第七話
渡辺創一は赤羽の部屋を出たあと割り当てられた個室へは行かず、まっすぐ食堂の方へと向かう。私はそれを自室のベッドの上に座りながら、『神の眼』で見守った。彼の横顔には少し緊張の色が浮かんでいる。
鮮やかなタイルの上を、こちらに来てから履き替えた外靴で音を立てず歩く。休み時間、教室で次の授業の準備をしていたところを召喚された彼らは上靴をはいていた。そのため、制服に対してそこだけ『リーン』産のブーツ。
足の形に合っていないのか、渡辺は時々左のかかとをかばうように上げた。
曲がり角を曲がり、廊下の先に食堂が見えてくる。その扉の前には、一人の男が立っていた。
「ワタナベ・ソウイチ様ですね」
その中年男が、歩いてくる渡辺を見つけて声を上げる。よく通る声だった。
きちんと手入れされた太い眉は几帳面さと意志の強さを同時に主張し、渡辺より頭一つ以上高い背と、がっちりとした肩幅は頼もしくも恐ろしい。
渡辺は警戒するように、少しだけ体を緊張させた。
首から上だけを動かし、頷くような礼をする。
「……ども。えっと」
「私は、ガラド騎士団副団長、アイザック・マートンと申します。このたびは、ワタナベ様にこのガラド王国の……常識、と言えばいいのでしょうか。それをお教えするようにと言われて、参りました」
「ああ、ありがとうございます。えっと、マートンさん」
「ワタナベ様は異世界からのお客様、気軽にアイザックとお呼びください」
「……それで、マートンさんは常識を教えてくれるそうですが、具体的にはどんなことを教えてくれるんでしょう?」
アイザックは渡辺に、穏やかに微笑んだ。
「……そうですね。本日お教えするのは、この世界の貨幣や、物の値段。王城外の生活の一部と言ったところでしょうか。その他、魔法や……魔人や亜人、モンスターなどについては明日以降、皆さま全員に対して姫様より直々にご教授いただけるそうです」
「俺が今日見に行くようなものは、他の奴らは知らないままなんですか?」
「少し順番が前後するだけですよ。渡辺様は勇者様方より先に、その知識が必要になるためこうして先に学びに行くだけです」
果たして、私たちが外のことを学ぶ日は来るのだろうか。
二人の会話を聞きながら、私はそんな風に思う。
ガラド王国にとって、私たち「勇者」は城の外で生きていけないくらいの方が、ずっと都合がいいだろう。
渡辺とアイザックは、並んで階段を下る。方向としては、正面エントランスの方。少し目をずらすと、外にはガラド王家の紋章こそ入っていないが、それでも十分に上等と言える造りのしっかりした馬車が待機してあった。
渡辺がアイザックに促され、それに乗る。
「昔はもっと、揺れがひどかったそうですよ」
馬車が出てしばらくして、アイザックは言った。
「皆様より以前、こちらへ来られた勇者様が、今の馬車の原型を作られたのだそうです。揺れが小さく、長時間の移動でも苦痛を感じないように、と」
「そうですか」
渡辺は少し考えるように、座るシートの辺りを撫でた。
馬車はチャカポコと進み続ける。巨大な門を抜け、城を覆う外壁の向こう側へと抜ける。
渡辺が静かに、外の光景に目を見開いた。私は犀川恵美の記憶を呼び起こしながら、彼らのよく知る「地球・日本」の様子と、ガラド王都を比較する。
なるほど、渡辺はいま、感動しているのだろう。
王城から出てきた馬車に、人々は注目し、道を開ける。彼らの姿はガラド王国ではごくごく普通のものだったが、そう、勇者たちの言葉で表すなら、それは「ファンタジー」。
アスファルトの代わりに石畳の敷かれた街並み。けらけらと水魔法を使いながらじゃれていた子供たちが、馬車に気づいてそれを止め、ぺこりと頭を下げる
昼間には光を放たない魔導街灯すらも珍しいのか、渡辺はガラにもなく、窓から頭を少し出してまでそれを覗く。しばらく進むと噴水が見えてきて、馬車はその脇で停車した。
「きれいな街でしょう」
アイザックが扉をあけながら、そう言う。
「……はい、これは、確かに……」
馬車を下りた渡辺は、ただそう言って、もう一度あたりをぐるりと見回した。
ガラド王都中央広場。その噴水が鮮やかに、リーンの太陽を反射した。