愛より憎しみを取る勇気を下さい。
昭妃は、何故、遷に恨みがあるのだろう。昭妃と遷に、接触は無いはずだ。
しかし、よくよく考えてみれば、私は、遷が師匠、韓羽先生の弟子になるまでのことをほとんど知らない。韓羽先生は、遷について何も話さなかったし、私も何も聞かなかった。先生に遷を紹介された時も、遷は名前を言っただけだった。
韓羽先生の弟子になるまで、遷は何をしていたのだろう。ただ、その疑問だけが、静かな部屋に漂う。昭妃は話してくれるだろうか。話してはくれないだろう。それ以前に、それを知ったからといって、私に何の得も無い。
厚い布が、頭の中を駆け抜ける。その所為だろうか。酷く心が息苦しい。
「死んで欲しくは無いんだ」
自分の話を聞いてあげるかのように呟く。遷には、死んで欲しい。私はそう思っているはずだ。でも、それは死んで欲しいほどの恨みではないのかもしれない。ただ、遷という存在に縛られている自分を解放するために、遷を殺したいと思っているのかもしれない。
私は、遷に対して思い入れはあるのだろう。一日中一緒にいたわけだから、当然である。しかし、そうだとしたら、私は身動きが取れない。遷から解放されることはありえない。
このまま私が職務をこなせば、遷は死ぬ。もし、遷への思い入れが私に無かったとしたら、それ以上に幸せなことは無いだろう。
今は何もしたくない。頭の中には何か違うものが詰まっている。しかし、戦争前だ。すぐに王に呼ばれることになるだろう。
私は筆を取り、地図を睨みつけようとした。しかし、墨一色の地図から、何かが浮かぶ気がしない。ただ、静かな部屋に、ざわめきが聞こえるような気がした。