『躾のつもりだった』っていう言い訳
「宿角健雅容疑者が、次男の頭を拳で数回殴り、頭蓋骨骨折の重傷を負わせた疑いで逮捕されました。次男は現在、集中治療室で治療を受けているところですが、命に別状はない模様。
なお、取り調べに対し健雅容疑者は、『躾のつもりだった。態度を改めないので腹が立った』と概ね容疑を認めているとのことです」
朝、美智果が学校に行く用意をしてる間に点けてたテレビがそんなニュースを流してた。相変わらずだなと思った。なんか、判で押したみたいに『躾のつもりだった』っていう言い訳。
僕は、美智果を殴ったりしないぞ。殴る必要もないから。僕にとって美智果を叩いたりするのって、親としての敗北だと思ってるから。
この前も言ったけどさ。
まずよく見てほしいと思うんだ。叩いた後の子供の様子ってものを。怯えて縮こまってるとしても、反発して不満そうな顔してるとしても、それって、親が伝えようとしてることが分かってる姿なのかっていうのをさ。
自分が叩いたことで怯えて縮こまってる子供の姿を見て、何を感じるのかな? 優越感? 達成感? 僕が感じるのはそんなもんじゃないと思う。ただの罪悪感だ。弱い相手を暴力で従えてるっていうだけの罪悪感だよ。美智果が僕を見ながら怯えてる姿なんて、想像したくないな。
自分が叩いたことで反発して不満そうにしてる子供の姿を見て、何を感じるのかな? 反抗的な態度に対するムカつき? イライラ? それって自分のやったことが上手くいってないっていうのを思い知らされてるってだけじゃないかな。それを、怯えて縮こまる姿を見せるようになるまで叩くっていうことかな。あれ? それじゃ何を目的に叩いたんだろう?
叩いて伝えようとしたことは伝わった? 一回叩いても伝わらなかったことは何回も叩いて伝えるのかな? でもそれって、何度でも根気強く言葉で伝えようとしてるのと何が違うのかな? 口で言っても分からないから叩くんじゃなかったのかな? 一回叩いて伝わらなかったのなら、叩く方が早いとか確実とか言えなくなるんじゃないのかな?
僕は子供を叩く親とその子供の様子を見ればこそ、その効果に疑問しか感じなかった。子供を叩く親は、何回でも子供を叩く。同じことで何回も。ぜんぜん効果的でも効率的でもない。
僕は見てきたんだ。親に叩かれてる子供の、ぜんぜん行儀良くも誠実でもない姿を。表の顔と裏の顔を使い分けて叩かれないようにいい子のふりをしながら裏では他の子をイビリ倒したりしてる姿を。
怯えて縮こまるふりをしてる子供の正体も見抜けないで自分の躾が上手くいってると思ってる親と、そんな親を腹の中では嘲笑ってる子供の姿をさ。




