恋より持続性の有る憎しみの焔。
「悪いね、昭」
遷はしゃがみこみ、私の手から、慈しむように、昭妃を抱き取った。それには、命を狙われたことに対する、恐れも怒りも全く無い。穏やかな笑みは幸せそうだった。
「昭妃様と、何かあったのでしょうか」
私は、できる限りの淡々とした声で、遷に尋ねる。昭妃の恨みは尋常な物ではない。しかし、対する遷は、昭妃を愛しげに見つめる。一体何があったのだろうか。
「無いわけではありません」
遷は昭妃を離さない。それは分かっている、という言葉が口が出かかる。しかし、話したくは無いのだろう。諦めに似た笑みを浮かべた顔が、そっと伏せられる。
「昭は私を恨み続けようとするでしょう」
遷は、昭妃に微笑みかけた。そして、その時、静かに戸が開いた。遷は昭妃を抱きかかえたまま、するすると戸の方へ移動する。僅かに開いた戸の隙間から、垣間見えるのは、呉の兵服である。戸に耳をつけるようにして、兵士の報告を聞いているのだろうか。私は嫌な予感がした。
「郭王がお亡くなりになったようです」
私は体の力が抜けるのを感じた。王は、私が殺したと言っても過言ではない。今まで、抑えていた何かが爆発する。
「昭は実家へ帰しましょう。あなたのことは、善処致します」
今は、自分のことなど、どうでも良かった。私は、遷の言葉が、自分とは遠く離れた位置にあるように感じた。ただ、酷く息苦しい。締め切った部屋の所為だろうか。
それからは早かった。郭の兵士を皆捕え、その日、呉軍は王宮で寝泊りすることになった。郭の重臣の多くは殺されていたため、遷は私の近くの部屋で一夜を明かすことになった。
寝床に入ると、薄明かりの中、見えなかったものが見えてくる。この国を滅ぼしたのは他ならぬ私である。だから、私が死ぬべきなのに関わらず、自分は命を救われた。死にたいわけではない。
暫くすると、別の感情が湧き出てきた。劉遷。いつだって、私の大切なものを奪い続けるのに、何故か最後には私の命を助ける。だから、私は繰り返さなければいけない。大切なものを失い、自分は救われ、また大切なものを作っては失い、自分だけ命を救われる。
遷は、私に優しかったし、私を助けてくれた。だからこそ、その恨みが、酷く愚かなことに、自分でも気付いてしまう。私は未熟で、あまりにも愚かだ。何の落ち度も無い弟弟子に、嫉妬だけの恨みを向けるのだから。
私はついに耐えられなくなった。私は、むくりと起き上がり、そのままの足で戸を開け、廊下に出る。まるで、足だけが動いているかのようだった。意識は別のところにあった。ただ、この苦しみから解放されたいと思った。
その足が向かった先の戸は、運が良いのか悪いのか、鍵がかけられていなかった。