35話 ドラゴン退治
モーリスの言葉もクルップたちの言葉も、理解できないわけじゃない。
カイニスも気を失ったままで、クレアも死ぬつもりで残った。
顔の知っている相手が、目の前で死にかけて動揺しているだけなのかもしれない。
冷静に、思考を止めず、客観的に、俯瞰的に物事を見て、そして出た結論は” 逃げたらダメ”ということ。
この場を捨てるの簡単だ。だが、この一手を捨てれば、その後ろは何もない。希望のひとつもない。
それをモーリスは理解して、その上でこの場を捨てると。手段がないから。
ドラゴンの防御力は、生半可な武具や魔法では効果がない。その時点で戦力は絞られる。
殿に残った人たちに、モーリスを含めた旅団の人間。魔法なら、クルップとルーチェだけ。
この戦力でドラゴンに勝てるか。
無理だ。だから、死に方を選ぶことしかできない。
作りかけの水路に沿って2階層まで逃げて死ぬか、この地下迷宮で死ぬか。
「………………」
「わかったら、諦め、てェ……!?」
隊列に戻ろうとするモーリスの背中を掴む。
「テメェ……! 今の状きょ――」
「ドラゴンは水の中で生活する奴いる?」
眉を上げ、苛ついた表情だったモーリスが、その質問に眉を潜めた。
「は――?」
「水中で呼吸できる? エラ呼吸? それとも肺?」
水路を見下ろしながら淡々と確認する日下部に、困惑したように言い淀む。普段ならげんこつをひとつ落として、退避しろと注意するところだが、それが意味ないとばかりに、ここに意識がないような表情。
「水に住む奴はいるが、そいつらは地上を走ることはできねぇ」
困惑するモーリスの代わりに、クルップが答える。
何か考え事をしながら話す時、日下部はこうして感情が全て抜け落ち、意識がここにないように話す。実際、意識はここにはないのだろう。ただ思考の空白を埋めるために、質問をしているだけ。
「嬢ちゃんたちが追われてたなら、そいつは水中で呼吸はできねぇだろうよ」
「なら、溺死させられる」
ようやく目の合った目は、ひどく冷たいものだった。
「吐いた唾は飲み込めないぞ」
可能性は見出したと、拒否権など与えるつもりのない視線がモーリスを射抜いた。
*****
ただの尻尾を凪いだだけでも、お粗末な鎧は拉げ、鎧の意味を無くす。
通路と同程度の大きさの体の隙間を縫い、分厚い脂肪を切りつければ、叫びを上げながら暴れ、通路が崩れ、瓦礫が振ってくる。
「っぶねェ!!」
ドラゴンの体に触れてはいけない。有効打が入れば、その巨大な体が暴れ、通路が崩れる。
一撃が致命傷になりえる。
命を賭した時間稼ぎとはいえ、やはり無茶が過ぎる。
息を整えながらドラゴンの様子を確認すれば、突然壁から生え、ドラゴンを縛る鎖。
「ブラッドブルーム!!」
細い花のような赤い杭が、ドラゴンを突き刺し、その杭の蕾が開くと同時にドラゴンは頭をもたれるように下げた。
「加勢に来ました!」
「ルーチェ!? それにクルップも……!? なんで――」
「向こうで色々あってな……結局、こいつを倒す話になった」
「バカか!? ドラゴンだぞ!? 犬死にしてェのか!?」
ルーチェとクルップだけではない。他にも数名戻ってきている。
「エリサさんからは、時間稼ぎを頼まれてますけど……」
戻ってきている団員達に日下部の姿は無い。しかし、戻ってきてはいるらしい。
頭が急速に冷めていく錯覚に陥る。
「時間稼ぎ、ね」
ルーチェの攻撃で動きを鈍らせていたドラゴンは、じりじりと鎖を引きちぎり、首をもたげ始めている。
「さすがドラゴン……あれだけ血と魔力を吸いあげたら、普通動けないのに」
まだ元気のありそうな姿に、クレアは剣を構えた。
水戸部は作戦を聞き、顔を青くして首を横に振った。
「で、できない……! そんなのムリです!! まともに動かせる水だって、ほら! こんなサイズじゃ、ドラゴンを溺死なんてさせられないでしょ!?」
確かに、水戸部が見せる水塊はドラゴンを覆えるほど大きくはない。この異能を持っているのが、水戸部だけのため、これが嘘なのか本当なのかは判断がつかない。
しかし、人間一人なら容易く包み込めるサイズ。
「頭だけ。気道なら問題なく塞げる」
それだけあれば十分だと、判断する日下部に水戸部は慌てたようにモーリスへ助けを求めるように顔を向ける。
「本来なら貴方にさせる役割ではないことは承知しています。だが、今回は緊急事態なんだ。手を貸してもらえないだろうか」
「本気でできると思ってるんですか? 本気で、私なんかがドラゴンを倒せると?」
「可能性があるのは貴方だけです」
「逃げればいいじゃないですか!!」
「あのドラゴンはおそらく拠点まで追ってくるでしょう。そうなれば、どちらにしろ戦うことになるかと」
随分と優しい言葉だ。戦うなんて他人行儀な言葉では、そもそも戦うなどとは程遠い生活を送ってきた異世界人は、動かない。
「じゃ、じゃあ、逃げましょうよ。それで、他の人も一緒にやれば……」
2階層にいる不確定な存在に可能性を見出して、誰かが何とかしてくれると希望を抱いて、先延ばしにする。
「ドラゴンは火を吐く。上はここより燃える物も多いし、なにより単純に広い。ここは障害物がある分、あの図体のドラゴンは思い通りに動けてない。動きが制限されてる分、上よりずっと対処しやすい」
「で、でも……」
「貴方は遠くから水を操って、ドラゴンの頭に水を留まらせてくれればいい。前線は我々が抑えます。ですから、どうか!」
答えは火を見るよりも明らかだった。
突然魔物と戦えと言って、嬉々として剣を握る人間は、この世界においても希少だ。戦わなければ大事なものが奪われる。だからこそ、戦うのだ。誰だって、好き好んで戦いたくはない。
恐怖に震える彼女をこれ以上どうして戦えと言えるものか。
「じゃあ、死ぬね?」
「……は?」
「このままドラゴンが上に行けば、全員死ぬ。焼かれるか、潰されるか、食い殺されるか、餓死か、わからないけど、今この場所だけの可能性を捨てたら、地下迷宮にいる人間は全員死ぬ。わからないの?」
「おい!」
「別に無理だと断るなら、意見は尊重をするよ。でも、自分は死なないと思っていそうだったから。トロッコの先に何があるかを知らないで、かじを切るなんて可哀そうでしょ」
薄ら笑いを浮かべる日下部に、モーリスは言い過ぎだと止めようとするが、目を見開く水戸部の怒鳴り声の方が早かった。
「――ッムチャ言わないでよ!! 何もできないくせに!! 口だけで、失敗したら私のせいにするんでしょ!!」
地下水の流れを変えて、拠点の間に流れるようにして喜ばれた。
今度は、場所が地下迷宮に変わっただけ。だけど、周りからは荷物が簡単に届けられるようになったと喜ばれた。
前の仕事のように、何かにつけて責任の所在や誰かに押し付けるのとは違う。お礼を言ってもらえたのだ。
身丈に合った事を続けていればいい。そうすれば、お前の責任だと覚えないことで頭を下げ続けることもない。
「貴方に責任が取れるの!? これで死んだ人たちの命の責任! 全て!!」
でも、戦いは違う。違った。
水を操れる程度の能力で何ができるって言うんだ。
溺死させる? ありえない!!
無理難題ばかり言う上司そっくりだ。
「できないでしょ!! できないな、ら……」
ひどく冷たい目だった。
先程までの溢れ出てた激情が震えあがる。
「責任……? このままいけば死ぬ程度の安い命を買えば、テメェはやるな?
やらないなら今すぐ殺してドラゴンにくべる。そうすりゃ、逃げられた何人かに感謝されるだろうよ。お前はそっちの方が嬉しいか」
自己完結したような彼女の言葉に足を引けば、見えた握られたナイフ。
殺される。
彼女は狂ってる。
恐怖で足がもつれ、尻もちをつきながらも後退る。死にたくない。
「待って……! 本当にわからないの! 何をすればいいのか!」
「さっきから言ってるだろ。水であのドラゴンの口を塞げ。怖いなら目玉を潰してあげようか。あぁ、いや、もうめんどくさいな。死にたくない? 死にたい?」
ナイフの切っ先がじっとこちらを向いていた。
炎を盾で防いでも、熱は皮膚を焦がす。ただの炎ならまだしも、ドラゴンの炎は食らえば、人など簡単に死ぬ。
「クソ……」
クルップとルーチェの支援があるとはいえ、時間稼ぎにも限界がある。
ルーチェの血の花の杭が突き刺さるも、最初程威力がない。学習し、魔力が吸い上げられないようにしているのだろう。
怠そうに、しかし殺意のある視線をルーチェに向けるドラゴンの動きが突然止まった。
「?」
なにかを振り払うように、首を左右に振る。クルップの精霊術ではなさそうだが、明らかに様子がおかしい。
考えられるのが幻術だが、魔術の幻覚はドラゴンには大した威力を持たないはずだ。
「うわっ!?」
その上、幻覚を見せたところでただ暴れるだけだ。囮も利かなくなる。今まで目を潰していないのもそれが理由だ。
視界が確保できていることは一定の安心感と抑制になる。
敵に囲まれている状況で目が見えなくなるなど、自分が相手より明らかに強大なら、がむしゃらに暴れれば体力が尽きる頃には敵はいなくなっている。
この小さな通路でドラゴンが暴れれば、崩れた瓦礫の下敷きになる可能性も、暴れるドラゴンが瓦礫を弾く可能性だってある。
そんなバカみたいなことをしているのは誰だと、後ろに目をやれば、いたのは水戸部とその傍に立つ日下部の姿。
「クルップ! どうにか首だけ抑えて!!」
「無茶言う!!」
「ルーチェ! 前足と尻尾縫い留めて!」
「は、はい!!」
土の鎖でドラゴンの首を抑え、前足と尻尾に突き刺さる血の花の杭。
日下部が何を企んでいるかはわからない。だが、明らかに様子がおかしいドラゴンの原因はアレだ。
「っ火を吹かれたら、あんな水吹き飛びますよ!?」
「吹けたらな」
「ぇ」
「吹く前に必ず大きく息を吸い込んでるし、吹いた直後の酸素が欲しいタイミングで塞いでやったんだ。最短で酸欠になる」
血走った眼で鬼気迫った表情で、自分の置かれた状況もわからず暴れまわるドラゴン。
誰を排除すれば、この息のできない状況から脱出できるのか、それすらわからない。
「酸素が欲しけりゃ、首を裂けばいいんだよ」
動物は何であれ、死にかけが最も危険だ。
なりふり構わなくなる。火事場のバカ力か、地面と縫い留めた杭が杭が砕ける。
「嘘!?」
暴れるドラゴンの尻尾が瓦礫を飛ばし、辺りに飛び散り、団員たちも転がるように回避する。
その内のひとつが、水戸部へ向かってくる。彼女は、青白い顔で暴れ狂うドラゴンを見ていて気付いていないのは幸いだっただろうか。
精霊術は間に合わず、もはやふたりにその瓦礫を防ぐ方法はなかった。
「らァァッッ!!!」
瓦礫を叩き落したカイニスは、盾を構え、ふたりを守るように立つ。
「よくわかんねーっすけど、その子、守ればいいっすか?」
「うん。大丈夫なの……?」
先程まで気絶するほどの大怪我を負っていた。こうして、前に立っているだけでもきついはず。
「正直、踏ん張れる自信ないんで、突進してきたら諦めてください」
だから、冗談めかしに笑いながら正直に答えるカイニスに、日下部も自嘲気味に笑った。
「オッケー。さっき”ふざけんな。テメェ殺す”みたいな目でクーちゃんにも睨まれたから、どうにかしてくれるよ」
「心強いっすね。後でちゃんと怒られてください」
「守ってくれるんじゃないの?」
「”その子”って言ったじゃないっすか」
「言ったね! なるほど! 悲しいな!」
一度暴れ始めれば、杭を穿つのは難しい。
飛んできた瓦礫を回避することしかできないが、作戦の要である水戸部。そして、首の動きを抑える精霊術を使うクルップのふたりに向かう瓦礫は防がなければならない。
「筋肉量と運動量的に、わりとすぐに動けなくなるかなって思ったけど、どうなんだろ!?」
「ドラゴンを酸欠で殺そうとしたことないんで、わからないっす!」
防戦一方の中、少しでも削ろうと切りかかるクレアに、モーリスは冷や汗をかきながらも、瓦礫を防ぐ。
予想よりも遅くはあるが、ドラゴンの動きは徐々に緩慢になり、それに伴い飛んでくる瓦礫の量も減り、余裕が出てくる。
「な、なんかかわいそうになってきたんだけど……」
「ふざけんな。今、また暴れ出したら、あそこにいる連中死ぬからな。お前のせいで」
動けなくなってきたドラゴンへ、旅団が次々と切りかかり、ようやくその目から光が失われた。
「勝った……?」
「勝った……!! 勝った!! ドラゴンに勝ったぞォォオオオ!!」
歓喜の声が迷宮中に響く。
ようやく水戸部も緊張が解けたように、その場に座り込んだ。
「本当に、倒したの……? 私、が……?」
信じられなかった。しかし、笑顔で駆け寄ってくる人たちが、自分の能力のおかげで倒したのだと何度も繰り返していた。
ただその笑顔が嬉しかった。
「ありがとう」
隣に疲れたように座る日下部に、彼らと同じように礼を伝えれば、不思議そうに首を傾げた。
「いーやーエリちゃん。聞いたよ? 僕らの命預かるって言ったんだってぇ?」
日下部が迷うように視線を巡らせていると、頭に乗った重さは、わりと容赦なく力を加えられていく。
「かっこいいねぇ。おかげで助かったよ」
「ぜんっぜん、思ってないだろ……!!」
「思ってるわけないでしょー? ちょっと前になんて言って別れたか忘れたかぁ?」
「カイニス! カイニス! ヘルプー!!」
助けを求めてカイニスを呼ぶが、笑顔だけが返される。
「クレアさんもカイニスも重傷なんですから、早くこちらに! ミトベ殿。申し訳ありませんが、手伝っていただけませんか? ケガ人の治療に水が必要でして」
「え、あ、はい!」
補給班も追いつき、簡易キャンプが作られながら、ケガ人たちの治療が始まった。




