離れていても、繋がることは出来る
午後五時を回り、近場にある公会堂に備え付けられたスピーカーから、童謡のメロディが流れてくる。
一人で住むには少し広い3DKの賃貸アパート、少し見ただけでそこらのイスとは作りも材質も違うようなイスに座った女の目元に西日が伸びていく。女は静かに目を閉じ、まるで彫刻のようなその肢体を上品にイスから零れさせていた。
「ん……もう?」
まるでこの瞬間に命を吹き込まれたかの様に瞼をゆっくりと開いていく女の瞳には、寂しさと優しさ、それと少しばかりの意地の悪さが垣間見えるようだった。
「今日はどこの駅前で描こうかな」
土曜日という事もあり、定時を過ぎたあとの電車の中には食中りを起こすほどのざわめきは存在していなかった。その代わりというべきか、いつもの疲れたような機械的とも言える息づかいから、若々しく楽しげなリズムを乗せた声が増えていた。
ここは都市の中心から少し外れたベッドタウンを通る駅前。駅の前にあるロータリーを素通りすると、なんでそこに造ったのかと問い詰めたくなる公園が整備されたいた。
アレが危険、コレが怪我の元になる……過剰な親御さん達の反応により次第に遊具が撤去されていった公園には、砂場と噴水以外の遊べるような物は無くなっていた。それでも、この公園に人が集まり愛され続けるのには理由があるようで、石畳で出来た歩廊を外れるとこれから地上に飲み込まれる事に抗議している、機嫌の悪い太陽から少しだけ逃げられる様に、数多の樹木が植えられていた。
都会といっても過言では無い地域に居を構える人工の森。当時は緑が多い方がステータスになるという漠然とした根拠もない理由からの造園だったが、今では住民の憩いの場になるだけでなく、都会では珍しいカブトムシ等の昆虫が捕れるという事で一部の界隈では有名らしかった。
そんな公園に脚を踏み入れた女は噴水を横切ると、目に付いたベンチに向かって歩を進める。
女は肩からカメラの三脚のよう物を下ろし、慣れた手つきで鮮やかに組み立てるとそれがキャンバス等を固定出来るイーゼルだと見て取れた。他にも手提げ袋から携帯式のイスや、多段式の収納箱を取り出し、最後にイーゼルの裏に大きな布地の垂れ幕を取り付けた。
――似顔絵描きます! byピンチヒッターの結衣――
小さい女の子――来年には小学生だろうか――は、女から……結衣から描かれた似顔絵を渡されると、隣で待ちくたびれたかの様な母親に笑顔で振り向き、飛びつくように自慢をしている。
ピンチヒッターの結衣。今年結婚した結衣の夫は、毎週土曜日にそれとなく場所を決めては似顔絵を描くことを習慣としていた。それに毎回付き合う形で結衣も土曜日は、夫と穏やかな時間を過ごしていたのだが、今は仕事の事情で離れて暮らすこととなっていた。
夫がおらず空虚になった時間と心を埋めたのは、彼が愛していた習慣の似顔絵。元々絵を描くことは嫌いではなく、知らず知らず自身の習慣にもなっていた土曜日の儀式は、ピンチヒッターという形で受け継がれることとなった。
「お母さんお腹減ったよ帰ろうよう」
「キーちゃんばかりじゃずるいでしょ、お母さんも描いて貰うから。待ってる間、さっきスーパーで買ったお菓子食べてて良いから」
お菓子がご飯か、考えるまでもなくお菓子をとってご満悦の娘を横に、少し鼻息の荒くなった母親が携帯式のイスに座った。
結衣の描く似顔絵は密かに人気となっていた。ちまたの似顔絵やが描くような絵の他に、もう一つおまけでアニメ調やリアル調、宝塚風といったお客の要望に応えた作風も合わせて描いている。
一度の依頼で二枚の絵を描くのだから時間はかかるが、それでもお客の嗜好に合わせた絵を描くという事と、描かれた絵を自由に扱っても、SNSなどに乗せてもアイコンなどにしても良いと言うことで知名度が上がっていった。
『本日は可愛い女の子と、その母親さんの似顔絵を描かせていただきました。今回も許可を得ていますので、本人と分からない程度にいじった状態で投稿します。』
SNSに投稿された文章の後には、結衣が描いた似顔絵をどうやったらこんな摩訶不思議な物になるかのような画像が貼られ、どこが顔なのかどっちが娘か母親か、返信が滝のように流れていく。
マウスホイールをゆっくりと回し、一つ一つに眼を通していく結衣の眼に目的のメッセージが飛び込むと、似顔絵に喜んでくったくなく笑う少女と同じ、透き通った表情が結衣にも浮かんだ。
『ピンチヒッターの方が本物より人気じゃね? ハードルあげんな!』
ふと結衣がカレンダーを見上げると、一週間後に朱いマッキーで大きく印が付いている日付があった。