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衝撃の事実

「……ここか」

 一軒家。

 二階建て。

 三姉妹。

 表札を見ると、夏木宗也と同じ名字である『夏木』の文字があった。

 親父から話を聞いたのは、昨日のことである。

 昨日、

『冬美さんと結婚したから、三人の娘さんと家族になる。はっはっはっ。やったな、宗也!』

 これだけ言って親父はいつも通り仕事に行った。

 その日のうちに、引っ越し屋さんが来て、家の荷物を運んでいった。

 宗也は理解できずに、ただ呆然としていたが、帰ってきた親父は、

『明日には、この家を空けなきゃならないからな』

 と平気で言いやがる。

 とにかく宗也は、荷物を整理して、家を出てきた。

 そして今日、『ココに行け!』と書かれた地図を持って、一人新しい家にやって来た。

 高校の入学式前日に。

「ホントにあり得ねえ……」

 親父の異人っぷりには、飽きれるしかない。

 ついさっきも、その親父から、

『俺と冬美さんは、新婚旅行! あ、あとは……まかせ、た……ガクッ 戦場の父より』

 という内容のメールが来た。

「ホントに、わけわかんねえよ」

 もう一度、携帯電話の画面を見て、確認する。

 今日から三姉妹と同じ家に住む。親抜きで。

「いいのか、それ!?」

 初めて会って、すぐに同棲。今さらだが、動揺してきた。

 お、女の人と、一つ屋根の下で……。いかん、いかん!

 宗也は変な妄想を追い払って、頬を強めに叩く。

 期待しないでおこう。そんなにおいしい話があるわけない。どうせブサイク三姉妹だろう。

 自分に言い聞かせて、インターホンを押す。

 ピンポーンという音を聞いて、また緊張してきた。少ない荷物を持ち直して、深呼吸した。

「はーい……」

 胸デカっ。

 出てきたのは巨乳モンスター、ではなく、宗也よりも年上っぽい女性だった。しかも美人。

「どちら様?」

「え?」

 てっきり自分のことをすでに聞いていると思っていた。慣れない年上女性との接触にあわててしまう。

「あ、あのっ、えっと、はじめましてっ! 夏木宗也と申します」

 頭を下げて、相手の様子を窺う。メガネでショートヘア。スーツ姿。

「夏木? 宗也……。ああ、お母さんの再婚相手、の息子か」

「はい!」

 なんとなく嬉しくなって、返事が大きくなった。

「あれ? 来るの今日だっけ? まあ、入りなよ」

 誘われている気分。いけない想像を抑えつつ、

「おじゃまします」

 新しい家に入った。

「私は秋恵。今年大学一年で、今日これから入学式なんだ」

 玄関で宗也が靴を脱いでいる間に、秋恵は自己紹介した。

「え、時間大丈夫なんですか?」

「あーうん、ちょっとくらいね」

 かっこいいな、大学生。

「疲れたろ? なんか飲む?」

「あ、じゃあ、いただきます」

 リビングに入る。電気もテレビも点いておらず、やけに静かである。

「ほい、これ」

「ありがとうござ、います」

 手渡されたのは、真っ赤で透明なジュース。ペットボトルのラベルには『エビノサン』と書かれている。

 どんな味がするんだよ。

 少し戸惑いながら、飲まないことを決意した。

「あ、そろそろ行かなきゃな。キミの部屋だけでも教えとくよ」

「あ、はい」

 二階へ上がる。上がってすぐ前にドアがある。

「ここが私の部屋で」

 左を向くと、他に、四つのドアがあった。

「こっちがキミの部屋」

 自分の隣のドアを指差して、秋恵は言った。

「ありがとうございます」

 では、さっそく。お部屋拝見!

 扉を開けると、そこには着替え中の女の子がいた。

 ちょうどズボンを下ろして、お尻をこちらに向けている。白の。

「へ?」

 宗也の思考は停止した。

 女の子はすぐにズボンを穿きなおす。宗也をにらむ。

「いつまで開けてるのよ!」

 勢いよく彼女の拳が、宗也の左頬に。

「ぶっ」

 ぶっ飛ぶ宗也。ドアが大きな音を立てて、閉じられる。

「あははははははっ!」

 一部始終を見ていた、秋恵が大笑い。腹を抱えて、

「ナイスファイト、少年! くくく、あははははっ」

 すると宗也が開けたドアのまた隣から、ツインテールの女の子が出てくる。

「なになに? どうしたの秋恵おねーちゃん」

 床に転がる宗也を見つけると、

「あー! もしかして、新しいおにーちゃん!? 来るの今日だったの? なーんだ早く言ってよー、もー」

 と言って、おもむろに宗也の腕を取り、頬をすりすりと猫のように擦りつける。

「なにを!?」

 あわてて起き上がる宗也。

「はあーあ、笑ったー」

「ちょっとなんなんですか! これは! つか痛い」

 左頬を押さえながら、秋恵に問う。

「ああ。その子は三女の春那。そんでさっきのが次女の夏希。よろしくしてやって」

 そこまで言って、秋恵は笑いながら階段を下りていった。

「よろしくね! おにーちゃん!」

 腕にしがみついている春那はとっても嬉しそうな笑顔で、宗也を迎えた。

 

 話を聞くと、三女の春那は今年中学一年生。次女の夏希は宗也と同じ高校一年生である。春那、夏希、宗也の三人は同じ中高一貫の私立学校に通うのだ。

 

 おお、神よ。これは何かの前触れでしょうか?


    ***


 入学式は無事終わった。

 宗也の左頬には、昨日、次女の夏希によって殴られた傷跡が残っている。入学式の間、他の新入生から視線を集めた。新しいクラスで並ぶときも、体育館に入るときも、パイプ椅子に座っているときも、退場するときも。

 主に、宗也の前にいた奴から。

「なあなあ! どうしたんだよ、そのほっぺた!」

 教室に戻り、席に着いたとたん、前の席に座る男子が話しかけてきた。

「え? いや、ちょっと……」

「ん?」

 すごくわくわくした雰囲気で、宗也の返事を待っている。

「殴られた」

「マジかよ! すげー! 誰に? 喧嘩番長?」

 喧嘩番長? なんだそれ?

 理解できないし、答えるのも恥ずかしかった。次女に殴られた、なんて言えない。

 とりあえず、

「喧嘩番長では、ない」

 そう言うと、前の男子はあからさまに落ち込んで、唇を尖らせる。

「ちぇー、喧嘩じゃないのか。つまんねー」

「あ、うん。なんかごめん」

 意味もなく謝った。

「なんで謝んのさ? 変な奴」

 おまえに言われたくねえよ。

 心の中でツッコミを入れる。新しい学校で緊張しているのに、変な奴に絡まれるのはごめんだった。友だちになれるなら、話は別だが……。

「あ、俺は戸田山。これからよろしくな」

 自然と笑顔をこちらに向けてくれた。

 なんだ、いい奴じゃないか。

「お前は?」

「ああ、俺は夏木」

「夏希!?」

 戸田山は身を乗り出して、顔を近づけてくる。急に大きな声を上げたので、驚いて身を引いてしまった。他のクラスメイトも宗也と戸田山に注目する。

「あ、ああ。夏木、宗也」

 落ち着くために、ゆっくりと言った。教室の中もざわめきを取り戻す。

「なんだよ、紛らわしい。夏希姫のことかと思ったぜ」

「夏希、姫?」

 眉をひそめた。

 夏希って、もしかして、

 考えた瞬間、戸田山に頭を捕まれ、ぐりんと無理やり後ろに振り向かされた。

「いだだっ」

「ほら見ろ! あの子が、夏希姫だ」

 耳元でささやかれる。身体の芯が、ぞくぞくとして、気持ち悪い。

「やめろって」

「おお、近づいてくる!」

 興奮する戸田山。鼻息が耳に当たる。気持ち悪い。

「……」

 静かになったと思うと、ようやく『夏希姫』の姿を見れた。

「あ」

「変態」

 宗也のすぐ後ろの席。そこが夏希の席だった。

「キモい。こっち見るな」

「はい」

 静かに前を向いた。また戸田山が顔を近づけてくる。

「なんだよ、知り合いかよ? 変態?」

「うん、まあ、ちょっと。戸田山こそなんだよ『夏希姫』って」

「あ、そうか。お前は高等部からこの学校に入ったんだな?」

「そうだけど?」

 宗也が通うこの学校は、中高一貫の私立学校である。中等部から入り、エスカレータ式に高等部に上がるのが一般的だが、宗也は公立中学からこの私立学校高等部に入った。頭のいい学校として有名で、宗也も合格するために死に物狂いで勉強した。それには理由があるのだが、「夏希姫は中等部のときから、かわいかったんだぜ」

「ふぅん」

「で? いつ、どこで、どう、お知り合いになったんだよ」

 戸田山の鋭い視線が、身体に突き刺さる。

 隠すこともないか。

「昨日から家族になったんだ」

「……」

 沈黙。

「実は言うと、この傷もあいつに殴られてできたんだ。いやはや、お恥ずかしいことに」

「も」

「も?」

「も、もも、妄想も大概にしやがれええええええっ!!」

 戸田山は全力で叫んだ。

 教室が、しんとなる。

 こいつは、本当に変な奴だ。友だちは選んだほうがいいかもしれない。

 でも、

「落ち着け。人目があるぞ」

 道を正してやるのも、友だちの役目というものだ。

 肩を軽く叩き、静かに座らせてやる。

 そんなに赤い顔して。よほど恥ずかしいんだな。

「お前。それ、本当なのか」

 うつむいたまま、戸田山は訊いた。

「は?」

「夏希姫と家族」

「ああ、俺の親父が再婚してさあ。三姉妹と家族になって、昨日から一緒に住むことになった」

「ぐはっ!」

 戸田山が血を吐いて、床にぶっ倒れた。

「大丈夫か!? しっかりしろ!」

 あわてて抱き起こした。戸田山はもう、虫の息である。

「最後に……お前に、言って、おきたいことが、ある……」

「なんだ? 言ってくれ!」

「幸せに、なって……、死にやがれ」

 彼は力を無くして、目を閉じた。

「戸田山! おい! 戸田山ああああああっ!」


「すまないっ、遅れてしまった。席に着け、よ? 何やってんだ、お前ら?」

 担任の先生が入ってきて、男子生徒二人が抱き合っているのを見つける。

 二人は黙って起き上がり、何事もなかったように、席に着いた。



 担任の話も終わり、帰宅するのは昼過ぎだった。

 その帰り道。宗也は一人で歩いている。

「ったく、戸田山のせいで恥じかいた」

 誰に言うでもなく、つぶやいた。

「でも」

 新しい友だちができて、高校生活は楽しくなりそうである。

「変な奴だけど」

 思い出しながら、笑みがこぼれる。

 帰り際にも、

『うらやましい奴めっ! お前なんて呪ってやるぅ!』

 戸田山はそう叫んで、走っていった。

「俺、呪われるのか?」

 確かに、夏希はかわいい。顔は整っているし、セミロングの髪もつやつやで美しい。

 ただ。

 彼女の怒った顔しか見たことがない。眉間にしわを寄せて、いつも機嫌が悪い。

 戸田山は、『そんなことない! ちょーかわいいじゃん!』と必死で訴えてきたが、理解できない。

 まだ、会ってから二日しか経っていないこともある。これから新たな一面も見られたらいいな、とは思う。

 家から学校までは、歩いて十分。

 いろいろ考えている間に、家に着いた。

「まだ慣れねえな……」

 新しい家のドアを開けるのに、他人の家に入るようで、まだ緊張感があった。

「ただいま……」

 ひかえめに声を出して、扉を開ける。

 ここで、鍵がかかっていないことを見て、三姉妹の誰かが家にいる、ということに気づくべきだった。宗也はそんなことを微塵も考えず、中に入る。

 高校受験のときの習慣で、外から帰ったら、まず手を洗う。洗面所へ足を向ける。

 ちょうど入った瞬間、すぐ奥の風呂場から、バスタオル一枚の長女、秋恵が出てきた。

「あ」

 どちらも無意識に声が漏れた。

 抜群のプロポーション。タオルから飛び出しそうな胸。濡れている髪。秋恵の全身が官能的で、宗也の思考は爆発寸前。

「イヤン」

 秋恵は、わざとらしく胸と急所を隠す仕草を見せる。

「ちょっ! あっ、すいません!」

 あわてて外に出ようと振り返る。が、そこには次女の夏希が立っていた。

 夏希の髪は逆立って、目は怒りの色に染まっている。

「この、変態男おおおおぉぉぉ――――っ!!」

 夏希は右の拳を後ろに引く。そこから一瞬で。

「ぐっ」

 鼻に衝撃。顔が熱くなる。ぶっ倒れる。同時に鼻血。意識が遠のく。


 おお、神よ。何か悪いことをしましたでしょうか?


    ***


 小学校六年生、卒業式の日。

 俺たち卒業生は式が終わって、同級生とお別れする。と言っても、ほとんどの生徒が、また公立の中学で会うことになる。

 でも、坂本さんは違った。

 坂本さんは俺の好きな人だ。

 彼女と顔を合わせると、目がきらきらしてて、宝石みたいで、きれいだな、と思った。

 笑うと、もっときれいになって、かわいくて、いつまでも見ていたかった。

 それなのに、

「きっとまた会えるよ!」

 静かになった教室で、坂本さんはそう言った。

 いつものように瞳がきらきら輝いていた。

 話を聴くと、彼女は私立の中学に入学するらしい。そこは中高一貫で、勉強も難しい。坂本さんは中学受験をして、見事合格したんだそうだ。

 坂本さんと別の学校になる。

 俺はたまらなくなった。

 もっと一緒にいたかった。

 もっと笑顔を見たかった。

 もっと遊びたかった。

 もっと……。

「じゃあね!」

 彼女が去っていく。

 俺の好きな人が。まだ告白もしていないのに。

 坂本さんを引き止めて、この気持ちを叫ぶ勇気が、俺にはなかった。

 だから。

 だから俺は、猛勉強した。

 中高一貫なら、高校から入ればいいんだ。試験が難しいなら、勉強すればいいんだ。

 そう思って、中学生活をすべて勉強に奉げた。

 もう一度、坂本さんに会うために。会って、この気持ちを伝えるために。

『きっとまた会えるよ!』

 彼女の言葉を希望の光に、俺はそれを目指して努力した。

 そして、坂本さんの通う学校を受験した。

「おお、神よ。どうか頼みます。彼女のいる学校に合格できますように」

 合格発表のときまで、俺は神に願い続けた。

 結果、合格した!

 神はいた。存在したのだ。このときから神を信じるようになった。

 あとは、高校で坂本さんを見つけて、告白するだけ。

 ……のはずだったのに。

 入学式直前に、親父の再婚。新しい家。三姉妹との出会い。殴られる。

 昨日も思いっきり顔面を殴られて、倒れて、意識を失って……あれ?

 なんだこれ?

 夢? 

 いや、でも、意識がはっきりしてる。

「……」

 ちょっと待て。もしかして、これ走馬灯ってヤツ? 

 俺、死ぬの? マジで?

 まさか、戸田山の呪いか? 嘘だろ。

 まだ坂本さんに告白どころか、会ってもいないのに、死ぬのか。

「おお、神よ。俺はもう死ぬのでしょうか」

「お前しだいじゃな」

 神がいた。本当に。

 目の前に姿を現したのは、白髪頭に、白いあごひげの、小さいおじいさん。

 頭上に光る輪をのせて、背中には羽がある。

「神!」

「そうじゃ。さあ、もう一度眠るのじゃ。お前にチャンスを与えよう」

「神……」

「お前の彼女への気持ちが本当なら、死ぬことはあるまい。じゃが、他の女子に目を向けることがあれば……もう、わかっておるな」

「はい! ありがとうございます!」

「うむ、よい返事じゃ。さあ、目を瞑れ。わしが三つ数えると、お前は元通りじゃ」

 俺は目を閉じた。

「さん、にー、いち」

 神の声が耳の奥に反響した。



「おにーちゃん起きてー!」

「んーん」

 宗也は寝返りをうって、なかなか目を覚まさない。

「もう、しょうがないなあ」

 春那は困ったような顔から、にんまり笑って、

「じゃあ失礼して」

 ベッドに上がると、宗也の隣で横になった。掛け布団の中にしっかり入って、宗也の背中にぴったりとくっつく。

「おやすみなさーい」

 宗也はまだ起きない。春那はすぐに眠ってしまった。

 勢いよくドアが開かれる。

「春那!」

 夏希が布団をひっぱがす。ぴったり寄り添う宗也と春那。

 夏希は、宗也の襟を掴んで、

「あーんーたーねー!」

 怒りに燃え上がる。その声にやっと目を覚ます宗也。

「ん、んん?」

 前には怒り狂った夏希の顔。

「言い訳は?」

 夏希が訊いた。

 宗也は状況を理解できていない。ふと、自分のベッドを見ると、すやすやと気持ちよさそうに眠っている春那の姿が。ようやく気づく。

「違う! 誤解だ! 俺は知らない!」

 所詮、言い訳にしかならず、

「死ねええええ――――っ!!」

 殴られ、蹴られ、まさにボコボコにされた。

 妹を連れて、部屋を出ていく夏希。春那はまだ寝ていた。

「う、うう」

 まだ動ける。まだ、まだ……

「死ぬわけには、いかねえ!」

 傷つきながらも、神との約束を思い出す。

 夢か現か。そんなことはどうでもいい。今生きているなら、その目的を果たすべき。

「坂本さんに告白するまで、絶対に死なねえ!」

 宗也は、神を信じるのだった。



「うらやましすぎるっ!」

「どこがっ!」

 高校の昼休み。

 宗也は、戸田山とパンをかじっていた。

 額の傷のことを聞かれたので、昨日と今朝の出来事を話した。殴られたことを中心に、秋恵のこと、春那のこと、そして、夏希のこと。

「三姉妹と一つ屋根の下で、男としてラッキーな出来事の連発。それをなんて言うか知ってるか?」

 うっとりした目で、戸田山が訊いた。

「なんだよ」

「ラッキースケベ! このスケベ野郎っ!」

「どうでもいい! お前の知識、どうでもいい!」

「どうでもいいだとっ? ラッキースケベが現実で起きているんだぞ! これはどういうことか、お前はわかってるのか!?」

 やけに激しく大げさに、言いやがる。

「意味わかんねえよ」

 すると戸田山は、ふふふ、と小さく笑って、

「お前、死んだな」

 不気味につぶやいた。

「どういうことだよ!」

 死という言葉に反応してしまう。今朝変な夢を見たばかりだからか。

「死亡フラグ」

「死亡フラグ?」

「なんだ、それも知らないのか。まあ、その方がいいのかもしれないな……」

 戸田山は遠い目をした。

 体温が一気に下がったような気がした。

 死亡フラグ……。気になる。気になるけど、聴きたくない! ああ、もどかしい!

「ところで、そーやん。なんで高等部からこの学校に入ったん?」

 またしても聞き慣れない単語が。

「そーやんって何だ?」

 戸田山は宗也を指差して、

「宗也。宗也、ん。そーやん」

「あだ名かよ」

「イエス! そーやん!」

 両手を挙げて、戸田山は嬉しそうにはしゃぐ。

「わかった、わかった」

 それを押さえて、落ち着かせる。

「で、質問の答えは?」

「へ? なんだった?」

「おいおい頼むぜ、そーやん。どうして君は高等部から入ったんだいって話さ」

「ああ。まあ、ベタだけど、好きな人がいるから」

 しまった。すんなり答えてしまった。

 戸田山を見ると、にやにやと笑っている。口に手を当てて、

「へえー。好きな人を追っかけて、この学校に入ったんだぁー。そーやんって意外とロマンチスト? ぷっ」

「笑うな! こちとら深刻な問題を抱えてんだよ!」

 また余計なことを言ってしまった。しかし今度は、真剣な顔の戸田山。

「なになに? 悩んでんなら、相談乗ってやんよ」

 宗也は考えた。

 確かに、戸田山は使えそうだ。こいつは中等部からこの学校にいる。坂本さんもそうだ。もしかしたら戸田山は、坂本さんを知ってるかもしれない。よし。

「どったの? そーやん。一人でうなずいて」

「坂本って人を知ってるか?」

「坂本? その人がお前の好きな子?」

「ああ、そうだ」

「ふうん。坂本、さかもと……」

 あごに手を当てて、探偵のように戸田山は考え出した。

 するといきなり、はっとしたような表情を見せた。

「はっ!」

 口にも出した。

「知ってるのか?」

「いや、お前、まさか……ホモ?」

「なんでそうなる!」

 立ち上がって、全力でツッコミを入れた。

「いやー、坂本って名前のやつ、男しか知らないぜ」

「それならそう言えよ。なんで俺がホモなんだよ」

「だってお前……俺のこと、好きだろ?」

「んなわけねえ!」

「ひどいっ、そーやん! 俺のこと嫌いなん?」

「当たり前だ! 気持ち悪い!」

 戸田山は少し、泣いていた。


    ***


 宿題が出た。英語の和訳問題だ。しかし宗也は辞書をもっていなかった。

「おかしいな。捨てちゃったか?」

 引っ越しのときに、処分した可能性がある。

 仕方ない、

「誰かに借りるか」

 しかし、誰に?

 春那はまだ中学生。さすがにまだ持っていないだろう。春那のアホさから考えてみて。

 夏希は……ないな。会いたくないだろう。あっちが。目があった瞬間に、やられそうである。

 となると秋恵である。大学生なのだから、さすがに持ってはいるだろうが、またイタズラされかねない。

 しかし宿題を完成させるには辞書が必要。

 究極の選択である。

「そうでもないか」

 気をつけていればいいのだ。

 例えば。

 宗也は秋恵の部屋の前に立つ。

 今ここで、

『秋恵さん、辞書貸してください』

 と入っていけば、秋恵は着替え中で、

『きゃー、へんたーい』

 そこで夏希が登場。殴られる。

「間違いないな」

 腕を組んで、うなずく。

「ならば」

 宗也はドアをノックした。

「へーい」

 部屋の中から力のない返事が来る。

「宗也です。辞書を貸して欲しいんですけど」

「ん? ああ、いいよ。入って」

 確認完了。安心してドアを開ける。

「失礼しま、ああ!?」

 思わず仰け反った。

 散らかった部屋。脱ぎっぱなしの服やら、化粧道具やら、菓子の袋やら、すでに足の踏み場もない。

 それよりも宗也の目を引いたのは、ベッドだった。

 ティーシャツにパンツだけの秋恵が、ベッドで横になって、雑誌をめくっていた。宗也からはパンツが丸見えである。しかも見覚えのある、白の。

「ちょっと秋恵さん! 俺ノックしましたよね!?」

「ああ、したな」

 雑誌から目を離さず答える秋恵。

「じゃあなんで! なんでそんな格好してんですか!?」

 秋恵からは目線を外して、訴える。目のやり場に困る。

「なんだ。私が私の部屋で、どんな格好をするのも私の自由だろ。君に文句を言われる筋合いはないよ」

 確かにそうだけど。

「でも、俺、男ですよ。恥じらいとかないんですか!?」

 すると秋恵は、ようやく雑誌から顔を上げて、座り直す。ティーシャツだけなので、胸が強調されている。宗也は秋恵をちらっと見て、また壁を凝視する。

 秋恵は「んー」とうなって、

「恥じらいか……ないな」

「なんで!」

「君に見られても、何とも思わん」

 正直ショックである。

「ま、まあいいです。辞書貸してください」

「ああ、机の上にある。持ってっていいよ」

「あ、ありがとうございます」

 と言っても、その机は部屋の奥。物を踏まないように進むのも一苦労である。

 しかし秋恵はすでに、また寝転がっている。取ってもらうことはできそうにない。

 つま先だけで、よろよろと歩く。

 一歩、二歩、三歩。

 次の一歩を踏む瞬間、いきなり雑誌が踏み場を埋めた。

「うそっ」

 上げた足は行き場をなくして、バランスを崩す。

「うおっ」

 ベッドの方に身体が倒れる。

「やばっ」

 と思ったときには、秋恵に支えられていた。

 前のめりになった宗也の身体を、秋恵は両肩を掴んで受け止めたのだ。

「大丈夫か? ごめん調子乗った」

 雑誌を投げたのは当然、秋恵だった。

「え、ええ大丈夫です」

 近い。秋恵の胸がすぐ目の前に。風呂上がりなのか、シャンプーのいい香りがする。

 頭の中がぐるぐる回る。何も考えられない。

 そこにドアの方から、

「お姉ちゃん、辞書貸し……っ!」

 夏希、入場。

 宗也ははっとして、体勢を整えようとすると、力を入れすぎて、秋恵を押し倒してしまった。ベッドで重なる二人。

「す、すいません!」

「私はいいんだけど」

 という言葉を聞いたときには、夏希は飛んでいた。

 ジャンピングキック。または跳び蹴り。

 

 おお、神よ。夏希さんは強者です。



「おにーちゃん! 起き……て?」

 ノックもなしに、春那は宗也の部屋に入ってきた。

 しかし宗也はすでに目覚めて、カーテンを開けて、日光を浴びていた。

「おはよう、我が妹よ。いい朝だな」

 伸びをして、ほほえむ。

「なーんだ。もう起きてたのー? つまんなーい」

 頬をぷくっと膨らませて、春那は腕を組む。

「ふっ、まあな」

 我ながら完璧だった。春那が起こしにくる前に、自分で起きる。そうすることで夏希の暴力を防ぐことができる。

 なんてすばらしいのだろう!

「おにーちゃん、なんかキャラ違う。へんなのー」

「さあ、オニーチャンは着替えるから、外に出なさい」

 春那の背中を押して誘導する。

「ちぇー」

 口を尖らせながらも、春那は素直に出ていく。

 宗也は部屋で一人、クククと笑いながら、学校へ行く支度を始める。

 初めて夏希の暴力を、回避できたのだった。


 学校に行く準備を終えて、一階に下りる宗也。

 リビングに入る前に、身の危険を感じた。ドアノブに手をかけようとしたが、動きを止める。

「今入ったら、ダメな気がする……」

 ドアに耳を当てて、リビングの状況を確認する。

 最初に聞こえたのは、夏希の声だった。

「これくらい一人でできるでしょう?」

 次に春那。

「だって、おねーちゃんにシテもらうの気持ちいいんだもん……」

 宗也の肩が跳ねる。

 おいおい待てよ。『シテもらう』ってなにを? ナニを? 

「わがままなんだから」

「あっ、おねーちゃん……、強く引っ張りすぎ。痛いよお」

「我慢して」

 朝からリビングでナニが行われいるのか。興味がありながらも、理性を働かせる。

 今入ると、マズイ。

 嫌な予感が宗也を支配した。

「今日は朝飯抜きで行くか」

 足を玄関へ向けて、音を立てないように、そろりそろりと忍び足。

「なにしてんの?」

 パジャマ姿の秋恵が二階から下りてきた。

 宗也は一瞬どきりとしたが、やがて理解した。

 なるほど。朝から三姉妹でお楽しみですか。そうですか。

 宗也は一人納得して、秋恵に親指を立てる。

「しっかり、リードしてあげてくださいね」

 ニコリと笑って、すみやかに家を出ていった。


「なんだあれ?」

 秋恵は首をかしげて、リビングに入る。

「はい、完成」

「ありがとうおねーちゃん! あ、秋恵おねーちゃんおはよう!」

「おはよう。おっ、今日も決まってるね」

「うん! 夏希おねーちゃんにシテもらったの!」

 そう言って春那は、にっこり笑って、ツインテールをゆらした。



 昼休みの教室に、腹の音が響きわたる。

 クラスメートの視線が一点に集まった。

「そーやん昼飯は?」

 前に座る戸田山が、弁当箱を広げながら訊いた。

「……忘れた」

「どして?」

「……」

 力なく机にうなだれている宗也は、朝からなにも食べていなかった。理由を答えることもできないほど、エネルギー不足である。

 そんな宗也には構うことなく、戸田山は昼食を食べ始めた。

「購買でなんか買ってきたら?」

「……金が、ない」

「そっかー」

 沈黙。

「かし――」

「ヤダ」

「即答かよ! つか最後まで言わせろ!」

「どうせ、金貸せとか言うんだろ? やだよ俺。あと弁当もあげないよ。俺だって足りないくらいなんだから」

 この薄情者め。

 そんな文句は口に出さず、飲み込んだ。腹の足しにもならないが。

 腹が減っているとイライラするらしい。戸田山と一緒にいると、なぜか腹が立ってきた。

 目の前で見せびらかすように弁当を食べているから、かもしれない。

 宗也は席を立つ。

「どこ行くん?」

「水」

 それだけ答えて教室を後にする。

 水を求めて、ふらふらと歩いていると、

「おにーちゃーん!」

 春那の声がした。

 後ろを振り向くと、ツインテールをゆらして走ってくる。

「なぜおまえがここに? 我が妹よ」

「あー、やっぱりまだ変だ。高等部と中等部はお隣でしょ」

 中高一貫のこの学校は、高等部と中等部の校舎が隣り合わせに建っている。柵を越えればすぐに出入りできるのだ。

「そうそう。おにーちゃんに、はい、コレ!」

 そう言って春那はコンビニの袋を差し出した。

「これは、まさか……」

 手を伸ばすが、受け取る前に、春那は袋を自分のほうに引き寄せる。

「そおにーちゃん、朝ご飯食べずに行っちゃったでしょ? だから届けてあげよーと思って」

 春那は袋の中身を確認する。

「おにぎりと、パンと、飲み物でしょ。あとは、おやつもあるよ」

「妹、サマ……」

 春那が女神に見えた。後光が差して、恵まれない者に救済を施してくれる。

 女神に合掌。深々と頭を下げる。

「ありがとうございます」

「いいんだよ! でもね、春那はご褒美がほしいなー」

 コンビニ袋を身体の後ろに隠し、上目遣いで唇に指を当てる。

「ちゅー、してくれたら渡してあげる」

 いじわるそうに笑って、宗也を見る。

「な、なに言ってんだ! バカなのか!?」

「あー、バカって言ったー! そんなこと言うおにーちゃんには、あげないんだからねっ」

 ふんっと春那はそっぽを向く。

「ああ! すまん! 腹が減って死にそうなんだ!」

「じゃあ、ちゅー、して?」

 小首をかしげて、春那は宗也を見上げる。

 妹ながら恐ろしい女の子だ。

 周囲に人がいるというのに、大胆にもキスを迫ってくるのだ。

 そんなことより、腹が減った。

 昼飯をもらうには、キスしなければならない。

 キスをしなかったら、昼飯はもらえない。

 学校の廊下でキス。あり得ない。

「あ、そうだ」

 宗也はひらめいた。

「よし、じゃあキス、しようか」

「ほんとっ!?」

 春那の表情がぱっと明るくなった。

 宗也は二人の距離をつめて、彼女の頬をやさしくなでる。

「ホントだ。さあ、目を閉じて」

「う、うん」

 さすがの春那も緊張しているのか、顔が赤く熱い。

 よし。春那がバカ正直でよかった。

 今なら袋に手が届く。

 目を閉じている春那に気づかれないよう、ゆっくり袋に手を伸ばす。顔を近づけたまま。

「なにやってるのよ、変態!」

「えっ?」

 と思ったと同時に股間に激痛。

「――――っ!!」

 声にならない悲鳴。

 急所を押さえつつ、その場に倒れこむ。かろうじて後ろを見ると、そこには足をあげる夏希の姿があった。

 夏希が宗也の股間を蹴りあげたのだ。

「あれ? 夏希おねーちゃん?」

 いつまで待ってもキスされないので、春那は目を開けていた。

「春那! 大丈夫?」

 妹を守るように、夏希は宗也と春那の間に身体を滑り込ませた。

「また……おまえか」

 うずくまって悶絶の表情で、夏希をにらむ。

「今日という今日は……絶対に許さねえ!」

 最大の痛みを味わった宗也は、怒りに燃えていた。

 勢いよく立ち上がると、夏希の手を取って、走り出した。

「えっ? ちょっ! なによ!」

 突然手を握られて、頬を赤らめる夏希。

 その顔には気づかず、走る宗也。

「おねーちゃーん! おにーちゃーん!」

 後ろで春那の声が聞こえるが、無視して走っていく。

 廊下を通り過ぎて、階段を上がる。

「離して!」

 夏希が腕を振り払った。立ち止まった場所は、人気のない階段の踊り場だった。

 手が自由になった途端、夏希の拳が飛ぶ。

 しかし宗也は振り向き際、とっさにそれを受け止めた。

「な、なんでよ!」

「そりゃこっちのセリフだ!」

 均衡状態。夏希のグーを宗也のパーが押さえ込んでいる。夏希が手を引こうとしても、離さない。

 一瞬の隙をついて夏希の手首を掴む。

「痛っ」

 夏希の表情がゆがむ。それでも宗也は、

「単刀直入に訊く。なんで殴るんだ? 俺になんか恨みでもあるのか?」

 怒りを抑えて、なるべく冷静に訊いたつもりだったのに、夏希は怯えたように、びくりと肩を震わせた。

 静かになる。夏希は抵抗するのをやめた。

 その様子を見て、彼女の手首を離した。

「すまん……」

「別に……」

 互いに視線をそらせる。気まずい空気。

 改めて、宗也は口を開く。

「おまえが俺を殴るのに、なんか理由があるなら聞くし、直そうと思うし……。とにかく、暴力反対」

 両手を上げて訴えた。

 ちらりと宗也を見た夏希は、

「ごめんなさい」

 目は合わせないまま、小さく言った。さらに、「私」と続ける。

「私……男が、大っ嫌いなのよ!」

 夏希は思いっきり叫んだ。

 まさかのカミングアウトにぽかんと口を開ける宗也。ずっこけそうになるのを耐えて、

「そ、そうか」

 と無理やり納得した。

 すると夏希は、なにかの留め具が外れたように、次から次へと文句を並び立てた。

「そうかって、ずいぶんいい加減なのね! あんた、理由が知りたかったんでしょ!? もう一度言ってやるわよ! 私、男が嫌い! 大嫌い! 女の子のこと変な目で見てくるし、その視線が気持ち悪いし、ムカつくのよ! あんたなんか特にムカつく! 春那とお姉ちゃんに変なことばっかりするし、それでなんだか仲良くなって、超ムカつく! そんなことでムカついてる自分にもムカつく! それと! あんたが気づかないのも、ムカつくのよ!!」

 そこまで言うと、夏希は息切れしながら、宗也をにらんだ。

 目尻には水滴がついていた。

 宝石のように、きれいな目。潤んだ瞳がきらきらと輝いている。

 宗也はようやく気がついた。

 男嫌い。姉妹を思って、自分への嫉妬。そして、涙で濡れた、きれいな瞳。

 そこから導かれる衝撃の事実。

「おまえ、もしかして……レズ、なのか?」

 飛んだ。

 拳が。

 宗也が。

「バカ!」

 宗也のみぞおちにグーパンチを入れて、夏希は走って去っていく。

「た、確かに……俺はバカだ」

 床に倒れながら、宗也は思った。

 夏希のことを片思いの相手、坂本さんだと考えてしまった自分は、本当にバカだ、と。


 おお、神よ。これから俺は、どうなるのでしょうか?

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