呟いた名前は憎むべき相手。
戦に負けた。それは、遷のことがあったからだろうか。理由は分からない。戦のことは、あまり覚えていない。今思えば、早々に軍師を代わって貰うべきだったのだろう。
私に期待してくれた縦王、昭妃を初めとする、郭の人々のことが頭を過ぎるだけで、押し潰されそうな思いがする。私は、郭の者ではないが、この国には人並みではない思い入れがある。
城へ侵入してくる呉軍。食い止めることはできないだろう。私は、縦王を探す。しかし、老体だ。希望は薄い。私は数人の兵士を連れ、呉の兵から逃げるようにして走り回った。
王の活動範囲の建物を走り回った後、私は後宮へ急いだ。後宮は男子禁制だが、この際仕方が無い。どうにかして、昭妃と接触しなければいけない。昭妃が、王の安否を知っている可能性は高い。
駆け込むようにして、後宮に入る。兵士たちも、最初は躊躇していたが、すぐに入ってきた。
「昭妃様、ご無事でしたか」
昭妃の部屋へ滑り込むようにして入る。中には青ざめた顔の昭妃が、座り込んでいる。しかし、やってきた人物が私だと分かってから、昭妃の顔に微かな燈が灯った。
「炎、良かった。ありがとう」
「王は、どこにいらっしゃるか、ご存知ですか」
間髪入れずに尋ねる。昭妃は、郭の者ではない上、女である。殺される心配は無い。しかし、王は違う。つい声が荒くなった所為か、昭妃は驚いたような表情を浮かべ、分かりません、と答えた。
大人数の足音が迫ってきたのは、その時だった。私は舌打ちし、昭妃の顔は再び青くなる。兵士たちも、おどおどと私の顔を見るだけだ。
扉を突き破るようにして入ってきたのは無数の兵士。刃を向け、突き進んでいこうとしている。私は諦めに近い気持ちでそれを見た。しかし、その刃がそれ以上進むことは無かった。凛とした声が響く。
「この者たちは、私に縁のある者たちです」
男にしては高い声。聞き覚えのある声。忘れることの無い声だ。兵士はざわめきながら、ゆっくりと端による。私は目の前の事実が信じられなくて、ただ、何も言わずに風通る扉を見ていた。
現れたのは黒い髪を高く結った青年。呉国の宰相、劉遷、本人だ。周囲の兵士に比べて、格段と身長は低いが、ひ弱な雰囲気は無い。むしろ、小柄で細めの体が、ある種の威厳を持っている。
「遷、何故ここにいるのですか」
そう尋ねでも、遷は穏やかに笑うだけだった。