんな口先だけの男だけではなく!! 私が!! 私こそがっ! 彼女に相応しい!!」
一目見た時からサナの存在に目を奪われた。
魔術師としても大成できる魔力量に魔眼。剣士として戦うこともできる技量。なにより、その美しい笑顔は、まさしく、邪悪な魔族たちを打ち滅ぼすために天から使わされた神の使者と言えた。異世界から呼び出される偽りの天使などとは違い、彼女こそが本物の天使だ。
だが、彼女の周りには光に群がる虫のような下賤な輩ばかり。
故に、彼女は笑わなくなった。皆を幸福にする彼女の笑みが、彼らによって奪われた。
「男の嫉妬ほど見苦しいものはねェよ」
吐き出される言葉に、コンシートは頬を引きつらせると、ゆっくりと息を吐き出し、腰に携える剣へ手をやる。
「やはり害虫は駆除しなければ。彼女の輝きを燻ぶらせる霧は、我が剣で晴らしてくれる」
彼が誰かに命じられている様子はない。もはや、私怨のみでクレアを殺そうとしていた。
さすがに潮時かと、牢屋の向こうへ目をやると、コンシートの部下であるらしい騎士が驚いたように通路の向こうに目をやる。
「コンシート殿!!」
「! どうした。何があった」
慌てた様子で牢の扉から顔を出す部下に、コンシートも構えていた剣を一度降ろし、部下に向き直る。
「入口の方で何やら騒ぎが。おそらく侵入者かと」
「……こいつを助けに来たか。見張りの加勢に行ってやれ」
「はっ!」
コンシート自身も、クレアを片付けてからすぐに向かおうと、再度振り返る。
クレアの話では、城へ潜入しているのは、魔王軍であるらしいが、真に魔王軍であるならクレアを助けに来るはずがない。助けに来るとすれば、追放された十三師団の仲間。オルドルたちである可能性が高い。
助けに来たというクレアの仲間を捕らえられれば、サナも目を覚ますかもしれない。ちょうどいい機会だと、コンシートも想像を膨らませると、昨晩からの昂った気持ちが少しは落ち着いてくる。
「クーちゃん、あーそびーましょーっ!!」
だが、そんなコンシートの浮ついた想像をかき消すように、場違いな程、元気な声が地下牢へ響き渡る。
あまりにも場違い過ぎて、ただでさえ変わりやすいコンシートの感情が機能不全を起こしてしまうほどに。
故に、それに気が付いたのは、既に手遅れになってからだった。
「ぐっ……!!」
地面に転がされ、剣は相手に奪い取られている。
「悪いね。可愛がってくれた分のお返しはしたいところだけど、生憎これから彼女とデートなんだわ」
腹が立つほど胡散臭い笑みの男は、冷酷にコンシートの首へ剣を突き刺した。
「痛ェ……」
牢を出てすぐ、殴られたダメージに地面へ座り込む。
「クソ、ボコボコ殴りやがって……」
遠くから聞こえる声に安心しながら、少しだけ目を閉じた。
「こんッのアホエリサッ!!!」
最後の一人を倒し終えると、開口一番にカイニスが怒鳴る。
「わーっカイニスが怒った!」
「ッたりめェだッ!! 反省してネーのが尚更、質が悪い!!」
「あ、これわりとマジおこだ。怖……」
謝りながら少し離れ、ピーキャットに助けを求めるが、敵地で叫ぶという敵を集める行為をした日下部の方が悪いと、味方はしてくれなかった。
黒竜と恐れられるだけある迫力に、日下部が口を噤んでいると、カイニスは何かに気が付いたように、暗い通路の向こうを睨む。
「ふたりとも、騒ぎすぎ。通路の向こうまで響いてたよ……」
いつもと変わらないへらりとした笑みで現れたクレアに、ふたり共驚いたように目を丸くした。
「クーちゃん! って、ずぶ濡れ、怪我ヤバ、拷問? 頭とか情報ごとパッカンしてそう。なんで外にいるの? あとカイニス怒った。超怖いヘルプミー」
「いつになくハイテンションね……あと、今のはエリちゃんが悪い」
無事、味方がいないことを伝えると、不貞腐れたように片方の頬を膨らませる日下部は置いといて、周りに目をやる。
先程の日下部の声におびき寄せられた騎士たちが倒れている。目を引くのは、鉄でできているはずの牢屋が拉げていることだ。
「これはカイニス?」
「いや、その辺はエリサさんっす」
カイニスの答えに、自然と視線は日下部の持つ棍棒のようなものにいく。日下部の身長程の細めの棒だ。上下には金で装飾されており、白い本体部分はうっすらと光の加減によって何かが彫られているのが伺える。
シンプルではあるが、その美しさは貴族たちが好みそうであり、十中八九”神器”であることが想像できる。
そして、神器であるなら、ここで行われたことは想像がつく。実験だ。
日下部のハイテンションの理由は、よく理解できた。
「怪我は大丈夫っすか? 応急処置だけでも」
「アラウネ?」
「それは強壮剤。キャット、傷薬くれます?」
「はいはい」
出発する前に医者からもらっていた傷薬をクレアに使う。その間も、日下部は棍棒の実験をしていた。
「よく抜け出せましたね」
「あー……実は縄抜け得意なのよ。んで、間抜けな看守を、ね」
「縄抜け? 関節外すとか必要?」
どうやら、棍棒は重力を操れるらしく、日下部は棍棒に乗りながら、宙に浮いていた。
「そこまでしなくても、いくつか方法はあるよ」
「教えて!」
「今度ね」
必要になることがあるのかは、大分疑問だが。
「動けますか?」
「ん。大丈夫。話は移動しながらしよっか」
応急処置を終えると、クレアは立ち上がり、適当に良さそうな剣を手に取る。
地下迷宮の入口まで移動しながら、今の状況について説明すれば、クレアの予想と大きく外れていなかった。
元々協力者を得られなかった時のための嘘だ。モーリスが無事生きて嘘の情報を手に入れれば、思いつくであろう作戦だ。
「そんで、どうやって魔王軍が攻めてきたと思わせるの?」
まずは、地下迷宮の扉の前で見張りをする騎士を倒す。
この世界に来て初めて見たはずの通路だが、正直状況が状況であったため、ほとんど覚えていない。深く、地下に向かって掘られた螺旋状の階段で、通気口はない。出入口は、地下迷宮の入口と通ってきた通路の扉だけ。
「エリサさんの魔法で、この辺を爆発させる予定っす」
城門を破壊するように、派手な音を立てて、地下迷宮の入り口付近を破壊する。
その火力を持つのは、現状火のエレメントを持つ日下部だけだが、神器のランタンのような火力は出ない。最も強い魔法でも、ブギーマンを倒せなかった。惜しみなくエレメントを使い、精霊たちの力を借りて、どうにか”らしい”演出ができる程度だ。
「……んー?」
派手な演出ができそうな場所を探し、準備を進めていた日下部だが、ふと小さな炎を灯したエレメントをいくつか地下迷宮入り口の扉の前に置き、階段にも置き、じっとの様子を見つめる。
「ただエリサさんの魔力量が問題で」
ブギーマンの時も、呪われる前から全身に痛みを感じて気を失いかけていた。
元々魔法なんてない世界の人間が、それほど豊富な魔力を持っているとは思えない。もしかしたら、作戦分の魔力も足りないかもしれないし、足りたとしてもまた気絶してしまうかもしれない。
「……」
それでも、現状、魔法を使えるのは日下部だけだ。神器にちょうどいいのがあれば良かったが、生憎ピーキャットの記憶にはなかった。
「カイニスカイニス! バックドラフトできるかも!」
ふたりの暗い表情などそっちのけで、日下部の目は輝いていた。
「ばっく……はい?」
「バックドラフト! めっちゃすごい爆発!」
「は、はぁ……魔法っすか?」
「魔法ではないけど、えっと、火事で起きるやばい現象?」
密閉された燃えた部屋で、酸素不足で鎮火しかけた炎が一気に空気が入ることで、爆発的な炎を撒き上げる現象。
火災現場では、とても危険な現象として知られている。
もちろん、この世界で知られているはずもなく、確実にバックドラフトを起こすことができる保証はないが、もしできたなら魔力やエレメントの消費を抑えられるかもしれない。
「煙、少し収まってきましたね」
運よく、ピーキャットが倉庫で棚ごと武器を奪っていたため、燃やすものには困らなかった。
三人は通路から出ると、物陰から地下迷宮へ繋がる扉から溢れ出す煙を見ていた。勢いは少しずつ収まってきている。中の炎の勢いが収まってきたということ。
「もう少ししたら、キャットが扉に穴を開ける。そんで、風の精霊に中へ一気に空気を流し込んでもらう」
うまくいかなかったら、当初の予定通り、日下部のできる限りの魔法で爆発させる。
本格的に収まってきた煙に、ピーキャットへ合図すれば、同時に風の精霊へも合図をする。
カイニスもクレアも半信半疑で、その様子を眺めていれば、直後、背中に悪寒を感じる程の空気の流れを感じた。
反射的に日下部を庇いながら、頭を低くすると、空気の吹き抜けると音共に、大きな火柱が扉を吹き飛ばした。
「――――」
発案者である日下部ですら言葉を失っていた。




