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美智果とお父さん  作者: 京衛武百十
9/201

私のママはママだけだも~ん

妻と結婚するまでの僕の人生は、必ずしも幸せなのものじゃなかったと思う。僕の母親は家が嫌いで早く出たいが為に焦って結婚してハズレを引いた。粗暴なくせに小心者で、自分より弱い相手にしかイキがれないDV男だった。


だから僕は、父親が大嫌いだったんだと思う。小学校の一年生の時に父親が家を出て行ったのを、子供心に心底喜んだ気がする。何しろ、父親がいないことを寂しいとか悲しいとか思ったことが一ミリもなかったから。よほど嫌ってたんだろうな。いなくなって清々したって感じだったのかも知れない。


母親は、勉強はできても世間知らずで人を見る目がない人だったからその後も何度も男にだまされて借金まで背負わされたりもしてた。その所為もあってかなり貧乏だったとは思う。だけど飢えた覚えはなかったから、そこまで切羽詰った貧困でもなかった気はする。ただ、贅沢ができなかったというだけで。


その所為か、僕は自分の境遇を不幸だと思ったことはなかった。ただ、それを他人に話すとよく同情されたりはした。『可哀想』という言葉は聞き飽きた。


僕は、フィクションの中で不幸が起こることについては否定的じゃない。救いのないラストでもそれを批判しようとは思わない。何しろ、現実に起こっている不幸に比べれば、そんなもの所詮は<作り話>だから。実際に命を落としたり傷ついたり苦しんだりしてる人はいないんだから、それ自体がもう<救い>なんだし。


『フィクションなんだから良かった良かった』


って、僕は思えるんだ。


現実の不幸には、フィクションのそれみたいな余韻なんてない。フラグもなければストーリー上の必然性もない。いきなり唐突に絶対に変更の利かない結末だけを突き付けてくるんだ。それに比べれば、フィクションの中の不幸なんてただの余興だよ。アニメや漫画なら、結末の前を見返せば、死んだキャラクターもちゃんと生きてる。


だけど現実で人間が死んだら、後でその人の写真を見ても動画を見ても、それは決して本人じゃないんだ。


僕の人生を変えてくれた妻はもういない。でも、美智果は確かにここにいる。


「美智果、新しいお母さんとか要る?」


「え~? 要らな~い だって私のママはママだけだも~ん。それにパパがいるから平気だよ」


美智果がそう言うから、僕は周りの人間がなんて言ってきても再婚とかするつもりはない。妻みたいな女性が他にいるとも思えないし。美智果が『私のママはママだけだも~ん』と言うのと同じで、僕にとっても妻は妻だけなんだ。


他の女性じゃ代役は効かないんだから。



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