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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

巫女の欠片

作者: 三井崎瑞希

  一


 彼はいつも、独りだ。誰も寄せつけない、不思議な雰囲気を纏っている。教室ではもっぱら本を読んでいるか、眠っているかだけれど、授業中でも休みでも、彼の声を聞いたことはない。私はもちろん、クラスの誰も。何があっても絶対に声を出さないということは、つまり他者との関わりを拒否しているということ。他者を拒絶すること。必然的に孤立する。だからこそ、独りだ。

 彼はいつも、右手を隠している。黒い、ぴったりと密着した手袋と、その上からグレーのアームウォーマーで肩の下まで隠している。ブレザーでそのほとんどが隠されているとはいえ、なかなかどうして異常なのだが、私たちが通う学校は比較的校則が緩い。服装に関しても、今では絶対に見ることがないだろうほど”いかにも”な不良的にフル改造していても咎められない。さすがに、そこまでやる人間はこの学校には存在していないけれど。まあ、校則の緩さを極限まで活用しているのがソフトリーゼントな生徒会長なので、恐らくボンタンとかドカンとか、ブレザーのところを詰め襟にしても何も言われないだろう。誰もやらないし、そもそもそんな手間を考えればそんな人間はこの時代皆無だろうけれど。

 閑話休題。そんな感じで虐められる要素は多分に含んでいる彼ではあるのだけれど、不思議なことに誰もそんなことしない。どころか、徹底的に避けている。忌避している。虐めどころではない、関わりを持つことすら回避している。逃げようとしている。彼のことを虐めていた生徒は一応いたのだけれど、リーダー格が血塗れで発見されてからすぐさま錯乱し始めた。皆、死んだわけではないけれど、精神異常で病院行き、彼は重要参考人として警察の世話になった。

 彼がやったわけではないと思う。とはいえ、噂が広まるのは速い。彼は彼が望むまま、他者との関わりを断つことができた。

 初めからこれが狙いだったのかもしれない。


 私が彼と出逢ったのは、ただ一つの偶然だった。放課後の教室で、忘れ物を取りに戻った私は、手袋もアームウォーマーも、ブレザーも脱いで、シャツの袖を捲り上げた状態の彼と遭遇した。右腕は完全に外気に晒されていた。日光に当たっていないせいか、異様に白くてほっそりした、長い指で、静かに黒板を撫でていた。


  二


 彼はいつも、昼休みは屋上にいる。立入禁止である筈のそこの、封鎖された倉庫内に。鍵はとうの昔に失われ、やたら複雑で業者でも開けられなかった為に開かれず放置されている、校長ですら中身を知らないここの中で、コンビニ弁当を食べている。

 今日もまた、彼はここにいた。いつもどおり野菜と少しの鶏肉を食べ、野菜ジュースを飲んでいた。

「賽在くん、こんにちは。今日もヘルシーメニューだね」

 顔を上げじっと私の目を見て、不機嫌そうに、仏頂面で、面倒臭そうに、少しだけ微笑む。いつも通りの賽在彼方。彼。

 彼は再び手元の弁当がらに視線を落とす。空っぽのプラスチックには少しだけドレッシングが残っていて、それを箸でつついてはなめる。野菜ジュースを飲んで、つつく。美味しいのだろうか。

 私はその横に座り込む。緑色の座布団が普段通りに、ふわふわの状態で置いてある。賽在くんがいつの間にか用意してくれていたものだ。そこで、鞄から唐揚げ弁当とチーズハンバーグ弁当を取り出した。二リットルのスポーツドリンクをペットボトルから水筒に流し込みつつ、ついでに飲む。ほどよく甘くて美味しい。

「いただきます」

 呟く声に反応はない。賽在くんはいつも通りの服装で、ポケットから携帯電話を取り出して操作を始める。眠そうな目元は、面倒臭さに覆われる。

 携帯電話は一応校則違反なのだが、ここで咎める人間はいない。かく言う私も、食べ終わったら携帯電話でネットサーフィンをする。

 会話はない。間違いなく二人でいるのだけれど、別に彼に用があるわけじゃない。ただ、私も彼と同じで人付き合いが苦手で、静かな教室の喧騒から逃げ出してきただけなのだ。中庭も庭園も、教室も廊下も必ず人がいて、若干精神年齢が低い生徒は走り回ったりして遊んでいる。

 騒がしいのは苦手だ。私はこんな、ほとんど無音の場所が好きだ。環境音のみが支配する、人の気配がない音が大好きだ。


 授業は退屈だ。面白くない。私は午後の授業が始まるのと同時に睡魔の国に意識を飛ばし、気が付くと放課後だった。

 別に内容に重要性があるわけじゃないし、まあこんなもの家で勉強すればいくらでも取り返せる程度のことなので気にしない。家に帰って、ゲームをして、寝た。


 人付き合いが苦手で、人間関係が嫌い。でも、それはイコールで人間嫌いに繋がるわけじゃない。むしろ、人間自体は好きだ。友達だって欲しいと思うし、人との会話が恋しくなることもある。私の性質は、そのまま彼にも当てはまっていて、だからこそ同族として一緒にいたいと思う。

 相手が限られる数少ない会話を、彼とするのも悪くない。

 彼は他人との会話が嫌いらしい。さらに、そこに別の問題が発生したせいでさらに減った。声を出すことそのものが皆無になっていて、それでも時折、誰かとの繋がりを求めることがある。それが、今この時だった。

「美味しいか」

 唐突な音声に、私はそれが自分に向けられた、彼──賽在くんの声だとはすぐには気付けなかった。一〇秒ほどあと、狭い無機質な部屋に響くその声が完全に消えてから、やっと気付いたのだった。驚き、というか混乱で指から力が抜けて、口に入る直前だったデミグラスハンバーグ五分の一がべちゃんと弁当箱に落ちる。

 彼は私よりもさらに、会話をする頻度が低い。ほぼ、というか完全にゼロだ。つまり、会話の方法を忘れているのは仕方がない。私も時々こんな風に喋り始めてしまうことがあったので、彼を咎めることはできないのだけれど、それでも混乱してしまうのは許して欲しい。

 結局のところ、不器用なのだ。

「どうしたの?」

 私の言葉が彼の耳に届いて、完全に消え失せて、それからさらに数秒おいてから彼の声は戻ってきた。恐らくはなんと言おうか、どんな風に伝えようかを脳内で整理しているんだろう。私も似たようなものだ。私はその空白の時間の間に、答え方を間違えたなと悶々と思考をループさせていた。

「ハンバーグ。美味しいか」

 彼の視線は、いつの間にか私の手元のハンバーグ五分の一に向けられていた。コンビニ弁当、当たりのハンバーグ弁当とはいえ、毎日食べていれば飽きてくるもので、私は彼の食べているヘルシーなサラダ系がちょっと気になっていた。まったく太らない体質がゆえに肉ばかり食べている私だけれど、サラダも好きなのだ。わざわざ買おうとは思わないけれど、それでも最近野菜を食べていないからちょっといいなとか思っていたのだ。

 私は無言で”デミグラスハンバーグ弁当”五四〇円税込みを彼に差し出した。彼もまた、無言で”デラックスなドレッシングの温野菜サラダ”四二〇円税込みを差し出してきて、今ここに無音の弁当交換という、青春にありがちっぽくてどう考えても異質な状況が完成した。

 コンビニ弁当の交換である。憧れはしていたけれど、なんとなく違う気がする。

 気にしないが。


  三


 放課後。目が覚めると五時をとうの昔に過ぎていて、痛む背骨を伸ばしながら鞄に荷物を詰めて立ち上がったところ、なんだか聞き覚えのない怒鳴り声が聞こえきた。いつもなら至極当然のように無視り、今日の晩ご飯のことでも考えながら階段を降りるところではある。けれど、その怒鳴り声は「なんか喋れよ!」といった内容なのだ。少なくともその声は、クラスの人間ではない。隣のクラスに転入してきた転校生かもしれない。彼は前の学校でだか『弱肉強食』だか、『焼肉定食』だかという二つ名で呼ばれていたらしい筋金入りの不良だと聞いている。

 彼の噂は、私のクラスにまで流れてくる。賽在くんにも一応気を付けるように言っておいたのだが、そういえば『焼肉定食』には注意していなかったな。一人で喋ることのできない賽在くんに絡んでしまう可能性は十分にある。

 仕方がない。ちょっと覗いて、それが賽在くんではなければ帰ろう。賽在くんならば──助言をして帰ろう。


 予想通り、というか案の定。誰もいない教室前の廊下で胸倉を掴まれているのは賽在くんで、掴んでいるのは転校生だった。

「厨二病かよてめえ! 喋らねえのも設定かよ!」

 と、まあ恐らく調子に乗ってる同級生を〆てるテンションなのだろう、転校生はすごい剣幕で賽在くんを持ち上げている。腕力すごいな。その状態でぎゃあぎゃあ叫んでいるのもさらにすごい。

 因みに私、なんだかんだ言いつつも一応友達がいるのである。こういう時に、声が出ないなんてことはない。

 私は賽在彼方の声だ。彼の意を代弁し、語り、操り、動かす。彼に危害が加えられないよう、彼が危害を加えぬよう。


 さくっと角から現れてみる。賽在くんは変わらず、ほとんど無表情の仏頂面。私の方を見て、仏頂面を僅かに綻ばせる。

「なんだよ、文句あんのか? あ?」

 テンプレート的解答が帰ってきた。

 残念ながら、私は文句ではなく助言をしに来たのだ。あわよくば賽在くんを助けられればいいなと。

「やめといたほうがいいって。賽在彼方は人間でも殺せるタイプの人だから」

「俺だって人ぐらい殺せんだよ、それぐらいなんだってんだ」

「あなたみたいな似非不良とは違うわけ。先に情報収集でもしておくべきだよ」

「うるせえ、てめえは後で〆てやるからちっと待ってろ」

 聞く耳を持たない不良な転校生は私から意識を離し、再び手元の賽在くんを見た。そこで賽在くんは変わらない仏頂面で胸倉を掴まれたままでいたのだけれど、ただ一つ違うこと。

 その眼に、面倒臭さではなく、殺意の色が浮かんでいた。

「あなたがなんとかっていう二つ名で呼ばれてたことは知ってるけど、もうこうなると止められないから。始まる前に逃げなよ? 証拠隠滅とか情報操作とか、面倒くさいんだから」

 ああ? と、私の助言が耳に入ったらしく振り向いた。

「何がだよ。てめえには関係ねえだろうが」

 それがまた、あるのだ。

「殺意に怯んでからじゃ遅いからね。それじゃ」

 私は言い放ち、教室に戻ることにする。怒鳴り声が聞こえたのだ、これから起こる騒ぎの音も聞こえるだろう。終わってから戻れば十分間に合うだろう。

「ああ、そういえば賽在くん」

 私は振り向いて、彼に伝える。

「できるなら、あんまり血が出ない方法でやってくれると嬉しいなって」

 微かに頷いた賽在くんに満足し、私は教室に入った。


 ……あれ、そういえば彼と普通に会話が成立していたな。なんでだろう。


  四


 悲鳴と騒乱。私が賽在くんのいる廊下に戻ると、そこは真っ赤な世界と化していた。切断された転校生の四肢は綺麗に散らばり、真っ平らな切断面から血が溢れ出している。

 勿論、賽在くんはまったく染まってはいない。上着にもスラックスにも、手袋にもアームウォーマーにも、靴にも皮膚にも、一滴のシミすら存在していない。

 彼は地面に広がる血溜まりを飛び越えて私の前に立ち、背中を向けた。

「……あんまり血を出さないようにって──」

 私は最後までその言葉を続けることができなかった。

 賽在くんの表情は変わらなかったけれど、それでも感情の機微は分かる程度に彼とは親しくしている。その顔から読み取れる感情。何かへの敵意。

「流石に簡単にはいきませんね。まあしかし、『声』と『存在』が揃ったのは都合が良い。まとめて捕縛させていただきます」

 その声は、向かいから聞こえた。比較的小柄な私には、賽在くんの背中しか見えないけれど、この先に男が立っているのは間違いなかった。

 そして、私たちの関係性の裏を知っている。『巫女』のことを、知っている。

「……どちらさまですか。こんな酷いことをしたのはあなたですか?」

「いえ、酷いことなんて謙遜を。あなた方の所業を聞いていないとでも?」

「私たちの所業……ですか。なんのことか分かりませんけれど、とりあえず警察呼びますね」

 ポケットからスマートフォンを取り出し、一、一と入力したところで、私の手から重みが消え失せた。

「…………」

 賽在くんが、私の携帯電話を取り上げていた。その視線で、動くなと指示される。彼の指先がそっと、私の頭の横の空間をなぞる。

 ──電話はやばい。動かずに待っていろ。

 私には何も見えないけれど、何かがあるのだろう。危険な、何かが。

「おっと、気付きますか。まあ、流石は巫女の『存在』といったところでしょうか」

 男の声に、少しだけ焦りが混じった。けれどそれはすぐに、厚い仮面の裏に隠される。

「ま、それは僕の小細工といいますか、ただ鋼線を張って動きを止める罠でしかありませんよ。見えない相手に効きこそすれ、見えてしまえば大して強くもないでしょう。そこの雑魚も、見えなかったからこそ簡単に始末できた訳ですし、『存在』……賽在さんと言いましたか、あなたは寸前で逃げた訳ですしね」

 賽在くんの頬には、一滴の汗の滴。それだけが、外に現れる賽在くんの感情。

「そういえば、名乗っていませんでした。楼の第七斥候『オールレンジ』鍔鋼殻つばこうかく。巫女たるあなた方を捕縛させていただきます」

 高揚。底知れぬ、未知との遭遇。恐怖よりも先に立つ心の昂ぶり。

「賽在くん。頑張って」

 鉄仮面を被ったような彼の頬が、ごく僅かに綻んだ。

 そして、

「私たちは賽在彼方と、彼の声です」

 賽在くんの脚が、脆すぎるリノリウムの床を蹴る音がした。


 時折夕陽を受けて輝く鉄線をもろともせず、賽在くんは男──鍔鋼殻に肉薄した。決して弱くはない筈の鍔は、賽在くんのタックルを避けることができず、吹き飛んで廊下の壁に叩きつけられる。

「が……っはぁ」

 逃げられないように、そして邪魔が入らないように廊下に張り巡らされていた鉄線。それに身体を引き裂かれ、鍔の口から真っ赤な液体が吐き出される。

「っく、流石ですね賽在さん。……僕も、一応は楼に斥候を命ぜられる程の使い手である自負はあったのですが」

「賽在くんは、その『楼』とかいうものすらも凌駕しているということですよ。あなたが申し訳程度に突き刺したナイフも、賽在くんの命を刈り取るのには足りませんでしたね」

 自信満々に言っては見るけれど、私自身は未だ張り巡らされる鉄線によって動くことができない。早めに決着をつけてもらって、助けて欲しいなと思ってみたりする。

「……は、そうですね。もう良いでしょう」

 賽在くんは、倒れ伏した鍔鋼殻の前に立つ。脚をゆっくりと上げて、その頭に乗せる。

「何か、言い残すことはありますか?」

「……僕は楼の斥候に過ぎない存在です。僕にどれだけ圧勝し、簡単に始末できるとしても、所詮は斥候の一人が消えるだけ。雑魚を一人、処分する手間が省けたぐらいにしか思われないでしょう」

 鍔鋼殻は不敵に笑う。その顔を削り抉るように、賽在くんの脚が降ろされた。


「ヒュウッ、すっばらしいなあんたら」

 賽在くんの痕跡を消し終わり、血に染まる廊下を立ち去ろうとして。唐突にその声は私の耳に届いた。

「あなた、生きていたんですか」

 振り向くと、賽在くんに絡んでいた件の転校生が立っていた。真っ赤に染まる制服は、両袖が切り落とされて、ズボンもかなり短くなっている。

「まあね。だからこそあんたらの力を確認するために派遣されることについて文句一つ言わずホイホイノコノコ従ってる訳なんだっていうアレなのさ」

 先程までの不良系な雰囲気とは打って変わり、呼吸も入れずに早口で捲し立てる転校生。

「さっきはいちゃもんつけて悪かったな賽在。まあこれも仕事の一環って訳で許して欲しいと思うんだがそれもまた難しい事も分かってる。でも一応聞いて欲しい俺の名前は海堂惨禍って言って一体何なのかと言われれば困るがまあさっきの楼の敵対組織の下っ端だと思っておけばいいしまあ結局のところそういうアレだからこれ以上俺の正体的に明かせる事実はないんだがここからが本題だ。

『楼』はお前ら巫女を狙うだろうから一緒に対抗しようぜって怪しい宗教の勧誘的だがそういうことを言いにきたただそれだけだ」

 とりあえず、だが。

「すいません。ちょっと何言ってるか分からないキチガイみたいな人がいるんですけれど、大至急逮捕してください」

 二桁までは入力済みだ。〇を入力して警察へ繋げる。

「いやいやいやちょっとまってよ可愛い貴女俺の喋り方のせいで分かりにくすぎるのは分かるんだが頼むから警察だけは止めてくれ大事にしたら俺も上からどやされるっつーかまだ死にたくない!」

 転校生は、奇声を上げながら窓を突き破り、いなくなった。

「……なんだったんだろうね、あの人」

 賽在くんは少しだけ首を傾げてから、横に振った。分からない。

 まあ、ひとまず今日は終わりでいいだろう。下校時刻はとうの昔に過ぎている。賽在くんに巻き込まれるのは、私としてはむしろ嬉しいことだけれど、それでも用が済んだのなら帰る以外に何もないだろう。

 私は賽在くんに手を振って、鞄を持って歩きだした。


  五


 次の日。私はいつも通り授業を寝て過ごすつもりだったのだけれど、四時限目から自習ということで、どうせやることないならと先に屋上の部屋に来ていた。昼まで一時間ほど何もすることはないのだけれど、ここには色々と物がある。携帯ゲーム機を取り出して、某有名RPGでのレベリングに勤しんでいた。

 私は、ボスを片手で捻り潰せるレベルにまで上げてからダンジョン攻略するタイプだ。今は最初のボスもアイテム使わずに勝てる程度のレベルだけれど、まだ進まない。ダンジョンの宝箱は全て回収済み、雑魚のパターンも把握済み、武器防具も現時点で最強だ。あとは二,三レベルを上げて、特技を覚えてから狩る。因みに賽在くんは、初っ端から縛りプレイするタイプだ。

 ふと、顔を上げた。立入禁止の屋上にある立入禁止の倉庫に入ろうとする人間はいないだろうけれど、なんとなく気配を感じたのだ。

 賽在くんだろう。それ以外にはありえない、筈だったのだが。

「おっすおっす。あれ賽在いねえのかこれは好都合かも知れないなひゃっほう!」

 不良スタイルの着崩しに、爽やかで軽そうな笑顔の少年、転校生こと海堂惨禍が立っていた。無駄に薄い色の髪の毛は、よく分からないがホストみたいな髪型だった。

 私は携帯電話を取り出し、番号を打ち込む。

『はい、事務室──』

 がちゃん。壁に叩きつけてからすぐに切った。

「……何をやっているんでしょうか貴女様は俺何もしてなくねてか何もする気なくね?」

 私は倉庫を出た。中で意味が分からず立ち尽くす海堂にも出るように促して、鍵をかける。見晴らしのいい柵にもたれる。

「あー、……それでとりあえず俺名前知らないから教えて欲しいなと思うんだが──」

 彼がそこまで言ったところで、校舎と屋上を隔てる扉が吹き飛んだ。白煙を纏って仁王立ちする人影。

 ”彼”は私と、向かい合って立っている海堂を見、そして形相を鬼のように変異させて叫んだ。

「変質者ぁ!」

 彼は、この学校の事務員のおじさんである。数年前まではボディビルの大会で幾度も優勝し、趣味は格闘技。今は引退しているものの、事務の仕事の合間に数十キロのダンベルを使ったり、持ち込みでベンチプレスをしていたりと、恐ろしいほどの筋肉の塊である。身長二メートル、体重一〇〇キロ越えの、ハリウッド映画も真っ青なムキムキ。そして、人一倍正義感が強いのだ。先にコールし、途中で切ったあの電話は学校事務室の番号だったのだ。

 繋がった途端、不自然に途切れる通話。これだけで勘違いするのは当然だ。

 と言うよりも騙しているだけだけれど。

「え? ちょ俺何もしてな」

「問答無用! か弱い少女に手を出すなど言語道断!」

 ちなみに、彼とはそこそこ仲が良い私である。対して転校してきたばかり、不良な海堂だ。

 私が正義だ。


 海堂が恐らく体育館裏で半殺しにされているだろう丁度その時間。昼休みのチャイムと同時に賽在くんは現れた。彼は眠そうな視線を私に送ってきて、そのまま座り込んで弁当を取り出した。

 変わらない無表情には、僅かに驚きが混じっていた。

「今日は昼前に自習だったから、抜け出してきたの」

 ああなるほど、といった風に首を傾げ、彼は手元のコンビニ弁当に視線を落とした。今日も変わらず、野菜と果物メインのサラダである。コンビニ弁当と言うのにも語弊がありそうな、健康志向の緑である。

 私は自分の弁当を取り出す。今日は朝早く起きたので、三段重ねの手作りだ。

「いやーあのオッサン強いな俺もう二桁は死んだわやばいってマジ」

 いつの間にか、私の目の前に海堂が座り込んでいた。

 どうしてここにいるのか。

「まあ俺の能力スキル的に色々あるって訳よ! な訳でなんやあれこれ血みどろになったけど逃げてきたのよマジ痛え」

 賽在くんはレタスの欠片に悪戦苦闘している。ここは、私が彼の声として喋るか。実際に喋るわけではないにしろ。

「『楼』のことだったっけ」

「おうよ解説係だからわざわざ来てついでに力量測らないといけないんだがいきなり楼のとかあんたとかに殺されたから仕事できてねえんだぜ。だがまた邪魔入りそうなんで先にちょい片付けさせていただくぞっとな」

 いつの間にか。賽在くんは扉に手をかけていた。

 ──敵が来る。

 展開が早くて着いて行けないのだが。


  六


 屋上の真ん中。身体をゆらゆらと揺らしながらこちらに歩いてくる、少年少女たち。着ている制服は、どう見てもこの学校のものだ。手足にも顔にも生気はなく、瞳にも輝きはない。

「あーあー楼の連中いきなりこんな実力行使かよ煩雑というかなんというかめんっどくさいがまあ話はこれを解決してからになるってんでちっとは協力しろよな賽在」

 賽在くんは僅かに頷いた。それは海堂には分からないだろう小さな肯定だったけれど、彼は満足そうに笑って生徒たちに向き直る。

 とん、と小さく床を叩く音が聞こえて、それが賽在くんのスタートの合図だった。動きは鈍い生徒たちを、なんの感傷もなく蹴り倒し、左腕で絞め落とす。

「うわえげつねえなあいつ」

「そうでもないよ。同じ学校の人だし、かなり手加減してるほう。首をへし折らないだけ良心的なんだよ」

「あんま意味ないが……まあ俺もちっと働きますかねえ」

 賽在くんを先頭に、海堂、私と続いて階段を駆け下り、生徒たちを殴り、飛ばし、蹴りながら走っていく。

「ところで賽在お前どこに向かってんの?」

 賽在くんは走りながら振り向き、別段何を言うでもなく前に戻す。

「職員室になにかあるみたいだね」

 私は賽在くんの声だ。彼の心を代弁する。

「へーすげーなあんたらものすごい連携じゃん」

 ……いい加減、この喋り方に慣れてしまったけれど、あとで一度殴っておこう。なぜだか異様にイライラする。

「あんたらほどじゃねえぜ」

 何はともあれ、私たちは職員室に辿り着いた。躊躇いなく蹴り開けた横開きの扉は容赦なく歪み、その奥の机を弾き飛ばした。

「おっと、流石に早いですね『存在』と『声』。それに貴方は『普遍』でしたか。楼に仇なす邪魔者は、排除させて頂きますよ」

 教員用の灰色の机に座り、脚を組んだ男。その声が消えるのと同時に、私の目の前で血飛沫が舞った。

 海堂惨禍の首から上が、爆ぜていた。

「いくら『普遍』とはいえ、此処まで破壊すれば回復にも時間が掛かるでしょう。改めまして、今日こんにちは、巫女の『存在』と『声』。貴方の右腕、貴女の声、頂戴しに参りました。巫女の肉体蒐集の為に存在する組織『楼』に所属しています。『ドールマスター』ハイネ・ローエングリンです。うちの斥候が粗相をしたようで、申し訳ありません。ですが、我らとあなた方は敵対せざるを得ない立場、お許し頂きたい。

 では、まずは交渉を。賽在彼方さん、貴方と彼女の持つ存在と右腕と声を、提供してください。悪いようにはしませんし、謝礼も支払います」

 賽在くんをちらりと見た。いつもどおりの無表情の仏頂面だけれど、私には分かる。

「断る」

「何故ですか? 魔導を扱う訳でもなければ魔術師でもないあなた方に、巫女の肉体は不必要の筈」

「必要とか不必要とか、そんなことじゃない。私には巫女とか魔導とか魔術師とか分からないけれど、それでもあなたが賽在くんの敵だってことは分かる。私は賽在くんの声で、絶対的な味方。賽在くんの敵である以上どんな理由があれあなたは悪で、賽在くんは正義です。あなたは間違っている」

 ハイネは静かに溜息を吐いて、それから組んでいた脚を下ろした。

「……なら、仕方ありませんね。実力行使に出るとしましょう」

 そう言って、背後に手を伸ばす。何もない、ただ埃が舞うだけの空間から、何かを取り出した。

 それはどこからどう見ても人の脚で、けれど本体から切り離されたものとは思えないほどに瑞々しく、そして禍々しかった。

 どこかで、見たことがあるような気がする。

「これは巫女の右脚です。巫女の肉体は、私のような魔術師が持つことによって、素晴らしい力を発揮するのですよ。全校生徒を操るぐらいのことを片手間に出来るほどに……ね!」

 ハイネが振るうと、眼前に炎の塊が出現した。数メートル離れた場所でもその炎熱を感じるほどに高い火力。それが、いくつも賽在くんに目掛けて飛翔した。

「賽在くん!」

 反射的に、声にならない叫びをあげた時には、炎の塊は賽在くんに命中して炸裂していた。爆音と黒煙が立ち上り、たちまち彼の姿を覆い隠す。ガラスが砕け散る音とともに、私に耳鳴りをもたらした。

「言っておきますが、逃げることはできませんよ『巫女の声』。私が操っている生徒達は、貴女を見つけるとすぐさま捕らえます。悲鳴をあげることもなく純潔を散らしたくはないでしょう?」

 く……私には戦闘力なんかないってのに。

 賽在くんを覆っていた黒煙が晴れる。そこに、賽在くんの姿はない。

「安心して下さい『巫女の声』。賽在彼方は死んだ訳ではありません。あの程度で大怪我する程弱くはないでしょうが、ダウンは免れない。私の仲間が気絶した彼を回収しただけです。貴女も大人しくして頂ければ、このような手荒な真似をしなくて良いのですが」

「……降参です、ハイネさん。私は戦えませんし、そんな野蛮なことできませんから」

「素晴らしい。ではこちらへ──」

「──なんて、言うと思いましたか」

「何を──」

 巫女の右脚を担ぎ、こちらに掌を向けるハイネ・ローエングリンの背後。完全に砕け散った窓枠に立っている。

 賽在くん。

「私は『巫女の声』ではなく、『賽在彼方の声』なんだよ。巫女なんてどうでもいいし、魔術も魔導も関係ない」

 そんなもの知らない。

「大体、私と会話出来ている時点でおかしいと思わなかったんですか? どうもあなたは、状況の把握が苦手のようで」

「貴女は……口が──!」

 にやりと笑ってみせる。

 私の視線に気付いたのか、すぐさま振り返るハイネ。けれどそれは間に合わず、窓枠を蹴った賽在くんに対応することはできない。水平に飛んだ勢いで右膝を叩き込む。直撃したハイネの首から、骨が砕け散る嫌な音が響く。

 すとん、と、賽在くんは地面に降り立った。若干焼け焦げたブレザーを脱ぎ捨て、ワイシャツ姿になる。床に落ちた右脚を、拾い上げた。

 無傷。どうしようもなく、強者だった。

 背後で、何かが動く音がした。


  七


 生徒たちは、虚ろな目で、生気の無い顔で、フラフラと職員室内に入ってきていた。

 ──逃げるぞ。

 そんなことを言いたいかのように眉を下げて、私に手を差し伸べてくれた。私はそれを掴んで、共に窓から飛び出した。

「ちょっちょ俺を置いていくなーって訳だぜっつーかこの高さ死ぬ気がするぞおら!」

 何かが着いてきたようだが、私は知らない。

 賽在くんは空中で体制を変え、私を抱きかかえて着地した。

 所謂、お姫様抱っこである。恥ずかしい。

 さっさと下ろしてもらい、辺りを見回す。どうやら校舎裏の、微妙な空間のようだ。スプレーで落書きがされているところを見ると、不良の溜まり場になっていることが分かる。この学校にそんなあからさまな生徒はいないから、別のところから集まっているのだろうか。

「いやー死んだ死んだぐちゃっと死んだぜはっは」

 鬱陶しい。だが、仕方ない。

「海堂くん。『アレら』について何か分かる?」

 海堂は血塗れの制服を軽く叩き、染み出した血の滴を払って言う。

「魔術による精神感応というか人格改変というか魔力を直接相手の心に送り込むというか」

「簡潔に」

「洗脳です姉御!」

 姉御ではない。

「よくファンタジーであるみたいに、操っている術者を倒せば解けるとか、何かしらの象徴を壊せば解けるとか、そういうのは?」

「ない。なぜならこれは『操る』じゃなく『書き換え』だから人形にしてるんじゃなく奴隷にしてるというか存在そのものが書き換わって俺達を捕らえるなり犯すなり殺すなりするだけの存在に成り下がっているという訳だな!」

 なるほど。戻せないならば、容赦はいらないか。賽在くんにちらりと目配せする。それだけで、彼は私の言わんとすることを理解してくれる。

 そういえば、あの長ゼリフをよくもまあ、噛まずに一息で言えるものだ。アニメにするとき大変だ。

 自分がアニメの主人公になれれば、どんなに良いだろう。印税とか入ってくるのだろうか。

 どうでもいいか。

「海堂くん」

「なんですか姉御」

「姉御って呼ばないで」

「ウス」

「楼の対抗組織にいるんだったよね」

「まあそうすけどね」

 賽在くんは、いつも通りの無表情。その中に肯定を感じ取って、私は言う。

「入るよ、それに。私たち」

 私たちの運命を変える──ある意味、これもまた運命なのかもしれないけれど──一言を。

 賽在彼方と、その声。巫女の右腕を所持している『存在』と、彼の陰。

 私は、賽を投げた。

 それが、吉と出るか凶と出るかは、分からない。

 けれど、私は後悔しないだろう。

 彼と、一緒だから。


  〇


 この世界は、混沌で満ち溢れている。どうしようもないぐらいに理不尽で、無情で、非情で、非常識で、非道。普遍的な不安定な日常は、唐突に理不尽に打ち砕かれる。その原因はいつも常識の斜め上を行く。

 例えるならば、賽在彼方。彼の人生は根本から狂っていたけれど、それは飽くまでも常識の範囲内だった。それが非常識の領域に到達したのは、『巫女』という存在だった。

 太古の存在。当時中学生だった彼は、一般的らしくそんな非科学的なものの存在を信じてなどいなかったけれど、信じていないからといってそれが存在しない訳ではないのだ。『巫女』の欠けた肉体によって否応なく崩された人生は、逸れた道は、曲がった生き方は、彼の声となり、傍にいてくれる少女と出逢わせる。それもまた、結局の所婉曲を前提とした運命で、曲がっているように見えるだけで真っ直ぐな道なのかも知れない。

 けれど、賽在彼方は思う。

 自分の道を自分で自力で切り開くことが、切り拓くことが出来ないのなら、それは絶対的な何かの意思によるものなのかもしれないと。

 自分のもとに巫女の欠片が巡ってきたのは、ただの運命。ぶち壊された元の生活も、壊されることが確定していたのだろうと。それは悲しい。

 それでも、彼女と出逢えたその運命には、それだけには感謝しなければと。何も言わず、何をしてやれる訳でもない自分に着いて来てくれる。自分の心を意思に変え、代弁してくれる彼女と出逢えたことにだけは、感謝したいと、そう思うのだ。


  八


 『教会』なんて名前のその組織は、どうやら世間一般的感覚で言う『善』であるようだけれど、私たち、つまり賽在彼方と私にはそんなこと関係ないわけで、結局のところ私たちを襲ってきて学校中を奴隷化してまで右腕と声を奪おうとした『楼』という組織に対する敵対組織である、というただ一点において私たちは共闘関係なのだ。立場上、というか成り行き上所属するとは言ったけれど、実際は敵が同じだというだけで、私は彼ら”魔術師”に対して仲間意識を持つことはないだろうし、それは賽在くんも同じだ。必要以上に馴れ合うつもりはない。

 というか、馴れ合えない。

 賽在くんは極度のコミュ障だし、それほどでないにしろ私は人間嫌いだ。意思疎通が出来ない他人など害悪でしかない。学校という不可避のコミュニティーにさえ馴染めない二人が、それよりも大きな組織に所属することがそもそもの間違いだ。

 私はただ、賽在くんの傍にいたいだけだ。賽在くんがなにを思って『教会』に参加するのか、『楼』に対抗するのか、それは分からない。けれど、そんなどうでもいいことのために私の選択がブレることはない。


 賽在くんと私は、道中蹴り殺したクラスメイトから奪った制服を着ている海堂に連れられ、町の教会に来た。賽在くんは変わらず無表情で、私はその後ろにくっついて、教会の扉を越える。

 そこには誰もいなかったけれど、本来十字架か女神像が掲げられているべき、礼拝室の一番前。罪人が懺悔に訪れるその場所に、棺桶が鎮座していた。

 真っ白な本体に、金色で様々な意匠が施された、極めて普通サイズの棺桶。それが、立った状態で、置いてあった。

「お帰りなさい惨禍。そして初めましていらっしゃい、巫女の『存在』そして『声』」

 その前に立つ修道服の女性が、声を発した。自然と、背筋が緊張する。

「私の名は海堂凄惨かいどうせいさ、惨禍の姉です。不肖の弟の口調で、随分と此処まで苦労なされたでしょう。どうぞ、こちらへ。冷たい飲み物を用意しましょう」

 他意はあるのだろうか。そう疑ってしまうのが、いつの間にか自然になっていた。

「毒など入れはしませんわ。理由がありませんもの」

 まあ、賽在くんが助けてくれるだろう。なんとかなるか。それに、彼女の言うとおり理由がない。

 隣の部屋で出されたのは牛乳。普通に美味しかった。

「それで、まず『楼』とはなんですか」

「楼という組織は、ただただご神体──巫女の肉体を集めるだけの存在です。そのトップ……楼閣出無ろうかくいずなが何を考えているのかは分かりませんが、恐らくはご神体の力で世界でも征服しようと思っているのでしょうね」

 世界征服……子供向け番組ではあるまいし。

「ですが、それをも可能にするのがあのご神体の力です。絶対的な力。魔術を加速させ、魔導を導く」

 海堂凄惨は、牛乳で口を湿らせる。

 賽在くんは、巫女の肉体を集めてどうするつもりなんだろう。

「弟から聞いているとは思いますが、私達『教会』は『楼』からご神体を取り戻し、世界のバランスを均衡に保つこと。世界中にある『教会』の支部たる教会に、一つずつ祀る。そうすることで、力が一極集中することを防ぐのです。

 貴方方は、右腕と声、存在を持っているそうですね。今すぐにそれを奪おうとは言いません。まずは『楼』からご神体を奪取します。貴方方と交渉するのは、それからで良いでしょう」

 まあ良い。まずは『楼』を潰す。それからのことは、それから考えればいい。海堂凄惨がこちらに差し出した腕を見ながら、考える。

 賽在くんは変わらない無表情。いつか敵になる彼らに、背中を預けて良いのだろうか。

 ──背中は預けない。あくまでも二人でやる。

 そんな声は、私にしか聞こえない。

 手を握った。

「よろしくお願いします『教会』」

「こちらこそ。……そういえば、貴女の名前を知らないのですが。教えて頂けませんか?」

「私の名前は──」

 いつからだろう。名前を使わずに生活するのに慣れたのは。賽在くんの声としてだけ存在すればいいと、取り戻すのを諦めたのは。

 私に名前なんて必要ない。ただの記号なら、いくらでもその場で作ればいい。

「賽在彼方の声。ただそれだけです」

「困りましたね……いちいち『賽在彼方の声』さんなんて呼ぶのは面倒ですし……ああ、そうだ。渾名をつけましょう!」

 突然、声が大きくなった。

「そうね渾名といえば本名をもじるものだけれどこの場合は仕方ないから見た目とか性格とかにしないと──」

 やっぱり、彼女もあの海堂の姉であるということがよく分かった。以上。

 私の記号は、”彼方”をもじって”かな”になった。

 悪くない。


  九


「では、早速ですが収集をお願いします」

 と凄惨せいさに言われたものの、私たちは一応学生の身分である。たまたまサボっていたということにしたが、私たちが通う学校の生徒は全て心神喪失状態で、まず間違いなく事件になるのだ。その上数人死んでいる。話を警察に聞かれるだろう。口裏を合わせたり、アリバイ作りもしなければならないだろう。

 私は今日は賽在くんの家に泊まることにし、その為に親へ連絡をした。母は受話器の奥で気色悪い笑い声を上げていたが、それは気にしない。

「鳳ちゃんにも彼氏さんなのかしら」

 などとほざいていたが、それも気にしない。私に彼氏などできるわけがないだろうに。

 その時、賽在くんは不思議そうな表情を作りながら代弁してくれた。なぜだろう。

 というわけで、賽在くん自宅。古いアパートの一室。

「相変わらず殺風景な部屋だね」

 賽在くんは、物を増やすのがめんどくさいとでも言いたげに無表情を私に向けた。私は物を増やしすぎるタイプなのだが、その気持ちも理解できないでもない。

 唐突に、お腹がぐうと音を鳴らした。

「……お腹空いた」

 賽在くんの家には何もない。冷蔵庫の中はマヨネーズだけだ。とうの昔に消費期限が切れている。賽在くんはコンビニにでも行くかと立ち上がったけれど、私はそれを制止する。

「私が作ってあげる。材料買ってくるね」

 あまりない料理の腕を披露するチャンス、無駄にはしたくない。

 ならお願いするよとばかりに座り直す賽在くんの姿に満足し、私は外に出た。近くのスーパーまでは片道五分といったところだ。


 閉じる扉の音。それが響いて消えてから。賽在彼方は無表情のまま、立ち上がった。閉じたばかりの扉を開き、鍵をかけずに外に出る。

「どこに行くの?」

 その背を、女の声が叩いた。

「巫女の存在……ごほん。──賽在くん。私が行ってくるって言ったのに」

 先ほど、近所のスーパーに向けて出発した筈の、彼女の姿がそこにあった。不思議そうに、賽在を見ていた。

「賽在くんは待っててよ。私が、おいしい料理食べさせてあげるから」

 賽在はゆっくりと振り向き──変わらない無表情を彼女に向けた。自分の声として彼の心を代弁してくれる彼女は、彼と同じようにアパートの廊下に立っていた。

 賽在はその顔を一瞥し、少しだけ顔をしかめて彼女に相対した。そして瞬間、彼女の首に目掛けて膝を打ち込んでいた。

「うわっ、ちょっと賽在くん!? どうしたの」

 寸前で躱されはしたものの、その風圧で彼女の頬が僅かに切れ、血がにじむ。

「……っち、まさかいきなりバレるとは思ってなかったよ」

 彼女は、絶対に彼女がしないであろう表情で──満面の笑みを浮かべて、掌を賽在に向ける。賽在はそれを別段驚く風でもなく見つめ、拳を握った。

「どうやったのか教えて欲しいな」

 賽在は答えない。分かりきった質問すぎて、答える気にすらならない。

 どっちにしろ、彼の『声』である彼女がいなければ賽在は意思を声にすることが出来ないのだけれど。

「……まあ良いけれど。初めまして賽在くん。巫女の存在。貴方の右腕と存在を貰いに来たよ。私は楼の『着せ替え人形』──いや、意味はないか。早速だけど、蒐集を開始するね」

 ざん、と彼女の姿をしているものの掌から、鈍色の槍が飛び出す。それは賽在に一直線に向かい、彼の左胸を貫いた。

 それは確かに、賽在彼方の心臓を串刺しに貫通していた。

「おっと、勢い余って殺しちゃったか。まあいいや。私は死者の記憶も操れるからね。貴方がどうやって離れた場所から『右腕』の力を行使しているのかは分からないけれど、『左腕』を自分の身体に移植した私に、勝てるわけがないんだよ。『声』とも分断されたわけだし、重要なれど弱い『存在』だけじゃあ勝てないよ」

 この時、賽在彼方の胸の傷がもう既に塞がっていることを、少女の形をした何かはまだ知らない。


 私が賽在くんのアパートに戻ってきてまず初めに見たものは、廊下に広がる血溜まりと、壁に飛び散る血痕と、その中で佇む賽在くんの姿だった。その足元で、どこかで見たような気がする少女だったものが、頭を残してミンチになっていた。

 賽在くんは私が声をかける前に私に気が付いて、申しわけなさそうな視線を向けてくる。

「また『楼』とかいう頭おかしい人たち?」

 こくりと微かに頷く賽在くん。

 やはり、予想通りだ。さっきのスーパーでこちらを伺っていた数人は、すぐに帰るのを防ぐ為の見張りか。あわよくば私もついでに襲うつもりだったのだろう。

 ……まあ、『楼』の連中も詰めが甘いということだろう。彼の声である私と分断したからといって、賽在くんに勝てるわけがないのだ。

 そもそも、私に戦闘能力など皆無なのに。私を先に殺す方が、よっぽど有意義だと思うのだけれど。

 こんなことを考えてみたところで、結局目の前の赤はなくならない。私が始末しなければどうしようもないので、私は頭の中から、これから作るつもりだったハンバーグのことを完全に追い出し、レジ袋を賽在くんに渡した。

 さて、私も働こう。


  〇


 蒼い空。白い雲は流れていく。

 空を見上げていれば、地上の惨状は僕の意識に入らない。ただ、ただ平和なだけの光景が視界いっぱいに広がっている。

 もう何もない。

 どうしようもない。

 このくそくらえな世界で、生きる意味なんかなんにもない。

 彼は死んだ。

 死んだ。殺された。

 僕のせいで、簡単に、あっさりと死んでしまう。

 人間なんて、こんなに脆いんだ。

「……貴様、まだ生きているのか!?」

 ノイズが聞こえる。

 綺麗な空は、変わらず澄んでいる。美しくて、冷たくて、透明で、

 汚い。

 どうしようもなく汚い。

 僕は視線を下に向ける。真っ赤な世界の真ん中で、血に汚れた金ピカの騎士が立っている。

 なにか言っている。

 その足元に、彼だったものはあるハズだった。

 見えないけれど。

「悪魔の巫女。貴様さえ殺せば、この世界は救われる!」

 僕の眼からは滴が落ちる。地面の雑草から、赤い色が少しだけ滲んで消える。


 死んでしまえ。


  十


 嫌な夢を見た。あの時から何度も見ていた悪夢。賽在くんに出逢ってから、見なくなっていたのに。

 隣で眠っている賽在くんの額には、汗の滴が一滴だけ浮かんでいる。

 同じ夢を見ているのか。もしそうだったら嫌だなとか思いながら、私はもう一度寝ることにした。


 次の日。私たちは当然、学校で起きた事件について警察に呼ばれたけれど、私は嘘が得意だし、賽在くんは無表情を崩さない。一日無駄にしたけれど、無事解放された。

 そして、教会。海堂姉弟と礼拝室。彼らとは既に交渉済みだ。

「では、かなさん。彼らから収集した御神体をお預かりしても?」

 私はリュックサックから、巫女の左腕を取り出して床に置く。よく考えればなかなかシュールだ。

 人の腕を支えに立つ女子高生。

 ホラー映画でも中々お目にかかれないだろう。

「確かに、受け取りました。これから、宜しくお願い致しますね」

 この左腕は、『教会』との信頼の証。私と賽在くんが『教会』から情報を貰い、収集する。手に入った欠片は、彼らと交渉の上で売り渡す。その後、情報料分を返却。煩わしい、面倒な手順ではあるけれど、実際に確実で分かりやすい。『教会』が私たちに渡す情報を、持ち逃げしないという信頼のために、私は左腕を受け渡す。

「それで、欠片のありかは?」

「巫女の肉体……頭部、脳、両目、上半身、下半身、両腕、両足、心臓、声、存在、心。その内の四つ、右腕、存在、声、それに収集した左脚は貴方方が持っています。上半身、下半身、右脚、そして左腕は私達『教会』が。頭部、脳、右目、心は『楼』が所持していることがわかっています。残りの右目、右脚、心臓は、どこにあるのか分かりません。ですから、『楼』を襲撃するのが手っ取り早いと思いますけれど、いかがでしょうか」

「『楼』の場所は?」

「楼閣グループの所有する物件で、楼閣出無が現在滞在している別荘がこの辺りにあります。そこに行ってみましょう。惨禍」

「あいよねーちゃん俺はいつでも準備万端だぜ」

 ちっ。

 何と形容すれば良いのか分からないこの不愉快さだ。

「弟を使ってください。彼は不死存在……不変たる『普遍』なのです。何かと役に立つでしょう」


「ちょっと待って下さいね」

 海堂凄惨の背後の、礼拝室の一番前に鎮座する白い棺のすぐ横に、女が立っていた。

 そして。

「貴方達邪魔すぎますよお」

 瞬間、私の頭が抑えられて地面に叩きつけられた。肺から空気が漏れ出す。

「あぐッ──」

 ──ちょっとそのままで待ってろ。

 そんな声が私には聞こえた。賽在くんの意思が確かに伝わる。それを言葉に直し纏める前に、地面とほぼ同じ高さの視界に、真っ赤な液体と共に首が落ちてくる。

 海堂凄惨の首。先程まで私たちと話していた、修道服の彼女の生首が落ちてきた。

「あれえ、おっかしいなあ。あたしの魔法にタイムラグ無い筈だから躱せるわけないんだけどお」

「不思議ね。貴女のその喋り方ぐらいには」

 知らない女の声だけが聞こえる。目に入るのは生首のみ。どんな拷問だこれは。

「『普遍』は殺せないにしてもぉ、みーんな首と胴体ぶんだーん! の筈だったのにい」

「寧ろ僥倖と言ったところです。『巫女』の肉体が傷付いていたらどうするつもりですか」

 私は、再び伝わってきた賽在くんの意思に従って立ち上がる。

 棺にもたれかかるように、金髪の女が立っていた。右側にへらへらした爪の長い女、左側に前髪が長い無表情の女。二人共が同じように黒いゴスロリドレスを着ていた。髪型以外は、服の細部から声に至るまでそっくりだった。

 賽在くんは私の横で左肩を抑えて立っていた。目の前の床には、首を分断された海堂姉弟。姉の首は私の足下だ。

「私たちはあ」

「『楼』の特務部隊」

「『リーパー』哀奈・グラッドストンとお」

「『リッカー』刹奈・グラッドストン。宜しくお願い致しますね、巫女の『声』『存在』」

 また『楼』か。

「こんにちは。また右腕狙いですか」

「んっとお……」

「貴女は黙っていなさい。その通りです『声』。私たちは貴方方から実力行使にて右腕と存在、声を奪えと命令されております」

「へえ、実力行使ですか。それでいきなりこんな真似を?」

「これはこの娘の独断と言いますか、何も考えないのですよ。首を切断すると、そのまま声が失われると分からないのでしょうね」

 前髪女──刹奈の方が、哀奈の方の口を押さえて喋り続ける。

「取り敢えずお願いを。肉体の欠片を差し出せば、命は取りません。如何いかがです?」

「お断りします。欠片は渡しません」

「でしょうね。言うと思いました。ですから私達が来たわけですがね。哀奈」

「あーい刹奈。あたしの魔法を喰らえー」

「良いですか哀奈、恐らくは『右腕』は彼のものと同化しています。男の方は右腕を切断。女の方は首を傷付けないように切断しなさい。取り敢えずは厄介な男の方をやりなさい。女は出来れば私がやります」

 賽在くんと私、彼女たちの二対二ならば良いのだけれど、残念ながら私は戦闘能力が皆無だ。賽在くんに任せるしかない。

 賽在くんは彼女たちに相対する。左肩を押さえていた右手を軽く前に突き出して握り、半身に構える。

 ──逃げてろよ。

 そんな声が私に伝わった瞬間、賽在くんは地面を蹴った。私は同時に、後ろに飛んだ。


「さて『声』。私にはあまり戦闘向きではありませんのでね、暫くお付き合い頂きますね」

 礼拝室の前で戦闘を繰り広げる二人を背に、刹奈・グラッドストンは私の前で手を揺らす。

 予想とは反して一対一になっているが、賽在くんは足止めされている。私が声として働く必要は無い。

 彼女は私を足止めしているつもりだろうけれど、実際は逆だ。賽在くんの方に二人同時で行かなかったのはミスとしか言いようがない。

「どうしました? 先程まであんなに饒舌でしたのに。もしかして焦っていますか」

 焦ってはいない。むしろ落ち着いている。賽在くんの戦闘はまだ時間が──。

「ばーん、です」

 唐突に脚から力が抜けた。木製の床に膝がめり込む。

「次は……どん、です」

 顎が跳ね上げられて、後頭部から地面に激突した。

 なんなんだ。何が起こっている?

「ざく」

 右腕に”刃物で刺されたような”痛み。

「ぐさ」

 左腕に”棒状のものがが突き刺さるような”痛み。

「ぐちゃ」

 傷口に手を突っ込まれたような痛み。

 痛みで思考が塗り潰される。

「あれ、本当に弱いですね。どうしてここまでされて『声』を使わないのですか? ──まさか。ふふ、もしかして”声を発せない”のですか。それならば納得がいきますね」

 痛みで起き上がれない私を見下し、刹奈は不敵に笑う。

「貴女を足止めする意味も無いですね。哀奈、そっちは任せましたよ。私はこれから『コマンダー』に報告して来ます。女は雑魚ですから気にせず続けて下さい」

 返事はなかった。刹奈は振り向き、そして初めて気が付く。

「何ですか、これは」

 もう既に、決着はついていた。賽在くんは無表情で棺の前に立ち、その右手には少女の首、左手に胴体を持っていた。

 辺り一面、哀奈・グラッドストンの血液で染まっている。刹那の足下にも、私の頭のすぐ側にまで、その血溜まりは流れてきている。

「……哀奈」

 私は私の役割を果たす。

「貴女が気が付いたこと、正解ですよ。報告する前に死ぬわけですけれどね」

 賽在くんの手で、刹奈・グラッドストンは終了した。

 血塗れになってしまったけれど、とりあえず片付けからだ。海堂たちもしばらくすれば復活するだろうし、後で手伝わせよう。

 私は痛む身体を無理矢理に立ち上がらせる。

 ──お前は休んでろ。

 なんて声は、聞かなかったことにした。今回私はあまり役に立っていないのだから、片付けぐらいはしなければ。

 脚を踏み出した途端、私の意識は吹き飛んだ。


 教会の二階にあるいくつかのうち、一つのベッドを拝借して私は眠っていた。賽在くんが片付けを終わらせてくれたらしく、安心して眠ることができる。役に立たない私にも、彼は優しかった。そんな彼に惹かれていたわけだけれど。

「ごめんね、賽在くん」

 気にするな、と言わんばかりに首を傾げる賽在くんは、やはりいつも通りだった。無言でお粥の入った器を持って、私の口にスプーンを近付ける。

 薄い塩味。水っぽくて美味しい。

 賽在くんの手作りか。嬉しいな。

 賽在くんは照れても、表情は変わらない。

 ……別に風邪ではないから、お粥を食べる必要はないのだけれど。このことは黙っておこう。美味しいからね。

 明日には復活できるだろうし、一日ちょっと準備をしてから『楼』の所へ行くとしよう。とりあえず服を用意しないといけないし。


  十一


 目的地までは三〇分程度だ。ひとまずバスに乗りこんだはいいのだが。

「賽在くん、気付いてるよね」

 一番後ろ、図ったように空いている席に座り、隣に座った賽在くんに小声で囁く。賽在くんは僅かに首を振り、肯定する。

 私たち以外の乗客、全員が一般人じゃない。

 窓の外では凄い速さで景色が後ろに流れている。明らかに法定速度を超えている。道も外れている。

「海堂くん、脱出できないかな」

「俺に不死以外の性質を求めるのは酷ってもんだぜ姉御」

 使えないな。

 どうしようもないか。彼女自身が殺された以上、『協会』の仕業ではないだろうけれど、だからといって危機がないわけではない。

 バスは唐突に止まる。山の中、周りには誰もいないし何もないだろう場所。

「賽在彼方、海堂惨禍、他一名。集団催眠心神喪失事件の重要参考人として連行する」

 すぐ近くの席にいたサラリーマン風の男が立ち上がり、私たちを見下ろしていた。その手には警察手帳。

「随分と強引ですね。私たちは無実として釈放された筈ですけれど」

「喋るな。公務執行妨害を追加するぞ」

 横暴にも程がある。

 警察機関でさえ掌握するのか。思いの外『楼』という組織は強大らしい。

 流石に日本国の警察機関に逆らうわけにはいかないだろう。大人しく、指示に従うことにした。


「お前らが関係していることは分かっているんだよ! いい加減吐きやがれ!」

 無機質な部屋、無機質な椅子。無機質な机を、それを挟んで座る強面の男が強く叩いた。もう何度目か分からない、全く同じ質問に同じように答え続ける。机の下には丸められた紙屑で溢れている。誰か片付けろ。

「私も賽在くんも知らない。サボっていたから」

「だからそれが嘘だって分かってるっつってんだよ!」

 何時間だろう。何日だろう。瞼は重く、意識には靄が掛かっている。繰り返される同じ質問。頭が痛い。

 同じように繰り返すうち、何度目か分からないけれど男が出ていった。代わりの男が入ってくる。禿げた中年。優しげな表情を浮かべる。

「すまないな。乱暴になってしまって。君があの事件のことについて知らないと言うのなら、私達の質問に正直に答えて欲しいんだ。そうすれば早く帰れる。良いかい?」

 私は答えない。

「……君の名前は、なんというのかな。賽在彼方くんとはどんな関係だい?」

「私に名前はない。賽在くんとは友達です」

「……海堂惨禍くんとは、どうなのかな」

「雑魚。邪魔」

「『巫女』とはなんなのかな」

「神社にいる人たちでしょう」

「君達はどうして、喋らないのかな」

「そういう病気ですから仕方ないでしょう」

 そろそろ、限界だ。けれど、それを悟られないように受け答え続ける。あと少しの筈だ。

 男が何か言っている。聞こえない。眠気は限界を超えている。

 一瞬だけ、瞼が落ちた。瞬間、髪を掴まれて机に叩きつけられる。

「いい加減話せやオラ。吐いたら楽になるんや」

 横暴だ。横暴だ。

 国家権力か。


  十二


 水をかけられて、目が覚めた。変わらず意識は鈍っている。眠気がやばい。

「姉御〜そろそろ起きなってよ」

 隣で、声が聞こえる。イライラする話し方。海堂か。

 右隣で、僅かな呼吸音。賽在くんも、心配してくれているみたいだ。

 さっきと変わらない、無機質な部屋。無機質な机の向こうに、渋い男性が座っていた。少しだけ微笑んでこちらを見ている。

「安心したまえ。今は誰も見ていない。思う存分『巫女』の話ができる訳だ」

「……貴方は、『楼』の人間ですか」

「ああそうだ。警視総監で『楼』の第二参謀『完全掌握コマンダー鍔鋼戦つばこうせんだ。くく、初めましてだな『声』『存在』『普遍』」

 指を組み、肘を立てて笑う彼──鍔鋼戦。その眼は何よりも深い黒で、どうしようもなく吸い込まれそうな深淵だった。

 賽在くんの左眼のように。

「今までの脳筋とは違って、貴方はまともなようですね。鋼戦さん」

「私は作戦参謀だからな。私のプラン通りに動けば良いものを、乱して失敗するのは奴らだよ」

「……そうですか」

 まずい。頭がまともに働いていない。相手のペースに乗せられる。

「疲れているようだな、かなくん。賽在彼方の声がそれでは駄目だろう。もっと思考をクリアに保つと良い」

 どうする。彼は警察、それもトップだ。殺すわけにはいかない。

 人質にするか。いや、相手は警視総監だ。あり得ないレベルの救出部隊が現れてもおかしくないのだから難しいか。

「いやいや、誰も見ていないと言ったろう? 人質など無意味だよ」

 こいつ……心を読んでいる?

「違うぞかなくん。巫女の両眼によって『視ている』のだ。君達の心を」

 心を見る、か。いよいよ何でもありになってきたな。

「さて……君達に尋ねようか。巫女の右腕はどこだ?」

 反射的に、私の意識は賽在くんの方に向かってしまう。

「ほう……あの『着せ替え人形』とかいう物真似師以外に、自らと同化させた人間などいないと思っていたのだがな。……何処ぞの双子の姉の方は気が付いていたのだろうがな。面白い。ならば奪うまでだ。

 賽在彼方、右腕を差し出せ。声と存在と共に差し出せば、三人とも無事に返してやる。どうだ?」

「──っ!」

「黙ってろ」

 私を制したのは海堂だった。

「今はんなこと言ってる場合じゃあないんだよ」

「でも」

「その通りだよかなくん。私は彼方くんに聞いているんだ。『声』が主に逆らうものじゃない」

 私は。

 賽在くんは立ち上がり、それにつられて鍔鋼戦も立ち上がる。

「さあ、どうする?」

 彼の後ろにしか、扉はない。賽在くんは──

「断る」

 ただ一言。

 滅多に発さない、自分の声で。本来はあり得ない自らの意思を口にする。

 可憐な少女の声で、否定を口にした。

「まさか貴様……巫女の『声』はかなくんではないのか!? 力を行使しない為に黙っているんじゃ」

「俺が持っているのは左眼、右腕、心臓、存在だ」

「まさかお前、とっくに『声』をかなくんに捧げさせていたのか!」

「俺が鳳ちゃんから奪ったんだよ。巫女の『存在』として」

「……貴様ぁ! おいこいつを撃ちころ──」

 鍔鋼戦が言い終わる前に、賽在くんの右腕は彼の頭を掴んでいた。手袋もアームウォーマーもいつの間にか外された、白くほっそりとした、女性の腕。

 賽在くんは私の方を見ていた。まるで、そろそろ俺の声として働けよなとでも言いたいかのように。私の言葉をあてにしてくれる。

 でしゃばろうとした私を許してくれる。

 私は、彼の言わんとすることを理解し、代弁する役目だ。彼を理解して、彼の意思を言葉にする。それを彼に──

「賽在くんは巫女の存在だよ。存在なんだから、全ての欠片を集める権利も義務もある。そうでしょう? 鍔鋼戦さん」

 青ざめた顔で、彼の眼は虚空を見つめていた。

「仕方がありませんから、私たちは貴方とその仲間を皆殺しにしましょう。そうそう、私はいつも、戦闘能力が皆無だと言っていましたが、これでも『賽在彼方の声』です。少しだけなら戦えますよ」

 一般の武装市民か、日本の警察ぐらいなら。

 警視総監の頭が、賽在くんの手から溢れ出した青い光で包まれる。

「さよなら、『楼』のなんとかさん」

 ぐちゃりと、男の頭部が消え失せた。


「それじゃ、行こうか。海堂くん、君は役に立たないから帰ってくれていいよ」

「ちょいまち姉御あいつの目ん玉潰れたぜ?」

「偽物だから問題ないよ。帰ってくれるかな、その喋り方鬱陶しいの。あと姉御言わないで」

 私の意識は覚醒している。睡魔に身を任せるのは、あと少しだけ待ってもらおう。


  十三


 楼閣出無のいる別荘は、それから少しだけ歩いたところにあった。

「賽在くん、準備はいい?」

 賽在くんは頷かない。けれど、分かる。

「OK、行こうか」

 扉を開き、中へ。どこにも埃がない、綺麗な家。賽在くんの案内で、二階の部屋の扉を開く。

 中は真っ白だった。壁、天井、中央のベッドも、そこに横たわる人影も、その横に座る男も、全てが完全な白だった。

「……君達は?」

 男は私たちに気付き、幸薄そうな顔を上げた。以外と若い。

 その問いに答えたのは、ベッドの人影。

「僕の……カラダ、持ってきてくれたんだ」

 艶やかな黒髪は綺麗に切り揃えられ、装飾もなくシーツの上に流れている。どこかで見たことのある、美しい少女。

「そうか、という事は『楼』の人達か」

 男は勝手に何かを納得したようだが、私たちは敵だ。

「鳳火、これでやっと君は」

「そうはいきませんよ、楼閣出無さん。それと、巫女……紅鳳火くれないほうかさん。私たちは巫女の欠片を集めているんです」

「な……」

 楼閣出無は狼狽えた。とても、人殺したちのトップとは思えない。違和感のない、私たちが出会ったことがない、純粋に人を想える人。

 男は少女を守るように、庇うように私とベッドの間に立った。

「鳳火はずっと苦しんだんだ。もうこれ以上、彼女を苦しめないでくれ」

「お断りです。はた迷惑な巫女なんて、いなくなればいい。わけも分からず殺されそうになる私たちのこと、考えてくださいよ」

「鳳火のせいじゃない! それは呪いが──」

「──出無さん、その人たちは悪くないです。僕の……僕のチカラが全部悪いんだ」

「でも……!」

「『巫女』なんて、消えてなくなった方がいいのに」

 賽在くんは彼らの会話を意にも介さず、楼閣出無の腹に脚を打ち込んだ。何かが折れる音と共に吹き飛んで、窓ガラスに叩きつけられる。

 ──俺には関係ない。

 容赦なく、ラスボスを打ち倒した。

 私はベッドに近づく。右腕が欠け、左眼に眼帯を着けていても綺麗な少女。

「初めまして『巫女』。貴女のせいなんですよね、私の名前が失われたのも、声が失われたのも」

「……うん。全部僕のせいだよ」

 綺麗な少女の、小さな口の端から血が垂れる。そして、私の方に左手を伸ばす。

 私は、その手を握った。


  十四


 真っ白な世界。どこまでも続く、無限の白。前後も上下も左右もない、ただ私が存在している場所。どうなっているのかは分からないけれど、立っている自分の姿が見えなければ、私は閃光か何かで目がおかしくなったのだと勘違いしただろう。

「ごめんなさい。鳳火さん」

 いつの間にか、目の前に少女が立っていた。眉の上で真っ直ぐに切り揃えられた、綺麗な黒髪は液体のように肩に流れる。どこまでも深い瞳は何よりも深く、私の意識を吸い寄せる。緋色の袴と、白い和装。

 私は、何も言わない。

「今から三〇〇年ぐらい前、でしょうか。僕は生まれました。魔術が生活に浸透していた時代、僕の『魔術、魔導を加速させる』性質と、古代の魔術が染み込んだカラダ。僕のチカラは、争いの種になりました。それでも僕は、このチカラで世界を平和にできると思っていた」

 私は何も言わない。

「僕も、一応は普通の、年頃の女の子ですから、恋をしました。魔術を使えないから、純粋に僕のことを見てくれた。だから。

 でも、僕のチカラは大人たちから狙われた。最初は巫女だって祭り上げられた。でも、次第に僕は一人になっていた。関わろうとするのは、僕のチカラを利用しようとする悪い人たちだけ」

 強すぎる力は、その存在だけで人を傷つける。人を孤独にする。

「僕を巡る争い──それはもう戦争で、巻き込まれて彼は死んだ。悲しくて、哀しくて、そんな時に僕は悪魔に出会った。僕は悪魔に願ってしまった。

『こんな世界で生きたくない』

 悪魔は僕の願いを捻じ曲げたみたいで──気がついた時には、もうとっくに手遅れだったんだけど──忌々しい呪いに閉じ込められた」

 ある日、男の腕が突然女性のものになったという。声が変わった女性もいた。心臓病が、”まるで新しいものと取り替えたように”完治した人もいた。

「僕は”別の世界”で、他人の存在を喰らって生き続ける化物になってしまった。僕のカラダは誰かの存在とすり代わり、喰らうかわりに『巫女』のチカラをもたらす。

 頭、右眼、左眼、脳、胴体、右腕、左腕、下半身、右脚、左脚、その他内蔵全て、声、存在、心、名前。

 僕の今のカラダは、みんなから喰らった存在で保たれている。ほとんど戻ってきたおかげで、僕は辛うじて僕自身として人かくを保てているけど、僕の『心』が喰らった誰かの心は戻ってこない。誰かの声は失われた。誰かの頭がなくなったし、誰かは眼がなくなった。僕の完成はイコールで他の人を傷付けること」

 突然すげ替えられた欠片は、喰らった存在で彼女を維持し、力欲しさに奪われれば物理的にも失う。賽在くんの右腕が戻ってこないのと同じように、私の声も名前も、戻ってこない

「ごめんなさい。”かなさん”僕にはどうしようもないんです。ただひたすら、この悪魔のゲームを逃げ延びるしかない。お願いです。僕のカラダを集めて、まとめてどこかに封印してください。誰かが持っていれば争いのタネになる。壊せばまた誰かの所に行って存在を喰らう。だから、絶対に外に出ないようにしてください」

 世界が、白一色から少しずつ黒く変わっていく。目の前の少女──私の名前を持っている彼女は、いつしか涙を流していた。

 少女の祈りは、私の心に届くだろうか。

 彼の心に、響くだろうか。



 病室。ベッドの上には変わらず少女が横たわっていて、楼閣は壁のほうに。賽在くんはその前に立ち、今にもその命を断とうとしている。

「”かなさん”」

 楼閣は私の名前を呼んだ。

「彼女の声を聞いたんだろう? 俺のやろうとしていること、分かったはずだ。俺達は敵対する意味がない。……彼の右腕を切り落とせと言うのは心苦しいが、それで生涯襲われることはない。日常に戻れるんだ」

「……楼閣出無さん。貴方は間違ってる。鳳火さんも」

 賽在くんが私を見た。彼はその眼で、私の言わんとすることを理解してくれる。

 この呪いの仕組みも、私が彼女の望みを叶えるつもりがないことも。

「賽在くんは、心臓も眼も持ってる。声も。まず間違いなく死ぬ。良くても寝たきりでの生活なんて、おかしいよ」

 私は巫女の首に手をかける。

「欠片を奪う方法は二つ。相手を殺すこと。そして」

 持つ者がそれを必要ないと、持たざる者が決して力を必要としているわけではないこと。

 少女は欠片を必要としているわけではない。私は力が欲しいわけじゃない。私は賽在くんの声として、彼の心を代弁しているだけでいい。

 賽在くんが私から『声』を奪ってくれたように。

 残念ながら、私は声を失っても彼のそばに居続けたけれど。

「ダメ……だ。ダメだよかなさん……僕のチカラを持っていたら、絶対に日常生活には……」

「どっちにしろ、戻る気はないよ」

 賽在くんは、私自身の言葉を音にしてくれる。


 さようなら、鳳火さん。私の名前を奪った巫女。私たちが貴女の呪いを引き受けよう。貴女は十分に生きたんだから。死者が生者に口出しするものじゃない。この世界はこの世界の住人に任せていれば良いのだ。


  十五︎


 綺麗な夕焼け。真っ赤に染まる地平線。どうしようもなく美しくて、それでもどこか儚さを感じさせる。

「鳳ちゃん……違った、かなちゃんだったっけ」

 隣で、賽在くんは自分の心を声にする。自分の心を、意思を言葉にする術を持たなかった彼は、同化した巫女の心によってその能力を手に入れた。私の役割は終わった。

「……俺の声」

 彼はたったそれだけしか言わないけれど、彼の声は聞こえる。

 私は彼の心を理解し、彼はその逆だ。だからこそ、彼の言葉にならない意思を言葉にして纏め、それを彼が読み取って発する。なんて面倒でまどろっこしいことをずっと続けられたんだ。

 彼は笑う。今までの彼からは想像できない、悲しげで儚げな笑顔。

「これから忙しくなるよ。賽在くん」

 言葉にならない私の声は、やっぱり彼に伝わる。

「巫女の力を求めて、襲って来る馬鹿がいるだろうからな」

 彼と私は一心同体で、結局そうとしか言いようがない。私は、そんな彼との複雑でわけの分からない感覚が、たまらなく好きだった。

 でもまあ、とりあえずは。

「賽在くん、私はハンバーグ食べたいな」

 そんな風に、腕を組んでみたりした。

 もう少しだけ、こんな幸せな、平穏な、素晴らしい時間があればいいなと想いながら。


いかがでしたでしょうか。

良い感想、改善点、悪い感想、酷評、ぼくへの悪口など、なんでも良いので感想を頂けると幸いです。

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