第五話
白と黒の、あの花のことが大好きでした。
*
午後は少し、城の中を自由に散策していいということになった。ガラド王国は勇者たちを強く縛り付けることはしない、そんな姿勢をアピールしたかったのかもしれない。男子、女子、はそれぞれ数人ずつのグループに分かれ楽しげに廊下を歩いて行った。
私は雪ちゃんと二人、中庭へ降りる。そこは一面、きれいな花が植えられている。
「すっご。見たことない花がいっぱい」
普段あまり花に興味のない雪ちゃんも、その景色には感動しているようだった。緩やかに曲がりながら伸びる小道を散歩しながら、私たちは無邪気な声を上げる。雪ちゃんが指をさすたびに、地球のあの花に似てるねだとか、そんなことを言って相槌を打つ。
まるで少女みたい。
……まさか本当にそんな純粋さを持つはずもなく、私の意識は色とりどりの花々でなく、『神の眼』で見るシャーリー姫と渡辺創一に向いていた。話の内容は、先程ガラド王が言っていた通り。このまま勇者の下働きをするか、それとも城を出て自立するか。渡辺はまだ少し悩んでいるようだった。それはそうか、そう安易に、まったく常識すらわからない場所に飛び出るほど、彼は無謀ではない。
といっても、時間の問題かもしれない。
先程の郷田の一件が、よほど頭にキているらしい。悩みながらも質問の内容は、城の外を向いている。自立する場合、仕事の斡旋はしてもらえるのか、もしくは現物での支給があるのかなど。
シャーリー姫はその質問に逐一、丁寧に答えて行った。
彼女としても渡辺には出て行ってもらいたいのだ。その熱意は、うなずける。
しかし果たして本当に、渡辺を目の届かぬところへ置いていいのかな。私は『親心』ながら、そんなことを思う。私は『スキル』なんて目印をつけて異物を監視するほど、不安定要素が嫌いだ。仮に私がシャーリー姫の立場なら、素直に渡辺を野に放ったりはせず、他の勇者たちには出て行ったと言いつつ殺してしまうだろう。
跡形もなく、消し去ってしまう。だって奴には勇者以外の知り合いがいない。殺すなら、今がベストなはず。
……それが出来ない辺り、まだまだ甘いというか。人間なのだなあ。
「ねえ恵美。あの建物なんだろう」
中庭を過ぎ、私たちは城に併設された建物に入る。
高い天井、太い柱と十字架。異世界人の彼らでも連想することが出来る。その答えは。
「ここって……教会?」
「きれい……」
忌々しいほどに。
それはここガラド王国で広く信仰されている宗教、デア教の教会だった。幾重にも椅子が並び、中天を過ぎた日の光りを取り込んだステンドグラスは鮮やかな女神の姿を映し出す。あの女神はほかでもない、女神だ。
とんだ皮肉だ。白の世界に住む私に、そんな鮮やかな色はありえない。白と、黒。きっと名の知れた芸術家が仕上げたのだろうが、そのステンドグラスの色彩だけをとっても、この世界に住む私の『子』は一人たりとも、私を理解していないのだと思い知らされる。
仮に、理解者がいるのだとしたら、それは――
「あら、皆さまはもしかして、勇者様でしょうか?」
突然かけられた声に私たちは振り向いた。
白と黒の二色しか使用されていない、デア教の司祭服に身を包む美しい女性。
「あ、えっと、あの」
私がもたついていると、女性はにっこりと優しく微笑む。
「私はここ、聖カズマ教会に所属する司祭で、ユスティアと申します」
「私は東雲雪……ユキ・シノノメ? です。それでこっちが」
「め、メグミ・サイカワ……です」
「勇者シノノメ様、勇者サイカワ様、ようこそお出でくださいました」
司祭ユスティアは深く、頭を下げる。
「もしよろしければ、こちらの教会についてご紹介しましょうか?」
「あ、よろしくお願いします」
流されるように、私たちは司祭ユスティアのあとについて教会を奥へと歩いていく。
「こちらの教会は始まりの勇者、カズマ・サカガミ様のために作られたものでした。今から千年以上前、彼は戦争の相手であった魔人たちを退け、このガラド国に平和をもたらした。そのため当時の国王陛下が感謝の意を込めて、彼が生涯愛し続けたこの世界の女神を敬う教会を作り、それと勇者様の教え『デア教』を国中に広めたんです」
坂上一馬。
あの勇者のことは、今でも覚えている。彼はこの『リーン』最初の勇者であり、同時に最もおかしい勇者だった。白い世界にやってきた最初の一言が、『どこだ』でも、『あんたは誰だ』でもなく、『美しい』。そしてあの世界にいられる目一杯の時間、女神のことを美しいと褒め続けた。
一見したところ、ただの軽薄な男。
しかし、彼は白い世界を離れてリーンに行ってからも愛している、美しいと私を想い続けた。彼は始まりの勇者。当然、多くの女性から言い寄られたし、その多くはとても魅力的だったけれど、彼は最後までどの想いにも応えることをせず、ただ私を愛し続けた。
「勇者様からの遺言で、この教会には必ず、この花がささげられることになっています」
ユスティアが示したのは白と黒、モノクロームの花。
『リーンの花』と勇者によって名付けられたその花だけはこの教会で唯一、正しく私を現している。
『この花を見ながら、いつも女神様を思っています』
私は思わず、その花をにらみつける。なんとか理性で抑え込み、すぐに『犀川恵美』らしい表情に戻すことが出来たが、それでも心の片隅には小さく、怒りがわいた。
思えばあなたが来た時から、私はおかしくなり始めた。
「あの扉は何ですか?」
「ああ、あの向こうには地下へと伸びる階段があるんですよ。少し事情があって、陛下より許可された方以外は御通しすることが出来ないんですが……」
「えっと、大事なものがしまってあるとか?」
首を傾げる雪ちゃんに、ユスティアはにっこりと微笑む。
「勇者サカガミ様の、御遺体が保管されていると聞いています」
雪ちゃんがそう聞いて、少しだけ眉を顰める。私はもっと単純に驚いた表情をしておいた。
――だけど、それは嘘ですね。
彼の亡骸があるはずがない。だって坂上一馬は最後、帰還の魔法を使って元いた世界へと帰ってしまったから。
あれだけ私を愛していると言ったのに。最後にはあっさりと、元の世界へ戻った。
「あ、雪ちゃん大変! そろそろ戻った方がいいんじゃない?」
「え? あ、そうだった。これからみんなで話し合いか。めんどくさいなあ」
「でも今後のことはちゃんと考えないと……」
「わかってるわかってる。恵美は真面目だねえ」
私たちは司祭ユスティアに見送られ、聖カズマ教会を後にする。
私は偶然、その前の道の脇に一輪の『リーンの花』が咲いているのを見つけた。誰かが植えたようには見えないが、もしかしたらデア教の教会の前に咲く神聖な花を摘むのは罰当たりだとでも思ったのか。それはたった一輪で、力強く白と黒を主張していた。
仕方ない。
私は雪ちゃんに少し先を歩かせながら、その後ろでこっそりと『リーンの花』を踏んだ。
完全に枯れてしまうほど、強くは踏みつけられない。
この世界はまだ、『私』だから。その命は草花であれ等しく、奪うことが出来ない。
だから今はここまで。私はそっと、足を退ける。
花弁はいくらか破れたが、それでも何とか、生きている。
この世界を滅ぼすことが出来た、その時にはもう一度。
あなたのことを潰しに来てあげるわ。
「恵美ー、どうしたのー?」
「あ、ごめん! ちょっと靴紐が……ってわわっ!?」
私はわざと、靴紐を踏んで尻餅をつく。そんな間抜けな格好のまま、私は。
絶対に、滅ぼしてやる。そう一層強く、決意する。