第八話
「ワタナベ様は、金銭的な援助以外はあまり受けたくない、ということでしたが」
アイザックが少し後ろをついてくる渡辺を振り返る。
「本当に、よろしいのですか?」
「はい。できればあいつらともお姫様とも、とっとと縁を切ってしまいたいんですよ」
「同じ勇者の皆さまとも、ですか?」
「もともとそんなに仲の良かった連中でもないですし」
その言い様に、アイザックは困ったように微笑む。渡辺はそれに気づきつつも、訂正やフォローをする気はないようだ……おっと。
渡辺を監視する「神の眼」を止めて、私は意識をこちらに戻した。
この部屋に近づく人物がいたのだ。前を素通りするようなら無視しても問題ないのだが、おそらく彼女は恵美に用事があって来た。片膝を立てた「らしからぬ」ポーズを解き、私はベッドの橋へと移動し、緊張気味に座りなおした。
予想通り、彼女はこの部屋の前で止まり、扉を三度ノックする。
「恵美? いる?」
「雪ちゃん? いるよ、ちょっと待ってね」
パタパタと、部屋履きのスリッパを鳴らしながら扉へ向かい、そっと開けた。
そこにあったのは幼馴染、雪ちゃんこと東雲雪の見慣れた笑顔だった。
「どうしたの?」
「いや、なんだか落ち着かなくってさ。ちょっと入ってもいい?」
「うん、いいよ。実は私も落ち着かなくて……なんか、自分の部屋だって言われたのに、緊張しちゃう」
「ああ、個室もきれいだもんねえ。さすがお城。それじゃあちょっと、お邪魔しますね」
部屋の造りは同じなんだね、と言いつつ中へ入り、奥の机の前の椅子へとそっと腰を下ろす雪ちゃん。格好は変わらず制服のスカートのままだが、雪ちゃんは気にせず足を組んだ。右足の太ももが、白くまぶしい。
「もう、はしたないよう」
「いいのいいの、恵美しかいないんだしさあ。男子の前では気をつけるから」
「もう」
私はぷくっと頬を膨らませ、それからクスリと笑った。雪ちゃんも同じように笑う。
「はあ、なんか安心するわ、こういうの。正直、まだ頭が追いついてない感じ」
「異世界……なんだよね」
「目の前で魔法なんて見せられちゃ、認めざるを得ないって。まあ、使ったのは赤羽君だけど」
「あれ、すごかったね。なんかこう、バチバチって」
「そうそう、男子なんてはしゃいじゃって。でも、私も“氷王”だっけ? 持ってるから同じようなことが出来るわけよね。今のところてんで使い方はわからないけど」
はあっ、なんて雪ちゃんが先程の赤羽のように、右手を前に出して声を上げる。
当然だが声だけで、何かが起こる気配はない。体内の魔力にも反応はなかった。お道化るようにひらひらと突き出した手を振った後、雪ちゃんは椅子に深くもたれる。
「……そういえば、さっきの赤羽君の部屋でさ」
天井を見上げ、雪ちゃんは言う。
「渡辺の奴だけ、すっごく暗い顔してた」
「……うん。私も見てた。なんて言ったらいいのかな、思いつめてるみたいで……」
「あいつ、大丈夫なのかな」
渡辺はいま、この城の中にはいない。
街に出てこれからのことを最も現実的に考えている。そういう意味では、『大丈夫』なのかもしれないが、はたして一人群れから離れることを他のクラスメイト達は『大丈夫』と言うのだろうか。
……たぶん、言わない。
「ねえ、雪ちゃん、その……渡辺君の様子、見に行かない?」
私は少しためらうように、そう言う。
照れと恥ずかしさにわずかに頬を染め、意を決したように。
雪ちゃんはそんな私の作った表情に、にやりと意地悪そうに笑う。
ははあん、と何かを察するような、そんな声が聞こえてきそうな顔だった。
「恵美一人で言って来たらー? ほら、私はお邪魔虫ですし?」
「そ、そんなことないよ! 渡辺君もほら、雪ちゃんがいた方がきっと……」
「もう、しょうがないなあ」
雪ちゃんが立ち上がる。
「さて、あいつの部屋はどこだったかしらね」
「あ、一番奥の右側だよ。部屋の割り当て表にかいてあったから……」
「ちゃんと確認してるなんてやるじゃない」
「あ」
はわわ……
私は恥ずかしさに顔を覆う。ぱしん、と雪ちゃんに尻を叩かれて飛び上った。
もう、痛いよう。はっはっは、恵美は可愛い奴よのう。
そう言いながら二人で廊下を歩く。目指すは渡辺創一の部屋。
一方、そのころ。渡辺はアイザックに連れられて冒険者ギルドへ到着したようだった。