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ロボットが人間になる  作者: AZUKI
7/7

出会う二人 終わり

―3年後―


「ここまでかなり時間がかかりましたね」

「仕方ないよ。私たちには時間が必要だった。焦っても悪化するだけだから」

「祈さんだけなら去年、試合に出れたのですがよかったのですか?」

「仁君と一緒に頑張るって言ったでしょ。先駆けはしない。ずっとお互いに支え合うと決めたし、仁君がいなかったら私1人ではここまで来れなかった」

「俺も自分一人ではここまで来ることはできませんでした。祈さん、ここまでありがとうございます」

「私の方こそありがとう。でもまだ私たちはスタート地点に立っただけでここが終わりじゃないよ。ここから私たちは人生の先を進んでいくんだよ」

「そうですね。やっと先に進むことができますね。まずはこの地区大会で優勝です」

「もちろん。負けたら許さないからね♪」

「それはこっちも同じです」

「油断して1本とられないでね」

「大丈夫です」

「あっ、そろそろ試合が始まる、行こうか」

「はい」

「仁君、勝つよ」

 祈は拳を仁の方に向けた。

「もちろんです、祈さん」

 仁も拳を出して重ねた。


 開会式が終わり、試合が始まった。

「面あり!」

「面あり!」

 試合早々に2つの会場の審判が1本入ったと認め、旗を上げた。

「2本目!」

「2本目!」

 数秒後

「面あり!」

「胴あり!」

 また同じ2つの会場だった。わずか20秒も経たないうちに試合は終わった。

「お、おい、誰だよあの2人。レベルが違うぞ」

「強すぎる。おまけにあの2人の相手は前回の地区大会優勝者だぞ。その2人をあっという間に」

「あの名前に見覚えあるか?」

「いや、ここしばらくはみた記憶はない」

「しばらくってことは昔はあったのか?」

「ああ、昔のことだから記憶にあまり残ってないし、人違いかもしれないけど男の方は無茶苦茶強いっていわれていた奴と名前が似ていた気がする。でも記憶にあまり残ってないから本人かはわからない」

「なんだそのあいまいな記憶は」

「仕方ないだろ、昔のことだから」

 周りではあの2人が何者なのかと話題になっていた。


 2人は次の2回戦も20秒足らずで勝ち、順調に勝ち進んでいった。

「ひっ!」

 仁の対戦相手は仁の構えにびびってしまい、不用意に打ちにいった。

「小手!」

「小手あり!」

 不用意に面を打ちに来たところを見逃さず、小手で1本を取った。

「胴あり!」

 隣の会場では祈が面を打ちに来た相手の竹刀を返して胴で1本を取った。2本目も簡単に取り、準々決勝、準決勝、決勝戦へと進んだ。


 剣道の試合は次から次へと試合を進めて行くので試合と試合の合間の休憩はなく、すぐに決勝戦は始まった。

「始め!」

 試合が始まると2人は危ない場面もなく、1本を取る。

「突きあり!」

「突きあり!」

 仁と祈の対戦相手は勝ち目が薄いことから守りに徹しようとしたのか守りに入ったが、まさか突きが来るとは思ってなかったのか突きがまともに入った。

「おおお!」

 突きで1本を取る場面はあまりないので観戦している人たちは驚いた。

「2本目!」

 1本取られた相手は打ちに行かないと負けるのは当たり前だが返されてしまうのが目にみえているのでなかなか動くことができなかった。攻めてこないと判断した仁と祈は攻めに入り、あっという間に次の1本を取り、勝負が決まった。


―閉会式―

「男子個人戦優勝 上代 仁(以下略)」

「女子個人戦優勝 小豆沢 祈(以下略)」

 2人は賞状を受け取り、その後団体戦の成績が発表され、賞状とトロフィーを贈呈され、主催者から一言挨拶があり、閉会式は終わった。


 2人は早速お互いの所に向かい、お互いの左手で「パンッ!」とハイタッチをした。

「お疲れ様、祈さん」

「そっちもお疲れ様、仁君」

「試合はどうでした?」

「そうね、意外とたいしたことなかった」

「おお、言いますね~、大物発言」

「仁君はどうだったの?」

「相手が怯えていたので話になりませんでした」

「仁君は怖いからね。仕方ないね」

「俺って怖いですか?」

「稽古の時の仁君は怖いよ。私には手加減してるけど後輩たちには容赦しないから。剣道の時とそれ以外の時の仁君は別人だよ。べ・つ・じ・ん」

 祈は仁に顔を近づけて言葉を強調させた。

「そうですか、まあ怖がられて試合に勝てるならいいですけど」

「まあ・・・勝手に怖がっているのは相手だし」

「それはそうと優勝ですよ。2人とも」

「そ、そうだね。おめでとう」

「はい、祈さんもおめでとう」

 2人は笑顔でおめでとうと言い、互いにハイタッチした。

「まずは地区大会優勝を達成したね。次は県大会優勝、そして次は全国大会だ」

「話が早いですけどそうですね。まずは次の県大会まで時間があるので稽古です」

「そうだけど仁君は怖いから手加減してね」

「祈さんは自分より弱いから手加減しますよ」

「言ったなコイツ、そのうち勝ってやるから覚えてなさいよ」

「無理ですね」 

「即答って、バカにしてるわね。もし私が勝ったらなんでも言うこと聞いてもらうね」

「はいはい、いいですよ。勝てたらですけど」

「その言い方は腹立つな~、みてなさいよ―、負けた後に謝っても絶対にな・ん・で・も聞いてもらうから」

「そうですか~、はいはい、あ~疲れたからそろそろ帰りますか」

 背伸びをした後に服を着替えに観客席に向かった。

「私に負けるわけがないといわんばかりに全く興味なし!? ま、まってよ。私も帰る準備するから」

 こうして2人は地区大会優勝という結果で今日を終えた。


―2ヶ月後―


「今度は県大会か、負ける気がしない」

「随分自信があるようで何よりだけど油断は禁物だよ」

「もちろん。油断はしないよ」

「じゃあ、今回は会場が男女で違うので俺はここで」

 拳を祈の方に向けた。

「うん」

 祈も拳を出して重ねた。


 試合は始まり、2人は順調に勝ち進んでいった。

「面あり! 勝負あり!」

 勝ち進むたびに当然のことだが対戦相手も強くなっていき、数秒で1本取るという状況にはならなかったが無難に勝ち進んだ。

「次は準決勝か、愛知県は人数が多いから準決勝に勝ったら全国大会に出場できるからここが正念場だ」

 仁は気を引き締めて試合に挑む。

「始め!」

 仁の対戦相手は大柄の男で動きも早かった。しかし仁の相手ではなかった。高校時代は相手の動きを先読みして完璧な返し技を決めていた仁の敵ではない。

「胴あり!」

 相手の早い面を綺麗に返して胴を1本決めた。まるで返し胴はこうやって打つんだと手本をみせているようだ。

「2本目!」

 相手は焦ったのか先走って面を打ちに来た。仁は「またか」と心の中で思いながらまた竹刀を返して胴を打とうとするが相手が動きを途中で強引に止めて仁を斜め左前方に思いきり突き飛ばした。

「ドタドタドタドタ、ドタン!」

 仁は思い切り突き飛ばされ、体勢を崩しながら後ろに下がり、倒れた。

「イタタタ」

 防具を着た状態ではすぐに立ち上がるのは難しかったので四つん這いになって右足から立ち上がろうとしたが

「ん!?」

 突如右足に激痛が走った。

「(ここできたか)」

 右足の後遺症がここで出てしまった。仁は3年前に再び怪我をしてしまい、後遺症は悪化してしまったので3年経ったいまでも完全には回復していなかった。痛み止めの薬を飲んで試合に挑んではいたが、右足に強い負荷を与えてしまい、薬の効果だけでは痛みを誤魔化すことができす、後遺症が出てしまった。

「君、大丈夫か?」

 立ち上がろうとしたが動きを止めた仁を心配して審判が声を掛けた。

「は、はい。大丈夫です」

 仁は右足のことを悟られたら最悪棄権することになるかもしれないと思い、平然を振る舞い、右足の激痛を歯を食いしばって堪えながら立ち上がった。

「フ―」

 仁の右足には骨折した状態で動いている時の痛みが走っていたが深呼吸をして、なんとか試合の開始位置まで戻った。

「始め!」

 相手は1本取られているため守っていたら負けだと焦り、攻めに来た。

「面!」

 右足の激痛で返し技を打てない仁は真正面から相手の面を竹刀で受け流した。しかし相手は返されて1本取られると思ったのか強引に足を止めて再び仁を突き飛ばした。

「ドタドタドタドタ」

 今度は倒れることはなかったが右足には激痛が走り続けた。

「くっ!」

 あまりの激痛に仁は声を出した。相手は間を置かずに仁に接近して面を打ちに来た。

「(めっちゃ痛い・・・)」

 仁には苦しい状況が続いた。防戦一方で右足の痛みで攻めに出ることができなかった。

「やあああ!」

 相手は仁が弱っていると気づき、気合を入れて攻め続けた。

「面!」

 仁は相手の竹刀を躱したが相手の体当たりで後ろに突き飛ばされてしまい、なんとか試合会場の白線のラインを超える手前で踏ん張ったが右足の激痛のあまり、隙をみせてしまった。

「面!」

「面あり!」

 隙をみせたところを打たれてしまい、1本取られてしまった。

「勝負!」

「やあああ!」

 1本を取り返したことで勢いづいた相手は更に気合を入れた。

「ハア、ハア、ハア」

 仁は激痛のあまり、右足に力を入れることができなかった。

「(くっ、どうすればいいのか・・・)」

 仁が弱音を吐いている間にも攻め続けられ、避けるのが精一杯だった。

「ピ―」

「やめ!」

 制限時間がきた。ここからは延長戦になる。時間無制限で先に一本取った方が勝ちになる。

「(ここで勝負をかけるか)」

 延長戦になったのが仁に1本を取るチャンスを与えた。それは1度試合を仕切りなおすため最初の立ち位置に戻るから返し技をしやすくなる。

「延長始め!」

 仁は審判の声に反応して残っている力を振り絞ってできる限りの早い面を打ちにいく。しかしこれは相手に読まれていた。弱っている相手が勝負をかけるならここだとわかっていた。仁が面を打ってくるタイミングに合わせて小手を打ちにきた。

「小手!」

 しかし小手は空振りにおわった。仁は面を打たなかった。面を打ちにきたと思わせるフェイントをかけていた。そのフェイントに引っかかってしまった相手は小手が空振りにおわり、無防備な状態で前に出てきた。仁はフェイントをかけた時に左足に重心を掛けていたので左足に力を入れて前に出て、面を打った。

「面あり!」

「勝負あり!」

 仁はボロボロになりながら勝った。


―一方で別会場では―


「面あり!」

「2本目!」

 祈の方は試合が早く進み、既に決勝戦を戦っていた。

「あの小豆沢って人、もしかして昔、全国大会で優勝した小豆沢さん?」

「え?本当なの?」

 大学生だろうか若い女性が祈のことに気づいていた。

「確か交通事故で右腕が上がらなくなったって聞いたけどもう怪我は大丈夫かしら」

「あんた詳しいね。小豆沢さんのファンだったりする?」

「いや、剣道連盟の会長が直接小豆沢さんの名前を出して事故の話をしたことがあって印象に残っているよ」

「へぇ~、相当強いってことか」

「うん、小豆沢さんに勝てる相手は同じくらいの年代ではいないだろうって言われていたからね」

「それだけ強かったのに交通事故って可哀想」

「でも今は試合に出ているし、もう大丈夫だと思う。ほら、そろそろ試合が終わるよ」


「ピ―」

「やめ!」

「勝負あり!」

 制限時間がきて、1本取っていた祈が勝った。祈は県大会優勝を決めた。

「(よし、次は全国大会だ)」

 試合が終わり、防具を脱いだ後に祈は小さくガッツポーズをした。

「あっ、仁君の方はどうなっているかな、急いで行かないと」

 祈は防具を片付けて仁のいる会場に向かった。


 仁は準決勝が終わり、後遺症が出てしまった右足を引きずりながら次の決勝戦が始まる会場に向かった。

「じ、仁君」

 仁が振り返ると祈がいた。

「い、祈さん・・、どう・・しました?」

 仁は右足の激痛に耐えながら喋った

「右足の後遺症、出ているよね?」

「・・・」

 仁は祈の質問に答えなかった。

「今は痛み止めの薬は飲んでないってこの前言っていたから大分いいのかもしれないけど仁君の右足は既にボロボロなんだよ。今、普通に剣道をやっているだけでも奇跡に近い」

「・・・」

「後遺症が出たから棄権しろとは強制できないけど、もう準決勝は勝ったから全国大会の出場権はあるよ」

「そう・・ですね」

「なら・・」

「祈さんは優勝したんですよね?」

「う、うん。そうだけど」

「なら答えは決まっています。俺は大丈夫ですから」

 仁は大丈夫と言い、歩き始めるが右足の歩くたびに右足に激痛が走るため上手く歩けていない。

「仁君、あなたの右足は限界よ。後遺症が出たなら無理をしたら駄目、全国大会があるからここで無理したら意味ないよ」

「では祈さんは全国大会で後遺症が出たら棄権しろって言いますか?」

「そ、それは・・・」

「言えませんよね、俺もバカではないので本当に駄目ならそのときは無理をしません」

「それでも私は棄権しろって言うよ」

「祈さん・・・」

「仁君はこの3年と数ヶ月、苦しんできた。右足を2回も大怪我して後遺症に苦しんで痛み止めの注射や薬で痛みを抑えたり、頑張ってリハビリをしてなんとか右足は回復した。でもそれはあくまで日常生活ができる状態まで回復したってことだよ。これまで激しい運動をした後に仁君が辛そうにしているのはずっとみてきた」

「気づいていましたか」

「仁君のそばにずっといたからね。後遺症が出た時はいつも一人になっていたから気になって仁君にばれないように後ろをついて行ったりもした。後、仁君のかかりつけの医者に今の仁君の状態はおかしいレベルだと言っていたから我慢していると思っていたよ」

「医者に聞いていましたか・・、まあ・・右足はこれ以上回復することはないと思っていますし、後遺症が出ないように極力無理はしないようにしてきました」

「なら今は無理をせずに休んで全国大会にいこうよ」

「フゥー、やっぱり祈さんには勝てませんね、仕方ないか。優勝するのが目的ではないですし、全国大会にいけるなら今日は棄権しますか。実はもう歩くのがきつくてどうしようか悩んでいました」

 仁は右腕を祈の方に伸ばした。

「肩を貸してほしいのね。どうぞ」

 仁は祈の肩に右腕を掛けて右足を軽く上げて祈の力を借りながら左足だけで歩いていく。大会委員にはさっきの試合で右足を痛めてしまったと伝え、棄権した。


「あ~、祈さんは優勝したのに自分は準優勝か、なんだか祈さんに負けた気がして悔しいな」

「準優勝でも全国大会には出場できるから元気出してよ、仁君。・・・あっ、私に負けたって今言ったよね?」

「言いましたけど?」

「この前言ったよね、私に負けたらなんでも言うこと聞くって」

 祈の目が急に輝いているように見えた。

「それとこれとでは違いますよ」

「いいや、仁君は負けたと言ったよ。私はしっかりこの耳で聞いたよ」

「そんな無茶苦茶な・・・」

「無理な要求はしないから言うこと聞いてよ。ねえ~」

 祈は仁の肩を掴んで軽く揺らした。

「もう~、仕方ないですね~」

「やったー、それと言うことを聞くのは全国大会が終わった後でいいよ」

「え?今じゃないんですか?」

「うん、後のお楽しみだよ」

「なんか嫌な予感がするのは気のせいかな?」

「きっと気のせいだよ~」

「はぁ~、そうですか」

 仁はこのとき、祈の要求がとんでもないものであることに知る由はなかった。


 仁は県大会準優勝、祈は県大会優勝という結果に終え、全国大会出場を決めた。


―数ヶ月後―


「ここに来るまで長かった」

「うん、とても長かった。仁君と出会うことができなかったらここに来ることはなかったと思う」

 2人は全国大会が開催される会場の前にいる。

「あの神社には感謝ですね」

「ええ、でも私は・・あまり神様は信じていないけど」

 仁は笑っていたが祈は悲しそうだった。

「俺もあまり神様は信じてはいませんでしたが祈さんと出会えたことはとてもよかったです。祈さんとならこれからも頑張っていけます」

 仁の言葉に祈は顔を赤くした。

「う、うん。仁君と出会えたのはとてもよかった。これからも一緒に頑張って行こう」

「はい」

「まずは目の前の全国大会だよ」

「優勝あるのみ!って感じでいきたいのですが自分は全盛期ほど力が戻っていないので不安です」

「弱気になったら駄目だよ、元気出してよ仁君(バンッ)

 祈は仁の背中を叩いた。

「イタッ」

「ここが終わりではないよ。どういう結果になったとしてもこの大会が終わった後、自分たちのこれからが決まる。悔いが残らないように全力を出すだけ、たとえ負けたとしても」

「いつもの祈さんとは別人のようだ。頭でも打ちましたか?」

「打ってないよ! それにいつものってなに?」

「笑っていたり、泣いていたりしている印象が強いので真面目な顔をしている祈さんは見慣れないです」

「た、たまには真面目にもなるよ!」

 祈は恥ずかしそうな顔をしながら答えた。

「まあ、でも祈さんの言うとおりです。悔いが残らないように頑張ります」

「うん、頑張ろう」

 2人は拳を重ねた後に会場に入り、開会式が終わった後に2人の1回戦が始まろうとしていた。


「テレビの前の皆さん、おはようございます。全日本剣道選手権大会の時間です。実況は私、田中と解説の川上さんでお送りします。川上さん、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「今回の大会なのですが一味違います。私はある情報を得てからじっとしていられません」

「ある情報とは何ですか田中さん」

「実はですね、5年前の全国高等学校剣道大会で活躍したあの上代君が今大会に出場しています」

「え? 誰ですか、上代君という人は」

「5年も前なので無理はないですが川上さんは覚えていませんか?」

「え、ええ。私はもう若くないので記憶力が悪くて」

「5年も前のことなので仕方ありません。私も情報が入るまで本人のことは全くわかりませんでした。その上代君なのですがその全国大会の後、突如姿を消したという情報が一気に広まりました。それは交通事故が原因で右足に重い後遺症が残るほどだとこの紙には書かれています」

「紙ですか、どれどれ」

 川上さんは田中さんの手から紙を受け取り、その内容を読んだ。

「ふむ、この情報が本当ならば上代君は剣道ができないはずだがこの5年間、治療やリハビリを続けて剣道ができる状態まで回復したということですか」

「確かに気になりますね。注目してみるのも悪くない選手ですのでさっそく我々は上代選手の1回戦をテレビ中継をしながら観ていこうと思います」

「なるほど、ちょっと楽しみですね。どういう剣道をするのか」

「はい」

 仁は試合会場に入り、対戦相手と礼として、蹲踞して審判の始めの合図を待つ。

「始め!」

「やあああ!!」

 仁と対戦相手は互いに大きな声を出す。そして先に動いたのは仁だった。

「胴!(パアァン!)」

「胴あり!」

 仁が面を打ちにいく動作をみせたので相手は避けようと竹刀で防ごうとしたが、仁の狙いは逆胴だった。逆胴とは相手から見て、左側の銅を打つのが一般的だが逆胴はその逆で右側の銅を意味する。仁は途中まで面を打ちにいく振りをして、相手が面を避けようと竹刀を上げたところを前に出ながら逆胴を打った。

「開始数秒で逆胴で1本取りました」

「完全に相手の意表を突きましたね」

「はい、さすがは上代君というところです」


「2本目!」

 相手は開始早々に1本取られてしまったので今度は慎重になっている。

「(完全に相手は自分のペースと乱している。次の一手で決まりそうだ)」

 仁はゆっくりと前に進んだ。相手はそれに合わして竹刀の先端で仁の竹刀を軽く何回か弾いた。仁は相手の竹刀に反応せず、まっすぐ構えたまま相手との距離を徐々に詰めていく。相手は1本とられているという焦りから仁の竹刀を弾いて面を打ちに来た。

「面!」

 仁は竹刀で受け流して前に出てくる相手をすり足で右に避けた。相手は前に出た勢いでそのまま少し進み、振り返ったがその瞬間

「突き!」

 仁の突きがまともに入った。

「突きあり!」

「オオオ!」

 試合を観ていた観客は声に出して驚いた。突きという技が試合で決まるのはあまりないためだ。

「勝負あり!」


「この試合をご覧になっていかがでしたか、川上さん」

「動きに一切無駄がありませんでした。まるで相手が次にどんな動きをするのか全てわかっているかのような動きをしていました」

「私も同じような感想です。」

「これは全国大会ですので決して相手が弱かったっというわけではありませんので皆さん、そこは間違わないように」

「確かにそうですね。上代選手の方が力が上だったというだけです」

「さて次の試合が続いていきます。他の選手の試合も観ていきましょう」

「はい」


 仁は2回戦も順調に勝った。一方で祈は1回戦を勝ち、現在2回戦を戦っていた。

「面!」

「胴!」

 果敢に攻めるが相手に上手く避けられて1本が決まるような決定打にはならなかった。

「ハァ、ハァ、ハァ(なかなかしぶといな。そろそろ疲れてきた)」

「面!」

 祈は面を打ち、相手に体当たりしたがこれも避けられた。お互いに鍔迫り合いの構えになり、祈が引き面を続いて打ったがこれも避けられた。祈が後ろに下がっているところを相手が攻めてきて面を打ってきた。

「面!」

 祈は竹刀で受け止めたが相手の体当たりをまともに受けた。

「ん!?」

 祈は身長こそ高いが細見で対戦相手は体格もしっかりしていた。まともに体当たりを受けた祈は当たり負けして後ろに飛ばされた。

「ドタドタドタ」

 なんとか倒れずに済んだが白線を超えてしまった。

「止め!」

 審判は場外反則の構えをして祈に反則を取った。

「反則1回! 始め!」

 しかしここから突如祈は攻めるのをやめた。

「(右腕の後遺症が出たか・・・)」

 さっきの体当たりを両手で受けたが弾かれてしまい、両腕が頭の後ろまで勢いよく上がってしまったのでそのときに痛めてしまった。

「(まずいな、右腕に痛みが走る)」

 祈の右腕は仁と比べれば深刻ではなく、かなり良い状態まで回復していたが時々後遺症は出ていた。

 祈が攻めてこないのをチャンスと思い、相手は果敢に攻めてきた。完全に立場が逆転し、祈は苦しい状況が続く。

「イッ」

 何とか右腕を動かしてはいるるが痛みがでてしまい、なかなか攻めに入ることが難しい。

「面! 面!」

 相手の攻めに防戦一方で白線が引いてある位置まできてしまった。

「(下がり過ぎた。これ以上は場外にでてしまい、反則を取られてしまう)」

 祈は右腕の痛みをこらえて打ちにくる相手の竹刀を返して胴を打つ。

「面!」

「胴!」

 しかしもう下がることができない状況での苦し紛れの返し胴であったため1本にはならなかった。お互いに瞬時に振り返って再び攻めに出る。

「面!」

「小手!」

 相手の面に対し、小手を打ちに行ったが決まらなかった。

「ピー!」

「やめ!」

 ここで制限時間がきた。2人は開始の白線の位置に戻り、

「延長始め!」

 再び2人は打ちあいになった。


「(右腕が痛くてたまらない・・・)」

 打ち合うがそのたびに右腕を痛みが走る。早く試合を終わらせたいのか焦るも打ち方が雑になってしまい、1本が決まらない。

「ハァッ、ハァッ、ハァッ」

 徐々に体力が尽きてきているが相手はまだ体力が残っており、攻め続けてきた。

「やあああ、面!」

 祈は何とか避けたが審判の1人が旗を揚げており、危うく1本とられるところだった。このままではそのうち負けてしまい、そう思った祈は右腕の痛みを堪えてもう一度攻めに出た。

「胴!」

 逆胴を打つも決まらなかった。鍔迫り合いになったがお互いに引いて、竹刀の先端が触れ合う位置まできた。

「(相手はこっちが弱っていると思い、あからさまに得意の面を打ちに来ている。避けるのは難しくはないが動きが速いからなかなか返すところまでいかない。こうなったら)」

 祈は何か考えたのか相手が打ってくるのを待った。相手は打つタイミングを探りながらここだと思ったところで打ちにきた。

「小手!」

 祈は相手が面を打ってくるのを待っていた。審判の1人に旗が上がったが他の2人には旗が上がらなかった。

「(くっ、右腕が・・・)」

 祈の右腕に激痛が走った。さっきの小手を打った時に相手の体当たりを右腕でまともに受けてしまったのが悪かった。しかし相手の速い動きに1本取るには胴ではなく小手を狙いにいくしかなかった。自滅覚悟で1本を取るためにとった行動だったが右腕の痛みが増す行為になってしまった。

「やあああ、面」

 相手は右腕の痛みで動きが鈍っている祈をみて、素早く動いて祈の竹刀を弾きとばして面を打った。

「面あり!」

 祈は1本取られてしまった。

「勝負あり!」

 ここで祈の試合は終わり、2回戦敗退が決まった。


 仁は2回戦が終わり、3回戦を戦う予定だが他の試合が長引いており、時間があったため祈のいる会場に来ていた。

「・・・仁・・君」

 祈は右腕をずっと抑えていた。

「え? 右腕どうしたんですか? 確かほぼ完治しているはずですが」

 仁は祈の右腕を掴んだ。

「痛い痛い!」

 祈は仁の掴んだ手をすぐに振りほどいた。

「なんでそんなに痛むの? 祈の右腕は・・・」

 仁はてっきり祈の右腕は大丈夫だと思っていたので驚いた。

「ハァ、ハァ、ばれちゃったか」

 祈は呼吸を乱していた。

「ばれた?」

「うん、当たり前だけど私たちにはブランクがあった。おまけにリハビリに時間を掛けないといけないというハンデも」

「そうだけど・・、あっ・・・、もしかして」

「そうだよ。リハビリのおかげで日常生活に支障が出ない程度にまで回復はしたけどそこまでだった。重い後遺症をもった右腕では稽古についていくことができなかった。無理をしただけに一応動くようにはなったけどあまり腕を上げすぎたり、勢いをつけて上げると後遺症は出やすいよ」

「祈・・・」

「ごめんね。試合前に頑張ろうと言ったけどやっぱりさ、私たちには限界があるよ。仁もわかっているでしょ? それ以上は右足が良くならない、私の場合は右腕・・・」

「・・・」

「この大会での結果が私たちの限界点、仁君も気づいているでしょ? 私の結果は2回戦で右腕を負傷して2回戦敗退。なんとか頑張って勝ちたかったけどこの後遺症が邪魔をして勝つことができなかった」

 祈の顔をみると涙が流れていた。

「祈さん・・・」

「ごめんね。私はここまでだ。仁君も無理だけはしないように頑張って」

「・・・はい・・・」

 仁は悲しそうな声で返事をした。

 祈はその後、医務室で治療を受けるために会場から出た。

「・・・ま、まずは祈さんの分も俺が頑張らないと」

 長引いていた他の2回戦も終わり、仁の3回戦が始まった。


「勝負あり!」

 結果だけ言うと仁の勝利だ。仁の剣道は速さや力といった身体能力で相手を圧倒する戦い方ではなく、相手の次の動きを予測して攻める戦い方であるため右足に負担が少なく済んだ。前回の県大会決勝戦のようにあからさまな身体能力で勝ち上がってきた相手でもない限り右足に負担をかけることはないだろう。

「まずいな・・・」

 仁は右足を気にしていた。

「(さすがは全国大会、相手も強いから時間をかけてはいけないが勝つには時間がかかってしまう。時間をかければかけるほど右足への不安が増えていく。そろそろ薬の効果が切れてきたか)」

 仁は3年前の大怪我からなんとか頑張って全国大会に出場するまでに来たが後遺症には何回か悩まされてきた。祈には最近は痛み止めの薬は飲んでいないと言ったが本当は痛み止めの薬で誤魔化しながらやってきた。仁の右足の治療をしてくれている医者に3年前は毎週、最近は毎月通っていた。無茶ばかりするから医者が定期的に診て、運動を制限していた。本当はやってはいけないことだが本人が止めても話を聞こうとしなかったからだ。

「次は4回戦、準決勝だが・・・祈がさっき言ったことを思い出してしまう。俺は次の試合でおそらく・・・、いやここまできたからには踏ん張ってくれ、右足」

 県大会で右足を負傷したときは薬の効果が弱かったかもしれないと仁は気にして、効果の強い痛み止めの注射をしてもらい、今回の大会に挑んでいた。後遺症なので右足は目にみえる変化はないが以前までの痛み止めの薬では効果が切れて試合どころではなかったかもしれない。それほどまでに全国大会は強者揃いでハンデがある状態では甘くはなかった。

 次の相手は社会人で前評判もよく、優勝候補だという。多くの観客が2階席で試合会場に一番近い場所に密集してきた。

「(相手は格上か、こっちも集中だ)」

 仁は目の前の相手ことだけを考え、試合会場に入る。お互いに一礼をして蹲踞。

「始め!」

「やあああ!」

「面!」

「小手!」

 仁は相手の面に対して小手を打ったが相手の動きが速くて1本にはならなかった。2人はお互いの打ちが決まらなかったのですぐに振り返って竹刀の剣先を合わせて次の手を探る。

「さあいよいよ準決勝です。試合早々にお互いに打ちましたが1本にならず、次の手を探り合いというところでしょう」

「ええ、両者とも腹の探り合いといったところです」

「ちなみにですが川上さん、上代君の対戦相手である坂野さんはどういった攻め方をしますか」

「彼のことはよく知っています。攻め方はわかりやすく言うと上代君と同じです」

「そうですか、ではこの試合の注目するポイントはありますか」

「おそらく長期戦になりますのでどっちが先に隙をみせてしまうかがポイントだと思います」

「隙をみせた方が負けると」

「単純ですが2人の実力は観させていただきました。ここまで勝ち上がってきた選手にそれほど実力差に違いはありません。どっちが勝っても私は驚きません」

「はい、ありがとうございます。解説中ですが試合の方も時間が進んでいき、お互いの攻防が続いております。みたところ決め手に欠けると言ったところでしょうか」

「剣捌きに無駄がありませんね、坂野君は」

「確かに上代君の攻めを無難によけています」


「(まずいな。この人は苦手なタイプだ)」

 仁にも苦手なタイプがあった。それは自分と似た戦い方をする人だった。相手が隙をみせたら攻める、相手が打ちに来たら返し技などで応じる。言葉だけではどのくらい強いのかはわからないが仁の対戦相手はレベルが違った。

「(おまけに最小限の動きでこっちの攻めをよけるから応じ技も有効打にはなりにくい)」

 仁は竹刀をわずかに動かしながら攻めの機会をうかがった。

「小手、胴!」

 仁は小手を打った後に胴を打つという基本的な攻め方から離れたことをしたが相手にはそれがお見通しだった。

「(普通に防がれた。意表をつくために1本にならないタイミングではあったが小手を打った後に面を打ちにいく動きを見せたのに完全に俺の動きが読まれていた)」

「パァーン、ガチャ、ガチャ、ドン」

 仁は懸命に攻めるが次々に避けられ、考えていた攻めがほぼ全て尽きた。

「ハァ、ハァ、ハァ(久々だ、完全に自分の攻めが読まれているのは。このままだとジリ貧だ、長期戦はこの右足では不利、ならこの試合に勝つことに掛けるか・・・)」

「止め!」

「(制限時間がきたか、あんまり長引くともちそうにない。早めに勝負にいかないと)」

 お互いに白線の位置まで戻り

「延長始め!」

「やあああ!」

 仁に長期戦は負けに近づくだけなので早く試合を終わらせたいという思いからパワー勝負に出た。

「面!」

 鍔迫り合いになった後に思いきり体当たりをして相手を後ろに飛ばして再び面を打つ。これはよれられたが再び鍔迫り合いになり、今度は相手も後ろに飛ばされないように力を入れて粘る。

「(これならどうだ)」

 相手が力を入れて後ろに飛ばされないようにしてきた瞬間、後ろに下がって引き面を打った。当然これも相手に読まれていた。しかし仁は果敢に攻めた。動きを読まれているのは仕方ない、仁には時間がないからだ。


「らしくない」

「川上さん、どうしました」

「上代君らしくないですね。パワー勝負とは・・自分の剣道を捨てたものに勝ちはありません。この勝負はそろそろ決まります。上代君はまだ若い、その若さから勝ちたいという思いが焦りを生み、動きが雑になってしまう」

「確かに上代君は体格もあるのでパワー勝負はできると思いますが今までそのような戦い方は観たことがありません」

「勝敗の決め手は若さ。こればかりは経験を積んでいくしかありません」

 2人がそう話している途中に

「小手!」

「小手あり!」

 坂野選手に1本決まってしまった。仁は応じ技を取られないように気を付けてはいたが攻め続けるという仁の本来の戦い方ではない、慣れないことをしたせいか応じ技をさせてしまう隙をみせてしまい、1本を取られた。

「勝負あり!」

 仁は普通に負けた。

「(痛みはなかったとは言わないが試合に支障が出るほどではなかった。しかし長期戦は不利だから早めに試合を決める必要があったから攻めたが負けた。ここまでか・・・俺の剣道はここまでだ・・・)」


 そして時間は進んで全試合が終わり、閉会式も終わった後

「上代選手、お話よろしいですか」

「上代選手」

「ぜびお話を」

 仁の元には取材をしたい人達でいっぱいだった。

「すみません、気分がすぐれないので後で」

 なんとか密集している人たちの間を通り、着替えために2階席に行った。

 しかし後ろには話を聞きたい人達でいっぱいで着替えるところではなかった。やむをえず、取材を受けることにした。


「この大会を振り返って感想をお願いします」

「さすがは全国大会です。どの選手も強くて苦戦を強いられることが多かったです。4回戦は完全に実力で負けました」

「4回戦ですが延長戦になってから明らかにパワー勝負にでたようにみられましたが」

「打つ手がなくてパワー勝負に出ただけです。負けてしまいましたが」

「それまではほぼ互角に見られましたがそのままいこうとは思わなかったですか」

「そう見えていました? 個人的にはもう打つ手がないと思っていましたが」

「今回は残念な結果にはなりましたが上代選手はまだお若く、将来も有望な選手です。次の試合、全国大会への意気込みをお願いします」

「次の試合か~」

「はい、お願いします」

「申し訳ないですが次はありません。今日をもって私は引退します」

「え!?」

「え、引退、え、なぜ?」

 周囲の人たちは全員驚き、ざわざわしてきた。

「過去の私を知っている方がいるかもしれませんので先に伝えます。私の右足は過去の交通事故で重い後遺症が残り、ボロボロです。懸命なリハビリで時間はかかりましたがここまでやってきました。しかしこれ以上は限界です。悔いはありません。やり残したことは1つもありません」

 周りは依然ざわざわしている。質問する声が飛び交い、どの質問に答えればわからなかったが耳に入ってきた質問があったので答えた。

「その若さで全国大会3位ですよ。もったいないです。続けてほしいという方も多いと思いますが」

「先程もいいましたが右足はボロボロです。この大会、痛み止めの注射を打って試合をしました。痛み止めの効果が切れかかってきて右足が痛むのでちょっと座りますね」

 仁は近くの観客席に座った。

 その後も何回か質問を受け、答えている最中に祈が仁を呼びに来た。

「仁君、医務室に行こう」

「え? まだ取材が」

「それはいいから」

 祈は少し強引に仁の右手を引っ張って医務室へと向かった。

「ちょっとごめんなさいね~」

 祈の試合を観に来ていた祈のお母さんが仁の荷物を持ってその後を着いて行った。


「荷物ここに置いておくね」

 祈のお母さんは医務室の床に仁の荷物を置いた。医務室を出た。

「あ、ありがとうございます」

「じゃあ、後は2人で」

 祈のお母さんは医務室を出た。

「と、とりあえず着替えますね」

「うん」

 仁は祈の目の前だがもう恥ずかしがるような関係ではないので躊躇することなくは下着姿になり、着替えの服を着て、椅子に座った。

「医務室ですけど他に人はいないですね」

「手当てする人はもういないからね。さっきまで私だけがいたよ」

「そうですか」

「ねえ、仁君」

「はい、何ですか」

「引退するの?」

 祈は先程の取材を聞いていたようだ。

「さっきの聞いてましたか、なら説明はしなくていいですね。はい、ここが俺の限界です。痛み止めの薬や注射で痛みをずっと誤魔化してました。祈さんに嘘をついてしまいすみません」

 頭を下げて祈に謝った。

「なんで謝るの?」

「祈さんに嘘をついたから」

「その嘘は私にとって悪いことなの?」

「いえ、悪いとは思いません。約束を果たすためには仕方ないと思っています」

「パァン!」

 祈は左手で仁の頬を思い切り叩いた。

「え?」

 仁は右手で右頬を抑えた。

「まだ約束とか言っているの? 剣道を一緒に続けて、その先に進もうっていう約束はいつまで続くの?」

「・・・」

 仁は沈黙した。

「仁君はさっき引退するって言ったよね? なら仁君は勝手に約束を破るの?」

「・・・」

「なにか言いなさいよ!」

「・・・」

 祈は左手で仁の右肩を掴んだ。

「黙っていたってわからないよ。仁君はずっと約束を守るために自分の体をボロボロにしながらここまで来たのに限界がきたからって勝手に約束を破るの? ねえ!?」

 仁の右肩を前後に振りながら祈は言い続ける。

「これ以上どうしろって言うんですか!? もうここが限界です! 祈さん、自分はいったいどうしたらよかったんですか!?」

 仁は溜めこんでいたものが一気にあふれたのか急に涙がでてきた。

「剣道を続けて自分の人生を前に進めることができたのかもしれないですがこれ以上は無理です。これ以上はどうやって進めばいいかわかりません。祈さん、自分はこれからどうすればいいですか・・・」

 仁は涙を流しながら祈に聞いた。

「あなたの前には誰がいる? いままでずっと支えてきたのはどこの誰? これからもあなたを支えるのはどこの誰?」

 祈はしゃがみ込んで仁を見上げる体勢で仁の頬を触った。

「祈さん・・・」

「私はあなたのずっとそばにいる。いままでずっとあなたのそばにいた。それはこれからも変わらない。ずっとあなたのそばにいる。あなたは私をこれまでたくさん助けてくれた。今度は困っているあなたを私が助ける番。私を頼りなさい。必ずあなたを助ける。それとも・・私では頼りない?」

「祈さん・・・」

 仁は流す涙の量が一気に増えた。

「私の胸でよければ貸すよ」

 祈は立ち上がり、仁に近寄った

「ちょっとだけ・・・お願いします」

「はい、どうぞ」

 仁は祈の胸の中で泣き続けた。


~その後~

 しばらく時間が過ぎ、ある日の出来事

「祈さ~ん、いきますよ~」

「は~い」

 2人は公園でバトミントンをしていた。

「それ!」

「よっ!」

「ふん!」

「えい!」

 なかなか楽しそうに打ち合っているのがみえる。最近はバトミントンだけでなく、デートで時々キャッチボールをしながら会話をすることもある。またあるときは温泉の後に卓球をやったり、バッテイングセンターに通ったりと2人で楽しめるものをなんでもやっている様子だった。

「祈さん」

「な~に?」

「楽しいですね」

「急にどうしたの?」

「祈さんと出会うまでこういうことはしてこなかったのでなんだか楽しくて」

「私も仁君と出会うまではやってこなかったから新鮮味があって楽しいよ」

「それはよかったです」

「急に楽しいとか言って、仁君はおかしくなったのか」

「おかしくないですよ。楽しいだけです」

「どっちでもいいよ、仁君はおかしい、おかしい」

「おかしいってそれひどくないですか?」

「ははは、楽しいからいいの~」

「も~、まあ楽しいのでいいですけど~」


 よく見ると2人の左手の薬指には指輪がはめてあり、太陽の光でキラキラ輝いていた。結婚式を挙げたわけではないが県大会の後に祈が仁に言うことを何ても聞いてもらうという約束で指輪を買ってもらった。指輪を買ってもらう時の仁は動揺していた。


~指輪を買いに行った時の2人~

「えっ、何でも言うこと聞くって言いましたけど指輪を買うんですか!?」

「なによ、何でもでしょ?」

「確かにそうですけど・・・早すぎじゃないですか?」

「早すぎって、もしかして仁君は私のことが大好きじゃないの? 他に好きな人がいるの? 浮気? 浮気なの?」

「いやいや、違いますよ。浮気なんてしませんから顔を至近距離まで近づけないで下さい」

 祈は仁の顔付近まで顔を近づけていた。

「そう、なら買ってもいいでしょ、買ってよ」

「まあ・・断る理由はないですし、買いますか」

「よし、じゃあ私はこれが欲しい」

 祈は店のガラス棚の指輪を指差した。

「ぶっ、結構な価格ですね・・・」

 値札を見て、思わずふいてしまった。

「お金あるでしょ? この前聞いたから持っているのは知っているよ」

「まあ・・ありますけど・・・」

 価格が気になって買うとは言えない仁だが祈はふたたび仁に迫る。

「仁君! 無茶苦茶な価格の指輪を買うわけじゃないからお願い、ねえ、お・ね・が・い」

 上目遣いで仁を見つめる。

「(ああ、もう可愛いな~、相変らず)」

 仁にはこれが効果覿面だと知っているためここぞという時は使うと決めている祈だった。

「はい、わかりました。買いましょう」

「やったー、ありがとう仁君」

 祈は万弁の笑みで仁にお礼を言った。


 購入後、2人は場所を変えて最初に出会った神社に来ていた。

「私たちが最初に出会った場所、今も変わっていないね」

「そうですね。何も変わっていません」

「仁君」

「はい、祈さん」

 仁は購入した指輪を袋から取り出した。

「俺は祈さんと出会えて本当に嬉しいです。祈さんとならこれから先の困難もお互いに助け合いながらやっていけます。ずっとそばにいて下さい。愛しています」

 祈の左手の薬指に指輪をつける。

「私も仁君と出会えて本当に嬉しいよ。仁君とならこれから先もずっと一緒に笑いながら歳をとることができる。いつまでも私のそばにいて下さい。愛しています」 

 仁の左手の薬指に指輪をつける。


 このときの2人はとても幸せな顔をしていた。この神社がきっかけで2人の人生は大きく変わった。必死に努力して剣道で勝ち続け、結果を残したのに不幸な事故でそれが全て台無しになる。そして台無しになるだけで終わらずに親との関係に亀裂が入り、2人とも良い状況にはなっていない。それが今後解決するかといえば2人の心理状況から修復不可能な状態であるため、おそらくないだろう。

 今まで苦しみ続け、どうしたらいいかわからなかった2人がお互いに支え続けて人生を歩んでいく。苦しいことがこれからも何度もあるだろうが同じ苦しみを持ち、今まで支え続けてきたこの2人なら途中で離れ離れになることなくこの指輪をずっとつけているだろう。 


 バトミントンをするのをやめて草が生い茂っている場所に座る2人。祈は仁の左肩に寄りかかっていた。

「仁君」

「何ですか?」

「仁君は大学を卒業したら工場で働くんだっけ?」

「そうですよ」

「ふーん、そっか~」

「どうしました?」

「いや別に、剣道を続けてきたから何か違うことをするのかと思ったけど理系の大学生って感じ」

「感じって・・、でも一応高校の外部コーチとして剣道は教えていきます。今度は正式なコーチなので当然ですけど給料もいただきます」

「おお、私もたまには顔を出そうかな~、皆に会いたいし」

「皆も喜ぶと思いますよ」

「でも指輪しているの見られたらからかわれそうだね」

「まあ、気になりますからね。いいじゃないですか、堂々としていれば」

「仁君は恥ずかしくないの?」

「恥ずかしがるからからかわれるので堂々としていれば大丈夫です。ところで祈さんは図書館で働き続けるのですか?」

「うん、大分仕事には慣れたし、私には仁君がいるから仕事が辛くても頑張れる」

「そうですか、応援しています」

「・・・ねえ仁君」

「はい」

「籍・・入れない?」

「・・・」

「仁君、聞いてる?」

「こういうのは男性から言うのが世間一般ですけど祈さんは積極的ですね。でもそういうところも好きです」

「フフ、ありがとう」

「祈さん、籍を入れましょう。俺と結婚してください」

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