39話 聖女暗殺計画
2階層に存在する洛陽の旅団第六拠点では、団員たちも異世界人たちも、皆、浮足立って大浴場と宴会の準備をしていた。
理由は簡単。ピーキャットの奪ってきたという大量の酒と食料。特に食料。これは調理済みの物も多く、腐らせるくらいならと全員に振舞うことになった。
地下迷宮に幽閉されてからというもの、携帯食料や魔物や迷い込んでくる鳥を食べることしかできなかった彼らにとってその食事は、とても豪勢な料理に見えたのだろう。それはもう飛び上がりそうな勢いで喜んだ。
旅団に比べて食糧事情が良かった日下部も、その料理をこっそりつまみ食いをする程度には、強い誘惑を持っていた。
しかし、喜ぶ団員たちの喧騒の中、ある一角のテントでは、長いため息が漏れる。
「テメェはなんで面倒事しか持ってこねェんだ」
「面倒事が両手を振ってやってくるから」
今にも剣を抜いて襲い掛かってきそうな殺気を放つハミルトンに、両手でピースサインを作っては笑顔で煽る日下部に慌てたのは、クレアとモーリスのふたり。
「わー! わー! わー! エリちゃん、マジでちょっと空気読んで!!」
「ハミルトンさん! 落ち着いて! 抜いたら負けだから!!」
「わりと空気は読んだ結果なんだけどなー」
「指二本じゃ死なねェよ」
「うわ、ガチじゃん」
なおも仕草だけで煽る日下部を話が進まないと、カイニスとクルップがため息混じりに止めた。
「ひとまず、話を持ち帰ってきたことは称賛する」
ほとんど何も状況がわからない中、生きて情報を持ち帰って来ただけでも称賛に値する。他の問題事が多すぎようとも、褒めるところは褒める。部下たちの人気があるのも頷ける。
「聖女を殺す、か」
「あ、そうそう。聖女って誰? 有名なの?」
魔王との交渉で最重要な存在である”聖女”の存在。日下部は、その存在も能力もわからないまま会話を続けていた。
「”聖女”ってのは、魔物を退ける結界を張ったり、傷を癒したりする修道士の中でも、特に力の強い人のことっす。魔王が言ってたのは、おそらく王都や王宮の守護をしている聖女のことでしょうけど」
普通の聖女では、魔王を退けるほどの結界を張ることはできない。だが、魔王は王宮に直接乗り込むことができないような口ぶりだった。
「異世界人だ」
半ば予想できた答え。
数年前に現れた、後に聖女と呼ばれる女は、当時王立騎士団第十三師団であった彼らが作った拠点に魔物除けの結界を張り、病気や怪我をした人間を癒していた。だが、そんな強力な力を持つ異世界人を騎士団が放っておくわけもなく、彼女がこの地下迷宮にいた時間は短いという。
「さらっと言っちゃったけど、その聖女が死んだら結界はちゃんと解ける?」
「普通の聖女が張った結界なら、術者が死亡した時点で解ける。だからこそ、護衛も厳重にされている」
「あ゛、はい」
普通の聖女なら。
そもそも能力の性質からして違うのだから、半永久的に解けない可能性もある。
「第一拠点は魔物に襲われたことがねェな」
「魔王騙くらかしてトンズラこくか」
「ダメですよ!?」
即諦める日下部に、ルーチェが慌てた表情で左腕にしがみついてくる。割と強めに腕を掴まれるが、顔を逸らしていれば、モーリスが何とも言えない表情でルーチェのことを見ていた。
気持ちはわかる。
実際、ルーチェ自身のことも先程根掘り葉掘り聞きだしたが、ルーチェの母は魔王軍幹部であり、何百年前から冒険者ギルドで指名手配されている高潔ヴァンパイア。その上、リカルド殿下とも平和的交渉を行っている最中に、愛が芽生えた。
つまり、魔王軍はもちろん、アポステル大国にとっても、相当重要な存在。
「聞いてますか!? エリサさん!!」
「聞いてません。聞きたくありません」
「聞いてください!?」
ルーチェは重要な存在であることに違いはないが、それはあくまで一度停戦を行った後の事。
実際に火花が散っている状態では、自国の汚点とも言える存在など抹消される。
「聖女を暗殺するにしても、周りは護衛だらけでしょうし、僕らはもちろん、カイニスも難しいでしょうね。可能性があるのは、侍女のフリしてエリちゃんが近づく位?」
「それも難しくないか? 聖女の周りは、身分のはっきりした奴しかいないし、こいつの顔立ちはともかく雰囲気が若くねェ」
「なんか微妙に喧嘩売られた? そんなにやんごとなき身分のうら若くとんでもない場所に迷い込みそうな見た目のポンコツ新人侍女をお求めなら、ここに最適解がいるぞ」
「嬢ちゃん、冗談は程々にな……」
「わりと冗談ではないんだけど」
ルーチェの肩を組み、モーリスに勧めてみせれば、クルップに冗談はやめるように諭された。暗殺という意味では、わりと本気で可能性のある方法だと思ったが、冗談と思われてしまったらしい。
大前提として、術者である聖女が死んだところで結界が解かれない可能性があるのだから、暗殺を第一に考えるのが間違っているのだが、それでも考えておくべきではあるだろう。
「ヒラルト王を暗殺する方法を考えた方が建設的だな」
ふと、ハミルトンが溢した言葉に、騒がしかった声が一瞬にして収まった。
ヒラルト王。つまり、アポステル大国の現国王。
「お前らって元々その王に仕えてた騎士じゃないの?」
「この地下迷宮に幽閉された上に、仲間も処刑した奴に、未だに仕える価値があるとでも?」
「ないと思うけど、義理堅いと思ってたし、普通にその案が選択肢に入ってくるタイプだとは…………なんていうか、なんだかんだで転職しないでいてくれるタイプ? だと思ってた」
「テメェとは価値観が違うんだ。妙な例え方をするんじゃねェ」
「あ、うん。ごめんなさい」
動揺しているのは日下部だけではない。聖女暗殺に関しては気にも留めていなかったが、国王の暗殺ともなれば、さすがに全員が動揺している。
「どっちにしろ、聖女暗殺に関わった時点で謀反には違いねェ。それなら可能性の低い聖女暗殺より、魔王軍ひいてはリカルド派と手を組んでヒラルト王を暗殺した方が、後々のためになる」
ハミルトンの言葉は間違ってはいない。うまく王城に張られた結界を解除し魔王軍が王城へ直接乗り込めたとして、それを手引きした洛陽の旅団は謀反を起こした張本人。間違いなく処刑されるだろう。生き残る方法があるなら、この場で魔王軍と手を組み、この戦争の勝者となること。
「だが、絶望的な作戦であることは違いない。王を殺すとなりゃ、さすがのテメェも怖気づいたか?」
ハミルトンだけではない、先程まで動揺していた様子のクレアとモーリスも、覚悟を決めたような目をしている。
この地下迷宮の拠点も、迷宮攻略が終わってしまったこともあり、限界は近い。騎士団も、日下部の神器を追って地下迷宮に来る。今度は、異世界人がいることがわかっているため、徹底的に捜索される。逃げたところで、地下迷宮の先には暇を持て余した魔王が待ち構えている。
問題を見送ることも、先に進むことも、どちらを選んだところで戦いは起きる。
重要な選択であることは理解している。でも、答えは簡単だった。
「言い出しっぺよ? それに、聖女だろうが王様だろうが大差ないから」
事が多すぎてわからないところとか。
難しいことはない。自分は何も持っていない。だから、楽しい方に賭けるしかない。
「クルップ爺さんはどうする? アンタは、魔王軍にも騎士団にも交渉次第で見逃してもらえるだろ」
モーリスの言う通り、罪人たちのような先に進む以外生存が絶望的人間に比べて、クルップは違う。逃亡するなら他国から支援も受けられる。魔王と連絡が取れた今、容易に生きる術がある。
「まぁ、魔王とも知らん仲じゃないが……乗りかかった船だ。最後まで付き合うさ」
だが、クルップから返ってきたのは、義理堅いドワーフらしい言葉だった。
この場にいる全員の参加が決まった後、具体的な作戦を考えなければいけないが、何も思いつかなかった。正確にいえば、王城の様子も騎士団のことも知らないことばかりで、目的の聖女および国王の暗殺だけははっきりしているが、道筋の概算すら立たない。
「人数も物資も少ないから、見つからないことが第一で、潜入、暗殺って感じだよね。絶望的じゃない? 顔割れてるのもいるのに?」
考えれば考える程絶望的だ。
「オルドルを探せ」
「オルドル? えーっと……」
「生きてりゃ、十三師団の団長をしてるはずだ」
十三師団。つまり、洛陽の旅団の古巣であり、旅団の支援者。
「カイザーン家とも連絡が取れればいいが、王城内部に転送させるなら、まずはオルドルとリカルド殿下とコンタクトを取れ」
旅団の支援者と魔王軍の協力者。確かに、現状助けを求める相手としては、これ以上の人間はいないだろう。
しかし、気になる単語がひとつ。
「『生きてれば』ってなに?」
「半数が処罰された師団の参謀だぞ。処罰されてねェわけがねェ」
「生きてる方が不思議なレベルじゃない?」
見せしめに殺されてる可能性の方が高い。
「だが、生きてりゃ何かしら企んでやがる。下手すりゃ、リカルド殿下と繋がってる可能性もある」
「やっぱり殺されてない? そんな奴、生かして置く理由がない!」
「まぁ……オルドルって人は、俺でも知ってるくらい有名な人ですから。ほら、前に言った研究都市の」
「あぁ……」
アポステル大国の中でも有数の賢人と言われている人だ。
神器を本来の持ち主である天使から引き剥がし、使用している手前、神器を解析する能力は高ければ高いほどいい。つまり、頭の良さは必須。故に、王も処罰を与えつつも処刑することまではしていない可能性がある、と。
「少なくとも、サナの奴はいるはずだぜ?」
「強い人だっけ?」
「騎士団きっての魔剣士だ。魔眼も持ってるから、普通なら神器をいの一番に与えられるような騎士なんだがな」
大勢の反逆罪が身内ともなれば、国の命運のかかる神器など与えられない。だが、それを抜きにしても、魔王軍にも名前を知られるほどの実力を持っていた。
今上がった人間との接触は、最優先課題となる。これらをこなせなければ、敵地の真ん中で身を隠すことも難しくなる。
「失礼します」
作戦を話し合っていると、大浴場の準備ができたとアレックスが呼びに来た。木材の節約のためにも、まずは女性、次に男性と順番に希望者が入浴することになっている。
「難しそうであれば、全員が終わった後に」
「あとは細かい話だけだ。問題ねェ。たまにはルールを守れ」
「わりとちゃんと守ってない!?」
全員に首を横に振られ、諦めて大浴場に向かった日下部だった。
*****
今まで、息を潜めて暮らしていたとは思えないほどの騒ぎ。本来であれば、もう少し慎ましやかにさせたいところだが、抑圧のし過ぎは結果的に内部の不満を増やすだけ。適度にガス抜きをする必要がある。
特に、今回のようなドラゴンを倒したや迷宮5階層到達などの祝い事は。
「……」
「団長? 混ざらないんですか?」
「俺が出て行ったら、落ち着ける奴も落ち着けねェだろ。気遣うなら、酒のひとつでも持ってこい」
「はいはい。そう言うと思って、持ってきてるんですよねー僕ってば、優秀だから」
決して多くはないが、洛陽の旅団団長がここで酔いつぶれるわけにはいかない。小瓶ひとつでも十分すぎる。
「団長はうまくいくと思ってます? あの作戦。まぁ、うまくいなくても、ここから出る方法がないんじゃ、変わらないんですけど」
「……さぁな。お前ら次第だ」
「うわ、キッツ……国王の首を取れって、その辺の将とは違うんですからね」
難易度の問題ではない。重圧が違い過ぎる。
苦い顔をするクレアに、ハミルトンは鼻で笑った。
「少しはアイツを見習え」
「エリちゃんを?」
「端から穏便なんて言葉が似合わねぇ奴だよ」
「そりゃ、まぁ、痛いほどわかります」
生返事をするクレアに、ハミルトンは宴会に戻るよう言うと、テントに戻っていった。
少しだけ落ち着き始めた宴会の隅で、木に寄り掛かる日下部に近づくと、珍しくカイニスが横になって寝ていた。酒に弱いらしいが、怪我のこともあったのだろう。随分と深く眠ってしまっている。
「あ、クーちゃんおかえりークーちゃんも寝る? 膝使う? いいぜ? 特別サービス」
「エリちゃん、実は相当酔ってるな?」
「大丈夫。飲み慣れてないからか、超ふわふわしてるけど、頭クリアよ」
「それは酔ってるっていうの。ったく、それ渡しなさい」
強引に持っていた酒瓶を奪い取れば、隣からまた別の誰かに奪い取られていく。
「テメェはダメだ! あといい加減、終わりにするから、そこのふたり片付けといてくれ」
モーリスに酒瓶を奪い取られたおかげで、寂しくなった左手を見つめていれば、いつも以上に緩く口元を緩ませている日下部が笑う。
「クーちゃん酒飲めないの? 下戸? めんどくさい系? ゲロ系?」
「教えません。ほら、ひとりで歩ける?」
「寝ちゃったからむりー」
自分たちのテントに戻ろうと問いかければ、イタズラをするように、素早くカイニスの隣で横になられた。
質問を間違えたとため息をつきながら、仕方なく日下部に上着をかけ、木を背もたれに座った。




