第5話 私の戯れ言
「こんな早い時間にお呼び出し、なにかありましたか?」
丸眼鏡にベージュ色のシャツに紺色のスカートが似合う一人の少女、ルチア嬢は私の顔を見るなりそう告げた。
「前回の――聖水うんぬんはいささか人の世から逸脱していたので、もう少し地に足の着いた話をしたいと思いまして」
「そうですか。私的には儲かる話と思うのですけどねぇ」
「たしかにそうです。ですが、あまり儲け過ぎますといろいろと絡んでくる輩もいるでしょうし、とくに誰とはいいませんが……誰とは」
「そっそうですねっやめておいたほうが無難かもしれませんねっ」
ルチア嬢、察しが早くて助かる。
第一、聖水を創造し神々の力を手に入れてしまったなら教会からの反発は確実で、熱した鉄棒を持って火傷することなく聖典の一小節を読み上げたら無罪になる神明裁判を実施されるだろう。
タロット占い術をしてもらった夜、私は一応にカードを捲(めく)った(聖水の原理、秘密を知り得た)が、また伏せて元の場所(なにもしなかった)に戻した。
あの時、ルチア嬢はこうも言った。
小動物――小リスが運命のカードを運んで来ると――。
フフッ……たしかに小リスが運んできたな。
いま思うとドングリか木ノ実のほうが良かったのかもしれないな――。
「たしか、ベランジュさんもご同席と聞いていましたが……」
「あー彼は急遽、大きな商談のため別領へ向かいました」
「それはそれは」
本当はベランジュも含め四人で話し合いの場を設けたかったが、あちらの事情が事情だけにすぐに向かわせた。
「本日のご用はなんでしょうか?」
「用がないと来てくださらないのですか?」
「いえ、そのような……ただ……」
「問題はありません。今日も明日も雨模様のため雇っている者はすべて帰らせました。客が訪れなければ仕事はできませんからね」
「あーたしかにそうですね」
本日は雨。
そして明日も終日雨模様。
一応に来客用の寝室は用意してあり彼女が承諾してくれれば宿泊してもらいたく、可能なら一泊と言わず二泊三伯としてほしい。
そんな私が敬愛するルチア嬢の素性を知る者は、私と執事の二人のみ。
私のルチア嬢へ接する態度を見てか雇用する者たち、それほど忌避していなく街で噂されるような戯れ言を信じる者は一人もいない。
そう、人を呪い殺す、災いをもたらす、呪物を持ち歩いている等々、馬鹿げた与太話に耳を傾ける者はすでに商会を去ってもらった。
嫌な視線を向ける者がいないと知っていても彼女はいつも気遣い、裏口からそっと訪ねてくれる。
いつだったか口にされた。
この街で、黒髪、占いの魔女の本当の素性を知る者は御二方だけだと。
――コンコン――
扉をノックする音。
「お待たせいたしました」と、扉の向こう側からオクタールの声。
「大変申し訳ございませんが手が塞がっており、扉を開けることができません」
椅子から立ち上がろうとする私を遮りルチア嬢はパタパタと向かい、そっと扉を開けた。
「わぁ~いい匂いです」
「本日はルチア様から教えて頂いた、チーズグラタンとポテトサラダ、塩胡椒を効かせたカラアゲなるものを作ってみました」
「料理もできる執事さんなんてすごいです」
「お褒めいただき光栄にございます」
「揚げ物は、油をそこそこ使いますからこの世界ですと贅沢品なんですよね~」
「ルチア様の仰る通り、お安くできる料理ではございませんね」
「それに塩胡椒もふんだんに、まるで宮廷料理ですわ、オホホホ」
「見た目はともかく、味は宮廷料理を凌駕しております」
「多大なるお褒めのお言葉、有り難うございます」
「ささっ立ち話もなんですからなかに」
椅子に座る私のところまで良い匂いが漂ってくる。
トレーに並べられた異世界料理、男爵が見知ったら確実に自分の評価につなげ自慢するだろう。
「一回で運ぼうとするからそうなるのだ」
「なにを仰いますか、時間は貴重ゆえすぐに支度をしろと告げたのは旦那様ではないですか」
「まぁそうだが――」
「旦那様も見ていないで手伝ってくださいまし」
「まったく人使いの荒い執事だ」
私とオクタールの間に立つルチア嬢、丸眼鏡と口元を抑えププッと笑い、なんと可愛らしいことか。
そして息子のベランジュの伴侶にと何度思ったことか。
しかしそれは叶わぬ夢。
彼女は自らの意志で断るだろう。
私がいては商会、引いてはここで働く人たちに迷惑がかかると――。
「旦那様、エールもお持ちしますのでテーブルの片方を開けておいてください」
「まったく――」
ルチア嬢、またもププッと笑い可愛らしい笑みを見せてくれた。
さて、貴重な時間を無駄にするわけにはいかない。
「厨房に行ってエールと他の料理を取ってくるから、お前はその三品をテーブルに並べておけ」
私はそう告げ立ち上がった。
「旦那様、少し飲み過ぎでは?」
「そうか?」
「そうです」
「そういうお前もどうなんだ、けっこう飲んでいるだろ?」
「それは――つい話が弾んでしまい、喉が乾きまして……」
「言い訳になっていないぞ」
まったく、商会の屋台骨たる執事が酔ってどうする。
「それよりルチア嬢、先程の続きですが『ビセイブツ』の働きを目にすることはできないものでしょうか?」
「目にするとは?」
「はい、一通り説明を受けましたがなんとも雲を掴むような話でして我々の知識、水準では高等過ぎるというか……」
「ん~そうですね……」
長い黒髪を後頭部でクルリと束ねるルチア嬢の口元に、たらりと一筋の髪の毛が垂れた。
ふいに私は無意識にその髪に触れてみたい衝動に駈られるも、寸での所で手を止めた。
いきなり込み上げた感情に戸惑う。
理由、わからない。
ただ、触れてみたくなった。
「ジルベーヌ様、どうされました?」
「いやっなんでもない。そっそれより目に見えないほどのものとなると、やはり難しいですか……」
「そうですね……落ち葉なり枯れ枝が地面に落ちて、二~三年過ぎるとどうなりますか?」
「それは――ボロボロになったり、枯れ枝なら手でつまむと崩れます。また、数年も過ぎれば形すら残らないでしょう」
「それらは『微生物』の働きによって分解されるからです」
「なんと!」
「もし、微生物の働きがないとすると落ち葉なり枯れ枝は、雨風での風化を除きそのままの形を維持するでしょうね」
目と目とを合わす私とオクタール。
互いに驚きの表情を隠さずに。
「いやはやなんとも高等過ぎる話題で頭がクラクラしてきました」
「旦那様、正直に仰ってください。飲まれましたと――」
「酒にだろ?」
「そうですな。美味しい料理に、喉の渇きを潤す酒――それともルチア様の美声に――」
「フンッ掛けた老眼鏡が斜めを向いておるぞ」
「あっとこれは失礼」
いつも寡黙に仕事をこなす執事、しかし饒舌になっているところを見るとかなり酔っているようだ。
そう、酒ではなく、
――話される内容に悪酔い――
オクタールも理解している。
ルチア嬢を招き過ごすひとときに酒の力が必要なことを。
ビセイブツの話ならまだしも、聖水の原理や、生命の誕生、ジュウリョクとやらの性質、神々が御座す星々の誕生、ぶらっくほーるなる終焉など、もし記述して第三者に見られでもしたら大罪を犯した重罪人として、中央広場に吊るされ火刑に処されるだろう。
――そう、異端者の烙印を額に押されて――
それなら聞かなければ、尋ねなければ、耳を塞げばいいだけのこと。
しかし私もオクタールも一度甘美な美酒を味わってしまった者にして、この世の理の断片を知ってしまった者、耳を塞ぐことは到底不可能であり、さらなる深淵の淵を覗く欲望に駈られるばかり。
ゆえに私もオクタールもこのひととき(真理を追求する対話)の最後に必ず伝える。
いま話された話題は他の人に話してはいけないと。
教会や賢智者らが望んでも絶対に手に入らないこの世の理を、王侯貴族ですら知り得ない神話級の事実を、貴女様はお話になられたのですから。
私はふと思う時がある。
そう――女神との対話を記述し、後世に残してはどうかと。
数百年後、内容を読んだ者たちは様々な意味で驚嘆し恐れおののき、教会の地下に封印し禁書にするか、それもと、女神と対話した唯一の人間として聖典とするか、二者選択を迫られるだろう。
いや、聖典の範囲に――収まるだろうか?
どちらかといえば、神話のほうがしっくりくる。
「ジルベーヌ様、ちょっと話題が微妙過ぎましたので現実的な話で、雇用と賃金問題についてどうでしょうか?」
私は横に視線を向けると、オクタールも私を見ていた。
そして二人して大きくうなずいた。
「ルチア様、できれば酔いを少しでも醒ましてからお話を聞きたく思います」
「それは私も同じだ。オクタール、温かい湯と茶葉を持ってきてくれ。それで酔いを醒ますとしよう」
「かしこまりました」
雇用と賃金問題、ルチア嬢の話される内容ゆえ平々凡々なわけがない。
少しでも酔いを醒まして聞くとしよう。




