四人会議
修が退室したのは、赤紙と異世界の説明がひと段落した頃だった。
「すみませんが、私は公務に戻ります。あとは若い人たちで親睦を深めて下さい。——将来的に、必ずプラスになりますよ」
穏やかにそう告げると、修は背広の裾を翻して去っていく。
重厚なドアが閉まる音が響いた瞬間、部屋の空気は一気に静まり返った。
残されたのは、綾麿、瀬菜、アゲハ、モルフォの四人。
テーブルの上には、開けかけのミネラルウォーターが五本。
しかし、手を伸ばす者はいない。
時計の秒針だけが、静かな部屋の中で乾いた音を刻んでいた。
「……あの」
沈黙を破ったのは、瀬菜だった。
彼女は膝の上で手を重ね、息を整えてから口を開く。
「個人スキルのこと……皆さん、もうご存じですよね? 互いに共有しておいたほうがいいと思うんです」
綾麿は小さく息をついた。
確かに、避けては通れない話題だ。
「俺のは——『鋼鉄の王』。……詳細は、まだ分からない」
「鋼鉄の王……かっこいいね!」
モルフォがぱっと身を乗り出す。
瞳を輝かせ、まるで興味を隠せない子どものように言った。
「ボクのは『バタフライエフェクト・後翅』。何ができるのかは、よく分かんないけど」
「俺は、『バタフライエフェクト・前翅』。双子だからか、妹とスキル名が似てる。……使い方も、効果も不明だ」
アゲハが短く続けた。
声は落ち着いているが、その裏にわずかな緊張が滲んでいる。
瀬菜は静かに頷き、自分の胸元に手を当てた。
「私のスキルは『レインメーカー』です。父と同じスキル名だそうで……水を操る能力だと聞いています」
綾麿は少し目を見開く。
雨傘 修と同じスキル。
偶然にしては出来すぎている。——スキルにも、遺伝のようなものがあるのだろうか。
「……レインメーカー、ね。強そうだな」
「ええ。でも、強さだけでは足りません。父も言っていましたが、異世界では他者との協力が何より大事だと思います」
瀬菜は少し視線を落とし、言葉を続ける。
「異世界には、人が暮らすいくつもの国があるそうです。そして、魔神だけでなく“魔物”と呼ばれる存在も。その魔物を狩る人たちは“冒険者”と呼ばれていて……彼らを束ねる組織、“冒険者ギルド”というものがあるそうです」
淡々とした説明の裏に、かすかな高揚が混じっていた。
未知への恐れより、これから踏み込む世界を“現実”として受け止めようとする意志が、そこにはあった。
「へぇ……なんか、ゲームみたいだね。じゃあ、ボクたちも冒険者になるのかな?」
モルフォが小首を傾げる。
「なるしかないだろうな」
綾麿は低く呟く。
「生きて現世に帰るために、何でもやるしかない。目的……いや、グランドミッションを達成しないと、俺たちは永遠に異世界に囚われる」
その“目的”の意味を理解しているのは、この場で綾麿だけだった。
——凛を奪った仮面の人物、オウマトキト。
その名を胸の奥で噛み締めた時、テーブルの上のスマートフォンが震えた。
アゲハの携帯だ。
彼は画面を見て、わずかに眉を寄せる。
「……ばあちゃんからだ。少し、外す」
短く言い残し、アゲハは席を立った。
ドアが閉まり、再び三人だけになる。
——沈黙。
だが、先ほどとは違う。
空気の密度が、妙に生々しい。
「ねぇ、綾麿くん」
唐突に、モルフォが声を上げた。
その声音には、ほんのりと甘い響きが混ざっている。
「綾麿くんって、彼女とかいた?」
「……なんだよ、急に」
予想外の質問に、綾麿は軽く目を瞬かせた。
「えへへ、気になっちゃって。ボク、そういう話、好きなんだ」
モルフォは頬杖をつき、まっすぐに彼を見つめる。
「だって、異世界に行ったら、誰と一緒になるか分かんないでしょ? だったら、今のうちに——」
言葉を濁す唇が、妙に艶やかに見えた。
瀬菜のまつ毛がぴくりと震える。
「モルフォさん……そのような話題は、少し不適切ではありませんか?」
「え〜、別にいいじゃん。どうせ数日後には異世界なんだし!」
モルフォは悪戯っぽく笑う。
「ねぇ綾麿くん。異世界で、ボクのこと守ってくれる?」
「……状況によるな」
綾麿は苦笑し、曖昧に答えた。
その瞬間、瀬菜の声がほんの少しだけ低くなる。
「綾麿さん。……私も、守ってくださいますか?」
その声音に冗談はなかった。
まっすぐな瞳の奥に、どこか競うような光が宿っている。
モルフォが「え〜〜」と声を伸ばし、ふたりを交互に見比べた。
「おやおや、瀬菜ちゃんも意外と積極的?」
「そ、そんなつもりでは……!」
瀬菜の頬が一気に赤く染まり、声が裏返る。
綾麿は思わず目を逸らした。
部屋の温度が、じわりと上がった気がした——そのとき。
再び、電子音が鳴った。
今度は綾麿のスマートフォンだ。
画面には“母さん”の文字。
「……悪い、ちょっと出る」
綾麿は携帯を耳に当て、部屋を出た。
廊下の向こうから、ちょうどアゲハが戻ってくるところだった。
電話の向こうには、朋美の落ち着いた声が響いている。
その会話の一端を、アゲハは遠目に聞いてしまった。
『……綾麿。異世界では、何があっても生き残りなさい。凛ちゃんのためにも』
アゲハは一瞬、足を止める。
その横顔には、疲れと戸惑いが入り混じった色が滲んでいた。
目が合うと、綾麿は軽く会釈を返す。
互いに何も言わず、すれ違った。
アゲハが部屋へ戻ると——
そこには、先ほどまでの穏やかな空気はもうなかった。
瀬菜は頬を紅潮させ、モルフォはどこか拗ねたように腕を組んでいる。
テーブルの上には、倒れたペットボトルが一本。
こぼれた水滴が、光を反射して床に微かな虹を描いていた。
「……何があった」
アゲハの低い声が、静まり返った部屋に落ちる。
——沈黙。
だが、先ほどよりも濃密な、言葉にならない空気が、確かにそこにあった。




