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第89話 昼・扉が開く時

PCの画面に、文字が浮かび上がる。


『MISSION COMPLETE』


「……!MISSION COMPLETE……完了……」


その瞬間、部屋のドアから、カシャリって音がした。


「え……?」


30日間、私を閉じ込めていた重いロック。乾いた音を立てて、解除された。


「解除……された……!」


心臓がバクバクする。これ、本当に終わったんだ。本当に。


「いや、普通にドアのロックは初日から開いてたんだけど、なにこの変な演出」


すると部屋の中で変な音楽が流れだした。


「え?何この音楽……めっちゃレトロなんだけど」


PCのモニターに「MISSION COMPLETE記念 端島音頭 演奏中」と表示。


「……端島音頭!端島音頭!なにそれ!はははは!」


私はベッドに倒れこみ、笑い転げた。笑いすぎて、涙が出る。嬉しい涙と、笑いの涙がごちゃ混ぜになる。


「ねえボトル子、聞いて!端島音頭だって!」


ボトル子は笑ってる。いつもの、優しい笑顔。


「グンちゃんも聞いて!」


「にゃあ」


端島音頭は七番まであったけど、最後は「ソレ! ホンニヤレソレ!」と一緒に歌ってしまった。手拍子しながら。


お昼になって、タッチパネルでランチセットを注文。またフルコース。サンドイッチと、サラダと、スープ。


「もう、お腹いっぱいだよ!」


でも、美味しいから全部食べた。最後の食事。この部屋での、最後の食事。


食べ終わって、呟く。


「……終わった」


心臓が、ドキドキと高鳴る。立ち上がって、ゆっくりと、ドアノブに手をかける。


ひんやりとした金属の感触。冷たい。手が震えてる。


「このドアの向こうに……彼がいる……」


窓越しじゃない。本物の彼が。声が聞ける。触れられる距離に。


息を吸い込んで、深く。震える指で、ゆっくりとドアを開ける。


キィ……


軋む音。扉が、開く。重い音。


目に飛び込んできたのは、真昼の、目が眩むほどの太陽の光。まぶしい。目を細める。


その光の中に、人影が立っている。


逆光で、顔はよく見えない。でも、分かる。私と同じように、ただそこに立ち尽くしている。


画面越しに見てたよりも、少しだけ背が高い。潮風に髪が揺れてる。


沈黙が流れる。永遠のようにも、一瞬のようにも感じられる時間。どれくらい経ったんだろう。心臓の音だけが、やけに大きく聞こえる。


先に口を開いたのは、彼だった。


「……佐藤、健太」


「……!」


初めて聞く、彼の声。私が想像してたよりも、少しだけ低くて、優しい響き。温かい声。


その声が鼓膜を震わせた瞬間、30日分の感情が一気に込み上げてきて、視界が滲んだ。涙で、彼の顔が見えない。


「……田中、ユイです」


やっとのことで絞り出した私の声は、情けないくらいに震えてた。声が裏返りそう。


私たちは、ぎこちなく、数歩だけ距離を縮めた。ゆっくりと。確かめるように。


太陽の光の下で初めて見る彼の顔。日に焼けて、少しだけ大人びて見える。でも、その目は、私が知ってる。真っ直ぐで、不器用で、優しい目をしてた。窓越しに見てた、あの目。


「……」


言葉が、出てこない。ありがとう、も。大変だったね、も。違う気がした。そんな陳腐な言葉では、この30日間を、この瞬間の気持ちを、言い表せない。何を言えばいいのか、分からない。


沈黙を破ったのは、またしてもケンタだった。


彼は、私の卒業式みたいな服装を上から下まで眺めると、心底不思議そうに首をかしげた。


「なあ、一つ聞きたかったんだけど」


「……なに?」


「なんで、毎日違う服着てるの?」


「……は?」


「……!え……そこ!?」


あまりにものん気な質問に、私の涙は一瞬で引っ込んだ。


「え、そこ!?30日間、気になってたこと、そこ!?」


「いや、だって……メイド服とか、ビキニとか……」


「あれは!私の趣味じゃない!」


大声で叫ぶ。顔が熱くなる。思い出しただけで恥ずかしい。


ケンタは少し驚いた顔をして、それから、ふっと笑った。


その笑顔を見て、私も、つられて笑ってしまった。涙が出てるのに、笑ってる。


ああ、そうだ。私たちには、きっと、こういう普通の会話が、一番似合ってる。窓越しのメモじゃなくて、こうやって声を出して話すのが。


その時、彼の背後から、白衣を着た女性が、拍手をしながら現れた。


「それはね、『慣れ』を防ぐためよ」


「え……?」


彼女は、にっこりと笑って言った。


「私は白石。この『プロジェクト・ノアの方舟』の責任者よ」


白石さんは、私たちの前に立って、説明を始めた。


「人間は環境に適応する生き物。毎日同じ作業着で廃墟を歩けば、3日で風景は『日常』になり、君のシャッターから『発見の喜び』や『畏怖』といった感情ノイズが消えてしまう」


「感情……ノイズ……?」


「そう。恥ずかしい、動きにくい、場違いだ……そうやって心がざわつく時、人間の五感は最大まで研ぎ澄まされる。私たちが欲しかったのは、ただの綺麗なデータじゃない。君の『揺れ動く感情』が焼き付いた、生きた記録なのよ」


「……!」


私は呆気にとられた。あの恥ずかしさも、怒りも、全部計算尽くだったってこと……?


「……趣味じゃ、なかったんですね」


「ふふ、まあ、選定担当の趣味が少し混ざっていたのは否定しないけれど」


白石さんは悪戯っぽく笑った。


「でもね、あなたたちが感じた恥ずかしさや戸惑い、それが島との対話を生んだ。ナース服を着て病院を撮影した時、あなたは看護師の目線で建物を見た。バニースーツを着た時、あなたは大人としての自分と向き合った。それが、データに深みを与えたのよ」


胸が熱くなる。意味があったんだ。あの恥ずかしい衣装にも、ちゃんと意味が。


「おめでとう、二人とも。最終試験、合格よ」


「……!合格……」


白石さんは、優しく微笑んだ。


「この試験は、単なる技術者育成じゃない」


私たちは黙って聞く。白石さんの言葉の一つ一つが、胸に染み込んでくる。


「気候変動や紛争で失われゆく世界の文化遺産を、崩壊する前にデジタルデータとして保存し、未来へ受け継ぐための、メンバー選抜試験」


「……!メンバー選抜……」


「軍艦島はその最初の船よ」


ノアの方舟……。


白石さんは、静かに続けた。


「君たちが選ばれたのは、高校生だからじゃない。ユイ、あなたの共感性と物語を紡ぐ力。感情を込めて、建物に命を吹き込む力。そしてケンタ、君の論理的思考と正確性。緻密に、完璧に、データを構築する力。その二つが揃って初めて、ただのデータではない、生きた『記憶』を未来に残せるからよ」


「……!」


胸が熱くなる。涙が出そうになる。私たちの30日間には、こんな意味があったんだ。


今日も、一人じゃなかった。そして、扉が開いた。新しい未来への扉が。

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