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【揺花草子。】(日刊版:2018年)  作者: 篠木雪平
2018年05月
151/365

【揺花草子。】<その2316:あとポーズで覚えたり。>

 【揺花草子。】<その2316:あとポーズで覚えたり。>


 Bさん「鎌倉幕府を主導した得宗家ですけれども。」

 Aさん「あぁ・・・きょうは歴史のお話?」

 Cさん「得宗家と言えば?」

 Aさん「え、北条氏ですよね? 時政とか泰時とか時宗とか・・・」

 Bさん「おぉ。良く知ってる。

     得宗家、まあとりもなおさず北条家の嫡流は

     通字として『時』の字が用いられていたけれども、

     『得宗』と言われるだけに、『宗』の字も良く使われる印象。」

 Aさん「ふむ。」

 Bさん「北条宗敦と言う胸熱な名前の人とかいそうだよね。」

 Aさん「いないですよねそんな胸が熱くなる感じの人。」

 Cさん「ちなみに鎌倉幕府の成立は

     ちょっと前までは頼朝が征夷大将軍となった1192年をもって

     成立とする考えが一般的だったけれども、

     最近は頼朝が平家を滅ぼし全国に守護地頭を設置する許可を得た

     文治の勅許を賜った1185年を成立となす考え方が強くなっているわ。」

 Aさん「ああ・・・『いいはこ(1185)つくろう』ですね。」

 Bさん「そうそう。そんなに良い箱でもないのに

     『良い箱に見えるように取り繕う』って言う意味だよね。」

 Aさん「そう言う意味の『つくろう』ではないんじゃないかな!!?」

 Bさん「で、この頼朝の死後の混乱で源氏の嫡流は途絶えてしまう。

     その後幕府は有力御家人たちによる合議制により運営されていくんだけど、

     それも程なく破綻。

     熾烈な派閥争いの末に、北条氏が一歩抜きんでるわけだ。」

 Aさん「ふむふむ。」

 Cさん「得宗家の専制を決定的にするきっかけになった出来事は、

     院政を敷き朝廷に絶大な権力を振るっていた後鳥羽上皇が

     時の執権北条義時の追討を命じて軍を興すも、

     幕府の大軍の前に敗れ去り配流の憂き目に遭ったと言う動乱ね。」

 Bさん「阿部さんはこの朝廷と幕府の決定的な対立となったこの動乱は

     なんと言うか知ってるかな?」

 Aさん「えー・・・聞けば絶対分かると思うんだけど・・・。」

 Cさん「つまり分からないと言う事ね。」

 Aさん「うぐっ・・・。」

 Bさん「大ヒント。

     この動乱が起こったのは1221年です。」

 Aさん「1221年・・・あっ・・・。」

 Cさん「気付いたみたいね?」


 Bさん「答えは『わんにゃんにゃんわん祭り』でした!!」

 Aさん「小夢ちゃんとかおす先生かな!!???」


 承久の乱。

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