出会う二人③
次の日
「30分前には来るのが当たり前みたいだね。祈さんは」
「遅刻するよりはいいでしょ」
いつもの駅で待ち合わせ30分前には到着した2人。祈の方が来るのが早く、駅のベンチに座って待っていた。
「今日はどこまで行くんですか?」
「名古屋の方に行くよ」
「駅から離れますけど市外に出なくても一応ありますけど名古屋ですか」
「仁君がずっと歩きで荷物持ちしてくれるなら構わないよ」
祈は笑顔で言った。
「ああ、勘弁してください。祈さんはたくさん買い物するから」
「私と出かけるのに仁君は本当に嫌そうな顔をするね。せっかく2人で買い物に行くのだから楽しまないと」
少し不貞腐れた表情で口を尖らせた。
「そうですね。楽しまないと」
仁は機嫌を悪くしてはいけないと思ったのか慌てて笑顔を作った。
「ねえねえ、ちなみにだけど・・仁君って貯金とかある?」
2人でいるときはお金を使う機会が多いので懐事情が気になるようだ。
「結構ありますよ」
「どのくらい?」
「あんまり言うようなことではないのですが」
「気にしないから大丈夫だよ」
「そうですか、では○○○円です」
「!?」
あまりの額に祈はびっくりした。
「な、何でそんなにあるの?」
「まあ、慰謝料ですね。右足の」
「ああ、そうなの・・・ってそんなに受け取ったの?」
「親が凄腕の弁護士を雇ったのと加害者側の親が金持ちだったから」
「そ、そういうことか」
「ちなみに祈さんも受け取ってないのですか?」
「一応ね。そんな額ではないけど」
「そうですか」
「仁君の親って凄いのね。何をしてる人なの?」
「両親とも警察官です。知り合いにたまたま弁護士がいるだけです」
「あ~、そういうことね」
「まあ、これでお金を気にする必要はないね。ささ、電車が来るまで駅のホームで待っていよう」
仁を急かすように先を歩く。
「はい」
2人は駅のホームまで移動して時間が来るまで待ち、電車に乗った。
「さーて、目的地に着いた」
「ここですか、大きいショッピングモールですね」
電車で移動して2人は名古屋のショッピングモールに来ている。
「名古屋の中でも大きいと言われている場所だからね」
「へぇ~」
「仁君はお金持ってるから仁君の服も買おう」
「自分のもですか?」
「カッコいい服着たくないの?」
「確かに」
「でしょ。それに今ならセール中だから安く変えるよ」
「それなら自分も買います」
「よし、決まり。なら行こう」
「はい」
2人はショッピングモールの中に入り、服を買いに店の中に入る。
「どれにしようかな~」
「祈さんならどれも似合いますよ」
「適当だな、仁君は。女心がわかってないようだね」
「ん~、確かにわかりませんね」
「納得するのか、何か反論とかしないの?」
「今まで女性と2人きりでどこかに行くとかはなかったので」
「まあ、私も男性と2人きりは仁君が初めてだね」
「なら祈さんは男心がわかってなさそうですね」
「ああ言えばこう言うみたいになってるよ、仁君」
「はいはい、ごめんなさい」
「謝り方も適当だな。まあいいけど」
「あっ、この服とか祈さんに似合いませんか?」
仁は祈の話をあまり聞かずに服選びをしていた。
「気持ちが全く篭ってないごめんなさいだったね。全く・・・」
「いいじゃないですか、はい、この服着てみませんか?」
祈に服を手渡した。
「(あっ、これ可愛いかも)じゃあ、着てみるね」
衣装ケースの中に入って行った。
「(右腕は以前よりは動くけど日常生活には支障は出ているからこういうときも大変だな)」
左手を使い、なんとか体を動かしながら右腕に袖を通して服を着る。
「どう?似合ってる?」
カーテンをあけて仁に似合っているかみてもらった。
「ええ、似合ってますよ」
「よし、これを買うわ」
「いいんですか、自分が選んだもので」
「仁君だからいいんだよ」
「?」
仁は首をかしげた。
「他によさそうな服はある?」
「ええ~と、このスカートなんかどうですか?」
「おお、大人っぽくて良さそうだね。早速着てみよう」
再び衣装ケースに入って着替えた。
「どうかな?」
「いいですね。似合ってます」
「よし、これも買おう」
「次いこう」
「はい」
こんな感じで服を選んで買っていく。
「よし、次は仁君のだね」
「今度は祈さんが選んでくれますか?」
「ええ、いいわよ。私の服を選んでくれたし」
祈は服を次々と選んでいく。
「これとそれと、あれもいいね。あとはこれと」
「祈さん」
「なに?」
「選びすぎです。そんなに買いませんよ」
「着る分にはタダだから気に入ったのを買えばいいよ」
「それはそうですけど、多すぎです」
選んだ服は10着を超えていた。
「そう、なら数を少なくするね」
「お願いします」
そして祈が選んでくれた服を順番に着て、似合う服を買った。
「よし、買い終わったね。服以外のものもみて行こうか」
「あ、ちょっと待ってください。もしよければ祈さんにプレゼントを買いたいと思っているので何か欲しいものとかありますか?」
「プレゼント?」
「はい、今後もこの関係は続いていくので今後もよろしくお願いしますの意味を込めてです」
「そういうのはサプライズとかがいいんじゃない?」
「確かにそうですけど、いらないものを渡すことになったら困ると思ったので直接欲しいものを聞いた方がいいと思いました」
「仁君がくれるものなら何でも嬉しいけどな」
「う~ん、なら手袋とかどうですか?」
「手袋?」
「祈さん、手袋してませんし」
「そうね。ちなみに仁君もだね」
「ああ、はい」
「ならお揃いの手袋を買って欲しいな」
「お揃いですか?」
「嫌?」
祈は上目使いをした。
「い、嫌じゃないですよ。ではお揃いのものを買ってきますね」
仁の顔は少し赤くなっていた。
「はーい」
「すぐ買ってきます」
祈は店の外に出て、少しして仁が出てきた。
「買ってきました。はい、祈さんの分」
「ありがとう。手袋の色は・・・黒か」
「汚れたら目立ちますし、お互いに赤が好きですけど全身赤になったらそれはそれで恥ずかしいと思いまして」
「確かに全身赤は目立つから恥ずかしいね。フフ」
祈は軽く笑った。
「気に入ってもらえましたか?」
「ええ、ありがとう」
「それでしたらよかったです」
仁はお礼を言われて照れた。
「よし、次はアクセサリーをみに行きたい」
「アクセサリーですか、いいですよ」
祈の案内に着いて行き、売り場まで来た。
「アクセサリーは好き?」
「特に好きでも嫌いでもないですね。つける理由とかもなかったですし」
「私とお揃いのアクセサリーをつけるのは・・嫌かな?」
「別に構いませんよ」
祈は恥ずかしそうに言ったが仁は顔色1つ変えなかった。
「(絶対お揃いのアクセサリーをつける意味をわかってないな。鈍いにもほどがある。まあ・・・ずっと剣道をしていて恋愛をしてこなかったからだから仕方ないけど。私も恋愛をしてこなかったからどういう距離感とか積極的にいくとかわからないけど)」
「何か考えことですか?」
祈が考え込んでいたので気になって声を掛けた。
「ん? いや、何でもないよ。中に入ろうか」
「はい」
2人は店の中に入って行く。
「ここも安売りか、アクセサリーとは買ったことないから高いのか安いのかわからないな」
「ここは私に任せて(お母さんからアクセサリーの相場価格は聞いたから)」
(昨日の夜のこと)
「お母さん、明日、仁君と買い物に行くんだけど普段お世話になってるからプレゼントを渡したいの、何がいいかな?」
「プレゼントか、マフラーとか手袋とか定番だし、いいと思うわよ」
「定番か・・・、他にはある?」
「今なら安売りしているからアクセサリーとかどうかしら?」
「仁君喜ぶかな?」
「どうかしら、祈のことが好きなら喜ぶかもね」
「何言いだすの!? お母さん」
「祈は仁君のこと好きじゃないの?」
「仁君の話しているのに何で私の話になるの!?」
「そんなにむきにならないの、丸わかりよ、祈」
「あっ、く~」
お母さんの言葉に祈は左手を握り、悔しがった。
「からかうのは終わりにしてご飯にするわよ」
「からかうってちゃんと私の話を聞いて考えてたの?」
「聞いてたわよ~」
調理した食事を皿に盛り付けながら言った。
「(あんまり聞いてない気がするけど・・・)」
「このアクセサリーとかどうかな?」
祈は気になったアクセサリーを持って仁にみせた。
「いいと思います」
「感想が簡潔だな。本当にいいと思ってる?」
「祈さんが気に入ったものなら自分はどれでもかまいませんよ」
「んー、何でもいいのか。それならもう少しみるね」
「はい、どうぞ」
それから10分程選んだ。
「これに決めた。買ってくるね」
「はい」
祈は月の形のアクセサリーを2つ買ってきた。
「月ですね」
「うん、いいと思ったの」
「綺麗ですね~」
仁はアクセサリーが気に入ったようでみつめていた。
「ちなみに仁君は月が綺麗ですねって言葉知ってる?」
「ええ、知ってますよ」
「へぇ~、知ってるんだ」
「はい」
仁は返事をするだけで特に反応することもしなかった。
「(鈍いのか、関心がないのか、私と同じで恋人がいたことがないから仕方ないのかな・・・)」
仁をみて、祈はがっかりした様子だ。
「このアクセサリー大切にしますね。ありがとうございます」
「気に入ってくれたようでよかった。」
仁は受け取ったアクセサリーをカバンに入れた。
「次はどこに行きますか?」
「ご飯食べて店内をのんびり歩かない?」
「特に予定はないのですね」
「目につく商品があったら買うよ。今なら価格は低めだし」
「そうですか、ではご飯を食べに行きますか」
「うん」
2人はレストランで食事を済ませた。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
デパートの中を歩き回り始めた。
「いろいろ買ったし今日は満足♪」
「か、買いすぎ」
仁は祈が大量に買った商品を持っていた。
「女性はこのくらい買うんだよ、仁君。頑張って持ってね」
「このままの状態で帰りますか?」
「そうだよ」
「マジですか」
「マジ」
仁の顔から元気がなくなった。
「ささ、電車に乗るよー」
「結構重い。ちょっと待ってくださいよ」
「はやくはやくー」
祈は終始元気だった。それに引き替えて仁は辛そうだった。
「あ~、重かった」
2人は電車に乗り、座席に座った。
「お疲れ様」
「これくらい大丈夫ですよ」
口では平気だと言っていたが疲れ切っていた。その仁の様子をみて、祈は笑顔だった。
「さあ着いたよ。もう少し」
「はいっと」
仁は荷物を再び運ぶ。
「ところでこの荷物どうするんですか? 家まで祈さん1人では厳しいでしょ」
「ああ、それなら大丈夫。お母さんが車で迎えに来るから」
「そうですか(よかった~、家までよろしくとか言われたら更に疲れが出てたよ)」
「お母さん、今呼んだから私はもう少し駅でいるよ。仁君はもう帰る?」
「祈さんのお母さんが来るまで待ってますよ」
「そう、なら待ってようか」
「はい」
改札口を通り、椅子に座ってお母さんを待っていた。
「祈-」
「あ、お母さん」
10分くらいして祈のお母さんが迎えに来た。
「来ましたか、ではこれで」
「あ、ちょっと待って」
祈のお母さんが仁を呼び止めた。
「俺ですか?」
「ええ、あなたが仁君でしょ?」
「はい、そうですけど」
「祈から聞いているわ。随分お世話になっているって」
「お、お母さん!」
祈に少し動揺が走った。
「ちょっとした挨拶よ、祈」
祈を静止するように手を少し上げて祈の方に向けた。
「お世話になっているお礼をしたいのだけれど祈がそわそわして落ち着かないと思うからまた今度にお礼をさせてもらうわ」
「は、はい。こちらもお世話になっているので構いませんよ」
仁は慌てて返事をした。
「そう言ってもらえるならうれしいわ。これからも祈のことをよろしくね。仁君」
「こちらこそよろしくお願いします」
「それでは今日はこの辺で、祈がそわそわしているし」
仁は祈の方をみるとそわそわしながらじっとこっちを見つめていた。
「そうですね」
「今度会いましょう。仁君」
「はい、楽しみにしています」
その場から祈のお母さんは離れた。
「祈、帰るわよ~」
「う、うん」
祈とお母さんは自分の車がある方向に歩いていく。
「俺も帰るか」
仁も自宅へと向かった。
(祈とお母さん、車の中で)
「お母さん、仁君に何を話したの?」
「祈がお世話になっているからそのお礼の言葉と今度お礼をするからそのときはよろしくって言ったわ」
「お、お礼って何をするの?」
「お食事にでも誘うわ」
「食事か・・って家に!?」
「家だと祈が落ち着かないと思うから外食にするわ」
「そ、そう。それならよかった」
安心したように息を吐いた。
「部屋片付いてないから仁君を入れたくないよね」
「わ、私の部屋だから私が使いやすければいいの!」
「メチャクチャにしているわけではないから私は片付けろとは言わないけど他人を部屋に呼ぶときは綺麗にするのよ」
「そのときになったらする」
(一方で仁の方では)
「はあ、家に着いた。今日は疲れた~、昨日もだけど」
「おう、帰ってきたか」
「あ・・、と、父さん。今日は早いんだね・・・」
仁は父さんの姿を見るなり、急に顔が引きつっていた。
「仕事が早く終わってな、母さんも一緒だ」
「いつも時間が仁とあわなくてごめんね。今、夕食の準備するから」
母さんは食材を大量に買ってきたみたいで大きな袋から食材を冷蔵庫に入れていた。
「最近外出するようになったな。昨日といい今日も」
「今は・・まあ・・その・・・」
父さんの質問に仁は顔をそらしながら答えた。
「どうした、何か言いたいことでもあるのか?」
父さんは新聞を読んでいたが読むのをやめて仁の方を向いた。
「・・・」
仁はなかなか話そうとしなかった。
「言いたくなければ構わない。お前のやりたいようにやりなさい」
「(なんだよ、偉そうにいいやがって。剣道ができなくなった俺には関心がなくなったくせにどの面下げて聞いてんだよ。母さんは父さんよりは厳しくなかったからまだそばにいてもいいけど父さんとはできる限り距離を置きたい。未だに恐怖を感じてしまう)」
「お父さん、それは適当過ぎよ。仁、言いたいことはないの?」
母さんは父さんを注意して、父さんの代わりにもう一度聞いた。
「もう一度・・剣道を始めようと思う。今の自分の右足と・・もう一度向き合ってこの先の人生を考えたい」
「仁・・・」
母さんはそれ以上の言葉が出なかった。
「大学には合格したから進路は一応大丈夫。警察官になる夢は叶えることができなくなってしまったけど怪我をしてから自分の時間はあの事故からずっと止まったまま。無気力のまま1年間が過ぎたけどいつまでもこのままだと駄目なんだ。悪あがきになるけどこれがきっかけで自分の時間を進めたい」
「仁、お前は退院してから最初の方はずっと悪あがきしてたじゃないか。無理だとわかってすぐにやめたのかと思ったが、今度も苦しむことになるぞ?」
父さんはリハビリで苦しんだ仁をずっと見ていたので二の舞になるだけだと忠告した。
「今回は1人じゃない。2人だから」
父さんに苦手意識を持っていたが、恐怖感を抑えて思い切り言った。
「2人?(父さんと母さん)」
2人と言う言葉に反応して2人ともタイミングが重なった。
「俺の右足ではもしかしたら厳しいかもしれないけど何年かかっても諦めずに頑張る。そしてその人も俺と同じ境遇だから一緒に支え合うことができると思っている」
「その言い方だともう一人も怪我か?」
「怪我だよ。俺と境遇も性格も夢も全く同じで似た者同士。だから一緒に励まし合いながら頑張れると思っている」
「そうか・・(聞きたいことは山ほどあるが昔のことを話すのは辛いことが重なるからやめておこう) 悪あがきするのは悪いことではない。仁の好きなようにすればいい。父さんも母さんも応援しているぞ」
「いつかその大切な人紹介してね。母さん、仁と同じって聞いて興味がでてきたわ」
「まあ・・、機会があれば」
「楽しみにしてるわ」
母さんは仁に対して終始笑顔でいた。
「う、うん。ちょっと部屋に戻ってるね」
「ええ、ご飯ができたら呼ぶわ」
仁は自分の部屋がある2階に行った。
「(カチャッ、バン)」
仁は部屋のドアを開けて部屋に入ったところで止まった。
「なんで・・あんな顔ができるんだ。母さんは・・・」
仁は父さんにだけでなく、母さんにも苦手意識があるようだ。
「あの事故から父さんは俺に関心がなくなって母さんは優しくなった。でもそれまでの俺への仕打ちは俺の頭の中から離れない。今までのあの・・仕打ちを・・・」
昔は父さん同様に母さんも仁に厳しかった。剣道に関しては厳しくなかったが日常生活に関しては厳しかった。言うことを聞かなければ夜中にもかかわらず玄関の前に無理やり追い出して玄関を閉める。しばらく反省しなさいという意味なのだろう。しばらくして家の中にいれたらビンタを数回して言うことを聞かなければこうなるぞと毎回言ってくる。それだけならいいが夜中なので気温が低く、毎回数時間は追い出されたままなので風邪をひいてしまう。何度もこのような目にあうのは流石に嫌なので仁は母さんにも気を遣い、言うことを聞くだけでなく少しでも母さんの機嫌が悪くならないように気をつける毎日だった。
こういうこともあり、父さん同様に母さんとも距離をとりたかった。しかし時々家の中で2人と出会うことがあるので極力会話をすることを避けていたが今日に関しては向こうから話しかけられ、いろいろと話してしまったのが一緒にいる時間を長くしてしまったのだろう。
「あ~、やっぱり駄目だ。2人と仲良くしている様子を想像することはできない」
両手で頭を抱えて辛そうにしている仁だった。
「普通の家庭ならどうなっているのだろうか。祈さんは・・・どうなのだろうか・・・」
考えている間にご飯の準備が終わり、この日は2人と夕食をとり、いつも通りに過ごして仁は自分の部屋で寝た。
そして2日後、仁と祈は一緒にリハビリをした後に夕食をいつもの喫茶店でとり、家への帰り道だった。
「ふぅ~、今日もおじさんとおばさんのご飯は美味しかった~」
「そうですね。美味しかったです」
2人が会話をしていると視界の先から複数の人影が近寄ってきた。
「(まっすぐ向かってくるな、邪魔だよ)」
仁は左に避けてその後をついて行くように祈も避けようとするが
「うわっ」
祈は右手を引っ張られて思わず声を出した。
「ん?祈さん?」
「いった~い、急に手を掴んで何ですか!?」
すぐ近くまで来ていたので相手の素性が大体わかってきた。男が3人、女が1人だった。
「やあ、久しぶり。神社以来だね。小豆沢」
「あっ・・・」
祈は急に言葉を失った。
「お前はあの時の・・、また祈さんに手を出しにきたのか?」
「あの時はまだ途中だったのにお前が止めに入ってきたからだ。こいつにはもっと苦しい目に遭ってもらわないと気が済まない」
話しているうちに3人の男が仁の周りを囲ってきた。
「なんだよ」
「お前に恨みはないけど楽しませてもらうよ」
男たちは手をポキポキならしながら言った。
「(うわ~、これはまずい)祈さん、逃げて!」
「で、でも・・・」
「いいからはやく!」
「う、うん」
祈は逃げようとするが1人の男に道を阻まれた。
「おっと、逃がさないよ」
「邪魔だ、どけ!」
仁は2人の男を振り切って祈の前にいる男の右足を後ろから思い切り蹴った。
「うおっ」
重心が左足だけになったと同時に仁はその男の首を左手で掴んで後ろに向かって思い切り押した。
「ドンッ」
男は踏ん張ることが出来ず、尻から地面に落ちた。
「祈さん、早く」
「あ、あぶない!」
仁は祈を逃がすことに必死になっていて仁の後ろにいる女に気付いていなかった。
「ゴン!」
女は金属バットを仁の頭に向かって殴りかかろうとしたが祈がそれに気づいて仁を両手で押してなんとか避けることが出来た。
「チッ」
「金属バットを使うなんて仁君を殺す気か!」
祈は激怒して怒鳴った。
「ああ、そうだよ。お前の彼氏なんだから一緒に苦しめ!」
「ふざけるな、仁君は関係ない。仁君を巻き込むな」
「お前はもっと苦しんでもらわないといけない。彼氏なんか作りやがって楽しそうにしてんじゃねえよ!」
「仁君は関係ないだろ!」
「うるさい黙れ! お前が苦しむならなんでもやってやる!」
女は祈の言葉に聞く耳をもたなかった。
「おっと、こっちも忘れてもらっては困るな」
3人の男たちは仁に殴りかかってきた。
「くっ」
「仁君!」
「よそ見するな!」
数分間、合計6人での喧嘩が続いた。
「ハァハァハァ、めちゃくちゃ足が痛い。祈さんは大丈夫ですか?」
「私も腕が痛い。金属バットでブンブン振り回すから何回か当たっちゃった」
喧嘩の結果は襲ってきた男3人と女1人は仁と祈にボコボコにされてしまい、勝てないと判断して逃げて行ってしまった。
「祈さん、男相手に喧嘩で買ってましたね。強いですね」
「え~、私はか弱い女性だよ。守ってもらわないと困るわ~」
祈は急にか弱い女性アピールをしてきた。
「しかし、これであいつらはもう襲ってこないでしょうか、次も来られると面倒です」
「あ~、それなら大丈夫だよ。仁君が3人相手に頑張っている間にあの女に次は手加減しないから覚悟してねって伝えておいたから♪」
「な、なるほど~」
仁は祈の足元にあった凹んだ金属バットを見ながら言った。
「(どうやったら金属バットが凹むんだ。恐過ぎだよ、祈さん)ハハハ」
仁が苦笑いしていると祈が仁に頭を下げてきた。
「ごめんなさい。仁君に迷惑をかけてしまって」
「いや、いいですよ。祈さんは何も悪くないですよ。あの女の一方的な逆恨みでしょう」
「ちょっとは私が悪いかもしれないけど逆恨みだね」
「次来ても祈さんなら大丈夫でしょう。返り討ちになるだけですし」
「なにそれ、まるで私が強いみたいな言い方」
「えっ、強いですよ。だってこのバット・・」
「だ・れ・が・強いの?」
「あ、あの~、いや、なんでもないです。祈さんはか弱い女性です」
「よし、それでいいんだよ」
仁は祈に迫られてこれ以上は面倒だったので話を合わせた。
「ところで祈さん」
「ん?なに?」
「右足に激痛が走って歩くのがきついので肩を貸してください」
仁は右腕を祈の方に向かって上げた。
「無理させてごめんなさい」
「大丈夫ですよ」
祈は仁の右腕を自分の肩にまわした。
「こんなに無茶して・・仁君に迷惑をかけてしまったからお詫びに私にできることなら何でも言ってね♪」
「なるほど、なんでもですか・・」
仁のなんでもの部分を強調して言った。
「あっ、私の体は駄目だからね」
「大丈夫ですよ。そんなことしませんから」
「仁君のことだからわからないよ」
「俺を変態野郎だと思っているんですか?」
「男は皆変態だよ」
「ああ、そうですか」
仁はそれ以上言うのをやめた。
「じゃあ、帰りますか」
「うん、そうだね」
仁はやせ我慢をしていたがこの日の出来事で仁の右足は悪化してしまい、次の日から3日間まともに歩くことが出来なかった。
それから3週間後、1月が終わる頃
「(右腕の調子は順調だよ。少しずつだけど上に上がってくるようになったよ。仁君の右足の状態はどう?)」
スマートフォンで祈からのメールをみていた。
「(祈さんの回復が順調のようでよかったです。俺の方はまだ時間がかかると思います。)っと」
祈にメールを送信した。
「(そっか、仁君は私よりも1年間程期間が空いてるから私の方が回復早いかも、仁君も焦らずに)」
「(はい、焦らずにいきます)」
2人のやりとりはここで終わった。
「さーてと、祈さんは順調そうだな。そろそろ次の問題に取り掛からないと、ここが1番問題だ。剣道の稽古をどこでやるか」
当たり前のことだった。重い後遺症を持っている人の面倒を誰がみるのか、いきなり道場で稽古をさせてくださいって言っても満足に剣道ができない可能性がある。そんな人を稽古に参加させてもらえるはずがない。
「こういうのは親や自分のコネを頼るのがいいんだが、親の場合は・・警察関係者か。母さんはともかく、父さんに借りを作りたくないし、警察の稽古はかなり厳しそうだから・・無しだ。そうなると高校の部活・・になるか。祈さんも過去にトラウマがあるみたいだし、幸い俺はまだ高校生だから俺が無理をすれば解決するかもしれない」
しかしそうは言ったものの仁は険しい表情をしていた。無理もない。事故に遭ってから部活にはほとんど顔を出していない。遠くから道場をみているだけだった。
「はぁ~、何て言われるんだ。殴られるのか、全員で責められるのか、土下座でどうにかならないか。穏便には絶対に済まないだろうが今まで道場に行かなかったお詫びを込めて菓子折りでも買って謝りに行くか」
仁は近くの店で菓子折りを買って学校に向かった。
「ああ~、学校には何度も来ているけど、道場に行くと考えると急に足取りが重くなるな」
いつもの歩くペースよりも明らかに遅かった。
「嫌なことから逃げてきたし、向き合うときが来たんだ。向き合うときが」
仁は勇気を振り絞って道場へと歩いて行く。
「今は稽古の前か、皆、道場に集まっているな」
皆の様子を見ているとこっちに気づかれた。
「え・・・」
「なんでいるの?」
「なんでって、先輩に失礼だぞ」
「おい、上代先輩が来ているぞ」
部活前で準備をしていた部員たちが騒ぎ出す。
「(みつかったか。まあこっちから行くつもりだったからいいけど、ああ嫌だな~。でも途中で逃げるわけにはいかない)皆、久しぶりだな」
靴を脱いで道場の中に入って行く。
「・・・(部員全員)」
「(・・・これはまずい。早めにやっとくか)」
仁は道場の床の上で右足に負担を掛けないように正座して土下座した。
「今まですまなかった。言い訳をするつもりはない。勝手に部から離れてしまって部の皆には迷惑をかけた。殴られても責められても仕方ないと思っている。好きなようにして構わない」
「なあ、これどうするの(小声)」
「いや、どうしろって言われても(小声)」
部員たちはどうしたらいいかわからなかった。あたふたしていると後ろから声が聞こえてきた。
「誰もお前のことを悪く思っている人はいないよ、バカだなお前は。お前から謝罪メールをもらったときはびっくりしたわ」
同学年の仲の良い部員仲間が道場の中に入ってきた。
「いろいろとメールで事情はわかったけど大丈夫だろう。全国優勝に大きく貢献したお前がコーチとして指導してくれるなら部員の皆も顧問の先生も大歓迎だぞ」
仁は事前にメールで謝罪と祈と一緒に部活に参加させてもらえないかと相談していた。
「昨日今日と続いてありがとう。そう言ってくれるとうれしいよ」
仁の目から涙がこぼれていた。
「バーカ、なに涙流してんだよ。こっちの方こそお前にどう接したらいいかわからなかったんだ。事故で大怪我負ってもう剣道ができないどころか足が不自由になったって聞いて誰もどうしたらいいかわからず悩んでいたんだ。皆もそうだろ?」
「・・・はっ、は、はい。たくさん教えて下さった上代先輩には恩を感じていますし、何かできることがないか考えていましたが上代先輩に何かできることはないか考えましたが駄目でした」
「自分は上代先輩のおかげで試合で優勝することができましたし、感謝しています。でも上代先輩にお礼が出来なくて・・・、何をするのが上代先輩の為になるのかわかりませんでした。すみませんでした」
「すみませんでした」
「すみませんでした(部員全員)」
次々に後輩たちが仁に何も出来なくてすみませんとお詫びを言った。
「皆・・、これならもっと早く道場に来ればよかった」
仁は涙を流しながら嬉しがっている。
「道場に何度か向かおうとしたが足どりが凄く重くて、皆の前でどういう顔をして剣道ができなくなったって言えばいいかわからなくて今までずっと来ることが出来なかった」
「まあいいじゃないか、今ここに来れたんだから」
「そうだな」
「それはそうとメールにあったが小豆沢さんって人が稽古に参加するのか?お前は?」
「最初は稽古には参加しないよ。まだリハビリの途中でね。俺は当分は難しいな。まだ右足の状態が悪い。いつかはできたらいいなと思っている」
「この小豆沢さんって人がお前を動かしたのか、いったいどういう人なんだよ。お前の彼女か?」
仁の肘をコンコンっと当てて聞いてきた。
「いや彼女とは少し違うな。まだ告白はしていないし」
「はぁ? 奥手かよ、この恋愛未経験野郎が。今までにも告白されたことは何度もあるのに自分からはいかないのかよ」
「ハハハ」
仁は言い返すことができず、苦笑いしていた。
「なあなあ、写真とか何かないのか。かわいいのか?」
その彼女が気になったのか、やたらくいついてくる。
「ないよ。温泉や食事に行ったり、初詣と正月に一緒に買い物とか行ったりしたくらい。後はこのアクセサリーかな」
首にかけていたアクセサリーを見せた。
「はぁ?恋人じゃない奴にそんなことする奴がいるかよ。もう恋人みたいなもんだろ!」
突然の強い口調に仁はびっくりした。
「ど、どうしたの?」
「俺も彼女ができたことないからそういう話を聞くと腹が立ってくるんだ。このリア充がー! ちくしょー、俺にも春は来ないのかー!?」
「先輩・・・、きっと先輩にもそのうちいい人がみつかりますよ」
後輩が先輩の様子をみて、あわれんだのか先輩の肩に触れて慰めの言葉を掛けた。
「生意気な後輩だ。ちくしょー」
「クスクス(全員)」
暗い雰囲気が徐々に明るくなっていった。
その後剣道をするに至った説明をして、今後この高校で何年かお世話になることと仁がコーチとして指導することを伝えた。途中で顧問の先生も道場に来たので挨拶をして同じ内容を伝えた。
「お前、もう一度剣道をやるのか!?」
「は、はい。もう一度やります」
顧問の先生は驚いて大きな声を出しながら仁に顔を近づけてきたので仁は引き気味に返事をした。
「今まですまなかった。先生もどうしたらいいかわからなくてしばらくはそっとさせてやるのがいいかも知れないと思った。時間が解決してくれることもあるから。先生の指導不足でこれ以上の考えがみつからなかった。申し訳ない。上代がこういう形の解決方法に至ったのなら嬉しい限りだ。先生も部員も上代には恩を返すことができないままで心残りだったから。また世話になるがお前のサポートは全力でやるぞ」
先生は嬉しさのあまり、涙目になっていた。
「先生、そんなに俺のことを考えていたんですか?」
「当然だ!お前は剣道界では日本の将来を背負っていくだろうと連盟で有望視されていたんだぞ。そんなお前があの日の事故が原因で人生を狂わされた。心理状態がかなり不安定になっているのは担任の先生や部員たちから聞いて、何度かお前に声を掛けたがどこか上の空だった。当然心配するだろ」
「そうですね。あのときはどうやって毎日を過ごしていたかあまり覚えていないですね」
「まあ、とにかく今後も頑張っていくんだな。先生も全力で応援するぞ」
「はい、ありがとうございます」
先生が握手を求めてきたので仁もそれに応じた。
「それで小豆沢さんって人も来るのだろ? 早く皆に紹介するのもいいだろう。学校にはボランティアの外部コーチとして来てもらうことにすると伝えておくよ」
「ありがとうございます」
「先生は仕事があるからこの辺で」
「はい、またよろしくお願いします」
先生は職員室へと戻って行った。
「じゃあせっかく部活に顔を出したし、みんなの稽古をみてやるか」
「はい、よろしくお願いします。上代先輩」
部活が終わり、仁は家に帰宅途中だった。
「(祈さん、剣道の稽古ができる場所を見つけましたので明日か明後日、予定は空いていますか?)」
メールを送信したらすぐに返信が来た。
「相変わらず早い。(本当!? 大変だったでしょ。ありがとう。明日の夕方くらいならいいよ)夕方か、後輩たちがちょうど稽古中か、タイミングいいかも」
「(では明日の夕方に、迎えに行くので駅までお願いします)」
「(うん、明日の夕方によろしく)」
メールを終えて仁は家へと帰って行った。
翌日の夕方
「祈さん、こんにちは」
「あっ、仁君」
祈は私服で仁は高校の制服で出会った。
「それ、高校の制服だよね?」
「はい、そうです」
「今は受験シーズンだから3年生は学校に行くことはほとんどないのに制服を着ているってことは・・・」
「あたりです。高校の部活が稽古場所です」
「いいの? 関係者ではない私が母校でもない学校に入っても・・・」
祈は不安そうな顔をした。
「顧問の先生がうまくやってくれますので大丈夫です」
「うまくやる?」
「ボランティアの外部コーチという話で祈さんを呼ぶことにしてます」
「ああ、そういうことね」
「祈さんは全国大会で優勝経験もあるので経歴をみてもコーチとして全く問題ないです」
「まあ確かにね」
祈は少し照れくさがっていた。
「そろそろ部活が始めるので行きましょうか」
「うん」
「この道場が剣道場か、結構広いね」
「まあ一応ですがそれなりに成績を残していますので」
「成績はどうなの?」
「怪我をしてからは全く知らないですけど昔は・・えーっと」
仁は過去の成績を思い出そうとしているが祈がそれをとめた。
「いや、やっぱりいいや」
「え? どうかしました?」
「仁君が現役でやっている頃なら相当強かったでしょ、全国大会で優勝しているし」
「あ、ああ、そうですね」
「でも、うーん、私にコーチが務まるかな?」
口元に手を当てて不安そうにしている。
「大丈夫ですよ。俺がいますし」
すぐに仁がフォローしたがそれに祈はムッとした。
「そこは祈さんなら大丈夫ですが無難でしょ?」
「そうですね、祈さんなら大丈夫ですよ―(棒読み)」
「なんか適当だな」
「気のせいですよ。それより早く行きますよ~」
「適当に流したな。まあいいけど」
「もう少ししたら部活始めるぞー」
「はーい」
2年生の主将の声に返事をする部員たち。
「今日も張り切ってるな」
仁と祈は靴を脱いで道場の中へと入って行く。
「あっ、上代先輩!こんにちは」
「こんにちは(部員たち)」
「こんにちは、今日も稽古をみに来たよ」
「はい、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします(部員たち)」
「それと以前皆に話していたけど俺の隣にいる人が今後稽古に参加していく小豆沢さんだ。これからよろしくな」
「小豆沢です。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします」
「・・・(シ~ン)」
急に静かになった。
「(あれ?急に皆どうしたんだ?)」
仁は気になっていると小声が聞こえてきた。
「あれが上代先輩の彼女か」
「背が高くて清潔感もあっていいな」
「これぞ大和撫子って感じだ」
「ああいう女性憧れるな~」
「俺もあんな彼女が欲しいな~」
祈のことを羨ましく思っている言葉が聞こえてきた。仁は悪いことを言っていないようで一安心していたが隣をみてみると祈の顔が真っ赤になっていた。
「祈・・さん?」
「ん?あ、いや、その、なんてもないよ!大丈夫だよ!」
祈は明らかに動揺していた。
「皆悪い子じゃないから祈さんも遠慮しなくてもいいですよ」
「そ、そう。わかった。スーハ―、スーハ―」
大きく深呼吸して動揺を無くそうとしている。
「よし」
「(相変わらず声や表情に感情があらわれやすいな)」
「クスクスクス」
静まっていた空気から笑い声がしてきた。
「上代先輩の彼女だっていうからどんな人かと思ったら意外と面白い人ですね」
「見た目とは少し違いますね。クスクス」
女子部員たちが笑っていた。
「ちょっと待て、彼女じゃないから」
「またまた~、嘘を言ってから」
仁が恥ずかしくて嘘を言っていると思っている。仁が動揺しながら言っているから仕方ないとは思うが。
「ああ~」
「あの~、祈さん?」
祈は彼女という言葉に反応して顔を赤くした。
「よーしお前たち、そろそろ2人をからかうのはやめて部活を始めないのか?」
「ああ、そろそろですね。もう少しからかいたかったのですが時間なので失礼します」
仁と祈の近くに集まっていた部員たちは小走りで離れて行き、道場全面を使って準備体操を始める。
「と、とりあえず祈さん、今日は椅子に座って見学しましょうか」
「う、うん」
2人は椅子に座って稽古をみていた。
「仁君の頃はかなり強かったみたいだけどここの人たちはどうなの?」
「まだまだですね。前回の試合結果を聞いたら男子は個人戦、団体戦ともに県大会準優勝です。女子は個人戦が県大会優勝で団体戦は出場していません。うちの剣道部、女子部員はいますが数が少ないです」
「部員の募集とかはしないの?」
「祈さんも知っていると思いますが剣道は初心者が経験者と同じような試合が出来るようになるまでかなり時間がかかります。サッカーやバスケのようにはいきません。使う筋肉が全く違い、すり足は一般的な走る動作から外れていますので。こういう理由もあり、うちの剣道部は申し訳ないですが初心者はやんわりと断ることにしています。「3年間1勝もできずに終わってもいいならとめない。ただしおれは幼い頃から剣道を続けてきて楽しいと思ったことは一度もない」とおれが現役の頃はそう言って入部するのを考え直してもらっています」
「そ、そう・・・」
祈は仁の言葉に驚いていた。
「悪いことをしている自覚はあります。新しいことに挑戦するのはいいことです。そこで学べることはたくさんあり、新しい仲間ができるでしょう。でも辛いことの方がたくさんあります。他の部活と違って剣道は特に。おまけにここは強い選手が集まっているので」
仁は顔を下に向けて申し訳なさそうな表情をしている。
「その言葉だけだと酷い人のようにみえるけど仁君は優しいね」
「せっかくの高校3年間をつまらないものにするのはもったいないですからね。一度しかない高校生活です」
「さっきの言葉で気になったことがあるけど・・・」
祈の表情が少し変わった。
「何ですか?」
仁は祈の表情が変わったことに気づき、顔をあげた。
「仁君は剣道を楽しいと思ったことが一度もないの?」
仁にとって嫌な質問がきた。
「まあ・・、はい」
「全国大会に優勝するほど強いのに、仁君は剣道が嫌いなの?」
「怪我で剣道ができなくなるまでは嫌いでした・・・」
仁の言葉には元気がなくなってきている。
「剣道が楽しいから強くなる。強い人と戦うのは楽しいから強くなるために稽古をする。仁君は違うの? 違うならなんでそんなに強いの?」
祈は仁に強く迫った。
「俺は試合に勝つしかなかったです。親がかなり厳しい人で全ての試合に勝たなければいけませんでした。団体戦も含めて引き分けと負けは俺にとって「死」と同然でした・・・」
「なにそれ、親は仁君に何をするの?」
祈の表情は険しくなった。仁からすると恐いと思えるほどだった。
「厳しく叱ります。ビンタや竹刀で叩いたり、ご飯を食べさせなかったり、家から追い出したり、後は言葉で精神的に追い詰めます」
「精神的に追い詰める?」
「はい。誰のおかげで生きていけるのか、誰のおかげでご飯を食べていけるのかとか何度も言われます」
「酷い、それでも人の親なの?人格がおかしい。仁君を自分が作ったロボットか何かだと思い込んでいる」
「・・・ですよね」
仁の目には涙があふれていた。
「ここだと後輩たちがみているから、えーっと道場の奥の部屋は空いている?」
「空いていますよ。防具がたくさん置いているだけですので」
「なら少しそこに行こう」
「は、はい」
2人は椅子から立って、奥の部屋に行った。
「仁君がロボットか何かだとすると、剣道ができなくなった今は大丈夫なの?」
「事故で怪我をして入院しているときと退院後に剣道ばかりさせてきて済まなかったと何度も言われました」
「そう・・、なら一応今は大丈夫なのね。フゥー」
祈は大きく息を吐いた。
「はい、大丈夫です」
「親との関係を仁君はどう思っている?」
「親は親、それ以上でもそれ以下でもありません」
「そうじゃなくて仁君からみてどういう感情を持っている?」
「怪我をする前は親には恐怖しかありませんでした。恐過ぎて親と一緒にいたくなかったです。今は剣道ができなくなった自分に興味をなくしたのか、負い目を感じているのかは知りませんが親の方から距離を置き始めています。なので一緒に住んでいる血が繋がっているだけの存在って言う感じです」
「一応家庭に問題は起きてないようでよかった。フゥー」
祈は再び息を吐いた。
「そんなに心配してどうかしました?」
「嫌だって、そんな仕打ちをしてきた親が剣道をできなくなった仁君に何か手をだすんじゃないか、または仁君が親に復讐とかするんじゃないかと思ったから」
「ああ、そういうことですか。一応自分は人間ができていますので罪を犯すことはしませんよ。ただし、親からは距離をとりたいですね」
あまり言いたくないことだったのか目線を祈から逸らした。
「まあ・・そう思うよね。それならよかった」
「よかったってどういうことですか?」
「たまにニュースとかでみるの。親に暴力を振るわれるけどそれでも親に依存する子供がいたり、親に復讐したり」
「確かにみますね」
「でもさっき言っていたことが本当なら大丈夫だね」
「本当って信じてないのですか?」
「ああ、気になったのなら謝るよ。深い意味はないよ」
「そうですか」
「少し話が変わるけど仁君ってこの後予定ある?」
「特にありませんけど」
「今日この後、うちに来ない?お母さんが会いたいみたいなの。ご飯も用意してくれると思うよ」
「え、お母さんが!?」
仁は驚いて大きな声をだした。
「そんなに大きな声をだしたら部員たちに聞こえるよ」
「す、すみません」
「で、どうする?来ない?」
「まあ・・、いいですよ。行きます」
「よかった。お母さんも喜ぶよ。お母さんにご飯の用意するように連絡するね」
「祈さんのお母さん、俺とそんなに会いたかったんですか?」
「お母さん、どうやら仁君のことが気に入ったみたいなの。全く・・仁君のどこが気に入ったのやら・・顔かな?」
祈は左手で仁の頬を触った。
「ちょっと・・」
「あれ?てれちゃった? 仁君って意外と可愛いね、フフ」
「ああ、もう、稽古の方をみに行かないと指導ができませんよ」
仁は慌てて話を逸らして部屋を出た。
「肝心なところで逃げるよな~、仁君は」
祈は不満そうにしていたがそれ以上は何も言わずに部屋を出た。
その後2人は稽古を見学していた。
「よーし、練習試合するから対戦相手を決めてやるぞ」
「はい」
主将が対戦相手を決めて試合の準備に入る。
「上代先輩、審判を頼めますか?」
主将がお願いしてきた。
「ああ、任せろ」
「ありがとうございます」
「私もやろうか?」
祈が仁に聞いた。
「審判をする人がもう1人入れば頼んだのですが、人が足りないのでストップウォッチを頼みます。」
「わかった。試合形式だから5分間でいいよね」
「はい、お願いします」
部員同士の練習試合が始まった。
「うわあ、皆の動き早いな~。さすが県内から集まってきた人だけはある」
祈は部員たちの強さに感心していた。
「まあ、これでも上代先輩には全く歯が立ちませんでしたけどね」
祈の側に女子部員が近寄った。
「仁君はどれくらい強かったの?」
祈は女子部員に質問した。
「大人でも上代先輩に勝てる人はほとんどいません。先輩が現役の頃に6段、7段の先生たちに混ざって稽古をする機会をみることがありまして、見学したのですが違和感が全くありませんでした。上代先輩と知らなければ7段の先生と勘違いしてもおかしくありません」
「ちなみに8段の先生とは稽古しなかったのかな?」
「8段の先生は人数が少ないということもあってか、上代先輩が8段の先生と一緒に稽古をしているところをみたことはありません」
「へぇ~、あっ、時間だ」
5分間が経ち、審判である仁に時間が来たことを知らせた。
「次が私の試合なので行きます」
「うん、いってらっしゃい」
次から次へと試合が続いて全ての試合が終わった。
「これで終わりか、次は何の稽古をするのかな?」
部員たちの様子をみていると全員面と小手と竹刀が置いている場所で正座をしている。そこに仁が近寄り、部員全員が仁の方向を向いている中で1人ずつ良かったところ、悪かったところを口頭で伝えた。
「仁君もしっかり指導者としてやっているんだ」
伝えている様子を感心しながらしばらくみていると仁が伝え終わったのかこっちに来た。
「今日はこの辺で帰りますか」
「まだ部活は終わってないけど?」
「祈さんのお母さんに会いに行かないといけないので夜の7時くらいまで学校にいるのは家に帰るのが遅くなります」
「確かにそうだね」
「一応こっちの親には帰るのが遅くなるのは伝えたので大丈夫だとは思いますけど念のために」
「じゃあ、家に行こうか」
「はい」
「皆、お疲れ様」
部員たちに声を掛けて2人は道場を出て、祈の家へと向かった。
「一度だけ会ったことがあるけど緊張します」
「大丈夫だよ。お母さんは優しいから」
「確かに駅で出会ったときは優しそうでした。あと背が高くて美人でしたね」
「ねえ仁君」
「はい?」
「美人のお母さんにみとれたら思い切り蹴るからね♪」
祈はちょっと怖そうな顔になった。
「冗談ですよ。冗談」
「私のお母さんが美人じゃないって言うの?」
「いや美人です。凄い美人でした」
「美人って言っているから仁君はすでにみとれていたでしょ?」
「そんなにむきにならないで祈さん。ちょっと面倒くさいです」
「はっきり言うな、仁君は。心の中で思ってよ、余計なことが一言多いよ」
その後も2人でああだこうだとどうでもいい話をしながら歩き、祈の家の前に着いた。
「先に入ってお母さんに伝えるから待っていてね」
「はい」
祈は先に家に入った。
「(両親と3人で暮らしているのかな)」
祈はすぐに玄関を開けた。
「仁君、入ってきていいよ」
「はい、お邪魔します」
返事をして家に入る。
「仁君、いらっしゃい」
「あ、はい。こんばんは」
「はい、こんばんは」
祈のお母さんは笑顔で仁を迎えた。
「仁君、料理ができているから上着を脱いでご飯にしよう」
「上着がどこに置けばいいですか」
「預かるわ、荷物と一緒にソファーの上に置いとくね」
「はい、ありがとうございます」
仁は祈のお母さんに上着と荷物を渡して祈の案内でリビングの椅子に座った。
「お母さんも食べよう」
「はいはい」
先に座っていた祈がお母さんを急かして、3人が椅子に座って食事にした。
「ではいただきます(祈)」
「いただきます(仁とお母さん)」
ご飯を食べながらお母さんは祈と出会った経緯や仁のことについていろいろ聞いた。祈は聞かれたくないことも質問されて少し恥ずかしそうにしていた。
「へぇ~、仁君の両親って警察官なんだね」
「そうです。まあ厳しい両親だったので結構大変でした」
「道理で礼儀が正しいわけだね」
「それほどでもないですよ」
「フフ、謙遜するところも人がよさそうね」
「ハハハ」
「・・・(じと~)」
楽しそうにお母さんと話す仁に祈は嫉妬しているようだ。
「どうしたの祈?」
「い、いや別に。仁君楽しそうだな~って」
「大丈夫よ、祈。お母さんは祈から仁君をとったりしないから心配しなくてもいいわよ」
「そういう意味で言ったんじゃないよ!」
「はいはい、わかっているわよ」
「ム~」
祈は顔を少し膨らませていた。
「(楽しそうな2人だな。みたところ2人で生活しているようだけど父親はいないのかな?)」
仁は周りを見渡していると祈が声を掛けてきた。
「仁君、どうかした?」
「いや、何でもないですよ」
仁は思っていたことを話さずに返事をしてご飯を食べ進めた。
「(こっちからいろいろ聞くのは遠慮しておこう。聞かれたくないことは誰にでもあるだろうし)」
その後、会話をしながら食事を終えて一段落した後
「そろそろ夜も遅いので帰りますね」
「もっとゆっくりしてもいいけど親が心配するわね」
「はい、今日はご馳走様です。料理美味しかったです」
「それはよかったわ。いつでも来ていいわよ。美味しい料理を作って待っているわ」
「はい、ありがとうございます。またお願いします」
「仁君、またね~」
「祈さん、また今度に」
仁は上着を着て荷物を持って玄関に向かった。
「お邪魔しました~」
「気をつけて帰ってね」
「はい」
ドアを開けて外に出た。
「えーと、時間は8時30分か。早く帰らないと」
仁はマンションの階段を下りて自分の家に向かって歩いて行く。
「おい、そこのお前!」
マンションから離れたところで仁の後ろから声がした。
「ん?なんですか?」
仁は振り向いて返事をした。振り向くと黒のジャージを着た男がいた。
「お前はあの家族の知り合いか?」
「知り合いというよりは友人ですが・・・」
「そうか、2人は元気か?」
「(誰だ、この人。怪しいな)ま、まあ・・・」
仁は祈たちのことを知っているようで不審に思い、警戒した。
「あのう、あなたは誰ですか?」
「俺が質問している。お前が質問をするな!」
「(うわあ、ヤバそうな人だ。自分の家はここからだと少し遠いし、この足で逃げたとしても追いかけられたら追いつかれる可能性が高い。とりあえず言うとおりにするか)」
「おい!どうした、返事をしろ!」
怪しい男は声を荒らげた。
「す、すみません。元気です」
「そうか」
男は元気であることを聞いたらそのまま後方の方に向かって歩いて行った。
「(マンションの方には行ってないよな。それにしてもあのおっさんは何だったんだ? とりあえず祈さんに連絡を入れておくか)」
仁は男が歩いていく方向を確認した後、祈に今の出来事をメールで送信した。
「すぐに返事は来ないか、後片付けとかしてるのかも、今日はもう遅いし帰ろう」
仁はマンションに戻ることはせずに自分の家へと帰って行った。