これは餌付けですか?
現実に戻ると、ベッドの上に腰掛け、見た目より軽いヘルメットを抱えて困惑していた。
「……おかしい。」
平穏で、自由で、のびのびとしたゲームライフを送る為に、一人暮らしを始めたはずだった。
それが入学式初日から、なぜこうも波乱に満ちた幕開けなのか?
いや、もはや、波乱などという言葉では生ぬるい。
混沌と言って差し支えないレベルだろう……。
「……牛乳に相談だな。」
ストレスには、牛乳だ。
牛乳に含まれるセロトニンがいいって、偉い人が言ってた。
カレーで使い果たしたので、今切らしてるんだけどな。
ベッドから降りると、鞄から財布を取り出す。
時計を見るとまだ17時をまわった所だ。
「行くなら早い方が良いな。」
近くのコンビニに牛乳の小さいパックがあったはずだ。
そう思いながら、かちゃりと玄関の鍵を開け扉を押しあけると、10センチくらいで動かなくなった。
「……ん?」
扉が重い。
更にゆっくりと力を込め、押しあけると、重たい布袋の様な何かを引きずる様にして扉が開く。
「……ぎっ。」
すきまからそれが見えて、本能的に悲鳴を上げそうになったのを、手で口を押さえ、ギリギリのところで押しとどめる。
あれ、既視感。
なんか、さっきも悲鳴こらえた気がする。
この心臓のバクバク感もついさっき感じた覚えがある。
何だか俺の日常は、望まぬ驚きに満ち満ちているようだ。
「……後、5分。」
玄関の外に転がっていた死体が、乾いた若い女性の声でしゃべった。
じゃなくて、生きてた。
ドアの隙間からは、胴体部分しか見えないが、結構華奢な身体をしている。
「そんな所で寝てると風邪ひきますよ?」
っていうか邪魔!出られないから!
「……おなすい。」
お腹すいた位略さず言え!
って言うか、生き倒れか??
オートロックのマンションである事を考慮すれば、同じフロアの住人だろうか?
その時、閃いたというか、魔がさした。
吊り橋効果?か、さもなくば、かなり疲れていたのかもしれない。
「肉じゃがか、カレーでいいならありますよ?」
今時小学生でも知らない人を家に上げない位、理解しているだろう。
だけど、その時は良い事思い付いた位にしか思わなかったのだ。
相手が、戦闘能力低そうな女子というのもあったかもしれない。
「いただきます!」
と寝ぼけ顔のまま元気よく起き上ったのはあまり年の差を感じない女子だった。
「こんなところに寝てた人を、そのまま家に上げるのは嫌です。」
そう言ったら、お風呂に入ってくると言って、隣の部屋に吸い込まれていった。
本当に、後ちょっとの所で力尽きてたんだなと思いつつ、当初の予定通り牛乳を買いに行った。
それから15分たっただろうか?
一人暮らしのはずの俺の部屋に、キャラメル色のワンピースと生成りのカーディガンをはおった、覇気のない空気を纏う3つ年上のお姉さんがいる。
湯上り直行といった風体で、乾ききってない髪は、先程、家の前で転がっていた時よりボリューム少なめのミディアムヘアで、洗いざらしなのか、若干絡まっている。
「なんで、あんな所で、寝てたんですか?」
お行儀よく手を合わせ、「いただきます」をして、目の前でカレーライスを食べていた貴織さん、18歳、女子大生にインタビューしてみる。
ちなみに、「後5分」という第一声から、寝ていた事はもう俺の中で確定している。
「バイトで、24時間位寝てなくて……、お腹もすいてて……気が付いたら、」
恐縮しきった感じでおぶおぶと言葉を探す姿は実年齢より幼く見える。
にしても、なにそれ怖い。
ブラックな職場というか、労働基準法(本当は良く知らない)とか怖い。
カレー用のスプーンを置いて、牛乳を飲む。
しかし、この人大丈夫だろうか?
仮にも、初対面の男子高校生の部屋で二人っきりになるなんて。
そればかりか、知らない素人の手料理食べるとか……。
逆の立場なら、郁介には無理だと断言できる。
でもそこには突っ込まない。
これは食材を無駄にしない好機なのだ。
「何時間、寝てたんですか?」
話題を変える。
「多分。2時間くらいーなのかな?」
聞かれても知らないよ。
2時過ぎに帰宅した時はまだいなかったとしか言えないよ。
よし、食べ終わったみたいだし、そろそろログアウトしてから、1時間だな。
食器を洗うというのを、断り、さっさと追い出す。
ゲームの時間だ。