38話 ピーキャット
魔王。アポステル大国と現在戦っているという、魔王軍の大将。
そんな相手が、なぜ人間側の本丸である王都どころか王城の真下に位置する地下迷宮にいるのか。
それに、この足元に広がる妙な弾力のある黒い床。先程の地面を破壊した攻撃が魔王によるものなら、これも魔王による攻撃のひとつだろうか。
あと、どうしてルーチェは魔王の顔を知っているのか。大統領的な存在で、顔と名前くらいは知っているものだからだろうか。そうであってほしいが、中世ヨーロッパにファンタジーが加わったような世界に写真の類は無さそうだ。そうなると肖像画。版画くらいだろうか。何とも嫌な予感だけが脳裏にこびりつく。
「久しいな。ルーチェ」
うん。わかってた。
「お久しぶりです! 魔王様!」
半ば予想していた展開に、つい口が動いてしまいそうになるのを必死に抑える。
あと、なんか黒い床が手に纏わりついてるんだけど、これは大丈夫なのだろうか。
「リカルドからお前が地下迷宮に幽閉されたと聞いてな。本来なら、すぐに回収するところだったが、人間共と随分仲良くしていたようだな」
こちらを見下ろす魔王から遮るように、カイニスが体を前に出す。
見た目は自分よりも若い青年姿とはいえ、その威圧感は”王”と呼ばれるだけはある。視線を逸らしたらマズいと警鐘が鳴り続けている。
だが、正直隣で久々に会った親族と話すように会話を続けているルーチェを、今すぐに問い質したい件が多い。
「守護していたドラゴンを倒したことは認めよう。その神々の加護は目を見張るものだ。だが、その命運も尽きたな」
殺される。
何か言わないと。何かしないと。
ダメだ。止める手段も、嫌がらせも思いつかない。
「魔王様、もしかしてふたりの事、殺そうとしてますか!? ダメですよ!! ダメ!! ふたりとも、ぼくの冒険者仲間です!!」
両手を広げて魔王を止めようとするルーチェに、魔王は少し考えるように目を細める。案外、ルーチェの言葉は聞いてくれるらしい。
「親であるリカルドに会いに来たお前を、この国の人間は処刑しようとしたんだぞ。そいつらはその仲間だ」
「でも、ぼくの仲間です。仲間や友達は大事にすべきだと教えてくれたのは、魔王様ですよ」
「……」
いろんな意味で吐きそうになりながら、ひとまずルーチェの好感度に任せるしかない。
現状、魔王にカイニスや私から何か言ったところで、まともな意味には取ってもらえないだろう。なら、親しいらしいルーチェに取り次いでもらう他ない。
「それに、エリサさんはこの国の人間じゃありません!! 天使です!!」
この状況で、魔王軍と戦況を拮抗させた存在である異世界人であることを暴露するのは危険じゃないか。
「ほぅ……天使だと……?」
「そうです! 旅団には天使がいっぱいいて、エリサさんもその内の一人です!!」
「ルーチェ、ストップ!! ちょっと大分その発言ダメだと思う!!」
薄々感じていたけど、ルーチェ、実は頭が弱いのではないだろうか。
カイニスすら目が死んでいるが、ルーチェは不思議そうに首を傾げている。
「お前の発言は許可していない」
冷酷に言い渡される言葉と共に、放たれる魔法。反射的に目を閉じるが、一向に来ない痛みにゆっくりと目を開ければ、目の前に広がった黒い何かはくるりと湾曲すると体に纏わりついてきた。嫌な感じはしないが、先程からいったいこれは何なのだろうか。
「…………」
意味の分からない黒い何かを睨む魔王の様子からして、この黒い何かが魔王の攻撃を防いだことは想像がつくが、全く頭が追い付いてきていない。
「賢しい天使が」
ルーチェが止める言葉も聞かず、魔王はおそらく先程よりも強い魔法を放つつもりらしい。
頭が追い付いていない。追いついていないが、纏わりつく黒い何かと今にも攻撃をしてくる魔王。
「随分と単純な王なんだな」
カイニスが様子を伺うようにこちらに目をやる。
「だから、こんな小国の王ひとり陥落できないんだよ」
この状況を打破するには、賭けるしかない。
「協力者が欲しいんじゃないの?」
少しだけ魔王の瞳の奥が細まった。思い当たることがあるらしい。
持っている情報は少ない。もちろん、相手が欲する物品の類はない。魔王軍へ手土産片手に擦り寄り、仲良くなることはまず不可能。
誠心誠意尽くして取り入る。先程発言をしただけで攻撃をしてくるレベルの険悪関係では不可。
なら、選択肢は”交渉”の一択。しかも、ハッタリによる交渉。
「……」
「……」
視線は逸らさない。余計な情報は話さない。向こうの性格もわからないなら、出方を伺いながら、断片的な情報を散りばめて、勝手な想像をさせる。
まず、魔王の知っている情報。
リカルド殿下と繋がっているらしいから、洛陽の旅団については知っていると考えるべきだ。追放された騎士団とチート能力を持った異世界人の集団。正確にいえば、異世界人はチート能力を持っていないのがほとんどであることも知っていると考えるべきだろう。
能力のある異世界人は、騎士団の誘いに乗り、魔王軍と戦う。チート能力持ちの厄介さは魔王の方が知っている。
以前、カイニスから聞いた話によれば、アポステル大国は他国の支援もなく、魔王軍に敗北しかけていた。そして、その状況を打破したのが天使であり、神器。
魔王からすれば、勝てる戦いに横槍を入れてきた存在であり、脅威。
魔王にイレギュラーがあったなら、それはドラゴンが倒されたことだ。アレは、水戸部がいなければ倒せなかった。
つまり、魔王にとって不安要素は水戸部の存在。そして、勘違いしている可能性がある部分。
「魔王が王城の地下まで来てるていうのに、手を出せないなんて、そういうことだろ?」
次に大事なのが、強力な内通者がいるにも関わらず魔王が踏み込んでいないということ。
アポステル大国も長年の戦いで疲弊し始めている。それは、魔王軍も変わらない。それどころか、亜人種などの追い出された種族の集まった組織が大国のように、組織そのものの力があるとは考えにくい。
戦争は、金も人も物資も多くかかる。そんな無駄遣いを続けたい奴はそういない。
つまり、魔王軍も可能ならば早々にアポステル大国との戦いを終わらせたいはず。王様の次に権力を持つ殿下と話がついているということは、殿下の力が弱いのか、王様の力が強すぎるのか。
だが、こういった戦争の終止符は定石が決まっている。
王の死だ。
それで簡単に決着がつく。
「そうだな。お前らの聖女様は、魔族が心底嫌いらしい」
聖女。全くわからないが、その聖女が現状最も問題であり、魔族が手を出せない原因らしい。
「その聖女を殺してあげる」
少し、瞳が揺れる。
「そんで、とっとと戦争を終わらせる」
反応は悪くない。聖女の問題が一番であることは違いないらしい。
「お前は、戦争を終わらせたいのか?」
終わらせたくない可能性は考えていなかったが、魔王が戦闘狂とかある……?
予想外の言葉に、数少ない魔王との会話を呼び起こし、可能性を考える。
「当たり前だ」
違う。
ルーチェに仲間や友人を大切にしろと教え、旅団に加わり迷宮攻略を手伝うルーチェを力尽くで奪い取らず、目の前までやってきて仲間の仲介が入れば会話してくれる奴が、戦闘狂なわけがない。
なら、少なくとも答えは ” YES ” でいいはずだ。
「……その度胸に免じ、一度だけ戯言に付き合ってやる」
交渉成立。どうにか首の皮一枚繋がったらしい。
「エリサ!!」
駆け込んできたクレアとモーリスのふたりは、魔王に気が付くと剣を構える。
「じゃあ、交渉は成立ってことで!」
少し大きめの声で答えれば、ふたりも怪訝そうな顔をするが、こちらに目をやり様子を伺ってくる。
ふたりを制したのがわかったからか、魔王もふたりからこちらに視線を戻すと、
「準備ができたら、再びここに来い。一度だけ王城への通路を開いてやろう」
そう言い放った。
*****
「ん、あ、あぁああぁあああ!!!」
魔王との交渉を終え、4階層に戻ってくると、取り留めのない衝動が溢れ出てきては、クレアに掴みかかる。
「なになになに!?」
「カイニスにできないじゃぁぁん!!」
「あ、うん。そうね。だからって人に殴りかかっていいものじゃないと思うけど」
鍛えている上に日下部自身も手加減をしているが、痛いものは痛い。だが、先程まで魔王とほぼ一対一で交渉することになってしまった日下部の気持ちはわからなくはない。
カイニスが戸惑いながらも日下部を止めようとするが、今まで見たことがないほどパニックに陥っている様子に、落ち着くまで為すがままになっておこうと、クレアが制するのだった。
「情報フェスティバル!! ツッコミたいのにツッコめないし! 脳みそ大パニック!! 酒飲んで寝たい!!」
「あら、あるわよ?」
「んでもってこの黒いの何なのぉ!!」
「え゛っエリちゃんもわかんない感じ!?」
「知らん! わからん! なんかずっといる」
悪い感じはしないと直感だけを信じて、魔王の対応を優先していたが、この黒い物体も全く未知のものだ。しかも喋る。
知らないという日下部の言葉に、クレアはすぐに黒いそれを掴もうとするが、黒いそれに腕が飲み込まれる。
「!?」
腕が無くなったわけではない。手を引けば、腕は繋がっている。だが、避けられているわけではないのに、触れることはできない。
「強引ね。嫌いじゃないわ」
目はないが、はっきりとこちらを見ていると感じる視線。だが、剣を抜いたところで、このよくわからない黒い何かを切れるとは思えない。
「……めっちゃしゃべる」
黒い何かが首に巻き付いているだけでも恐怖だが、それが流暢に話していれば、もはや自制心が無くなってくる。
「おりて。はなれて」
「ご主人?」
不安がっている日下部の様子に、黒いそれもそっと地面に降りると、何かを形作り始めた。
曲線で描かれた体に、頭にはつんと伸びた耳がふたつ。
「これ見て、ちょっと落ち着きなさい」
「なんだそれ……あ、いや、ネコ、か?」
「…………ヘタクソピクトグラム」
「なんすか? そっちの魔物の名前っすか?」
「ネコ!! 愛玩動物!!」
「か、かわいいですよ……?」
先程までに比べて、猫の形になっているだけ、感情が読み取りやすい。
威嚇するように尻尾を立てている様子は、腹を立てているのか、照れているのか。しかし、少し落ち着きを取り戻し始めている日下部に、黒いそれも徐々にピンと張った尻尾を緩ませる。
「それで、お前は何者なのよ」
ようやく黒いそれに声をかけたクレアの口調は軽いが、その目は笑ってはいなかった。そして、その手は剣の柄から離れてはいない。
「切り取られた空間の一部よ」
「意味わからん」
答えたのは日下部だった。先程までの動揺が落ち着いたように見えるが、本日分の理性はすっかり売り切れていた。
なにより、何者だと聞かれて「空間」と答えられたところで、気の利いた返答ができるのは上級営業職位だ。
一千歩譲って空間が切り取られたのはいい。だが、その空間が意思を持って動いて、喋るとはなれば話は別だ。
「急に四次元ポケットを渡されても意味が分からない上に、人が使うにはサイズが大きくて扱えないだろうからって、意識をつけたのよ」
「いや、そこじゃない。いや、そこも気になるけど、えーっと……?」
もはや、頭は大混乱。何から聞けばいいのか。
「お前は神器?」
「神器? あぁ、そうね。さっきの奴らも言ってたわね。アタシはご主人の神器。名前はまだないわ」
薄々勘づいてはいたが、神器である事実に全員は押し黙る。
神器が手に入った。それは嬉しい事実だが、同時に騎士団と剣を交える原因にもなりえる。その上、地下迷宮の先には魔王。
「積もる話もあるでしょ? 酒でも飲みながら話しましょうよ! 上で取ってきたから!」
ネコの体から溢れるように出てくる酒瓶や食べ物に、カイニスとルーチェは慌てて、旅団の拠点に戻ってからにしてくれと説明し、片付けさせる。
「戻りながら、魔王との話もしておきたいんだけどいい? 半分ぐらい愚痴」
「そうね。団長にも話さないといけないだろうし」
「そりゃ賛成だが」
他の団員たちに伏せていることが多い手前、拠点へ戻る前に一通り情報交換をしたいが、モーリスが目をやったのは、日下部の神器に酒瓶を戻しているルーチェ。
地下迷宮を攻略すれば外に出られるなどの旅団がついている嘘を伝えられている側の存在であり、今から話すことは明らかにその内容に触れる。
「却下。アイツ、相当の爆弾だからな?」
「お、おう……」
その視線は、ハミルトンに似た拒否を許さない視線だった。
「ご主人。名前を付けて頂戴」
「なんだかわかんない黒い物体」
「それ名前?」
本気で困惑している声に、日下部は少し首を傾げると思いついたように声を上げた。
「ピーキャット」
「あ、それ、かわいいですね」
なんとなく由来を察してしまった数名が口を閉ざしたが、悪意のないルーチェの反応に頷く他なかったピーキャットであった。




