6 夕焼けの街に猫じみて身軽な娘を見た
日が西に沈みかけた刻限。
晃司は住宅街を、保奈の通う高校近くの待ち合わせ場所に向かって歩いている。
この日の鍛錬を終えて、一度家に帰ってシャワーで汗とその匂いをきちんと落としてから、改めて出てきたのだ。
いくら多少は知った仲とはいえ、汗まみれのまま待ち合わせに向かえるほど、晃司は図々しくは無いつもりである。
たとえ色気のある用件でなくてもだ。
数日前に怪獣退治の一件では、晃司は保奈を心配させて怒らせてしまった。
特撮番組じみた真実はぼかしたものの、愛車を潰すほどの無茶をしたと知られてはそうもなるだろう。
帰宅したその時はごまかせたものの、結局彼女が学校から帰ってきた後でこってりとしぼられることになってしまった。
そしてその時に、本日買い出しの荷物持ちをするように約束させられてしまったのだ。
もっとも、保奈の怒りを鎮めるために晃司からダメ元で提案したことであるので、何も言えることはないのだが。
そういうワケで晃司はいま、保奈との待ち合わせ場所である喫茶店前へとやって来たのだ。
赤い衣装の道化師の看板の下、晃司は待ち合わせ相手がやってくるのを待つ。
しかし待ち合わせの時間になっても、保奈はやってこない。
電話やメッセージの履歴も確認してみるが、音沙汰は無い。
晃司は保奈の遅れそのものと、連絡すら無いことに首をひねる。
保奈は時間にルーズなタイプではない。それに遅れることになれば、報せの一つくらい入れてくるだろう。
なにかしらのトラブルでもあったのかもしれない。
そう思う晃司であったがまた同時に、少しばかりの遅れでつついては気の毒か、とも考える。
連絡してみるにしろなんにしろ、行動を起こすのはもう少し様子を見てからでも遅くはない。
まだ早いと結論を出した晃司は、腕組み再び待ちの姿勢になる。
だがそこでふと、視界の角をよぎったものに引かれるように顔をそちらへと向ける。
長い髪を揺らした少女であった。
背の半ばまで届くポニーテールにまとめた少女の髪は、降り注ぐ夕日も相まって真っ赤に輝いている。
年は中学生くらいだろうか。
赤いシャツに白いブルゾン。ホットパンツにスニーカー。そんな活動的な装いに包んだ体は細くしなやかで、猫のような印象を受ける。
そんな赤毛の猫娘がふと膝を曲げたかと思えば、その体がふわりと宙へ。
そのまま彼女は軽々と、近くの家の屋根へ音もなく飛び乗った。かと思いきやそのまま屋根の上を走って行ってしまう。
屋根を危なげなく軽やかに走り去るその様は、尾のように揺れた長い髪と相まって、まさに野良猫であった。
「って、待て待て!」
そんな猫娘のあまりの軽やかさに、あっけに取られて見送っていた晃司であったが、事の異常さに頭を振る。
晃司も、たとえ擬態状態であっても跳び箱二十段を跳ぶ自信はある。
しかしそれは間違っても垂直跳びでではない。
猫じみた少女のように助走もなく、軽々と二階建て民家の屋根に跳び乗れはしない。
あの赤い猫娘が、地球人を凌駕する身体能力を持つ異星人なのは間違いないだろう。
だがだとしてもおかしいのは、地球人態で異様な身体能力を発揮している事だ。仮に元から地球人そっくりで擬態いらずであったとしても、Gコスモスの検問を通ったのなら能力面での擬態を施されていなくてはならない。
つまりあの猫じみた少女は裏から地球入りしたか、あるいは擬態システムに穴を開けていることになる。
つまりは不法滞在者だ。
晃司は新たに見つけた疑わしき者のことを報せようと、通報用のコールを送る。
だがまたしても返事はノイズのみ。またこの一帯で通信妨害が発生しているらしい。
「緊急時に繋がらないで何がッ!?」
頼りない回線に毒づきながら、晃司はタッチ画面式の携帯電話も確認。こちらもやはりと言うべきか、圏外になっている。
それに晃司は舌打ち。後ろの店に向かって来ていたセーラー服の少女に顔を向ける。
「ちょっと、キミこの店の娘さんだったよな?」
「へ? はい。そうです、けど?」
肩くらいまでの黒髪を流れるままにした少女は、突然の確認に切れ長の目を瞬かせる。
「この店に来た高校生が俺を探してたらじきに戻るって行ってたって伝えてくれな? 頼んだぜ」
「あ、ちょっと! お兄さんの名前は!?」
是非の答えを聞かずに走り出した晃司に、セーラー服の少女はあわてて伝言に必要な情報を求める。
「黒部晃司! スマンが頼む!」
一方的に、しかし重ねて頼んだ晃司は、目的の方角へ向けてグンと加速する。
向かうのはもちろん猫じみた少女の向かった方向。彼女がどこへ行くのかを突き止めるのだ。
もちろん突き止めるとは言っても、そのまま晃司が単独で取り押さえてしまう必要は無い。
さすがに戦闘力を自在に発揮できない現状で、それは無謀に過ぎる。
晃司の登録証からは強い信号が出ているため、Gコスモスにとってはよい目印である。
今は妨害によってレーダーからも消えてしまっているのだろうが、それは逆に好都合というものだ。監視対象とした者の反応が消えれば、異常事態に気づくのも早まり、実働部隊が迅速に動き出せることだろうから。
また通信妨害もいつまでも有効であるとは考えにくい。猫娘が単独にしろ、何らかの組織の一員にしろ、目印になるのなら晃司としてはいっそ捕まってしまうのもアリである。
ともあれ追跡だ。
本物の猫を見失わずに追いかけるのも厳しいのに、超身体能力を備えた少女についていくのはさぞ骨が折れることだろうと思われる。
だが少女は屋根から屋根を跳び伝い進んでいるが、その歩みそのものは散歩しているかのように暢気なもの。
高いところにいることも幸いして、見失わずについていく分には問題は無い。
破れたフェンスを潜ったのなら乗り越えて、狭い道には体を押し込んで、晃司は追いかけるままに人気のなく入りくんだ場所に入っていく。
そんな道ならぬ道の間に、晃司の顔や体には、蜘蛛の巣や、ねばついたほこりが絡み付く。
払っても拭っても、またしつこく絡みついてくるそれを払いながら、晃司はふと自分がまだ猫娘を追跡できていることを怪しく思う。
少女は確かに目立つ彩りを纏って目立つ位置にいる。そして足取りものんびりだ。
だから見逃さずにいれるわけだが、だからこそ怪しい。
彼女が屋根の上に跳び乗れたのは、能力が縛られていないからだ。
ならば感覚系の能力も縛られているはずがない。
高い身体能力を真に活用するのには秀でた感覚も必要である。
仮に超音速で走れたとしても、視力が鈍くては衝突してしまうことになるのは想像がつくだろう。
必要からいって、わざわざリミッターを区別する理由が無い。
つまり、猫娘には気づかれている公算が高い。気づいたうえで誘い出されている恐れがある。
しかし戻るにはいまさらである。
ここまで散々汚れて追跡してきたというのに、それを台無しにするのは惜しい。
それに、捕まるのも有効打になるのだから、このままでいい。
心を決めた晃司は、ポニーテールにくくった髪を揺らしつつ高いところを歩いている猫娘の後を追う。
そうして揺れる赤毛を追いかけてたどり着いた先は、廃工場の裏手にある扉である。
屋根と壁の所々をトタン板で補強した、古ぼけ朽ちた工場。それに反しては妙にきれいなドアだ。
猫じみた少女はその扉を躊躇なく開けて建物の中へ。
そうして猫娘が確実に建物に入ったのを見届けると、晃司はドアノブに手をかけて深く息を一つ。
「鬼が出るか、蛇が出るか……」
そして晃司は改めて意を決して、ドアをくぐって少女を追いかけるのであった。