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第90話 夜・プロジェクト・ノアの方舟と夏祭り

私たちは、白石さんに連れられて、それぞれの部屋に戻った。


「夜、迎えの船が来ます。それまで、最後の時間を楽しんでください」


白石さんが言って、二つの紙袋を手渡した。


「これ……?」


開けると、浴衣が入ってた。


「浴衣……!」


私のは紺色地に白い朝顔が描かれたもの。ケンタのは黒地に細い縞模様が入った粋なデザイン。


「きれい……」


夕暮れ時、浴衣に着替える。鏡を見ると、浴衣姿の私。


「似合う……かな……」


下駄を履くと、カランコロンって慣れない音がする。でも、嬉しい。夏祭りに行くみたいで、胸が高鳴る。


「ねえボトル子、浴衣だよ。夏祭りみたいでしょ」


ボトル子は笑ってる。優しく、優しく。


外に出ると、ケンタくんも出てきた。浴衣姿。


「……!」


かっこいい。思わずそう思ってしまって、顔が熱くなる。心臓がドキドキする。


彼も下駄の音を響かせながら、白石さんに案内されて、島の中心、65号棟の屋上に着いた。


そこから見下ろす軍艦島。夕陽に照らされて、オレンジ色に染まってる。


「……!すごい……」


私たちが30日間かけて作り上げた3Dモデルそのもの。完璧に、重なってる。涙が出そうになる。現実と、データが、完璧に一致してる。


白石さんが紙袋を渡してくれた。


その前に、白石さんは私を見て、微笑んだ。


「ねえユイ。あなた、厚生食堂で見つけた食器、持ってるでしょう?」


「……!え、なんで知ってるんですか……?」


驚いて声が出た。心臓がドキッとする。


「カメラの記録を見てたら、持ち帰ってたでしょ。丼ぶりとビールジョッキ」


「はい……勝手に持ち帰ってしまって……すみません……」


謝ろうとすると、白石さんは首を横に振った。


「謝ることじゃないわ。あなたがそれを大切にしようと思った気持ち、とても素敵だと思う」


「……」


「でもね、一つ提案があるの」


白石さんは優しく続けた。


「その食器をね、タイチ寿司の大将に渡してあげてほしいの。二つずつ、あなたとケンタくんで一つずつ」


「え……タイチ寿司……?」


「そう。実はね、厚生食堂のご主人の息子さんが今長崎で営んでいるお寿司屋さんなの。お父さんの形見を探してたって聞いてるわ」


「……!厚生食堂の……息子さんが……」


胸が熱くなる。涙が出そうになる。


「もちろん、無理強いはしないわ。あなたが大切に持っていたいなら、それでもいい。でも、もし渡してあげられるなら……きっと、喜ぶと思うの」


私は少し考えた。でも、すぐに答えは出た。


「渡します」


「……本当に?」


「はい。その方が……その食器も、嬉しいと思います。本当に大切にしてくれる人の元に帰れるなら」


白石さんは、優しく微笑んだ。


「ユイならそう言うと思ったわ」


その言葉が、温かくて、胸に染みた。


白石さんは紙袋を渡してくれた。


「夕食よ」


開けると、豪華なお寿司弁当。「完走祝い」と書かれてる。美しく並んだお寿司。


「これはその厚生食堂のご主人の息子さんが今長崎で営んでいる『タイチ寿司』のお寿司よ」


「……!本当に……厚生食堂の……」


涙が出そうになる。繋がってる。あの食器と、このお寿司が。


「島の……人の……お寿司……」


嬉しい。胸がいっぱいになる。一貫食べると、めちゃくちゃ美味しい。新鮮で、口の中でとろける。


「美味しい……!最後まで、食事が豪華すぎる……!」


ケンタくんも食べてる。


「でも、この白いお刺身なんだろう?スゴイ歯応え!」


「それはヒラス(ヒラマサ)よ」


白石さんが教えてくれた。


「長崎では高級魚よ。軍艦島の人たちも、よく食べていたそうよ」


食べながら、夕陽を見る。海が、オレンジと金色に輝いてる。


「きれい……」


白石さんが、静かに語り始めた。


「この島は、もうすぐ崩壊する」


「……!」


「風化が進んで、建物は崩れていく。あと数年で、立ち入ることも難しくなるでしょう」


胸が痛む。この島が、なくなってしまう。


「でも、君たちが残したデータは、永遠に残る。未来の人々が、この島を見ることができる。それが、君たちの成し遂げたことよ」


涙が溢れる。止まらない。


遠くから、音が聞こえる。船のエンジン音。迎えの船だ。


船着き場に向かう途中、ケンタが立ち止まった。


「あ、そうだ。これ」


彼は、背負っていたリュックから、何かを取り出した。


「……!」


麦わら帽子だった。


私の、あの、麦わら帽子。


「麦わら帽子……!」


驚いて、声が出た。心臓が跳ねる。


「灯台から落ちてきたやつ。拾っといた」


「え……拾って……くれたの……?」


涙が出そうになる。嬉しくて、嬉しくて。


ケンタは、少し照れたように頭を掻いて、言った。


「これ、スゴイ便利だったわ」


「……は?」


「……使ったんかい!」


思わずツッコミを入れる。涙が引っ込む。


「いや、日差し強くて。撮影中、めっちゃ助かった」


「私の麦わら帽子で!?」


「悪い?」


「悪くはないけど……なんか……複雑……」


でも、笑ってしまう。涙が出てるのに、笑ってる。


麦わら帽子を受け取る。少し汚れてる。でも、温かい。彼が使ってくれてた。


「ありがとう……大切にしてたから……嬉しい……」


「大切にしてたなら、もっとしっかり持っとけよ」


「だって、風が強くて……」


「次からは気をつけろ」


「……うん」


麦わら帽子を抱きしめる。温もりが伝わってくる。


「本当に……ありがとう……」


ケンタは、少し照れたように顔を逸らした。


「別に、大したことじゃない」


でも、私にとっては、すごく大切なこと。


麦わら帽子を被ってみる。ちょうどいい。やっぱり、私の麦わら帽子。


「似合ってる?」


「……まあ、悪くない」


顔が熱くなる。心臓がドキドキする。


私の足元に、グンちゃんがすり寄ってきた。


「グンちゃん……!」


「にゃあ」


見送りに来てくれた。私は、その小さな体をぎゅっと抱きしめた。温かい。柔らかい。この温もりと、もうすぐお別れしなきゃいけない。そう思うと、胸が張り裂けそうだった。


「白石さん、お願いがあります」


決意を固めて言った。


「この子を……グンちゃんを、一緒に連れて帰ってもいいですか?」


白石さんは少し驚いたように振り返って、私の腕の中のグンちゃんと私の顔を交互に見た。その目は、すべてを見透かすように、優しくて、厳しい。


「……彼は、この島の猫よ。本土の環境に適応できるとは限らないわ」


「それでも、です」


真っ直ぐ見つめて答える。グンちゃんを抱きしめる。


「この子がいなかったら、私は、とっくに心が折れてました。この子も、私の一部なんです」


私の必死の訴えに、隣にいたケンタくんも、静かに頷いた。


「俺も、お願いします。こいつは、俺たちの戦友です」


白石さんは、ふっと息を吐くと、仕方ないわね、というように微笑んだ。


「……分かったわ。ただし、責任を持って、最後まで面倒を見ること。それが条件よ」


「!はい!」


涙が溢れた。嬉しくて、嬉しくて。


「ありがとうございます……!」


船に乗り込んで、小さくなっていく軍艦島を、私たちはいつまでも見つめてた。夕陽が沈んでいく。空がピンクと紫に染まっていく。


私の腕の中では、グンちゃんがゴロゴロと喉を鳴らしてる。


足元に置いたカメラバッグから、タオルに包まれた厚生食堂の丼ぶりとビールジョッキが、少しだけ顔を覗かせてる。


「ちゃんと、届けるからね……」


そっと、バッグの口を押さえる。大切な、大切な、贈り物。


「グンちゃん……」


私の、忘れられない夏休みが終わる。そして、新しい日常が、この温もりと共に、始まろうとしてた。


「……ねえ、ケンタ」


名字じゃなくて、名前で呼んだ。自然に。当たり前のように。


「ん?」


「また、会えるかな」


私の問いに、ケンタは少しだけ考えてから、答えた。


「会えるよ。プロジェクトが終わったら、まず、一緒にラーメン食べに行こう。カップ麺じゃないやつ」


「……!」


胸がドキッとする。ラーメン。デート……じゃないよね?でも、二人で会うってことは……


「……いいね。チャーシュー大盛りで」


笑って答える。涙が出てるのに、笑顔になってる。


「今度は、触れる距離で」


ケンタの言葉が、まるで新しい物語の始まりの合図みたいに聞こえた。


その瞬間。


ヒュルルル……


か細い音が夜空に響いた。島の真上から、巨大な光の玉が打ち上がった。


「……!」


ドンッ!


腹の底に響くような重い音。夜空いっぱいに、大輪の菊の花が咲き誇る。赤、青、緑、金色の光の粒。キラキラと輝いて、降り注いでくる。


私たちの浴衣姿と、黒い海を、一瞬だけ真昼のように照らし出した。


「きれい……」


たった一発だけの花火。でも、今まで見たどんな花火よりも大きくて、美しい。私たちのための祝砲だった。完成を祝う、花火。


涙が溢れる。止まらない。グンちゃんを抱きしめる。


「グンちゃん……一緒に帰れるよ……」


ケンタくんを見ると、彼も笑ってる。優しい笑顔。


「また会える……ラーメン、食べに行ける……」


「ニンニク増し増しだったよな」


「ふふ、絶対臭いよ」


「お前もチャーシュー大盛りだろ」


「うん。大盛りで」


笑い合う。涙が出てるのに、笑ってる。


たった一発の花火。でも、十分。完璧。


今日も、一人じゃなかった。


そして、新しい物語が始まる。


グンちゃんと、ケンタくんと、一緒に。


私、田中ユイの、新しい冒険が。


「ありがとう、軍艦島」


小さく呟く。船は、どんどん島から遠ざかっていく。


「ありがとう、26番さん」


「ありがとう、ボトル子」


「ありがとう、この30日間」


ケンタくんを見る。彼も、私を見てる。


「ありがとう……ケンタ」


彼は、少し照れたように笑って、言った。


「こちらこそ。また、会おう。ユイ」


名前で呼ばれて、胸がドキンと跳ねた。


「うん。また、会おう」


軍艦島が、どんどん小さくなっていく。夜の闇に溶けていく。


でも、私の心の中に、確かに残ってる。


30日間の記憶。一緒に戦った日々。窓越しのやり取り。メモの交換。完成した瞬間の喜び。


全部、全部、忘れない。


絶対に。


【完】

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