……もしかして失楽園?
評価、ブクマありがとうございます。
諦めません!次の休みまでは!
ぱたんと背後でドアがしまる音がした。
……やっとゆっくりゲームができる。
初めての環境と、初めての人間関係。
今日の出来事が走馬灯のように脳裏をめぐる。
極力意識しない様にしていたけれど、無意識に気を張っていたようで、ようやく自分のパーソナルスペースに戻って来た事に対する安堵の息が漏れた。
ブレザーのネクタイをゆるめながら、先週越して来たばかりの部屋のキッチンにスーパーの袋をそっと置く。
入学式の夜くらい帰ってこいという母には、可愛い息子の為に遠慮なく働くよう言っておいた。
そして、土日は引きこもるつもりなので、カレーの材料を多めに買ってきている。
一気に作って、ゆっくり食べるのだ。
幸い、小学校の高学年くらいから家事全般はこなせていたので、レトルトのルーを使ったカレー位なら何も見ずに作れる。
好きな具材は、マッシュルームとアスパラとひよこ豆。
そして肉は中落ちカルビだ。
料理をするか、ゲームをするかほんの少しの逡巡の後、野菜と肉をそっと冷蔵庫にしまった。
さて、今朝植えた『誕生石の花』を収穫して売ったら『初心者の花』でティータイムにしよう。
たしか、『桃のタルト』の材料が残ってたから、課題をしながら食べよう。
秘書ペットは『モフリス』と『ユメナマコ』と『絹虫』かな?
今日の予定を思い浮かべつつベッドをならす。
3年前、郁介の中学進学と時期を同じくしてサービスを開始した「名もなき隠れ里オンライン」は、植物や動物などを育成、加工する放置系育成シュミレーションだ。
隠れ里に領地を持つ貴族のプレーヤーが、関所にある小さな別荘で、のーふとしてのレベルを上げながら、育てられる動植物っぽいものを増やしていくという設定のゲーム。
のーふなのか貴族なのかというプレーヤーの突っ込みに対して公式は3年間沈黙を守り続けているが、ミニイベントなども複数あり、充実した環境でありながら、他者との交流が不要なこのゲームは郁介のような自称コミュ障にとって心の安らぎの場所である。
さらに、秘書ペットというシステムがあり、過去に育てた動物的なものに名前を付けて登録すると、ほどよく緩い個性的なキャラクターがゲームをサポートしてくれる。
3匹まで同時に起動できるので、郁介は、クッション系のモフリスとゼリー系のユメナマコ(同名の深海生物とよく似ているが空を飛べる)とあと一匹何かを起動している事が多い。
そして、たとえ一人遊びでも、オンラインで本名とか有り得ない郁介は、ファルケという鷹を意味する名前でゲームをプレイしている。
パンプキンゴールドの髪に、エメラルドグリーンの瞳のファルケはもう一人の自分といえるくらいに、長い時間を過ごしてきた。
部屋着に着替えてベッドに上がる。
郁介は、サイドのスイッチでバイザーを降ろすと眼元から後頭部まで隠れる旧式のヘルメット型ウェアラブルを愛用している。
外出時には、手首に装着する簡易型を使う事もあるが、自宅にいる時はやっぱりヘルメット型だ。
性能に差はないが、ベッドにヘルメット型のウェアラブルを装着して横たわるのは、一種の慣習の様なものだった。
良くなじんだ頭を包むほどよい重みを感じながら、アイトラッキング機能で進める承諾、起動、ログインの流れを一瞬で終える。
今日の、メンテは15時で終わっているはず。
青く澄んだ世界に飛び込もうと意識を研ぎ澄ましたが、いつもと違う小部屋に郁介から姿を変えファルケは居た。
注意事項と使用許諾画面が視界に表示される。
アイトラッキング機能のせいで、視線を捕捉されている為、初めの一回はある程度、真面目に読まないと先に進めないのは解っている。
……解っているが、郁介改めファルケの視線は一行目の他より大きな文字で固まっていた。
『テンペストドレインオンライン』
……郁介の良く知ったゲームの名前がそこに表示されていた。