47話 矛の収め方
リカルドは、目の前に突然現れた息子に言葉を失っていた。
確実に地下迷宮へ送ったはずだ。しかし、目の前にいる彼は、見まごう事無く、自分の息子のルーチェだ。
「父様……! やっと、やっと会えた……!」
ようやく会うことのできた父へ、涙ぐみながら近づくルーチェの襟を掴んだのはクルップだった。
彼がルーチェの父であり、魔王軍と何かしらの取引をしていることは明らかだが、だからといって全面的に味方である理由にはならない。リカルドの真意がわかるまでは、警戒しておく必要はある。
「ルーチェに、クルップまで、どうしてここに……」
「父様に会うためです!」
「私に……いや、違う。どうやってここまで来た? 確かに地下迷宮へ送ったはずだ」
「魔王様が城内に送ってくれました!」
少しは隠すという行為をしないのかと、ルーチェを不安に思いながらも、クルップは周囲に警戒する。
室内に騎士の気配は無く、外から聞こえてくる声も幾分か静まり始めている。仲間たちの状況はわからないが、多少状況は落ち着いてきたように感じられる。
「どうして彼が……? お前を助けに来てくれたのだぞ?」
「でも、エリサさんのことは殺そうとしました」
「エリサ? 十三師団の人間か? それとも、異世界人か? どちらにしろ、ここにいれば、お前は殺される。十分理解しているだろう」
アポステル大国の国境付近では、他国と同じように亜人にも分け隔てなく接してくれたのに、王都に近づけば近づくほど、人々の目は冷たくなり、王都では有無も言うことができず殴られた。亜人であれば、何をしても許されるとばかりに。
もし、城の門前まで辿り着けなければ、リカルドの耳に入っていなければ、実際に家畜を殺すように処刑されていただろう。
「仲間です。エリサさんはぼくの仲間で、命の恩人です。その人が殺されそうになってるのに、自分の命のために残るなんてできません!」
例え、自分が殺されることになったとしても、ただ安全な場所で待っているよりずっといい。
「それに、ぼくは父様に会いに来たんです。母様ってば、自慢ばっかりするんです。あの母様がそんなに褒める父様に興味が出ないわけがありません!」
なぜか、自慢げに胸を張るルーチェに、リカルドは少しだけ困惑するように口元を歪めるが、険しい表情は変わらない。
どうやってふたりを逃がすか。地下迷宮から抜け出し、王城へ侵入したふたりをもう一度地下迷宮に幽閉することは公には難しい。今度こそ、処刑すべきだと意見が過半数を占めるだろう。無理を通すことはできるが、それでは今まで必死に積み上げてきたリカルドの信用が落ちる。
「リカルド殿下よ。お前さん、魔王軍と手を組んどるのか?」
魔王の言葉に、先程のリカルドの言葉を合わせれば、既に魔王ともアポステル大国について何かしらの話がついていることは察しが付く。
「魔王の奴は、時が来るのを待っとる様子だった。聖女が死ぬのを待っているのか、それとも……」
手を組んでいるリカルドの起こす何かを待っているのか。
「……王は、戦争を終わらせるタイミングを失ったのだ」
クルップの言葉に、リカルドはベッドに腰掛けながら、重い息を吐いた。
元々アポステル大国は、種族について差別思考が強かった。他国たちが、徐々に種族の垣根を徐々に超えていく中、特に貴族たちを中心に差別思考は強まっていった。結果、権利を求める亜人たちを鎮圧する小競り合いから、いつからか亜人たちの小さなコミュニティが各国の支援により大きくなり、戦争に発展した。
最初は、ヒラルト王も損益が甚大になる前に、戦争を終わらせようとした。しかし、上流貴族たちが許さなかった。
「和平を結ぼうとした兄弟たちは暗殺された。王にも、毒が盛られた。奇跡的に助かったが、それからだ。王が誰も信用しなくなったのは」
人族以外は、家畜と同じ。処刑せよ。これは、人が神に愛された唯一の種族であることを示す聖戦である。
国を閉鎖し、神の威光を見せつけることで、人を魅了し続けた。
「どうして……ちゃんと話して、謝ればいいのに」
「大人の喧嘩というものはそうはいかないんだ。特に国を背負っているとね」
国王である限り、国を亡ぼすわけにはいかなかった。
「本当は、ルーチェ。お前を使おうとしていたんだ」
「ぼくを?」
兄弟が誰もいなくなった後、リカルドは水面下で魔王軍と交渉に向かった。そこで、ルーチェの母と出会うことになる。
政略結婚とも言える魔王軍幹部とアポステル大国の次期国王の婚姻。そして、その間に生まれた子供によって、戦争を終結できないかと。
しかし、結果は散々なものだった。
「すでに、アポステルは勝つ以外に剣を収める術を無くなっていたんだ」
国力は既に低下しているにも関わらず、他国との関係は冷え切り、終戦後の支援は期待できない。
ならば、戦争に勝ち、敗北した敵からせめてもの資源を奪い取ることでしか、長引いた戦争で国力の低下した国を守る術はない。国王といえど、すでに戦争を止める術を失っていた。
「わかっただろ。この国は既に泥沼にはまっている。だから、お前は、こんなところにいちゃいけない」
残った王族が自分だけのため、手遅れで愚かな行為をしたリカルドを、ヒラルト王は処刑しなかった。
そして、ルーチェの存在も、一部の使用人と騎士しか伝えられなかった。
「で、でも、魔王様は戦争を終わらせるって……! エリサさんだって言ってました……!」
「……」
解決策があるはずだと、リカルドは真っ直ぐ見上げるルーチェの視線から逃れるように、視線を外した。
「国がひっくり返るようなことがあれば、あるいは」
含みのある言葉に、クルップは眉をしかめる。
「なにか、考えがありそうだな」
クルップの言葉に、リカルドは自嘲気味に笑って答えた。
「民と英雄だ」
歴史が既に答えを出している。
*****
「ふふんっ今日も私の勝ちですつ」
「テメッ……! 魔法なしってつっただろ!!」
血気盛んなサナとクレアは、毎日のように模擬刀で試合をしていた。幼いながらも、その技術は、騎士団たちも一目置かれていて、年齢さえ問題なければ入団試験を受けさせたいと勧誘されるくらいだ。
「言ってませーん」
特に、魔眼を持ち、魔法の素質も剣の才能も持っているサナは、騎士団としては喉から手が出るほど欲しい戦力だった。
しかし、ズルをしてでも試合に勝ちたがる様子はまだ幼く、子供だった。
「言ってましたよ」
「言ってたよ……」
試合を見ていたオルドルとアレックスが、嘘をついているサナを訂正すれば、バツの悪そうな表情になった。
「う゛……先生とアレクを味方にするのはズルいですよ。なにで買収したんですか。クレープですか」
「買収してねーし、クレープで買収できるのは、サナちゃんくらいだっての……」
才能溢れる生徒たちに、気の合う友人。そして、信念に基づき、王立騎士団十三師団として人々を救うために動いた。
犠牲は出た。故に、もはやこの歩みは自分の意思だけで止めてはいけない。
彼らと同じように歩みが止められるまで、歩き続けなければいけない。
例え、大切な生徒と敵対しようと。
例え、大切な人たちから恨まれることになっても。
皮肉な程、柔らかで静かな朝日が、鉄格子から部屋に差し込む。
「てっきり、昨晩の内に私を殺すかと思いましたよ」
残念そうで、まるで殺されて楽になりたかったような声色。
自分でも、どうしてこんな言葉を彼女に放ったのかはわからなかった。自分への懺悔だとでもいうのか。こんなことで許されるはずもないというのに。
「……貴方でも、そんなこと考えるんだ」
少し意外そうな表情で、彼女は非常食を食べながら、関した様子で声を漏らした。
腕や足を落とされでも生き汚く、生き続けた人の言葉ではなかったのだろう。
「意外ですか?」
「貴方みたいなちゃんとした上の人は、自分の価値をわかってるでしょ。殺されちゃいけないタイミングで、殺されないでしょ」
驚いた。本当に。
彼女には、私が歩んでいるのではなく、歩まなければならないということがわかっているようだった。
そして、彼女たちにとってではなく、私にとって殺されてはいけない時であると、直感的に理解している。
「……本当に君は」
彼女の祖父は、彼女のことをよくわかっていたのだろう。
誰しも、真意を突かれれば恐怖し、警戒する。だが、それは同時に信頼するきっかけでもある。
『関わるなら取り繕うな』
それは、彼女を信頼する相手を作る方法であり、同時に彼女が信頼する相手を作る方法でもあったのだろう。
「……もう少し交渉術というものを学ぶと良い。商人に弟子入りしたら、きっと有名になれるでしょう」
まだ甘い彼女に、心よりの助言を授ければ、彼女は驚いたように目を瞬かせると、ニヒルに笑った。
「有名になった暁には、今度こそ詐欺師として壷を買わせて見せましょう」
「えぇ。楽しみにしています」
きっと来ない未来に思いを馳せて、頷いた。
「先生」
部屋を出る前。アレックスが声をかけてきた。
「ありがとうございました。それから、申し訳ありません。僕は……」
「謝る必要はありません。私は嬉しいですよ。貴方は、貴方の大切なものを守りなさい」
「……はい」
変わらない優しい表情で、彼は申し訳なさそうに部屋をでた。
あの頃に戻れたなら、そう一瞬考えたが、やはり変わらないであろう答えに、静かに笑いがこぼれた。




