出会う二人④
仁が家に着く前
「あれ? 仁君からメールが来てる」
「もしかして忘れ物かしら?」
お母さんが祈に声を掛けた。
「え・・・」
仁のメールをみて祈は驚いた。
「祈?」
「お、お母さん。これみて」
お母さんにメールをみてもらった。
「(マンションの下に上下が黒いジャージの中年男性が祈さんとお母さんが元気かと俺に聞いてきました。最初は不審に思ったのですが声を荒げて聞いてきたので従わないとまずいと思い適当に返事をしました。危ない人だと思うので警察に連絡をした方がいいかもしれません。万が一、祈さんの知り合いだと悪いと思ったので一応連絡しました。)」
「・・これってもしかして」
祈は体が震えながらお母さんの腕にくっついた。
「どうしよ・・、お母さん。あの人にここの住所がばれているよ」
「と、とりあえず明日弁護士に相談するわ。直接みたわけではないから警察に連絡は相談した後にするかしないか決めるわ。祈は心配する必要ないわ」
お母さんは震える祈の頭を撫でながら落ち着かせた。
「(しかし、どこでここの住所をわかったのかしら。祖父母も引っ越したはずだから聞く相手がいないはずなのだけど)」
お母さんは過去の出来事が頭をよぎってしまい、頭を抱えた。
「(うっ、思い出したくもないことが・・)」
祈が事故に遭うまでは両親と3人で暮らしていた。父親は祈に対して厳しい人だったが人格までは破綻していなかった。暴力を振るったり、理不尽に叱るといった行為はせず、叱るときは叱り、褒めるときはしっかり褒める。祈に恐怖を植え付ける教育はせず、模範的な親と言っても良いほどだった。ただし1つだけ絶対に駄目だと言われたことがあった。それは恋人を作ることだった。若いうちから恋人を作っても良いことはない、大人になってからにしなさいと何度も厳しく言われ、男友達を作ることすら毛嫌いする父親だった。このおかげもあったのか祈は道をはずすことなく成長していき、部活(剣道)では優秀な成績を残した。
高校2年生の夏には全国大会で優勝するほど強くなった。父親としては非常に誇らしく、こんな娘をもってお父さんはうれしいぞと祈に言ったほどだった。勉学の方も成績はよく、まさに文武両道の人生を祈は過ごしていた。あの事故が起きるまでは。
あの日、車と衝突する事故で祈は大怪我を負い、病院で治療を受けたが医者からは右腕は厳しいだろうと言われた。父親は医者に何度も頭を下げてどうにか治して下さいと頼んだが、これ以上の治療をしても右腕は良くならないと言われた。それを聞いた父親はただ茫然としており、何もかも終わったといっているような様子だった。
本来、親は祈を労うために何度も入院している祈に会いに行くべきなのだが、行ったのは母親だけだった。父親は毎日居酒屋や家で酒を飲んでは涙を流していた。今まで大事に育ててきた娘が一瞬の間にあんな状態になってしまったことにかなり衝撃を受けてしまい、現実を受け入れることができなかったのだろう。どうにか現実を忘れようと仕事が終わった後は酒を飲む毎日だった。
祈が退院後も酒を飲むのをやめずに毎日飲み続けた。飲むのをやめろといえない状況だけに母親は遠回しに遠慮したらどうかと言うだけだった。
しかし父親はそれが気にくわなかったのか母親に暴力を振るうようになった。「誰があんなに努力して育てたと思ってんだ」「誰が時間をかけて面倒をみたと言うんだ」「誰のおかげで生活できていると言うんだ」と現実を受け入れることができず、言ってはいけないことを何度も言った。
大きな声で言っていたので当然祈の耳にも入ってきた。祈は自分の部屋で親にはばれないようにずっと1人で泣いていたのにそれを支えてくれるはずの父親がこれではとても辛かった。母親が責められるのに我慢ができず、父親を止めに入ったことが何度かあったが父親は祈の顔をみると急に血相を変えて祈に暴力を振るった。
父親は祈に「お前が怪我をしなければ」「何で怪我をしたんだ」「周りに知り合いがいただろ、そいつらを犠牲にすればよかっただろ、何てお前が事故に遭った?」「誰がお前をそこまで育てたと思っている」「今まで面倒をみてきたのが全て無駄になった」「もうお前は必要ない」「どっかに行ってしまえ」と今までの父親からは想像ができない言葉を祈に向かって吐き続けた。
祈はひたすら「ごめんなさい」と父親に暴力を振るわれながら謝り続けた。右腕の治療が終わってない状態にもかかわらず暴力を振るい、それをみて母親は何度も止めに入ったが力で父親に勝つことができなかった。
こうした日が何度も続き、祈の右腕の怪我は悪化してしまった。通院中というのもあり、暴力を振るわれた次の日に病院に行き、医者はどうしてこうなったと祈と母親に答えるように何度も話しかけては断られ、隣の看護師にも話すように説得をされ、話さないなら警察に相談することも考えないといけないと言われたのをきっかけに母親が全てを話した。
医者と看護師は話を聞いて、警察と弁護士に相談するように言われ、2人が精神的に疲労していることをかんがみて弁護士には病院の方から連絡を入れてもらい、紹介を受けた弁護士のところに行った。
弁護士に全てを話し、弁護士とともに警察署にも訪れて父親に暴力を振るわれたこと、もう手がつけられないことを話した。警察官は父親から話を聞くために任意同行で警察署まで来て、事情を聞いた。
弁護士からは娘の怪我が悪化していることから父親とは一度離れて生活するのがいいと勧められ、母親の祖父母の元に一度避難することにした。
家族の関係を崩したくなかった2人は被害届をださずに今までの関係に戻ると信じて父親が精神的に落ち着くのを待った。
しかしそうは行かなかった。1週間が経った日、父親は祖父母の家まで来て、祈に暴力を振るった。仕事で母親は不在で祖父母が止めに入ったが力で振り切られた。振り切られて倒れた祖母は背中を床に強く打ち、立ち上がることができなかった。祖父は幸い怪我をしなかったが手をつけられないと感じ、警察に通報した。
警察が来るまで祖父がなんとか抵抗して祈を父親から守り、祈は目立った怪我をせずにすんだ。父親は警察に取り押さえられ、現行犯の傷害罪で逮捕された。
その後、すぐに救急車が到着した。祖父は警察に祖母の状態のことも話していたので警察が気を利かせて救急車を呼んでくれていた。消防隊員が祖母を担架に乗せて救急車の中に運び、祖父は消防隊員と祖母に後で病院に行くと伝えて救急車は走って行った。
これ以上父親を放っておくことは祈の身が危険だと感じ、すぐに祈と一緒に警察に被害届をだしに行った。このことはその夜に帰った母親にも伝え、今後のことを弁護士に相談することになった。
結果からいうと、両親は離婚、父親には接近禁止命令がだされた。そして母親と祈は父親から離れるために県外に引っ越すことにした。また祖父母も家を売りにだして引っ越した。母親は引っ越す前に会社に事情を話して転勤願をだして受理され、仕事を変えずに働き続け、祈は1年と少しの間、転校する結果になった。
「お母さん、大丈夫」
落ち着いた祈がお母さんの様子が悪くみえたので声を掛けた。
「う、うん・・大丈夫よ。大丈夫だから」
言葉では大丈夫と言ってはいるがとても大丈夫とは思えない様子だ。
「私も一緒に弁護士のところに行くから、ね?」
「心配しているのね。ありがとう。でも祈の方こそ大丈夫?」
「大丈夫ではないけど・・、でもあの人からは・・・」
「今日はしっかり戸締りして早めに寝ましょうか」
「うん・・・」
普段の寝る時間より少し早かったが2人は寝ることにした。
幸い、今日は土曜日だったので仕事が休み。祈とお母さんは連絡を入れて弁護士事務所に訪れた。
弁護士に事情を説明し、元夫がいる地域の警察署に連絡を入れ、身辺調査をしてもらうことになった。警察側は状況次第で愛知県の警察にも連絡を入れると丁寧に対応をしてくれた。母親と娘、祖父母に手をあげるほど精神状態が不安定ということもあったのだろうか、結果的にはよかった。
「ご丁寧にありがとうございます」
「ありがとうございます」
祈とお母さんは弁護士にお礼を言って家へと戻った。
しかしこれがまずかった。
「あっ!」
マンションの手前まで来てお母さんが驚いた。
「どうし・・」
祈もマンションの方向をみて、言葉がとめた。
「い、祈! 逃げるわよ!」
「う、うん」
すぐに今通った道を走って戻る。
「ハァッ、ハァッ」
お母さんは年齢もあり、息切れが早かった。
「お、お母さん、大丈夫?」
「大丈夫よ。とりあえず警察に連絡するのが一番だけどまずは安全を確保するのが最優先ね」
「う、うん。知らない人の家に入るのは迷惑をかけてしまうから警察署とかがいいけどここからだと遠いし・・」
「そうね。とりあえず駅に向かいましょう。駅なら人が多いし、何かあったら周りの人に助けて貰いましょう。ハァッ、ハァッ」
「そうだね」
2人は近くの駅に避難することにした。
「ハァー、ハァー、ハァー」
お母さんの息切れは激しかった。
「大丈夫? お母さん」
「ええ、大丈夫よ。それより警察に連絡しないと」
お母さんはスマートフォンをカバンからだして警察に連絡した。
「警察の人ね、駅とマンションの両方に来てくれるみたいよ。これで一安心ね。ふー」
お母さんは大きく息を吐いた。
「うん、これで一安心」
数分後
「あっ、パトカー来たよ、お母さん」
警察官は駅に駆けつけてくれた。
「お怪我はありませんか?」
警察官は深刻そうな表情で聞いてきた。
「はい、私も娘も怪我はありません」
「そうですか、それならよかったです」
「そんなに慌てて大丈夫ですか?」
「ああ、すみません。急いできたもので、大丈夫です」
警察官はすぐに周囲を見渡して身の安全を確認して、無線で母親と娘の安全を伝えた。
「これで大丈夫ですよ。マンションの方にも駆けつけていますので連絡が入り次第、すぐに伝えます」
「はい、ありがとうございます(2人)」
それから数分後、2人の前にいた警察官の無線に連絡が入った。
「今、マンションの前を徘徊していた不審者に職務質問をしたところ、逃げられてしまいました。申し訳ありません。現場のものが追いかけてすぐに捕まえますので、役に立てなくて本当に申し訳ありません。」
警察官は何度も頭を下げた。
「そうですか・・。いえ、大丈夫ですよ。ご迷惑をおかけします。」
お母さんも警察官と同様に頭を下げた。
「頭を下げてもらうようなことは1つもしておりません。2人の力になれるように全力を尽くします。役に立てず申し訳ありません。」
警察官はまたも頭を下げた。
「それでですね、この後、2人はどうしますか?今、マンションに戻るのは良くないと思います。どこかのホテルや知り合いの家に一晩泊めてもらうことをおすすめします。家まで押しかけたら女性2人では危険だと思います。役立たずながら2人をパトカーで泊る場所まで送ります」
「それでは・・この辺りならあそこのホテルがいいわね。○○ホテルまでお願いします」
「はい、では後ろに乗って下さい」
2人はパトカーの後ろの席に座り、ホテルまで送ってもらった。
「ではお気をつけて、不審者は捕まえ次第、連絡を入れます。何かあればすぐに警察に連絡してください」
警察官はそう言ってパトカーに乗って走って行った。
「行きましょうか、祈」
「うん」
2人はホテルの隣にあるレストランで食事をとり、ホテルに向かった。
「少し早いけど今日はホテルの中でじっとしていましょう。明日警察に連絡するまでホテルの外に出るのは駄目よ、祈」
「わかった」
ホテルの部屋は予約がいっぱいで2人部屋はなく、1人部屋を2つ借りた。
「私は体調が優れないからこのまま部屋から出ないから、お休み、祈」
「うん、お休みなさい」
昼食を取ったばかりだがお母さんはお休みといい、部屋の中に入って行った。祈に心配させないようにやせ我慢していたのだろう。自分も元夫には酷い仕打ちを受けており、嫌な思い出だっただろうに。
「お母さん、大丈夫かな。もう寝るみたいだけど」
心配しながら祈も部屋に入っていく。
「部屋に入ったものの寝るにはまだ早いし、テレビでも観ていようか」
リモコンを手にとり、テレビをつける。
「暇だ、家には戻れないから手元にはスマートフォンがあるだけ」
祈くらいの年齢ならスマートフォンがあれば暇つぶしには十分だろうが手元に充電器がないためインターネットやゲームをするわけにはいかなかった。
「使えないのは今日だけだし、コンビニに充電器を買うのはもったいない」
祈はテレビを観ながらベッドの上でゴロゴロしている。
「仁君、なにやってるかな~」
ホテルの部屋はオートロックであり、従業員以外は勝手に開けることができないので少し安心したのか祈は落ち着きだした。
一方その頃の仁
「よーし、練習試合を始めるぞー」
「はい」
剣道部の部活に顔を出していた。
「さて、審判をやるか」
椅子から立ち上がり、旗を持って審判の立ち位置に向かった。
「(来週は試合だ。まあ地区大会だからこいつらなら余裕で優勝だろう。だけど油断は禁物だ。念入りに準備するのはいいことだ。しっかり後輩たちの動きをみないと)」
後輩たちの練習試合が始まり、集中していく仁。
「(皆の動きはまずまずだ。まあ、俺が現役の頃と比べたらレベルが違うがそれを他人に求めるのは酷というものだ。俺と同じ目に遭うなんてことはあってはならない。同じ目になんて・・・)」
審判をしている最中だったが、現役の頃の自分と後輩を重ねてみていた。
「(まだまだ修正する部分が多い。練習試合が終わったら皆を集めて手本を見せるか。この右足はまだ剣道ができるほど状態が良くないから完全な手本とまではいかないけど伝わるだろうか)」
現役の頃は直接こういう動きをした方がいいと自分が再現していたのでよかったが今となってはそれができないので後輩に伝わるか不安のようだ。
「よし、これで全員の試合が終わった」
仁は前回と同じように皆の元に歩いて行き、1人ずつ丁寧に教えていく。
「一応1人ずつ教えていくけど俺が言っていることで参考になるところがあるかも知れないから聞いておいて損はないぞ」
「はい(全員)」
部員全員が声を揃えて返事をする。
「足の動きがよくなかった。ここでの攻め方がこうしたほうがいい」
仁は細かく教えていき、全員への指導が終わった。
「これで終わり。主将、次は何をするんだ?」
「はい、えーと次は掛かり稽古で練習は終わりです」
「そうか、ならストップウォッチは俺がやるよ」
「はい、お願いします」
掛かり稽古というのは攻め手と受け手にわかれて攻め手が一方的に攻め、受け手はそれを避けたり、受けたりする稽古で攻め手は休むことなく攻めるのでかなりキツイ稽古だ。
「始め!」
主将の合図と同時に全員が掛かり稽古を始める。
「ピー!」
仁の笛の合図で攻め手と受け手が交代する。次の笛の合図で相手といれかえてまた始める。これを10分~20分続けた。
「ピー!!」
終了の合図を出し、今日の部活は終了した。
「皆、お疲れ様」
「はい・・、ハァッ、ハァッ」
息切れをしており、皆辛そうだった。
「あっ、そうそう。皆のスポーツドリンクを買ってあるから部室に戻ったら一本ずつ持っていってね」
「わざわざありがとうございます」
「ありがとうございます(全員)」
「いいよ、皆、頑張っているから」
防具を片付けて皆が部室へと戻っていく。
「上代先輩」
後輩の1人が声を掛けてきた。
「ん?」
「小豆沢さん、今日は来ないのですか?」
「ああ、来ないよ。祈さんは社会人だから頻繁には来られない。来るときは俺に連絡を下さいって伝えているから」
「そうですか」
どこか寂しそうな顔をしていた。
「おいこら、祈さんに会えなくて寂しいのか?」
後輩の肩を軽く叩いた。
「い、いや、そういう・・わけではないですよ」
明らかに動揺している。
「バレバレだわ。わかりやすい。ハハハ」
「小豆沢さんは上代先輩のものだから手を出すなよ~」
別の部員が声を掛けてきた。
「恋人じゃないって言っていたからチャンスがあるかもしれないだろ!」
「ないだろ。ハハハ」
「ハイハイ、そのへんにしておいて着替えろよ。風邪ひくぞ―」
「はーい」
部員たちは全員部室に戻り、仁のやることはなくなった。
「やることないし、俺は帰るか。じゃあ、皆お疲れ様」
「お疲れ様です(全員)」
仁は学校の門をでた。
「腹が減ってきた。昼はまだだし、家に帰っても俺が作らないといけないし面倒だから駅の方にある定食屋で何か食べようか」
仁は駅の方向に歩いて行った。
「・・・」
仁にとっては嫌な光景が目に移った。
「うっ、けい・・さつ・・・(落ちつけ、落ちつくんだ)」
仁は警察官とパトカーが偶然にも視界に入ってしまい、頭を抱えて苦しそうにしている。
「ふー、ふー」
深呼吸して自分を落ち着かせた。
「(毎回これだときつい。どうしてもフラッシュバックのように警察官になれないという現実が頭をよぎってしまう)」
なんとか落ち着きを取り戻し、駅の方へと進んでいく。
「おっ、あったあった。昼にするか」
駅の近くまで歩き、目的の定食屋に入った。
「えーと、日替わり定食で」
「はーい、少々お待ちください」
店員が注文を受け付けて数分後に注文の定食がきた。
「どうぞ、ごゆっくり」
「はい、いただきます」
食べ始めてから仁は15分後に食べ終わった。
「ごちそうさまでした。」
「はい、ありがとうございました」
「さてと、家に帰るか」
定食屋をでて、家へと歩いて行った。
「・・・またか、今日はよくみる」
またしても警察官やパトカーを見かけてしまった。
「今日は何か事件でもあったのか、忙しそうだな」
警察官やパトカーが行った方向をみた後、家へと向かって行くとある男に出会ってしまった。
「ん?」
「お?」
昨日の夜に出会った男だった。
「おい、お前だろ!?」
「な、何ですか、急に」
「お前だろ!警察に通報した奴は!」
「何のことだかさっぱりわかりません」
「とぼけるな!お前以外に考えられんわ!」
男は仁の言葉に耳を傾けずに一方的に怒鳴った。
「(何でこんな目に遭うんだよ・・)」
「とぼけてばかりで俺の質問には答えないのか!?」
「す、すみません。わかりません」
「ここまできてしらばっくれるか、許さん」
男は仁に襲い掛かった。
「あぶなっ」
男の右ストレートに仁は危なげなく避けた。
「やる気か、お前!?」
「(もう冷静じゃないぞ、この人。早く逃げたいけどこの右足でいけるか不安だ)」
「くそっ」
今度は両手を使って殴ってきた。
「怪我しますからやめてください」
「黙れ!」
男は仁の胸元を掴んだ。
「うっ(やばっ)」
「これでもくらえ!(ビシィ)」
「ぐふっ」
仁は男のパンチを顔にまともにくらった。
「ふんっ!(ビシィ)」
「ぐっ」
二度目、三度目とくらった。仁の顔をみてみると鼻血が大量にでている。おそらく鼻を骨折したのだろう。
「痛いんだよ、ジジイ。離せよ、おらああ」
仁は怒りを露わにして、男の掴んでいる手を強引に振り解いた。
「服が血だらけじゃないか、おい、クソジジイ!」
「ああ? てめえ、誰に口を聞いている!?」
「てめえだよ!ボケが!!(ボコッ)」
仁は男の腹に思いきり殴った。
「ぐふっ」
男のみぞおちにまともに入ったようで男は後ろによろめきながら倒れた。
「はぁー、はぁー」
仁は倒れた男の腹を思い切り踏んづけた。
「ぐふっ」
「何考えてんだよ、ジジイが!おい!?」
仁は男に殴られた回数だけ腹を思い切り踏んづけた。
「ぐふっ、ぐっ」
「このクソジジイが!」
「おい、そこの2人!何をやっている?」
近くを巡回していた警察官が声を掛けてきた。
「お、おまわりさん。助けてください。殺される・・・」
男は仁に敵わないとみたのか警察官に助けを求めた。
「おい、君!やめなさい!」
「言われなくても・・・」
仁は男から足をどけた
「うわ・・、君、鼻血が凄いことになっているよ」
「え、ええ。この男に殴られました」
「この男が・・?」
警察官は驚いていたが無理もなかった。男は地面に這いつくばるように倒れていたのだから。
「ん~、ってこの男、通報にあった男じゃないか!」
警察官は大きな声を出した。
「早く応援を呼ばないと」
無線を使って応援を呼んだ。近くにもう1人警察官がいたようで無線で話している最中に現場に到着した。
「お前はパトカーに乗ってもらう」
「くっ」
男は警察官2人を相手にするのは難しいと思ったのか逃げるのを諦めて大人しくした。
「君にも事情を聴きたいからとりあえず一緒に病院に行こうか」
「は、はい」
男は駆け付けたパトカーに乗せられて警察署まで連行、仁は病院で治療を受けた後に警察署に行った。
「暇だな~」
祈はベッドの上でゴロゴロしているとスマートフォンに電話がかかってきた。
「ん?誰だろ・・ってお母さん?」
祈は不思議に思いながら電話にでた。
「祈、あの人捕まったみたいよ」
「本当?」
「ええ、本当よ」
「よかったね、お母さん」
「ええ、それで祈はこの後どうする? 折角ホテルの部屋借りたし、一晩泊って行く?」
「そうだね、もったいないから泊っていこ」
「ならまた明日の朝にね。お母さん、急に安心して疲れたわ」
「今なら大丈夫だから、ゆっくりしてね。ホテルの施設に温泉とかマッサージ機があるから使うといいよ」
「そうなの?ありがとう、使ってみるわ」
「今から行ってみよ、お母さん」
「そうね、じゃあ部屋の前に出ているわね」
「うん」
電話を切って2人は部屋の前で待ち合わせをしてホテルの施設を利用しに行った。
「あ~、まだ痛い」
「君も災難だったね」
仁は病院で治療を受け終わり、警察署で事情聴取を受け終わったところだった。
「それで君はあの男のことを知っているのか?」
仁の事情聴取をした警察官が聞いてきた。
「え~と、自分の友人に関わりがある怪しい人ってところです」
「そうか、わかってなかったようだね」
「あの男はいったい誰なんですか?」
「そうだな。友人なら知っていてもいいかもしれないけど・・・」
警察官は難しい顔をしている。
「言える範囲でいいですよ」
「個人情報になるから申し訳ないけど友人ならできれば友人から聞いてもらえないだろうか」
「そうですか、まあ仕方ないですね。個人情報を警察官が勝手に教えるわけにはいかないですし」
「そういうことだから悪いね」
「いいですよ、そういう仕事でしょうから」
仁は警察官の事情を少しは知っていたのであまり聞くことはしなかった。
「ああ、そうそう。電話番号は教えてもらったけど明日にまた連絡するから悪いけどでてもらえるか?」
「え?」
「君は被害届を出すだろ?」
「ああ、被害届ですか」
「その鼻の治療費とかあの男に請求しないといけないこともあるし、今日はもう遅いから明日、改めて書類の手続きとかをしようか」
「もうそんな時間ですか」
仁はスマートフォンで時間を確認すると18時だった。
「もうこんな時間」
「ごめんね。結構時間を待たせてしまって」
「まあ・・仕方ないですね。なので今日はこのへんで帰ってまた明日に来ます」
「お疲れ様」
「はい、ありがとうございます」
仁は警察署をあとにして、家に戻った。
「ああ~、疲れた。コンビニで買った弁当を食べてのんびりするか」
仁は台所の電子レンジで弁当を温めて食べ、自分の部屋に戻った。
「痛み止めが効いているのか鼻の痛みがなくなった。これで少しは落ち着く。フゥー」
あの男に思いきり殴られたこともあり、痛みがさっきまで続いていた。
「明日も警察署か・・、まあ被害届とか治療費とか必要だし、行かないと」
その後、時間は経っていき、次の日になった。
「ピ~、ピ~」
「ん? スマートフォンが鳴っているわ。誰からの電話かしら?」
祈のお母さんが電話にでた。
「はい、もしもし」
「おはようございます。○○です」
「あっ、弁護士さん。おはようございます」
「昨日は大変だったようですね。話は警察の方から聞きました」
「ああ、そうですか。でもあの人は捕まったので私たち2人は無事です」
「それなんですがあの人に暴行を受けた人がいまして」
「え?そうなんですか!」
お母さんは驚きのあまり、大きな声がでた。
「今日、その人が警察署に来るみたいですよ。まあ、直接関係ないとは思いますが一応伝えました」
「いえいえ、申し訳ないことをしてしまいました。もう他人とはいえ、過去のこともありますし、会って謝罪をしたいです」
「そうですか、では警察署に行けば出会えると思いますよ」
「ですね。わざわざ教えてくださってありがとうございます」
「何かありましたら私に連絡を下さい。すぐに対応しますので」
「はい、またお世話になると思いますのでよろしくお願いします」
話は終わり、電話を切った。
「(祈をあの人に会わせるわけにはいかないから私だけで警察署に行って被害を受けた人に謝罪をしないと)」
2人はホテルをでて、家にいた。
「祈-」
「なにー、お母さん?」
「お母さん、ちょっと出かけるけどいい?」
「私も一緒は駄目?」
1人が恐かったのかついて行こうとする。
「大丈夫よ、祈。何かあったら弁護士さんや警察に電話をしなさい。それにあの人は警察署にいるからここには来ないわ」
「う、うん」
祈にそう言い聞かせてお母さんは警察署に向かった。
「ん?」
「え?」
祈のお母さんと仁が鉢合わせた。
「仁君!?その鼻はどうしたの?」
仁の痛々しい鼻をみて、大きな声を出した。
「ああ、これですか。昨日殴られましてね。骨が折れてます。ハハハ」
自分の鼻を指差しながら苦笑いしていた。
「誰に殴られたの?」
「え~、それがですね」
仁は殴られた経緯を話した。
「ご、ごめんなさい!私たちのせいで仁君に迷惑をかけてしまって」
「いいんですよ。被害届と治療費等は警察の方がやってくれますし、怪しい人を見かけた時点で逃げていれば怪我をせずに済んだのに。自己責任です」
「そう・・、仁君は私に気を使ってくれているのね。優しいのね、仁君は。でも改めてごめんなさい」
先程に続いて頭を下げた。
「は、はい」
「それで仁君はその・・警察の方での用事は終わったの?」
「書類は提出したので今後の対応を聞いて終わりです」
「そう。お詫びと言うわけではないけどこの後、よかったら一緒にご飯でもどう?」
「2人でですか?」
「ええ、祈は家でじっとしているわ」
「まあ・・いいですよ」
「ありがとう。じゃあ、用事が終わるまで待っているわ」
「はい」
仁の用事が済むまで祈のお母さんは警察署の前で待つことにした。
「お待たせしました」
30分後に仁は警察署をでてきた。
「では行きましょうか」
「はい」
2人は食事のためにレストランに向かった。
「ここのレストランでいいかしら?」
「はい、ごちそうになります」
レストランの中に入り、席についた。
「仁君は何にする?」
「特にこれが食べたいというものがないので美味しいものを頼んでもらえますか?」
「私の好みでいいの?」
「はい、お願いします」
「苦いブラックコーヒーとか頼んじゃうわよ」
祈のお母さんは笑いながら言った。
「俺はブッラクコーヒーを普通に飲めますよ」
「あら残念」
本当に残念そうな顔をしている。
「(祈さんがからかうのが好きなのはお母さんの影響か)」
「じゃあ、これと・・あれも」
祈のお母さんは次々に店員に注文した。
「あとはデザートを30分後にお願いします」
「はい、かしこまりました」
店員さんは注文を読み返して、返事を受けて厨房の方に戻って行った。
「・・・」
少し2人の間が空いた。
「えっと・・・」
仁が話しかけようとしたがその後に祈のお母さんの方が話しかけてきた。
「仁君に怪我を負わせた人ね。実は私の元夫なの」
「え?」
仁はある程度予測できていたが祈のお母さんが躊躇いなくはっきりと言ったので驚いた。
「その夫といろいろあって私は離婚したから元夫になるわ」
「そ、そうですか」
「祈が交通事故に遭ってから元夫は急に変わったわ」
辛そうな顔をしながら過去の出来事を話しだした。
「そう・・ですか」
仁は話を聞き終わり、何をいえばいいかわからなかった。
「急にこんな話をしてごめんなさいね」
祈のお母さんは頭を仁に下げた。
「い、いえ・・それはきにしていませんよ。ただ・・」
「ただ・・?」
「うちの家族とは交通事故のあとは全然違いますけどお互いに劇的に変化しているな~って思って」
「仁君の家族も仁君に手をあげたの?」
「うちの場合は真逆ですね。いままで手をあげていたのが交通事故をきっかけにやめました。そして自分に興味がなくなったのか、負い目を感じているのかわかりませんけど自分から距離をとるようになりました」
「仁君も大変だったのね」
「まあ・・そうですね。親の暴力がなくなったのはよかったのですが、その代償があまりにも大きすぎて・・・」
仁は自分の右足に顔を向けた。
「ああ・・、そうね・・。嫌なことを思い出させたみたいね。ごめんなさい」
祈から仁の右足が悪いことは聞いていたのである程度はお母さんも知っていたようで、仁が辛そうな顔をしていたので辛いことを思い出させたと思い、仁に謝った。
「さっきから謝ってばかりですね。別にいいですよ。ハハハ」
仁は声に出して笑った。
「ごめ・・、あっ、確かに謝ってばかりね。フフフ」
暗い表情をしていたが祈のお母さんも笑い出した。
「過ぎたことはこのへんにして、そろそろデザートがでてきますよ。おいしいものを食べて元気を出しましょう」
デザートがでてくる時間になり、店員さんがデザートを持ってきた。
「ご注文は以上になります。ごゆっくりどうぞ」
「はい、ありがとうございます」
店員さんはテーブルにデザートを置いて、戻って行った。
「仁君に気を遣わせてしまうなんて、まだ若いのにしっかりしているのね」
「俺なんてまだまだですよ。祈さんに振り回されてばかりです」
「あら、祈には弱いのね。将来は尻に引かれるタイプね」
「ぶっ!」
仁はジュースを飲んでいたが噴いてしまった。
「ごほっ、ごほっ。な、何を言うんですか」
「あら、2人は恋人じゃなかったのかしら?フフ」
祈のお母さんは動揺する仁をみて、楽しんでいる。
「お互いに告白はしていませんよ。ただ・・祈さんのことは好き・・・かな?」
仁は顔を横にそらしながら言った。
「恥ずかしがり屋さんね。いつまでもあいまいな感じだと祈が他の男にとられてしまうわよ?」
「え、そうなんですか!?」
仁はびっくりして大きな声を出した。
「冗談よ。祈は仁君のことが好きだからそれはないわ。でもみたところ恋愛経験がないみたいね。祈もそうだけど2人は鈍感なのかしら?」
「直接言われてもわかりませんが・・・」
仁は頭をかきながら答えた。
「まあ、2人のことだし、私があれこれ口を出すのは野暮ね。応援しているから頑張りなさい」
「は、はあ・・・」
「さてと、デザートを食べましょう」
「はい」
2人はその後、デザートを食べてレストランの外に出た。
「仁君はこの後、家に戻るの?」
「そうですね。医者からは安静にしていろと言われているので家でじっとしています」
「私も家に戻るとするわ。ではお大事に、早く治るといいね」
「はい、今日はありがとうございました」
2人はわかれて家に戻った。
「ただいま~」
「あ、お母さん。お帰り」
「お昼は食べた?」
「うん、食べたよ」
「遅くなってごめんね」
「いいよ、それより怪我をした人とは会った?」
「ええ、会ったわ。ちゃんとお詫びしてきたわ」
「どんな人だった?」
「優しい人だったわ。何か私に文句でもいわれても仕方ないと思ったけど何もいわれなかったわ。それどころか自分が悪いって言ったの」
「へ~、そんな人だったんだ。よかったね、優しい人で」
「ええ、よかったわ。お母さん、あんな優しい人になら祈のことを安心して任せることができるわ」
「ん・・・?」
祈の動きが止まった。
「私のことを任せられる・・・?」
「ええ、そうよ」
「もしかしてその優しい人って仁君?」
「あたり♪」
お母さんは嬉しそうに言った。
「ええ!? 仁君だったの!?」
大きな声が部屋中に響いた。
「うるさいわよ、祈。近所迷惑よ」
「仁君。怪我したの? 大丈夫なの? ねえ、ねえお母さん」
お母さんの服を掴んで急かすように聞いた。
「鼻を骨折したって言ったわ。医者からは安静にするようにって」
「骨折?安静って、うわあ・・仁君には悪いことをしたかも」
「お母さんが謝ってきたし、一緒にレストランでお昼を御馳走してきたし、お詫びは一応してきたわ」
「そう・・ってレストランに? 仁君と2人で?」
「大丈夫よ。仁君元気だったから」
「お母さん、仁君に変なこと言ってないわよね?」
「2人は恋人でしょ?って聞いたわ」
「え!?何聞いているの?」
「フフフ、残念ながら違うと言ったから違うのか~って思ったけど仁君から祈のことが好きだって聞いたわ。もうさっさと告白して付き合いなさいよ、祈」
「お、お母さん、余計なことしないでよ!」
祈は動揺して慌てている。
「お母さん、用事があるから自分の部屋に戻るね~」
「ちょっと、お母さん」
お母さんは自分の部屋に入って行った。
「もう~、お母さんのバカ!」
祈の顔は真っ赤になっていた。
「あ~、お母さんがとんでもないことを仁君に言ってしまった。仁君にメールしたいけどメチャクチャ恥ずかしいし、仁君は安静にしないといけないし、お母さんがお詫びをしたから今度仁君に会ったときにでも謝ろうか」
祈はそう決めて、自分の部屋に戻った。
仁が鼻の怪我で安静にしている間、祈とお母さんは警察と弁護士とで今回の出来事に再び話し合うことになった。
「またお世話になります」
「いえいえ、弁護士として当然のことです。2人のことが第一に考えないといけません」
祈のお母さんは1人で弁護士に会っていた。
「今回の件で人に傷害を負わせてしまいましたので実刑になりました。懲役2年、刑務所の中に入ります」
「そうですか」
「彼の治療費も支払うようですし、事件としてはこれでひとまず終わりです」
「ありがとうございます」
弁護士に頭を下げて、お礼を言った。
「しかし、釈放された後のことが問題です。今回で2回目になりますので3回目がある可能性がないとは言えません」
「そう・・ですよね。でもどうしたらいいのか、また引っ越すとかがいいですか?」
「すぐには釈放されないので今すぐに引っ越さないといけないわけではありませんし、急ぐ必要ありません。それと厳しいかもしれないですけど元旦那さんは酒に溺れてこんなことになってしまったので1度話し合ってみるのはどうですか?」
「刑務所の中なら酒を飲むことはないですから話し合うことはできると思いますね」
「強制はしません。話し合うのか合わないかは祈さんと話し合って決めるのがいいです。あの交通事故がきっかけなのは明白ですし」
「祈がどう思うか・・・」
お母さんは祈の気持ちが心配になった。
「祈さんの気持ちが問題ですね。暴力を振るわれた過去がありますので祈さんが少しでも嫌だと言えば話し合うのは遠慮した方がいいです」
「そこが問題ですからね。祈と話し合ってみます」
「はい」
お母さんは弁護士との話を終えて、家に戻った。
「ただいま~」
「おかえり~」
祈はリビングでテレビをみていた。
「お母さん、どこに行っていたの?」
「弁護士のところに行っていたわ」
「あの人の件か~」
祈はゆったりとしながらテレビをみていたが声のトーンが下がった。
「そうよ。それであの人ね、懲役2年の実刑で刑務所に入ることになったわ」
「前回は執行猶予がついていたからね。今回のことで実刑になったのだね」
「これでひとまずは安心ね」
「うん」
「・・・」
何を言えばいいか2人はわからなかったのか少し間が空いた。
「それでね、また・・引っ越さない?」
「え・・、また引っ越すの?今度はどこに?」
祈は元父のことが原因で引越しがあるかもしれないとお母さんに言われる前から思ったのだろうか特に驚く様子はなかった。
「仕事があるから勤務場所に通える範囲で引っ越そうと思うわ」
「そう・・・」
「仁君とは離れ離れにならないから大丈夫よ」
「ちょっ、そういうことは気にしてないから!」
祈は慌てて否定した。
「仁君と離れ離れになってもいいってこと?」
「そういう意味じゃないから、も~、お母さんの意地悪!」
ちょっとだったが重かった空気が変わった。
「フフ、今すぐには引っ越さないから引っ越したいところがあったら言ってね。例えば仁君の家に近いところとか」
「お母さん!」
「冗談よ、祈」
「も~」
祈は不貞腐れ、顔は膨らんでいる。
「ごめんごめん、じゃあ、お母さんはちょっと部屋に戻っているからゆっくりしてていいわよ」
「うん」
お母さんは自分の部屋に入った。
「(祈をあの人に会せることはできないわ。辛い過去と向き合うことになるのだから)」
弁護士との話で元夫と話し合ってみるのもいいと言われたが祈のことを考えて元夫と会わせるわけにはいかなかった。
「・・・」
祈はリビングのソファーに座っていた。
「(お母さん、大変だろう。また引っ越さないといけないのか。刑務所に入ることになるけど釈放された後が気になる。ずっと酒に溺れていたから今なら正常な判断ができるかもしれない。私の交通事故がきっかけになったのは間違いないから私が直接話し合ってこの問題を解決できるかもしれない)」
祈はソファーの近くに置いてあったクッションを抱えて強く握りしめた。
「(でも恐い。警察官がそばにいるから襲われることはないけど近くにいるだけで恐い・・。私1人だけでは難しい。誰かに助けてもらわないと無理かも・・・。でも他人を家庭内問題に巻き込むわけには・・・)」
「ピローン」
祈が考え込んでいると近くに置いてあるスマートフォンの受信音が鳴った。
「あっ、メールだ。誰だろう?」
手にとってみると送信相手は仁からだった。
「仁君だ。えっと・・、(次の土曜日の昼に喫茶店に行きませんか)。ん~次の土曜日か、今はそれどころじゃ・・嫌、困ったときは助け合うって約束したのだから駄目元で頼んでみようか、事故がきっかけでこんなことになってしまったのだから約束の内容からすると少々強引かも知れないけど仁君なら私を助けてくれるかも」
祈は食事の誘いに返事のメールをした。
「これでよしっと。明日は仕事だから仕事の準備でもするか」
メールを済ませて自分の部屋に戻っていった。
次の土曜日の昼
「カランコロン」
祈は喫茶店に来てみると既に仁が席に座っていた。
「今日は仁君が先だね」
「祈さんは来るのが早いので11時20分から来ていました」
「なるほどまあ確かに今は11時30分だから早いね。待ち合わせの時間には早い時間から行くのが習慣になっているから」
「それなら今度からは30分遅い時間を伝えようか」
「あっ、そういうことするなら仁君の家で待ち合わせにしようか?」
祈は悪いことでも考えていそうな顔をしている。
「もはや待ち合わせになっていないので遠慮します」
「冗談だよ。仁君」
祈は上着を脱いで席に座った。
「・・・(2人)」
席に着き、お互いに顔を向き合わせた。以前に祈のお母さんから両想い(お互いに好き)だと聞いてしまったので改まって近い距離でみるとなんだか恥ずかしくなってきたようで2人とも顔が赤くなっていた。
「え、えーっとね、お母さんから聞いたけど鼻は大丈夫?」
祈が目線をそらして話しかけた。
仁の鼻は1週間経ち、腫れと痛みが治まり、怪我をしていない状態と同じだった。
「え、ええ、安静にしていたので大分良いです。激しい運動はまだできませんが」
「ならよかった。ごめんね、面倒事に巻き込んでしまって」
「いえ、いいんですよ。お母さんにも言いましたが逃げなかった自分が悪いので」
「優しいね。仁君は」
「そうですか?これが普通だと思いますけど」
「普通なら怒ると思うけどそれが仁君の普通なのね」
「まあ・・他人のことはよくわかりませんけど」
「ところで今日はどうしたの?何かあった?」
「何かあったというわけではないですが今回のことで祈さんの手助けができればと思いまして」
仁は祈のお母さんが言ったことが気になり、祈のことが心配だった。
「ちょっと困っていることがあってね。仁君を関わらせていいのか思っていることがあってね」
祈はテーブルの上で両手を組み、肘をついて顎を上に乗せた。
「私の元父親に会おうと思うの」
「今って刑務所にいるんですよね?」
「うん、今回で2回目だから執行猶予なしの実刑判決で刑務所に入っている」
「なんで会うんですか?祈さんにひどいことをしたと聞きましたけど」
「あの人は私が交通事故にあってから酒癖が悪くなり、私に暴力を振るった。今回も仁君に怪我を負わせたときも酒を飲んでいたと思うよ」
仁は怪我を負わされたとき、酒臭かったことを思い出した。
「あ~、確かに酒臭かった」
「でね、刑務所の中なら酒はないし、3年も禁酒をすれば酒癖も治るかも知れないからその間に話し合おうと思うの」
「それで自分は何をすればいいですか」
仁が聞くと祈は言いづらそうに答えた。
「え-っとね・・・、私のそばにいてくれないかな?」
「え?」
「私のそばに・・いてほしいの」
「いや、言っていることはわかりましたけど、なぜですか?」
「私の傍は・・嫌?」
祈は上目遣いをした。
「嫌じゃないです。いつでもそばにいますよ」
「ありがとう、仁君」
「会うのが恐いですか?」
「うん・・」
「そうですか、困ったらいつでも頼ってください。それで会いに行くのはいつですか?」
「1ヶ月後ぐらいに面会しようと思う。来週面会の書類を出しに行くわ」
「じゃあそれで決まりですね」
「うん」
「ん? 待てよ・・・」
仁は気になったことがあったのか考え込んだ。
「? 仁君、どうしたの?」
「確か・・、親族や弁護士とかの人じゃないと面会はできなかったはずです」
「え?」
「もしかして知らなかったんですか?」
「う・・うん・・・」
祈は恥ずかしそうに顔を下に向けた。
「まあ、自分は面会できませんがその前までならそばにいることができますが祈さんは面会に行きますか」
「・・・」
「無理に行くことはありません。恐いことから逃げることは悪いことではありません」
「でも2年後にまたあの人が来たら・・・」
「今回のことで警察もさすがに対応をしっかりしますよ。それに刑務所で2年間禁酒すれば少しは変わると思いますよ」
「そう・・だよね」
祈は行こうか迷っている様子だ。
「(恐いから行きたくないけどまた今回のようなことがあったら嫌だろうな)」
「ん~」
なかなか決めることができずに声にでてきた。
「祈さん」
「ん~」
「祈さん!」
「は、はい!」
大きな声を出し、祈がびっくりした。
「折角ここまで話をしましたけど祈さんは行かない方がいいです。いや、絶対にあの人のところに行かせません」
「え?」
「2年後が恐いなら引越しをして遠いところに行けばいいです」
「でも・・・」
「俺と一緒にいたいですか?」
「あ、あの、それは・・・」
祈の顔は少し赤くなり、口元がもごもごしている。
「時間は2年ありますので今すぐに決める必要ありません。俺はいつでも祈さんのそばにいますので」
「・・・」
仁の言葉に祈は恥ずかしかったのか顔を下に向けた。
「まだ返事がないのでもう一度言いますけど面会には行かないでください」
「・・・」
「返事があるまで聞きますよ? 行くと言うなら無理やりにでも行くことをとめますけど」
「い、行かない。行かないわ」
仁に迫られ、強引に言わされたみたいだが返事をした。
「はい、それでいいです。言いましたからね。行ったら怒りますから」
「わかった、わかったから。絶対に行かないから」
手のひらを仁の方に向けて絶対に行かないと表現した。
「これでよし。これでこの話は終わりです。折角おじさんの店に来たので食事にしましょう。おじさん、注文お願いします」
奥の部屋にいたおじさんを呼んだ。
「あっ、おじさん、奥の部屋にいたんだね」
「この時間帯は完全予約でお願いしていたから俺たち以外に客はいないから」
「え?わざわざそんな気遣いしてくれたの?」
「私は構いませんよ。いつでもこの喫茶店を利用してください」
おじさんは祈に言った。
「ありがとうございます、おじさん」
お礼を言い、頭を下げた。
「注文はあらかじめ聞いていたのであと少しでできますよ。ゆっくりしていってください」
「はい、ありがとうございます」
数分後に仁が注文した料理がテーブルの上に運ばれてきた。
「おいしそう、早速食べよう」
「はい、食べましょう」
2人は美味しそうに出された料理を食べ始めた。
「おいしい~♪」
祈は嬉しそうに食べている。
「それはよかったです。追加で頼んでもいいですよ。材料はたくさんありますので」
おじさんは祈の嬉しそうな顔をみて嬉しそうだった。
「ハハハ、食べ過ぎて腹を壊さないようにしてください」
仁も食べながら祈を気遣った。
「はいは~い」
適当な返事をしながらどんどん出された料理を食べていく。
30分後
「も、もう食べられない・・・」
テーブルの上には食べ終わった皿でいっぱいだった。
「だから言ったのに、食べ過ぎですって、祈さん」
「だって美味しかったから、んっ」
ゲップが出そうになった。
「それじゃ太りますよ~、おっと」
太るという言葉に祈が反応するも仁は予測していたので祈の足蹴りを軽々避けた。
「くっ、このやろー」
「あんまり動くと吐きますよ。ゆっくりしてください、祈さん」
「ま、まあそうだね。今日のところはこの辺にしておくわ」
「(何もされてないけどな)」
食事を終わりにして、仁はおじさんと一緒にテーブルの上の皿を片付けた。
「ありがとう、仁さん。わざわざ手伝って貰って」
「いいんですよ。完全予約にしてもらいましたし、このくらいは手伝わないと。普段からお世話になっていますし」
「本当にいい人だね、仁さんは」
「大したことないですよ。自分がやろうと思ったことをやっているだけです」
「相変らずって感じですね。ところで仁さん」
「はい、どうしました?」
「祈さんのお父さんに会うのをやめたんですって?」
「はい、そうですけど」
おじさんの顔が少し変わった。
「祈さんはここに来るとき、たまに体や顔に傷がついてあるのをみたことがあります。本人は階段で転んだとか適当なことを言っていますが何回も階段で転ぶことはないと思うのでおそらくお父さんが虐待をしていたのでしょう」
「傷・・、そこまで・・・」
「ええ、なのでそれでもお父さんに会いに行きたいと言ったとき私はまだ祈さんがお父さんに依存している可能性があるのではと思いました。たった1人の自分のお父さんなので仕方ないとは思いますがそれと同時に祈さんの心には深い傷が残っているはずです。お父さんに会いたいという気持ちと暴力を振るわれてしまうかもしれないという気持ちの2つが。しかしあのときの祈さんの顔に笑顔は全くなかった。とても辛かったはずです。私はお父さんに会うのは反対です。決して会わせてはいけません」
「なるほど・・・」
「祈さんのお母さんも苦労しているはずなので祈さんはお母さんに頼るのは気が引けるでしょう。なので祈さんには頼ることができる人が必要です。仁さんなら頼ることができるでしょう。他人任せで申し訳なく思いますがどうか・・お願いします」
「はい、必ず祈さんを支えます」
「年寄りではできることに限界がありますので、後は仁さんに全部任せます」
「全部・・? まあ・・はい」
おじさんの言うことがどこか引っかかった仁だったがあまり気にせずに返事をした。
「(この2人なら将来もいい方向に行ってくれるだろうな。2人の為に何かプレゼントでも考えようかな)」
おじさんはニコニコしながら奥の部屋へと戻って行った。
「おじさん、やたら嬉しそうだった。まるで祈のおじいさんみたいだ」
仁は休んでいる祈の元に戻った。
「少しは動けるようになりましたか?」
「う、うん。大分動けるように・・うっ」
祈は吐きそうになった。
「ちょっ、大丈夫ですか!」
「うっ・・、ゴクッ、フー」
なんとか持ち直した。
「祈さん、大丈夫ですか?」
「なんとかね」
「まったく・・、食べ過ぎですよ。これからは食べ過ぎは禁止です」
「え~、好きなだけ食べたいよー」
「せっかく可愛いのに太ったらもったいない。デブになったら可愛くないですよ」
相変らず言いにくいことはハッキリと言う仁だった。
「仁君はさらっと言いにくいことを言うから時々驚くわ。デリカシーがないのか、あるのか・・・」
「さあ?どうでしょうか」
「まあ・・いいわ。ほどほどに気をつけるわ」
「あんまり信用できないですね」
「・・努力するわ」
仁にしつこく言われて顔をしかめながら言った。
2人はもう少し休んだ。
「ではそろそろ家に帰りますか」
「そうね、長い時間ここにいるのもおじさんたちに悪いし」
2人は脱いでいた上着を着て、帰る準備をする。
「今日はありがとうございました。またよろしくお願いします」
「ありがとうございました」
仁の後に祈もお礼を言った。
「はい、いつでもどうぞ」
おじさんの返事の後に2人は喫茶店を出た。
「では祈さん、また部活のときに会いましょう」
「・・・」
祈は黙ったまま顔を下に向けていた。
「祈さん?」
少し間が空いてから祈が顔をあげた。
「仁君、ちょっといい?」
「はい」
祈は仁に近寄り、抱きついた。
「祈さん・・・」
「ちょっとの間だけだからお願い」
祈は腕をギュッとしめて密着した。
「気がすむまでいいですよ」
仁は優しく腕を祈の背中の方に回した。
「(お父さんがあれでお母さんも大変だったみたいだし、一番辛かったときに支えてくれる人がいなかったのかとても辛かっただろうな。祈さんは普段は強がってはいるけどやっぱり甘えたいみたいだな。そういう雰囲気は感じていたし。でも俺も同じみたいなものか、俺の場合は両方なんだけどな・・・)」
数分が経ち、祈は仁から離れた。
「仁君は体が大きいから抱きつくと落ち着く」
「それは褒められてる・・のかな?」
「褒めているよ」
「そうですか、まあ・・ありがとうございます」
「あまり嬉しくなさそうだね」
「大きい体になりたくてなったわけではないので嬉しいかと言われたら別にって感じです」
「でも大きい方が男性の場合は頼りになるから」
「へぇ~」
「大きい体にしてくれた親には感謝しないとね」
「そうですね」
「じゃあ、この辺にしてそろそろ家に帰るね」
「はい、ではまた今度に」
「また今度ね~」
お互いに手を振って家に帰って行った。
「親に感謝・・・か」
仁は深刻そうな顔をしていた。