ぼくのへや
窓。
壁としてはあまりにも大っぴらで、中と外を繋ぐ扉にしては少しばかり小さすぎる存在。正に帯に短し襷に長しを体現したかの様な物なのだけれど、それがあるかないかで部屋の雰囲気や印象は大きく変わる。
より開放的に、より健康的に変化するのだ。
外界と内側の接点でありこそすれ、繋ぎはしない。
それが、窓なのだ。
僕たち現代日本人にとって窓とはガラスがはめられた物と言う認識が一般的であり、世界を基準に考えてみてもきっとそうであると思うのだけれど、必ずしも窓にガラスが無くてはならない訳ではない。
ガラスがない、正に穴と言える物が壁に空いているだけでも、窓である。
さて、つらつらと窓について語ってきたのには一つ理由があって。
僕が今いる部屋、有り体に言えば監禁されている部屋にはおよそ窓と呼べるものがないのだ。
何故このようになってしまったのか、恥ずかしながら僕自身も把握する事が出来ていない。
そもそも、ここがどこで誰が何故僕をここに閉じ込めたのかすら分からないのだ。
だが幸い、と言っていいのか分からないがここにくる直前の記憶は残っていた。
高校卒業の記念に、僕の家でパーティーというか宴会をしようとなり、そこで酒を飲んだという記憶が。宴会といっても、ごく少人数で集まってどんちゃん騒ぎをするだけなのだけれど。
友達———仮に山田と鈴木としよう———がふざけて持って来た酒を飲み、山田が脱ぎ始 め、それに便乗して僕や鈴木も脱いだ。軽く大惨事になり、その後寝てしまった僕たちを母が 起こしてくれたのは、苦い思い出である。
うん。酒を飲んだ時の記憶は色々忘れると聞いていたのだが、バッチリと覚えているな。
穴があったら入りたい。いや、この部屋が穴の様なものだからもう入っているか。
さて、話を戻そう。それでだ。そこからが問題なのだ。
一体誰が僕をこんな部屋に閉じ込めたのか。それだけが全く持って分からない。だが、その『誰か』が誰なのかの予想はいくつかあった。
一つ目が、お調子者の山田と鈴木が冗談で僕を監禁したと言うもの。
僕としてはこれであって欲しいし、この可能性が一番高いと思うのだが、この予想を裏付けるためには一つ大きな前提条件がある。それは、山田と鈴木がこの部屋を発見したというもの。
自慢じゃないが、僕だったら見つけれる自信がない。
こんな脱出ゲームの部屋みたいな部屋を、あの二人が用意できるとは思えないのだ。
二つ目に、母が僕をつかまえたというもの。
僕の記憶の最後に出てきたのは母なのだから、そこに関連性を付けるのも不自然ではないだろう。それに、母は僕が地方の大学に行くと言った時に寂しがっていたから、僕を閉じ込めて置いておきたいのかもしれない。
その気持ちは嬉しいのだが、ここまで狂気じみた行動をされたとあっては感謝することはできないだろう。今後一切。
この予想は自分で立てておいてなんだが、ほぼほぼあり得ないという結論に達した。僕には、母が寂しいからと言って信頼を失ってまで息子を監禁するような人間には思えないのだ。
なので、多少の期待も含まれているのだが、この予想は絶対にないと思う。
三つ目に、従姉妹の介入。僕は従姉妹が通っている大学に行くと従姉妹に伝え、従姉妹と軽く約束を交わしていたので、その約束を反故にした事に怒って監禁したのではないかというもの。
四つ目に、最新の仮想現実。
もしかしたら監禁体験をするという仮想現実で、みんなは周りで僕を見ながら笑っているのかも知れない。
五つ目に実験............ という風に、監禁状態で一定時間経つと思考能力が低下してしまうらしく、現状僕は論理的な思考を取ることができなくなっていた。
できなくなっていたというか、できなくなっている。
軽いパニックを起こしてしまっても仕方がない状況だと思うのだが、正直言うと僕はそこまで危機感というものを持ってはいなかった。
その理由は、ドアの鍵が内側から開けることの出来るタイプだから。
そう、脱出だけならしようと思えばいつでも出来るのである。
ならば何故外に出ないのか。出ようとしないのか。
それは、出た時に僕をここに押しやった『誰か』がいては困るからだ。外に出た時に、その『誰か』と搗ち合わせてしまっては色々と終わってしまう。僕をこんな所に監禁する人物、否、押しやる人物なのだから、もしも外に出た時に搗ち合ってしまうなんて事があったら、何をされるか分かったものじゃない。
この問題はこの部屋の中でうだうだと悩んでいても解決するものではないが、幸いにも部屋の中にいる限りは心配しなくてもいいものであり、そのおかげで落ち着いて推理する事ができているので、その点は嬉しいと思う。
いや、その『誰か』がこの部屋に来襲して来た場合を考えるとそれはそれで別の心配をしなくてもいいとはならないのだけれど、一先ず襲われたり殺されたりするという事はないだろう。
つまり、外に出ない理由とはそういう事だ。『誰か』を推理し、抵抗又は逃げ切る事が出来る相手だと確信してから外に出なければならないのだ。
だからこその推理。だからこその推測。
僕は、僕を閉じ込めた『誰か』を知らなくてはならないのだ。
さて、その推理をする為に、部屋の中を見ていこうと思う。部屋の内装を見て『誰か』が残した物がないか、もしくは『誰か』の名残の様なものが無いかを探すのだ。
まずは、家具の種類を。
部屋の中にある家具は、固めのベットに学校にある様な机と椅子、それに簡単な棚だけだ。
次に、それらの配置。
部屋の四隅のうちの一つにベットが置いてあり、その対角に机と椅子が置いてある。そして
ベットの角の右、机の角の後ろの角に棚があり、その対角に扉がある。
僕が感じた第一印象は、刑務所の様だというものだ。
実際に刑務所を見た事は無いので本当に刑務所の様かはわからないが、僕が抱いている刑務所のイメージそのままの部屋である。唯一の違いといえば、窓が存在していないことくらいだ。刑務所には鉄格子がはめられた窓があると思うのだけれど、この部屋には窓どころか穴すらない。その事が一番不思議で、そして不安を煽っていた。窓がなぜ無いのか、その事についても考えなければならないのかもしれない。
さて、とりあえず大まかには部屋が把握できたので次は家具たちの細かい所を見ていくとしよう。
今僕が座っているベットだが、本当に固い。スプリングがないのではないかと思うくらいに固い。以前、某鼠の国に行った際に泊まったホテルのベットも固かったのだが、それの比ではない。コンクリ等の床よりは幾分マシというレベルの固さなのだ。
こんなベットでよく熟睡出来ていたなと思う。お酒の力はすごい。
ベットの考察は、特に何もないという結果が出て終わったので、次に棚にいこうと思う。
その棚だが、大きさは僕の身長よりも少し大きい程度で、細かい傷がついてある事から年季を感じさせる木製のものだった。中には何も入っておらず、ただただ空洞が広がっている。
......僕はこの棚をどこかで見た事がある様な気がして来たのだが、一体どこで見たのか思い 出すことができなかった。僕は一体どこでこれを......
何気なく棚に触れていると、ふと指が棚についている傷に引っかかった。
その傷に指を這わせる。何故かその感覚を懐かしいと感じ、何度も繰り返してしまった。
どこだろうか。一体僕は、この感覚をどこで体験していたのだろうか。つい最近これを感じた気がするし、そうでも無い気がする。
どこで感じたかを思い出そうと無心で傷を触っていると、小さく鋭い痛みを感じた。どうやら棚のささくれで肌を切ってしまったらしく、ぱっくりと指先が割れている。
何かが引っかかた。これは、物理的にと言うわけではなく、記憶が、と言う意味だ。
この傷が、何か記憶に引っかかるのだ。
以前もこんな怪我をした記憶がある。昔、本当にまだ小さかった時に。
あれは、僕の家だ。僕の家で、丁度こんな風に棚を触っていた時だった。
懐かしいな。小さかったからか、こんなに小さな怪我でも大泣きしてしまった。思い出すだけで少し恥ずかしくなってくる。その棚はまだ家にあるから、見るたびにそれを思い出して僕が足早になってしまうのは我が家の定番の様なものだ。
本当にこんな棚だ。傷のつき方から、若干の歪みまでそっくりだ。下の方にあるハイパーマンの絵まで、弟が描いたものとそっくり.........いや、おかしい。
歪みや傷ならまだしも、弟の絵なんて似るわけがない。同じ場所に、同じ絵が存在する訳がない。
まさか、まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか。
急いで棚を動かす。棚の裏に、昔僕が書いた言葉があれば、この棚は......
『ひみつきちのかぎ』
間違いない。これは、僕の家の棚だ。
ゾワリとした悪寒が背筋を駆け抜ける。
ここから離脱してどこかへ逃げろと、本能が告げる。
なんで、僕の家の棚がここにあるんだ?
どこか恐ろしい予感がし、急ぎ足で机の方に向かった。
荒々しい動作で椅子をどかして机を見る。
ああ、間違いない。なんとしても否定したい事実がそこにはあった。
この机は、つい先日まで僕が学校で使っていた机だ。
無意識に、一歩二歩と後退していた。
あはは、冗談だろう?棚だけでなく、机まで僕が使っていたものだとは、笑えないジョークだ。
ここで、第六の予想として、これが夢だという物が出てきた。だって、ここまで非現実的な事が夢以外で起こるはずが無いのだから。僕が使っていた、棚や机がこんなよく分からない所にあるはずがないのだから。
僕は、自分の頰をつねるという動作を生まれて初めてした。
まるでお手本の様な夢の確かめ方は、鈍い痛みという形で最悪の事実を突きつけてきた。
これは、今僕が見て感じている世界は、夢ではない。
力無い笑い声が溢れでる。変な汗が全身から吹き出てくる。
この言語化できない不安感は窓がないから来るのか、それとも普段の僕でもこれを感じるのか。
どちらにせよ今の僕には関係なくて、急いでドアに駆け寄っていた。
外に誰がいるかとか関係ない。一刻も早くこの部屋から出て行きたい。
僕が鍵を開けてドアノブに手を伸ばした時、ドアノブが静かに回った。
僕が触れる前に。