第6話 女神の戯れ言
「――――と、なります。お二方、なにかご質問はありますか? というより、かなり渋い顔をしていますが奇抜――過ぎますかね……」
私とオクタール、顔と顔を合わせ視線を合わせ驚きの表情を隠せず、彼にいたっては目元の老眼鏡が鼻先に落ちているのすら気がつかない。
無理もない、荒唐無稽で思いもつかない発想。
「執事たる小生が知る限りで、働きに見合った賃金格差の趣旨説明をした者は、何百とある商会群でもほぼおりますまい」
「やっぱりそうですか」
「どこの商会でも賃金に格差を付けていますが、主の機嫌で上下したり、期間も不明瞭で、主の匙加減で格差が生まれます」
「この商会でそれらはないですが、絶対にやってはいけませんね」
「ルチア様の仰る『なぜその賃金なのか?』を、各個人に伝えることの重要性――言うはたやすいもやはり……」
オクタールの口にした“言うはたやすい――”、この言葉の意味は重い。
「オクタール様、難しい話ではありません。『この半年、なぜ君の賃金は低かったのか?』をきちんと説明し、低かった理由を伝え改善したなら、半年後からの賃金は元に戻る、または上がると、伝える――それだけです」
「たしかに一見難しそうには思えませんが雇用主たる者の技量も、試されると」
「そうなりますね。取り入ってくる者、お世辞を吐く者、主の前だけで仕事をする者、それらを見抜けなかった場合、雇われる者すべてに影響が出るのは必至」
「そうなりますな。とくに、雇用が長いベテランになればなるほど不平不満も高まります」
「その点を鑑みれば、ジルベーヌ様なら問題なく導入できると思います」
「なぜルチア様はそう思われるのですか?」
「えっだって、小娘の与太話を聞く技量をお持ちですしなにより、頭ごなしに否定をしませんから」
プイッと二人の視線がこちらに届く。
まぁたしかに普通の商会長なら、どこの者ともわからない流れ者の意見など、ただの戯れ言として聞かぬだろうし耳も貸さない。
「オクタール様は導入に前向きな雰囲気ですが、ジルベーヌ様はいかがお考えでしょうか?」
「私ですか?……そうですね……まずは下準備として、雇っている者の働きを見定めるところからでしょうか。それと、評価方法の手順も必須」
「早急に物事を進めては、商会を危うい立場にしてしまいますので賢明なご判断かと」
「この件については私もオクタールも納得できる。が、“もう一つの内容”は商売の基本から逸脱し過ぎで、考えがまとまらない」
私の言葉にルチア嬢は軽く反応を示すも小さく頷き「この世界の人からすると当然の判断ですね」と言いさらに、向こうの世界ではとても重要視されていて、就職先を選ぶ判断基準の一つとなっていると、はっきりと言い切った。
なんともルチア嬢のいた世界は、この世界と比べて異質過ぎて本当に存在しているのかいぶかしく思ってしまう。
「ジルベーヌ様、難しく考えずに『急病になって休んでもお給料を出します』ですから、しっかり養生してくださいね~。それでいいのです」
「病気や怪我以外、友人と魚釣りに行くから休ませて欲しいと言ってもいいのですね?」
「基本的に休む理由はなんでもありです。旅行なり、子供の誕生日だから、私用目的、親の介護で休みでもいいのです」
「なんとも……」
「まぁなかには悪用する輩もいますがね」
「どこの世界も同じなのですか……」
「もし導入するなら、病気で休んでおいて酒場にいた。狩りに行くと言って賭博場にいた。それらは虚偽報告としてペナルティーを課すと良いかと」
「ペナルティー?」
「あ、契約に対する罰則のことです」
罰則、たしかに必要だな。
「こちらの世界でも受け入れやすいように変更するなら、休む理由に嘘は×、急遽を除き数日前に申請、繁忙期は基本使用を控える、貢献度によって日数の増減、有給休暇内の休みなら賃金の半分程度を支給――辺りでしょうか」
「ふーむ……」
「普通に休むとお金はもらえません。でも、年間で有給休暇分の休みについては少額でもお金を出しますよ。だから病気や怪我で休まざる負えなくても安心してくださいね。そのかわり、仕事に復帰したならバリバリ働いてくださいね~。と、その考えで良いと思います」
ルチア嬢の伝えたいこと、理解できるが休んでも賃金が発生するというのは商会を運営する者からするとどうしても引っかかってしまう部分。しかしそれを見越した上で、この御方は良さを伝えようとしている。
こちらの世界の人間には考えもつかない芸当だ。
「旦那様、小生は導入しても良いと考えます」
「ほほう」
「初の試みですから、半年なり一年なり区切って試験的にどうかと」
「それはありだな」
「はい。上手くいかなければ中止にすれば良いだけのこと」
「そうだな」
「有休休暇時に多少の賃金が発生する。しかし支払うことによって、主と商会への貢献度と忠誠心は確実に向上するでしょうしなにより、ベテランの引き抜き工作に一定の歯止めが効くと推測されます」
「それは大きいな」
「さらにルチア様の助言に付け足すなら、閑散期は連続休暇可能、大雪や暴風のときは一部の業務を除いて休暇を推奨など、考えれば考えるほど案が思いつきます」
一件、休んでも賃金を払う行為は愚かな策と見て取れるし、そんな考えを持った商会など、この国を飛び出し別国を探しても確実にありもしない、それだけ希有な考え。
しかし、波及する効果はオクタールが示したように大きく、主、商会への貢献と忠誠心のさらなる向上が期待される。
「独り言、言いますね……」と、前置きをしてルチア嬢は口を開いた。
この施策はあまり広めないようにするといいと思います。
理由は単純明快。
一度味わった極上の甘味を貴方がたは、忘れられますか?
しかも一つの場所でしか味わえず、他では一切提供していない。
幻のような夢のような、ひとかけらの幸せを、独占して与え続ける――未来の人たちはこう評するでしょう『商売で困ったときはこの人物たちの歴史を紐解き、さる商会の主と執事たちの軌跡を追え――』と。
んで、後世に名が残るでしょうから卑劣な商売は、しないほうがいいでしょう。
顔を見合わせる私とオクタール。
二人して目を大きく見開き、無言のまま大きく頷いた。
「旦那様、護衛二名と共に帰路についてもらいました」
「そうか」
「早い時間から席を設け、夜になる前に帰宅してもらう予定でしたが――」
「わかっている、それ以上言うな」
「今回は小生も少し熱くなり過ぎました……」
「しかたなかろう、我々が十の質問、疑問らを口にすると三十、五十いや、百もの回答、まだ見ぬ技術と真理を授けてくれるのだから」
その言葉にオクタールは深く頷き、掛けた老眼鏡のフチをクイッと上げた。
「なんだ?他にもなにか言いたげではないか?」
「はい……。ルチア様の素性はもしや、天界を追われた女神の化身、はたまた地上に赴いて人々の営みを精査しに来ている、天界の監査人ではないでしょうか。もしや異世界とやらは、天界を指すのでは?」
なんとも突拍子もない空想として普通なら鼻であしらい、老人の妄言と片づけるところ。
しかしそんな考えは私の心に微塵もない。
私とて同じ考えなのだから。
「小生と別れる際、ルチア様はそっと目を伏せこう告げました」
私が生きた証を残さないでください。
私の発した言葉は無名の人物としてください。
私の――墓は作らないでください。
私の存在は益虫でもあり害虫でもあります。
私はどこまでいってもこの世界からすると……外様の存在なんです。
「……」
「旦那様、小生は思い知らされました……」
「なにをだ……」
「己が……いかに矮小なものなのか」
「……」
「小生が抱える悩みなど、ルチア様からしたら牛が垂らす涎程度」
「オクタール……」
「先代からこの商会を託され見聞を広げるため、様々な街や村々、普通に暮らしていては見ることのできない景色、はたまた王侯貴族らとの出会い。それらを見聞き経験したことによってそれなりに他者より知識を持つ智者と、自負しておりました」
「……」
「されど、ルチア嬢と酒を汲みつつ会話に華を咲かせますと、己がどれほど小さな存在で、なにも知らぬ赤子同然の知識しか保有していないと――。世界はとてつもなく壮大で未知なるものが無限に存在する事実を、気づかされるばかりにございます……」
私は、無言のまま返答を返さない。
返さなくてもオクタールはわかってくれる。
「ルチア様はふと振り向き、こうも言われました『イチゴイチエ』」
「イチゴイチ?」
「はい。十日後の話し合いの場で、意味を教えてくださるそうです」
「自然についてか? それとも商売? 未知なる知識?」
「それが……ヒントだけでも頂こうとしたのですが「次回のお楽しみですっ♪」と告げられました」
「そうか……」
「十日後がいまから楽しみにございます」と、オクタールは言うと目を閉じ小さな笑みを浮かべた。
私はこのとき、神々の書斎に忍び込み未知なる知識を共有するひとときが最後になることを、知らなかった。
十日後が明日に迫った九日の早朝、ルチア嬢は訪ねて来た。
――街を出ます――
私とオクタールはさほど驚かなかった。
いつかこんな日が来ることを予見していた。
それが、早く到達するか遅くなるかの違いだけ。
――近くて遠い将来、月夜の晩に北北西の方角から身をお入れください。さすれば危機は回避できるでしょう。詳しくは不明になりますが、そう占いに――
自らのことよりも私たちのために――。
――モチュバーガーの劣化版を持ってくる約束、果たせなくてごめんなさい――
そういえば約束していた。
深々と謝罪の一礼をするとルチア嬢は、一人の孤児を自分の目の前に立たせ仰られた。
――この子をお願いします――
――生涯金はこれです――
そう言って布に包んだ大金貨一枚をオクタールに手渡した。
女児はルチア嬢の足元、小さく震えながら彼女の腰に手を回していた。
――お姉ちゃんと一緒に旅する――
涙ぐみながら伝える子。
頬を伝わる涙をルチア嬢は指でそっと拭うと無言のままギュッと抱きしめ、幼子の小さな耳元でなにか呟いた。
私とオクタールはその光景を、ただ黙って見守るしかできなかった。
ルチア嬢はスッと立ち上がると口にした。
――黒髪、占いの魔女と呼ばれた私に、やさしさをくれてありがとう。そしてさようなら――。
無意識のうちに私は言葉を紡いだ。
この一瞬が、今生の別れではありません。
私の敬愛する神々はきっと、それを望んでおられないから。
背筋を伸ばし威風堂々と言うも、どこか自信に満ちあふれた言葉にならなかった。
「私から最後に――お二人に向けて――」
背筋を正し胸に右手を当て深々と一礼、そして告げた。
――これが一期一会にございます――




